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見習いの侍女



 嫌悪を顔に出さないよう耐え続け、なんとかリチャード夫妻共用の応接間へたどり着いた。


 コンスタンスはその隣にある寝室のベッドまで運ぶよう要求してきたが、夫不在の今、自分にはそこへ入ることは許されないと断りソファの上に降ろした。


 すぐさまドナは着替えやタオルを取りに別室へ走り、ヒルは暖炉の前に膝をついて火をおこし、部屋を暖める。


「私はリチャード様が戻られるまで扉の外で護衛いたします」


 きちんと薪が燃えているのを確認した後立ち上がって振り向くと、着せた上着もそのままに、コンスタンスはソファの上に猫のように身体を伸ばし横たわっていた。


「ここでいいじゃない。廊下は寒いわ」


 甘えるようにじっと上目遣いで見つめられ、ますます胸の奥に重い何かが積もっていく。


「いえ、大丈夫です。どうぞ私のことは気にせずまずはお着替えをされてください。ドナも丁度戻りましたし」


 視線を上げると、小柄な侍女が両手にいっぱい、持てる限りの物を運んでやってきた。


「では、私はこれで。ドナ。奥様をよろしく頼む」


 腕からこぼれそうなタオル類をとりあげ近くのテーブルに置くと、こくこくと小刻みにドナは頷く。


「は、はい。ありがとうございます」


「ちょっと、ヒル……」


「奥様、私はこれから別室へ剣を取りに行きます。丸腰では警護ができませんので」


「え、だから待ちなさい」


「数分で戻ります。ドナ、念のため内鍵を閉めてくれ」


「わかりました」


「では、奥様。お気をつけて」


「え……」


 ヒルは一礼をしたのち大股で室内を横切って素早く退室する。

 扉を閉じる瞬間、コンスタンスのあっけにとられた表情が怒りに変わるのが目に入ったが、内鍵が施された音を聞き届けると同じ階にある護衛の詰め所にしている部屋を目指して駆け出した。




 施錠されていない部屋の奥に立てかけてあった予備の剣を腰に装着し、ヒルは来た道を戻ろうとした。

 しかし、使用人用の階段を誰かが降りていく気配を感じてそちらへ向かう。

 すると、暗いなかカンテラを手にしたドナがこわごわと肩をすくめて降りていくのが目に入る。


「ドナ、どうした。どこへ行く」


 慌てて階段を降りて追いかけた。

 足音とヒルの声にびくっと肩を震わせた侍女は、振り向きざま慌ててカンテラをかざす。


「あ……。ヒル団長でしたか……」


 そばかすの浮いた青白い顔が不安から安堵へと変わった。


「いったい何があった」


 この先は地下の厨房へつながる。


「奥様がモルドワインをご所望なのですが、材料がなくて。厨房へ作りに行くところでした」


「モルドワイン?何が足りない」


 二階の主寝室の近くに簡易的なオーブン施設があり、茶を沸かしたりスープを温めるくらいはできるが、モルドワインは鍋でワインと香料やリキュールを混ぜ合わせて作らねばならない。


「あの……」


 一瞬宙に視線をさまよわせながらドナは材料を指折り唱え始めた。


 クローヴ、ナツメグ、カルダモン、ヴァニラ、シナモン、スターアニス、生姜、オレンジ、りんご……。


「あと、キュラソーとミュルン産の白ワインです」


 思ったよりも内容が細かい。


「いつもドナが作っているのか?」


「はい。こちらへやってきてからは私の担当です」


 モルドワインはこれからの季節の定番。

 ヒルも兄嫁たちと作った経験はあるが、作り手によって味わいが全く違うのが難点だ。

 代わりに作ると言える代物ではない。

 しかし。


「俺があの部屋を出てからあまり時間が経っていない筈だが、奥様はどうしている。湯につかっているのか?」


「いえ……。実は疲れているからしばらくこのままでいたいとおっしゃって、ソファに横たわったままです。とりあえず暖炉の火で温まるから、とにかく今はモルドワインを作ってきてほしいとのことで……」


