密談の森
晩秋の森の中を猟犬たちの鳴き声と仮を楽しむ者たちの興奮した会話が風にのってベージル・ヒルの耳に届く。
「なんだ、お前もさぼりか、ヒル」
呑気な声に振り向くと、波打つ長い金髪を一つにくくり、最先端の狩猟服に身を包んだ美丈夫が馬上からにこやかに手を挙げていた。
三歳の姪が見たら、『おうじさま』と猛進するに違いない美貌だ。
「・・・これは、モルダー様。気づかず失礼しました」
同じく馬上のヒルは軽く会釈する。
このキラキラした男は、ナイジェル・モルダー。
伯爵家の次男で、現在は近衛騎士団に所属している。
数多の功績が認められて男爵位に叙されたが、容姿と実力からさらに爵位が上がってもおかしくない。
「ああ、いい、いい。形式ばったヤツいいから。どうせここは俺たちしかいないし、いつものにして」
めんどくさそうにひらひらと手を振った後、モルダーはにいと笑った。
「なら、遠慮なく。あんたがアビゲイル伯と親しいとは知らなかった」
二人は下馬し、向かい合う。
「うん。俺としてはあんまり親しくない方なんだけど、招待されてね。奥さんの妹が行ってみたいって言うから付き添い?」
彼は前に帝国騎士団の第二副団長だったため、リチャードたちと戦場を共にした。
年齢も立場も上だが人懐こい気さくな性格で、誰とでも対等に会話をしたがり、ヒルとも所属を越えて親しくしていた。
「ところでいいのか。こんなところでサボって『奥様』に獲物を捧げなくてさ」
今開催されている狩猟会は三日間かけて競い合う企画だった。
そして男性が仕留めた獲物を敬愛する女性に捧げ、最終日である今夜はその内容によって宴の女王が決まる。
「・・・リチャード様と副団長で十分だろう」
今頃、コンスタンスの前にはたくさんの獲物が積み重ねられていることだろう。
『野盗が出るから』という理由でゴドリーから自分を含め三十人近くの騎士を連れてきた。
この三日間交代で全員が参加したため、これらすべて彼女へ捧げればおそらく彼女が一番になるだろう。
アビゲイル伯爵は先王の時代からゆっくりと国で指折りの富豪にのし上がり、今では派手に社交界を仕切っていた。
邸宅は古くは王族所有だったものが巡り巡って買い取り、毎年この時期になると狩猟会を開催する。
最盛期には『宮殿』と呼ばれた城館は広大で、招かれた貴族たちはみなリチャードと同等の規模の騎士を伴って来訪していた。
アビゲイルの狩猟会に参加するのはステータスの一つだ。
しかし。
「えー。彼女は、お前の捧げるの待ってるんじゃないの?」
これは出来レースだ。
主催者であるアビゲイル伯爵が新婚のリチャード『夫妻』に花を持たせるつもりだということは、親しいものなら誰でも知っている。
「演出も過剰過ぎると興ざめだろう」
おそらく、コンスタンスに心酔している者たちは他の参加者を押しのけてまで獣を追いかけたに違いないから。
「だよな。ただでさえ、『新婦』は『愛妾』だってのに」
「・・・・!!」
ヒルは素早く周囲に視線を送った。
幸い、今いる場所は見通しが良く、周囲に人の気配はない。
確認後、軽く息をつくヒルをちらりと見上げてモルダーは爽やかな笑みを浮かべ肩をぽんと叩く。
「なるほど。魅了は解けたんだな。おめでとう」
ぽん、ぽん、ぽんと何度も叩かれながら、ヒルは問うた。
「・・・彼女に魔力はないと聞いているが、なぜ『魅了』と?」
「うん。あれは魔力ではなく経験・・・いや、職業病だね。とにかく男は片っ端から惚れさせないといけないっていう強迫観念に囚われているのかもな」
