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フルな朝食、執事・ウィリアム・コール添え



 翌朝、執事みずから朝食を携えて現れたのにはさすがに驚いた。


「おはようございます、ヘレナ様」


「…おはようございます」


 まっすぐに伸びたしなやかな身体。

 隙なく整えられた艶やかな黒髪と、闇夜のような瞳。

 人形のように表情が動かない顔と固い声に、ヘレナは困惑する。



「朝食をお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか」


「ええ、どうぞ」


 戸口から身体をずらして空間を作ると、「失礼します」と一礼してからワゴンを押して彼は入室した。

 テーブルの上にクロスをかけ整然とカトラリーと皿が並べられていくのを眺め、昨日のヴァンの所作は彼に仕込まれたのだなとヘレナは考えた。

 優雅な動きだが一切無駄のない、『型』のようなものが存在するのだろう。


「どうぞお座りください」


「ありがとうございます」


 椅子を引かれて、座る。


「勝手ながらメニューはこちらで決めさせていただきました。何かご所望のものがあれば遠慮なくおっしゃってください」


 そう言いながら、数種類のジュース、ジャム、クリーム、温められた白パン、ふんわりと整えられたオムレツとソーセージ、温野菜、そしてフルーツがきっちりとヘレナの前に納められている。


「いえ…十分です」


「温かい飲み物はコーヒーとお茶のどちらがよろしいですか」


「では、お茶で」


「茶葉は、キームン、セイロン、アッサム、ダージリン、それとカモミールがございます」


「アッサムをお願いします」


「ミルクなどはどうされますか」


「一切なしで」


「わかりました。今すぐご用意します。では、どうぞお召し上がりください」


「はい」



 横目に見たティーセットは白磁で一見シンプルだが、高価なことで有名な工房で作られたものだ。

 主向けに近いメニューといい。

 これは最後の晩餐的な何かかもしれない。

 昨日よりも明らかに格上のカトラリーを手に、内心ため息をついた。



 ありがたく平らげると、執事は皿を全て下げ、ダストパンでさっとパンくずを除去する。


「もしよろしければこちらもどうぞ」


 コーヒーとチョコレート菓子を載せた小皿をヘレナの前に置いた。


「お気遣いありがとうございます。朝食も大変美味しかったとお伝えください」


「はい」


 彼は結局一度も退室せずにヘレナが朝食を食べる間、サーブするためにずっと斜め後ろに立っていた。


「お忙しい中、給仕をしてくださったことに感謝します。そんななか大変申し訳ありませんが、あなたときちんと話がしたいので向かいの椅子に座っていただけますか」


 リチャードを含め側近の四人は全員背が高い。

 教会の一室で遭遇した時、森の中にいるような気分になった。

 低身長のヘレナが椅子に座った状態で彼を見上げ続けるのは首が疲れてしまう。


「わかりました。では失礼しまして」


 一礼して、執事が椅子に座る。


「早速ですが、今日もリチャード様はお見えにならないと考えて良いですか」


「…おそらくは」


「そうですか。昨日お会いした従者の方にお伝えしましたが、出来れば今日にでも別邸へ移りたいと思っております。どうか執事様が了承してくださいませんか」


「…挨拶が遅れて申し訳ありません。私はウィリアム・コールと申します。どうか私のことはウィリアムとお呼びください」


「いいえ、私は貴方様よりかなり年下で雇われの身です。とてもそんなことは」


 首を振ると、彼は頭を下げた。


「慣れない環境であることは重々承知しております。しかし先代様方がいらしたときにそれでは困ります。せめて、コールと」


 昨日ヴァンのつむじを見た時は多少の怒りが手伝ってちょっと呪ってしまったが、今は執事の頭頂部を眺めながらこの人は頭の形まで完璧だなとどうでもいいことに感心してしまった。

 五人の中で一番悪意がないのはこの人かもしれない。

 世間一般の執事像そのままの、真面目で融通が利かない男に見える。

 とはいえ、腹の奥底に一物や二物はあるだろうが。


「…わかりました。では、コール卿と呼ばせてください。下級貴族の私には今はそれが精一杯です」


 すると、大理石の彫像のような顔を上げた。

 わずかに、目元の鋭さが和らいだ気がする。


「お聞き届けくださりありがとうございます。先ほど伺ったヘレナ様のご要望ですが、ヴァン・クラークより聞いております。別邸内の施設はいつでも移れるよう整えてあります。昨夜のうちに指示を出して彼と秘書の立会いの下、朝一番で境界線を引かせました。なので、日暮れ前までに杭打ちと柵付けは完了する見込みです」



 仕事が早い。

 そもそも、廃屋になりつつあったあの別邸をたった三日で改修完了させるとはヘレナ自身思わなかった。

 つまりは主のわがままを即かなえられるだけの資金も資材も人材も潤沢にあるということだ。



「早速の対応ありがとうございます。さすがはゴドリー家ですね」


「いえ。私の不手際で何度もヘレナ様にはご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」


「その件についてはもう結構です。こうして、最高の待遇で朝食を頂きました。それで十分です」



 昔、これよりももっと豪勢な朝食を最高級の食器に供されて、家族で笑いながら食べていたのを覚えている。

 祖父も母も健在だった頃。

 多くの使用人に囲まれ、それを当然としていたあの頃。

 なんと贅沢な日々だったことだろう。



「ところで」


「はい」


「私の作法で注意すべき点がありましたら、今のうちにご指摘願いします」


「…は?」


 わずかに目が見開かれ、長いまつげが白い頬に影を作る。


「祖父が私のために手配した講師たちはもともと高齢で皆、もう他界しています。十年近く前と今ではマナーも変わっているかと思ったのですが」


 タダ飯ほど怖いものはない。

 彼はヘレナの作法の習熟度を測るために、わざわざフルブレックファストを用意した。


「貴方が私をお試しになったのはわかっています。情報ギルドにどれほどお金を積んでもヘレナ・ブライトンの情報はさほど得られなかったのではないですか」


「なぜそれを…」


 この数日間。

 まったく接触がなかった理由は、ヘレナの処遇に迷ったからにほかならない。

 急いで契約結婚を進めたものの、それ故すべて後手に回ってしまった。


「まあ、ストラザーンの入れ知恵と申しましょうか。挙式中に王宮へ身分確認に行かれたのは従者様でしたよね。その結果を昨日聞きそびれてしまったのですが、叔父も叔母も身分の保証をしたものの多くは語らなかったはずです。なんといっても宮中。周囲の耳がありますから」


「…大変、失礼しました」


 最初は侮っているのを隠そうともしなかった。

 しかしストラザーン伯爵の養女であることの確認が取れ、今後を話し合ううちに粗略に扱うのもためらわれてきたというのが本音か。


「どうぞ聞きたいことがあれば、直接お尋ねください。できる範囲でお答えします」



 とりあえず、手のうちはあまり見せたくない。

 しかし馬鹿にされたままでは、命が危うい。

 とくに、この企みの計画者の一人が執事なら。



「今は…。特にはございません」


「そうですか。ならばさっそく別邸へ移っても?」


「もちろんです。ご案内いたします」



 彼が一礼して呼び鈴を鳴らし使用人たちに荷造りの指示を出すのを、コーヒーを飲みながら眺める。



 まずは、一手。

 駒を進めたと見ていいだろうか。


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