魔導士庁は不夜城なので
ヒルたちが術符の力で降り立った場所は魔導士庁の中でも隔離された場所にある転移用の小部屋だったらしい。
リド・ハーンはいったん二人を残して部屋の外に出た後、三人の魔導師を伴って戻ってきた。
眼鏡をかけた小さな老魔導師と、ハーンと同世代のような若い魔導士、そして中年の女性魔導師。
「ヒル団長。この人たちはストラザーン伯爵とも面識があるから大丈夫。ちょっと面白いことが起きているみたいだから連れて来ちゃった」
女性魔導師はすぐにドナへ近寄って話しかけ、傷の手当てと着替えを手伝うために隣室へ案内する。
その間に、男たちは検証を始めた。
「で、この袋の中身なんですけど。死んでますね?」
「ああ。詳細は後で説明するが、彼女が言うには、突然血を吐いて死んだらしい。恐らく体内に何か仕込まれたと思うから持ってきた」
ヒルは袋の口を開けて男を引っ張り出して見せる。
「はあ……。罰が当たったかな」
彼らは、何も言わずともこの男がドナに狼藉を働いたことを察したようだ。
「んー。なんかこれって……」
「内臓が破裂しているなあ」
「毒薬ではこういかないねえ。魔道具かな?」
ハーンと二人の魔導士たちは興味津々で覗き込む。
心なしか三人ともとても楽しそうだ。
手際よく衣類を脱がし、身体を転がし検分を始める。
「外傷はないから、あらかじめ何か飲まされていたのだろうがなあ。なんじゃろう?」
魔導士庁では位の高そうな衣装を身に着け真っ白で長い顎ひげを蓄えた小さな男は、眼鏡を押し上げた後ぽりぽりと頬をかく。
「あの……」
背後からか細い声が聞こえ、一同は顔を上げた。
「あの。見間違いかもしれませんが……。この人が血を吐く直前、パンって何か音がしました。それと、その時口とか鼻とか……光ったような気がします」
女性魔導師のローブを借りて着たドナが身体を支えられた状態で必死に言葉を紡ぐ。
「本当に一瞬のことだし、私自身動揺していたので……。必死だったから、自信ないのですが……」
両手を組んだり話したりしながら懸命に思いだそうとする彼女は、髪をおろすと若さが一層増した。
「いや、参考になったよ。でも仕込んだ人は何故殺したのかな?君を助けようとしたということかな?」
「そ、それはないかと……。だって、あの建物には奥様とヒル団長と私以外、誰もいなかったと思いますし……」
「奥様?」
ぱちくりと丸眼鏡越しにつぶらな目を瞬く老魔導士に、ヒルが補足説明をする。
「リチャード・ゴドリー伯爵の事実上の妻のコンスタンス・マクニール男爵令嬢です。ドナは彼女の命令で誰もいない筈の地下へ独りで行かされて、こいつに襲われました。異変に気付いた俺が駆け付ける直前に死んだ……。そうだな? ドナ」
「はい」
「ふうむ?単純に考えると、その奥様とやらが、一番怪しいのう」
「ですよねえ」
ハーンが老魔導師の隣でこくりと頷く。
「ま、おかげでだいたい見当はついた。これはわしらが預かる。今後のことについてはハーンと君たちで話し合ってくれるかな。後始末が必要じゃろうから」
そう言うなり彼は、ぱんっと節くれだった両手を合わせて打ち鳴らす。
すると、遺体と麻袋は何事もなかったかのように消え失せた。
「ハーン。ワシはあの子の作ったシードケーキがまた食いたいなあ。あの口当たりが癖になっての」
にいと厚い唇を上げる老師にハーンは満面の笑みを返す。
「はい。今はちょっと無理だけど、後日お願いしてみますね」
「ではな。楽しみにしとるよ」
手をひらひらと振りながら、老魔導師は部下二人を引き連れて部屋から出ていった。
「さて」
ハーンはヒルとドナに両手を差し出す。
「面倒だから僕の部屋まで転移しましょう。大丈夫です。今度は酔いません。僕は上手ですから。僕の手を握って目をつぶったら一秒で着きます」
「……下手で悪かったな」
少し機嫌を損ねたヒルががしりとハーンの左手を掴むと、ドナはそっともう一方の手に両手を添えた。
「まあまあ。時は金なりです。行きますよ~」
ぱあっと金色の光に三人は包まれ、消えた。
「さあ、約束のホットチョコレートです。どうぞ召し上がれ」
魔導士庁へ就職して間もないと聞いていたのに、ハーンはすでに個人の部屋を割り当てられているらしい。
しかも隣室には小さなキッチンがあるらしく、ヒルとドナが部屋の様子に見とれている間に、手際よくホットチョコレートと軽食を用意してどんどんテーブルに並べた。
