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藪をつついて蛇を出す



「これは、驚いたな」


 扉を開いた姿勢のまま、クラークは呟く。


「ええと・・・。どの辺が」


 毛糸を吊るした二本の棒をそれぞれ両手で持ち上げた姿勢のままヘレナは尋ねた。


「まず、五日間死んだように眠り続けたあんたが今日は朝五時に起きて家畜の世話をして、朝食も作り、今はこんな所で毛糸を染めていることだな」


 今、ヘレナは地下の洗濯室で大鍋に染料を入れて竈で炊き、片っ端から糸を染めている最中だ。


 ゴドリー家へやってきて別邸に案内されこの洗濯室を初めて見た時、十分な広さがある上に干し場と煮沸処理のための施設が完璧に残っていたため、ヘレナは内心小躍りした。


 ここなら、色々な物を染めて干すことも可能。

 何よりの褒美だった。


「あり得ないだろう。あんた、俺がどんなに触れても全く起きなかったんだぞ」


「え。クラーク卿、それって・・・」


 つぶらな瞳を真ん丸にするヘレナに、クラークは額に手をやる。


「ちがうから。変態行為は一切ない。ミカが飯を作ってくれている間に、俺があんたの爪を切ったことがあったんだ」


 ミカに頼まれたとき、クラークはいったいなんの冗談だと思ったが、実際に数時間前に彼女の爪切りを見ながら会話をした覚えがあるだけに、その異様さを納得し、手伝った。


「俺も母の介護で爪を切ったことはあるしな。慣れている」


 とはいえ、ほんの数回で終了し、すぐにシエルの魔法のおかげで手伝いは必要なくなったが。


「ああ・・・そうでしたね。クラーク卿も病気のお母さまを看取られたのでした」


 奇遇にも、ヘレナと同じ年のころにクラークも母を病で亡くしている。


「まあ俺の場合、近所の女性たちが子どもの俺にさせるのは気の毒だと交代で色々やってくれたから、さほどのことはなかったけどな」


 何事もなかったかのように彼は笑う。


 ヘレナの場合は使用人がまだいたし、クリスが精神的な支えになった。

 しかし、母を失えば天涯孤独になる未来が見えていたクラークはどれほど辛かっただろうとヘレナは思う。


「・・・その節はありがとうございました」


「いや。誤解が解けて何よりだ」


 一瞬、部屋の中に沈黙が落ちた。


 ふいにヘレナは窯の方へ視線を戻す。



「あの。すみません、ちょっと作業続けて良いですか」


「・・・ああ」


 魔女の呪いのスープのような鍋に糸を浸しては持ち上げて空気に晒す作業を、ヘレナはもくもくとこなす。


 その姿をクラークは腕を組み、窓辺に背を預けて眺めた。


 単調だがおそらく身体に多少の負担がかかるだろう。

 病み上がりにすることではない。

 そう思うとつい、らしくないことが口から出てしまう。


「・・・手伝おうか」


 ざー、ざーっと水音が響く。


「いえ。今やっている分さえやっつければいったん終了なので、大丈夫です」


 糸を見つめる横顔にはいつもの幼さが一切ない。

 時を見極めようとする眼差しは、職人のそれだ。


「そうか」


 彼女の邪魔をしないよう、変化してもなお小さな身体がせわしなく動くのをただ眺めていた。


 五日間の睡眠の間にのびた黒髪をミカが凝った造りの編み込みにしてくれてらしく、それを背中に流している。


 骨格と肉付きは細いままだが、髪同様に身体のバランスが縦に少し伸びたのがわかるのは、およそ十センチ近く大きくなったからか。


 とはいえ。


 正直な所クラークの中の基準で十歳くらいに見えたのが、ようやく十二、三歳になった程度の成長。

 まだ十七歳の平均的な体型には程遠い。


 それでも少し。

 中身と外見が釣り合い始めている。


「ほんと・・・。あきれるほど働き者だな、あんたは」


 クラークの呟きは、作業に専念しているヘレナの耳には届かない。

 冬の初めのぼんやりとした光の中、かすかな歌声が流れていく。




「そういや、ご用は何でしたっけ」


