秘書、ライアン・ホランドは棘を隠さない
ぐるりと一周して正面へ戻るまで、結局ヒルに抱えられたままだった。
働く男たちの視線が生ぬるい。
こうなったら己は愛玩犬で、ヒルはそれを抱っこしている少年だと思うことにした。
「ずいぶんと、仲良くなったものですね」
少し高めで透明な声が耳に入る。
ヒルが体の向きを変えると、別邸の入り口にすらりとした男が立っていた。
「あ、こいつは秘書のライアン・ホランドな。初日にいただろう」
ライアン・ホランドの第一声ははっきりと棘があったのに、この男はなぜ気づかない。
のほほんと紹介され、ヘレナはこの能天気な男の顎に頭突きしたくなるのを耐えた。
ヒルの筋骨の硬さはヴァンの肘の負傷で証明済みだ。
頭蓋骨が粉砕してしまう。
「こんにちは、ヘレナ様。紹介いただいたとおりです。どうぞライアンとお呼びください」
出会った日は五人の中で一番静かに立っているだけだったがキラキラしい容貌で一番目立っていた男。
それが、この秘書だった。
ゆるくカールした明るい金髪とミルクを少し落としたような青い目を見ると父の若かりし頃を思い出し、ヘレナは身構える。
容姿のせいだろうか。
あの、『ご学友』たちと、どこか似た気配がする。
彼の顔、そして声。
すらりとのびた手足。
間近で見ると、会ったことがあるような気すらしてくるのは何故だろう。
「…あの、そろそろおろしていただけますか」
「ん? 中を回るのもこのままでいいぞ。軽いし」
「いえ。己の足でそろそろ歩きたいので」
「そうか…?」
なぜか残念そうに降ろされた。
地面に両足を付けて、ほっと息をつく。
「ヒル騎士長~。確認願いますー」
「ああ、わかった、ちょっと待て」
部下の呼びかけに振り返って応えるヒルへ、ホランドがにこやかに話しかけた。
「ベージル、ここからは私がヘレナ様を案内するので、どうぞ行ってください」
「そうか?なら、ちびを頼んだな」
ヘレナの頭にぽんと大きな手を置き、ぐりぐりと乱暴に撫でた後、少し離れた騎士たちの輪へとヒルは駆けていった。
「…どうやら懐かれたようですね」
上品な香水の匂いがふわりと届く。
着ている服は一見使用人のお仕着せだが、ちらりと上着の合わせ目から覗くベストはかなり質の良いものだ。
「そうですね。でもまあ子犬を拾った子供と変わりません。興味が移ればすぐ忘れるでしょう」
「おや、ずいぶんと辛らつな」
どんなに軽い声色でおどけて見せても、ホランドの瞳の芯が冷たいままだ。
やはり、彼は油断ならない。
「ホランド卿とお呼びしてもよろしいですか」
「ヘレナ様の思し召しのままに」
慇懃に答えてみせるが、みせかけだ。
「ホランド卿がここにおられるのは、この屋敷の引き渡し確認のためとお見受けします」
「まさにその通りです」
「なら貴方の時間を私にばかり割いていただくわけにもいきません。失礼ながら、さっそく中を案内していただきたいのですが」
ヒルのせいで乱れた髪を指先で軽く直しながらヘレナは先を促す。
「仰せのままに。どうぞこちらです」
一礼し、ホランドは胸ポケットから出した鍵を扉に差し込んだ。