兄弟剣
カチャ……。
僅かな音だった。
それを耳にした瞬間、ヒルはノーザンに視線を向けたまま、突き付けていた槍をくるりと回しそのまま己の左側やや後方でカエルのように伏せていた男に向かって投げる。
「ギャアアッ!」
槍が深々と男の太ももに刺さった。
その男は矢を装着したままのクロスボウに手をかけていた。
痛みにのたうつ男に軽症だった者が駆け寄り、慌てて刃先を抜いてしまう。
「うわあああ」
大量の血が噴き出た。
喚く男をなんとか動ける者たちで抑え、止血をする。
今、ヒルは丸腰だ。
今なら……。
ちらりと頭をよぎったが、実際にノーザンは指一本動かすことができなかった。
視界に入らない場所にいた敵を難なく潰せる男がすぐ目の前にいるのに、一太刀すら浴びせられる自信はなかった。
「ノーザン」
飴色の瞳に冷たく見据えられ、その低く怒りをはらんだ声を聞いた瞬間、手足から力が抜け膝から草原に崩れ落ちた。
ヒルの剣が鈍い音を立てて転がる。
「とんだ送別会だねえ」
いきなり思いもしない、場違いで呑気な声があたりに響いた。
「…………っ」
声が聞こえた方角に二人が視線を向けると、狩猟服姿に帯剣している男が颯爽と現れ、倒れている男たちを気にすることなく近づいてきた。
「ナイジェル・モルダー男爵。なぜここに」
後頭部で一つに括った長く美しい金髪を風になびかせてモルダーはふわりと笑う。
「うん。義妹が具合悪くて滞在延期になってね。暇だからなんか精のつくもの捕ってこようかなって林に入ったら、耳障りな歌が風に乗ってきたからさ。そうしたらびっくりだよ。なんかストリップショー始まってて」
そう言いながら、途中で落ちていたヒルのコートを拾い、彼に向かって投げた。
「とりあえずそれ着ろよ。お前の裸はあまりにも色っぽ過ぎて、無駄に男のコンプレックスを刺激するからさ」
「はい。ありがとうございます」
受け取ったそれをひと振りして土埃を払い、袖を通す。
「うわ。素肌にコートってなんだか変態っぽいね。なんか新しい扉を開けそうだよ、俺」
「……モルダー男爵」
「はいはい。冗談はここまで。ちょっと場を和ませようとしたのに酷いなあ、ヒルは」
言うなり、二本の指を唇に当てて思いっきり吹く。
「ピ―――ッ」
すると、茜色の空を旋回していたカラスたちのうちの一羽が舞い降りてきた。
そして、高く掲げたモルダーの腕に止まる。
「イズー。切って」
彼が命じると、頭をいったん深く下したカラスは嘴を天に向けて一声鳴いた。
「カァァァ――――――ッ」
その声は、どこか金属を打ち鳴らすような不思議な音だった。
ビイィィーン。
バシュッ!
パァン!
騎士たちか持参していたクロスボウと弓の弦が次々と切れていく。
あっという間に全ての飛び道具が使用不可能になっていた。
「う、うわ、なんだ・・・?」
ノーザンは座り込んだまま、目をきょろきょろさせる。
「ん。ご苦労さん。行っていいよ」
モルダーが黒光りのする頭頂部に音を立ててキスをすると、カラスはこくんと頷き羽を広げ、軽やかに天空へと戻っていった。
「さっきみたいに矢を射られたら、落ち着いて話もできないかなあと思ってさ。あ。でも油断は禁物だよ? さっきのカラス、ちょっと只者ではないから、俺に何かあったら死んだ方がましなことになるからね?」
ノーザンをはじめ、少し動ける状態にある者たちは恐る恐る空へ視線を向ける。
夕日が地平線に隠れたばかりの空を黒い影が何羽も飛び交っていた。
その光景は更なる不吉な未来を予感させ、皆、不安におののく。
「それにしても、何・ノーザンだっけ? ノーザン伯爵のところの子かな。君は馬鹿だねえ。この剣を自分の物にしたら打ち首になるって、リチャード・ゴドリー伯爵から聞いていなかったの?」
「え……?」
「これさ。俺の剣と兄弟なんだよ」
転がっていたヒルの剣を手にしたモルダーは自分の剣と重ねて見せる。
柄と鍔の形、鞘の雰囲気と長さがほぼ同じだった。
「ほら、ね。そっくり。なんせ王妃様から下賜された特別仕様だからね」
「は……?」
「五年くらい前になるかなあ。飛び地領土のケルニアとその接地面のレスキュエル国が境界線でもめてさ。外交努力でなんとか丸く収まろうとした矢先に、うちの国の軍の一部が暴走して山城を占拠、周辺を荒らしてくれたんだよね。おかげですごく面倒なことになった」
「ケルニア……?」
ケルニア戦争。
それは一年ほどで終わったが、泥沼の戦いになり、戦死者が多数出たことで知られている。
「うん。フィリップ・マカフィーという男が部下たちと略奪の限りを尽くして、辺境の女子供を強姦して殺してしまった。それがケルニア戦争の原因だ」
「嘘だ! そんな話は聞いたことがない!」
ノーザンは瞬時に顔を赤く染めて噛みついた。
「俺のフィリップ伯父さんがそんなことするわけない! って?」
「な……」
目を丸くする男を眺めながら、モルダーはヒルに彼の剣を渡す。
「ほんと、胸糞悪くて懐かしい歌だな、あれ。さらってきた女を輪姦する時にマカフィー隊の奴らが歌っていたやつ。あれ、禁歌だぜ? それも知らなかったんだな」
モルダーは腰に手を当てて、ぐるりと見渡す。
最後に太ももをやられた男以外は、大した怪我ではない。
せいぜい骨折程度か。
全員命に別状はない。
しかし騎士たちは今、生きた心地がしないだろう。
王のお墨付きを与えられている男に私刑をしたばかりか、日ごろ慣れ親しんだ歌が禁じられたものだというのだから。
「リチャード・ゴドリー、および俺たち二人は、フィリップ・マカフィーの尻ぬぐい及び戦いを終結させた功績で、表彰された」
「そんな……まさか」
ノーザンの呆然としたつぶやきが落ちた。