「鍵は」


「どうせヒル団長が戻られるから、そのままで大丈夫だと」


「…………っ。わかった。俺は奥様の元へ直ぐ向かう。だが、今夜は警備が手薄な上に、みんな酒を飲んでいる。羽目を外した者が何をするかわからないから気を付けろ」


 宴が行われる屋敷で使用人が危険な目に遭うことは少なくない。

 小柄なドナは抵抗力が見るからに弱く、格好の餌食だろう。

 更にどういうわけか、今この別館は人の気配が全くないことにヒルは疑念を抱いた。


「気休めにしかならないが、これを渡しておく」


 侍女へ杏の種のような小さな球を差し出した。


「これは……」


「魔獣討伐に使う目くらましの珠だ。もしも危ない目に遭った時、『はぜろ』と念じて床に投げつけろ。動揺して強く投げられない場合でも手を放してから心の中で強く『はぜろ』とさえ念じれば作動する。ただし表面が破裂するから破片が少しあたるかもしれない。できるだけ身体の近くで破裂させるな。それと強烈な光を発するから、爆ぜさせる瞬間は目をつぶるんだ、必ず。ちょっと手を触るぞ」


 侍女の左手に両手を添え、教え込む。


「今から俺と合流するまで、こうやって小指と薬指で握りこんでおけ。作業する時も絶対放すな。三本の指だけでは不便だろうが我慢してくれ」


「はい」


「手を滑らせて落としたくらいでは作動しないから安心しろ。こうして握りこんでいる間は君がこの珠の主だ。これは、そういう魔道具だから」


「あ……、ありがとうございます」


 カンテラの灯りのなか素直な言葉を紡ぐドナの生真面目な表情を見て、この子はようやく成人したばかりなのではないかと気づき、ますます不安を覚える。


 なぜ、こんな非力な少女をわざわざ。


「いや。一緒に厨房まで行けなくてすまない。くれぐれも気を付けてくれ。何事もなければいいが……」


「いいえ。じゅうぶんです」


 後ろ髪を引かれる思いで別れた。


 あとほんの少しの間、せめて地下が安全かを確認したいところだが、その間に女主人に何かがあれば、罪に問われるのは自分だけではない。

 カンテラの光が地下に消えるのを見送り、直ぐに走り出す。


 居室の前にたどり着くとすぐに扉を軽く叩く。



「ヒルです。お待たせしました。戻りましたので、これよりここで待機します」


「待っていたわ。入りなさい。頼みたいことがあるの」


 声と室内の気配は普段と変わらない。

 ならば、この間になんらかの異常があったわけではない。


「いえ。もう少ししたらおそらく他の騎士たちも戻るでしょう。それまでしばしお待ちください」


「待てないわ」


 ドアが内側から開く。


 サークレットとイヤリングを外し、髪を解いたコンスタンスが目の前にいた。


「ねえ、床が冷たいの。貴方が入ってくれないなら、私はずっとここにいることになるわ」


 思わず下を見ると彼女はドレスの裾を持ち上げて、すんなりとした細くて白い足首をのぞかせる。


「……ドナはどうしました。私と二人きりではあらぬ誤解を招き、奥様にとってよくありません」


 視線を上げ、知らぬふりをして問うた。


「奥で浴室の支度をしてくれているわ。あの子まだ見習いなのよね。仕事に慣れていないからかしら。すごく手際が悪くて。まあ、そのうちできるようになるでしょうけれど」


 コンスタンスは慈悲深い女主人の仮面をかぶり、でさらりと嘘をついた。


 そして額に手を当て、ふらりと全身の力を抜く。


「あ……」


 見過ごすわけにはいかない。


 ヒルは素早く抱き留めた。


「ごめんなさい、少し気分が悪くて……」


 くぐもった声で呟きながら、身体を寄せてくる。


 茶番だ。

 なんて安い、三文芝居だろう。


 しかし、今の自分は拒める立場にないのだ。

 従うしかない。



「暖炉の方へ戻りましょう」


 屈んで膝をつき、今一度、コンスタンスを抱え上げる。


「ありがとう、ベージル」


 また、長い腕が蔦のように絡みつく。


「いえ」


 扉は完全に閉じない。


 素早く靴の片方を脱いで差し込んだ。

 ささやかな抵抗だった。



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