同情しないけれど、と前置きをしてモルダーは続けた。
「この前の凱旋式の時はさ。おまえを含めてゴドリー伯の側近全員、あの女に忠誠を誓ってますーって感じだったから、こりゃちょっとほとぼり冷めるのを待つかって話になっていたんだけどさ」
話の中に他者の意見が入っていることにヒルは気づく。
現在モルダーが近衛騎士として仕えている相手は・・・。
「そしたら、いきなり結婚してるじゃん。相手は旧ブライトン子爵家の長女でカタリナ・ストラザーン伯爵夫人の姪のヘレナ嬢。なのにさあ。流行りのドレスメーカーとか宝飾品の特別室でがんがん高い品物注文してゴドリー伯爵のツケ払いにしているの、あの女って、どういうこと?って話題騒然よ」
「・・・どのあたりで」
こうなると答えは見えているが、ヒルは悪あがきをした。
できることなら、ゴシップ好きがお茶会であることないこと喋っている程度であってほしいと。
「うん。王宮のご家族様ご一行」
「・・・だよな」
彼の所属は皇太子殿下の宮殿だ。
しかも、妻は皇妃の女官。
現在の王室の家族関係はまるで庶民のように密接で仲が良い。
平服で気取らない食事会をまめに行い、情報のやりとりをしている。
そうなると、当然、些細なうわさ話も皇帝の耳に届くという事。
「俺がずっと前からアビゲイル伯爵夫人にロックオンされているのも皇族の皆様ご存じでさ。狩猟の招待状が俺の元に届く前に、もう、行けって命が下ったわけよ」
二十七歳のナイジェル・モルダー男爵は十年前に皇妃の女官を八歳年上にもかかわらず妊娠させて結婚に持ち込んだという逸話がある。
その後、彼女との間に何人も子どもをもうけ、愛妻家ぶりを隠そうともしないが、その美貌ゆえに一夜の夢を望む貴婦人や令嬢たちがモルダーを追いかけまわしている。
その一人がアビゲイル伯爵夫人。
二人の息子を産んで妻としての義務を果たした彼女は、公然と婚外恋愛を楽しんでいた。
もちろん、夫の伯爵も浮名を流している。
そんな二人が主催する狩猟会。
出席者の顔ぶれは見ものだ。
「今回の主賓と目されているリチャード・ゴドリー伯爵ははたしてどちらの女性を伴ってアビゲイルに滞在するか、その様子を見て来いというのが今回の俺の仕事。まあ、期待を裏切らない結果だったね」
伯爵夫人から情報を引き出すためにも妻は同伴できない。
代わりに未婚の義妹を連れ、彼女には女性同士の社交の様子を探ってもらうことになった。
「探りたいことは、あの人についてか」
「そうそう。だって、一国の提督をたぶらかしてくれているんだから、何が目的か気になるじゃん。これがその辺のぼーっと散財しているだけのヤツだったら放っておくけれど、一応軍の要職でしょ、リチャード様は」
「・・・だよな」
ヒルは目をつぶり額に手を当てた。
ずきずきと血管が脈打つ。
今まで、そこまで深く考えることがなかった己を恥じた。
「今の時点でお前がまともになってくれて助かった。傍から見ていて、正常になったかな?と思ったから声かけたんだけどさ」
「何を見て、そう思ったんだ?」
「一昨日だったかな。あの女の誘いをかわしているのを見かけたから。下手に出ていたけれど、リチャード様がお友達のところに行っているのをいいことにけっこうベタベタ触ってきたから、ちょっと最後イラってきてたでしょ」
「ああ・・・」
ヒルは重いため息を一つつく。
我慢がきかなかった。
失態だ。
「まずいな・・・。傍から見てそんなにわかる感じだったか」
「うん、マズいね。あれはご機嫌を損ねていたよ、確実に」
犬の遠吠えが日の傾き始めた晩秋の森に響いた。