角笛の音
「それで、前は不幸なお姫様を守る騎士って感じだったのが一転してゴミを見るような風情なのはなんでかな?」
馬の手綱を離すと、二頭とも少し離れた場所で枯草を食み始めた。
「……嵌められたことが分かったからだ」
再会したばかりの上に長い付き合いだったわけでもないモルダーにさらけ出すのは躊躇われたが、本来ならわざわざ休暇を取ってまでこの狩猟会へ参加する人物でないことだけは分かっていたので、ヒルは彼を信じることにした。
「なるほど」
多くを語らないにもかかわらず、彼は即座に頷く。
「それで、お前の他に目が覚めたヤツっている?」
「執事のウィリアム・コールと従僕のヴァン・クラークだ。彼らは今回留守番役を買って出ている。本当は俺も残りたかったんだが……」
二人とも側近として従軍もしていたため、モルダーと面識がある。
「ああ、なんであの二人いないのかなあと思ったらそれね。じゃあ、側近でまだ駄目なのはお頭の弱いライアン・ホランドか。あいつはいつでも考えることを放棄しているからなあ。死にたいのかあの馬鹿」
あまりにも辛辣な物言いにヒルは驚いて目を見開いた。
「……なんだびっくりしたか。まあ、そうだよな。詳細は事情によりご容赦願うが、ざっくり言えばあいつとは遠縁だ。俺も最初は冗談だろって思ったけれど、確実に血は繋がっている。真偽のほどはこの金髪と顔でなんとなくわかるだろう?」
考えてみれば、系統として似ている。
金髪の色と質感も、顔立ちも。
騎士であるモルダーと文官のホランドでは鍛錬の違いから体格のみ異なるが、親族と言われると納得してしまう。
「そのことをホランドは」
「まだ知らないようだな。だから馬鹿だって言ってるんだ。ホランド伯もいい歳した男に隠し立てなんかするはずないのにな」
「本人の知らない話があるってことか」
「ホランド伯爵は土魔法の名家なのに、ライアンはさっぱりだ。しかも髪と瞳が似ているだけで容姿も性格も全然違うだろう。色々なことを飲み込んで伯爵家は大切にあれを育てた。いや、甘やかしすぎた。そのツケをそろそろ払うことになるだろう」
『ホランド伯爵家が、ではないぞ』と付け加えながらモルダーは近くの地面をつま先で蹴る。
「とはいえ、アイツは小者だからせいぜい、主君の愛人とねんごろになっていることと、女にねだられてちょっと悪いことをした程度か。なあ、お前ら法に触れる事はしていないよな?」
「法か」
問われてまず思い浮かぶのは、黒髪の少女の顔。
自分には偽装結婚を『たかだか名義貸し』と彼女に言い放った過去がある。
なんてことを。
思い返すと、自分を殴りたくなる。
「あ、『書類上の妻』のことは一応置いといていい。まあ、なくはないから。よくあるとか言いたくないけどさ」
ものすごく面倒そうにモルダーは手を振った。
「…………」
貴族同士の結婚はおおよそ利害関係で結ばれる。
血脈や派閥、国としての契約。
体裁のために金で買われる令嬢はいくらでもいる。
珍しくない。
よくあることだ。
そう思っていた。
買われる立場になったこともないくせに。
「お前たちは彼女を消そうとまでは思っていなかったんだろう?」
「俺はそうだが……」
「ホランドたちは分からないか」
「ああ」
思い返せば、『黒髪、青い目なら、うちの娘がそうです』とブライトン子爵はゴドリー家応接間に座るなり言った。
心労のせいかやつれ、本来の年齢よりもずいぶん老けて見えた彼の瞳の色だけは確かに美しい青色だった。
それを見て、主は契約を即決し、コールが金庫から契約に見合った金を出した。
金貨を手にするなり飛び出したブライトン子爵とその友の背中を見ながらリチャードは呟いた。
『髪の色が多少違ったところで染めればよいだけだ』
なぜか、それがとても気のきいた台詞に聞こえて全員で笑った。
「うまく説明できないが、ブライトン子爵たちと契約を交わした頃の俺たちは本当にどうかしていた。あの真面目なコールでさえ」
コンスタンスと同じ黒髪と青い目の没落寸前の貴族令嬢を手に入れて、いったいどうするつもりだったのだろう。
しかも、ブライトン子爵と令嬢の調査は一切なしでいきなり数日後には結婚に踏み切った。
ふわふわした頭の中で、杜撰過ぎるのではという考えがよぎったが、すぐに忘れた。