「魔導士庁は別名不夜城って言われてましてね。仕事によっては泊まりこみがあるので自室を過ごしやすく改造して良いことになっています」
研究熱心なせいもあるが、獣人の血を引く者は日が暮れてから仕事にかかる。
夜行性ゆえに、夜の方が仕事がはかどるからだ。
夜中にヒルが転移しても誰も驚かずに対応したのはそういった事情もあった。
「それはすごいな……いや、そうじゃなくて。俺はすぐにでも元へ戻らないとドナがまずい。そういえば言い忘れていた。さっきのあれ絡みでドナが危ない。しばらく匿ってもらえないか」
「もちろん構いません。ここに案内した時点でそのつもりですから。その件についてもちゃんと座って話をしませんか?」
「だが時間が……」
コンスタンスが次の手をどう打つか気がかりなヒルとしては不安が募る。
「まあまあ。座って、ヒル団長。ドナさんの件もちゃんと話をしないと落ち着かないでしょ。それにですね、団長……」
にやりと悪い笑みを浮かべてハーンは声を潜めた。
「なんだ」
「このホットチョコレートのミルクと生クリームはヘレナ様手搾り、このオレンジケーキとフルーツケーキも同じく頂きました。あ、このライ麦のパンもヘレナ様が週末にこねて焼いたものです。中にはさんだチーズはミカさん特製ですし。大変美味しいですよ?」
まるで怪しい商人のように怒涛の解説と勧誘を始めた魔導士に、ドナは目を丸くするも、ヒルはぼそっと言葉を返した。
「……知ってる」
椅子を引いて座った。
「さあ、ドナさん、あなたも」
ハーンに促され、ドナはおずおずと座り、テーブルにつく。
大きなカップに入ったホットチョコレートからは湯気と一緒にシナモンの香りがふわりと漂う。
「おいしい……」
一口飲んで、ほうとドナは息をついた。
体中の緊張がほどけていく。
「さあ、お食事もどうぞ。その様子だと今日はろくに食べられなかったでしょう」
そう言って、ハーンはいくつかを皿に綺麗に盛ってドナの前に置いた。
「ドナ。俺が言うのもなんだが、どれもうまいから。少しでも食べられそうなら今食べておけ」
ヒルは自分の分を遠慮なく皿に盛ってどんどん口に入れ始める。
その慣れた雰囲気にドナはふと思い当たった。
「あの。先ほどおっしゃったヘレナ様って……。もしかして、別邸の御方のことですか?」
「うん、正解。君、察しが良いね。気に入ったなあ。ほらほら、食べよう?」
「は、はい……」
促され、オレンジケーキを口に入れると、スポンジにしみこんだオレンジの風味がじゅわあっと頬の内側を刺激した。
「うわあ……」
思わず頬をおさえると、ハーンが心配そうに尋ねた。
「あれ?もしかして、治癒魔法駄目だった?治ってない?」
ハーンはドナが何度も殴られたせいで口の中をかなり怪我していたのを理解しており、そのせいで傷が染みたのかと危惧した。
「あ、いえ。綺麗に全部治していただきました」
慌ててドナは首を振る。
「そうではなくて、スポンジの隠れていたオレンジのソースが口の中にいっぱいに広がって……」
「ああ、たまんないよね。美味しいよね。これがまた、ホットチョコレートに合って、なんか幸せにならない?」
「なります! いま、私、とっても幸せです」
ぱあっと目を開いて何度もこくこくと頷くドナに、ふふふと、ハーンは笑った。
「ねえ、ドナさん、今いくつ?」
「十六になりました」
十六だったのか……と、サンドイッチをほおばりながら実年齢を知ったヒルは何とも言えない気持ちになる。
「きみ、兄弟、たくさんいそうだねえ」
ホットチョコレートの入ったカップを両手に抱えてこてんとハーンは首を傾けた。
「はい。十人兄弟の三番目です」
「もしかして、子守とか得意だったりするかな?」
「そうですね。うちは貧乏子だくさんですから……。一番下はまだ一歳ですし……。やることがいっぱいありすぎて、優しいお姉さんにはなれませんでしたが……」
もじもじとフォークの柄を撫でながらドナは正直に答える。
「うん、決めた」
リド・ハーンはテーブルに頬杖をついて、正面に座るドナに向かって花がほころぶように笑った。
「ドナさん、うちに来ない?」
水色の瞳がきらきらと、楽しいことを見つけたというように輝いている。
「え?」
「は?」
ドナとヒルはフルーツケーキの刺さったフォークを握りしめて固まった。