そして迎えた挙式当日、教会に現れたのはみすぼらしい小さな子供。
合っているのは性別と黒髪だけ。
薄く水色がかった灰色の眼。
十歳の姪よりも華奢な身体で、十七歳だと言う。
いったい、なんの冗談だと驚いた。
しかも、数時間前に国内屈指の有力貴族であるストラザーン伯爵家の養女になったと証明書を持参していた。
書類を見るなり、ホランドは忌々し気に舌打ちした。
本来なら、有力貴族との繋ぎを得られるのであれば諸手を挙げて歓迎するものだ。
嬉しい誤算と喜ぶべきではないか。
しかし、彼が必要としていたのは真逆だった。
そう考えると、背筋に冷たいものが走る。
いったい、ブライトン子爵令嬢を買って、どうするつもりだったのかと。
「ふうん。なんか複雑怪奇な路線なのかな。死人が出なくてよかったな」
「死人なら、すでに一人出ている。従僕がやらかして死んだ。その件も含めて、ストラザーン伯爵家に情報提供を依頼してくれ。挙式直前に『奥様』はブライトン子爵から離籍してストラザーン伯爵家の養女になって、援助がついた」
「……そうか。わかった。ストラザーンなら、もしかしてラッセル商会噛んでる?」
「ああ。『奥様』付きの侍女を派遣されている」
「あ、スミスの子かな。そうしたらとりあえず、その『奥様』は大丈夫だね」
モルダーが年齢のわりに出世が早いのは、この思考と処理能力のせいなのだとつくづく思う。
「……あんたはすごいな。俺には到底無理だ」
ぽろりと本音がこぼれた。
すると、モルダーが最大限に目を見開いて固まっていた。
「どうした?」
「う……わ……」
「モルダー?」
いきなりがしっと両肩を掴まれる。
「大人になったな! ヒル! もうもう、びっくりだよ! ただの脳筋だったのに、なに、この成長ぶり。脱皮でもした?」
夏の空のような瞳をキラキラ輝かせ、モルダーはヒルの身体をぺたぺたと叩いた。
「は?」
「いやあ、ベージル・ヒルって言ったらさあ、腕っぷしはすんごくいいのに、脳みそがカマキリより小さくてさ。戦場では無双だけど娑婆に出ると役立たずっていうかさあ。……あ、顔と身体はすごく良いって女の子たちが言ってたな。でも、俺から言わせたら見掛け倒し感が半端ないっていうか! あ、性格は悪くないよ? でも、もういい大人なのに心は少年って感じで、残念な子だったよね!」
近衛でも指折りの美男子は長い金色の睫毛をぱちぱちと瞬かせながら、持ち上げては落とし、持ち上げては落としを繰り返す。
「おまえ……」
ぎたぎたの、ぎったぎたにヒルは切り刻まれた。
「……まあ、いい。俺に足りない部分がたくさんあるのはあんたの言うとおりだ」
「……ベージル。大丈夫? マジで別人だよ」
「おい……」
ヒルが再び口を開いた時、ブオーという角笛の音が響いた。
最初の一声に呼応するかのようにあちこちから角笛の音が行きかう。
狩猟会の終了の合図だ。
途端に、モルダーの視線がすっと鋭いものに変わった。
「まあ、これくらいは許されるだろう」
背負っていたクロスボウに矢をつがえさっと構えると、天に向かって放つ。
木々の切れ間の空を数羽の渡り鳥が横切った。
「……よし」
あっさりと矢が一羽の鳥の胴を貫く。
即死だったのか、ただの物体になって急降下し始め、やがてそう遠くない場所に落ちた音がした。
「ベージル。あれを愛人に捧げろ」
モルダーは動かず、鳥の落ちた方角を顎で指した。
「どういうことだ」
「団長ともあろうものが空手で帰ったらあからさまだろう。少しは機嫌を取っておかないとあの手の女は怖いぞ。何をしでかすかわからない。鳥一羽でも努力したことになるだろう。俺はみるからにやる気のないって主催者にもバレバレだから問題ない」
ほら行けよ、と、木々の方へ押し出される。
「……ありがたく頂戴する。すまない」
言葉に甘えて、ヒルは鳥を探しに行くことにした。
口笛を鳴らすと、馬が戻ってくる。
「……ヒル」
「なんだ」
手綱を掴んでモルダーを振り返ると、彼は真剣な表情で言葉を続けた。
「あの女を甘く見るな。あれは根っからの魔性だ」
「……わかった」
軽く会釈したあと馬に飛び乗り、背を向ける。
ざーっと音を立てて森の中を風が通り抜け、落ち葉がひらひらと舞う。
「いやな予感しかないんだよな…………」
モルダーの呟きは木々のざわめきに吸い込まれて消えた。