 ミルクをたっぷり入れたコーヒーを一口飲んだところで、ヘレナは軽く首をかしげた。


 ネロとパールはストーブのそばでくっつきあって眠り、ミカはデザートをとりに厨房へ向かったところで、ちょうどクラークと二人きりのようなものだ。


「やっと、それか・・・」


 色止めをして水にくぐらせたところまではヘレナが一人で行い、絞って干す作業はクラークも手伝った。


 そしてようやく、少し遅い昼食と休憩をミカ、クラーク、ヘレナ、犬猫という面子で過ごす。


 この別邸の食堂で食卓を囲むのに、お互いすっかり慣れてしまった。


 ミカが別邸で侍女として働き始めたあたりから、ヴァン・クラークとウィリアム・コールとベージル・ヒルの三人が食事のほとんどをこちらで摂るようになり、そのせいかお互いの距離感が同僚もしくは親戚のような気やすいものになりつつある。



「まず、『収納』されていた物の件で新たに判明したことを知らせておこうと思ってな。あんたのおかげで手に入ったのだから」


 権利書、貴重品の他に入っていたのは、日記と走り書きのメモだった。



「ほぼ正常だった頃はなんとか日記をつけていたらしいが、途中からとにかくその時にあったことを走り書きにして書棚に突っ込んでいたそうだ。それが大量に出てきたから、コールが全部さらってとりあえずバーナード氏の元へ持って行った。本人が見るのが一番だろうからな」


 日付が記入されているものもあるがそうでないメモがほとんどで、クラークとコールの二人で時系列に並べるのは困難だとすぐに悟った。


 養育先は元家令でもあるジョセフもいる。


 相談すると、執事としての業務に精通している彼はすぐに手伝いを買って出てくれ、とりあえず記憶の復元と整理を兼ねてそちらに託すことに決めた。



「一応、俺たちでざっと目を通して、思ったんだが」


 今、ジョセフの屋敷にいるウィリアムも同じことを話しているだろう。



「バーナード氏を混乱させるために・・・というか、認知機能を衰えさせるために、彼が執務室不在の間にこっそり侵入し、色々な物の位置を移動させていたやつがいた可能性がある」


「それは・・・。どのような意味が」



「彼は有能な執事で、現実主義だ。執務室に突然、妖精や魔物の類が現れたなんてまず考えない。そこを突いたんだ」


 バーナード・コールは作業効率を重視し、それを極めた行動を常とした。


 執事の鏡というべき男だった。


 事細かにスケジュールを立て規則的に行い、執務室は整然としていて、一糸の乱れもない。


 それがわずかに狂い始めたなら。

 己の中の何かが崩れ始めていると恐怖を抱くだろう。


 そしてその恐れがさらに彼自身を痛めつけ、実際に狂わせていく。



「ほんの少し前に机の真ん中に置いたはずの書類が引き出しの中にあったり、満たしたはずのインクが空になっていたり。不審に思って周囲に尋ねると、みな、不思議そうに首をかしげる。怖い話だよな」



 その頃、既に使用人たちの入れ替わりが生じ始めていた。


 誰かの悪意なのか。


 それとも自分が狂い始めているか。


 バーナードは原因不明の不眠が続き気力も衰える中、必死に考えた。

 せめて若い当主と甥が帰還するまで、現状維持する術を。



「まず侍女長も体調不良でいきなり引退、バーナード氏の体調も悪化の一途をたどっている中、混乱はだんだんとそれはひどくなり、執務室が獣の住処のような状態になるのに時間はかからなかったようだ」


「外的にも心的にも攻めていったというわけですか」


 シエルたちが診察した時、呪術の類をかけられた形跡は見られなかった。

 考えられるのは、薬物の投与と執拗な心理操作。



「そうだな。こうなると、黒幕は相当狡猾なヤツだろう」


「だからこそ、お二人の拠点をこちらへ移した、ということなのですね」



 今、おそらく『黒幕』が探していた物がこちらの手の内にある。


 そもそも、探させるためにコールたちを残して二週間家を空けたのかもしれない。


 バーナード・コールの二の舞になる可能性が高いと解った以上、本邸で寝起きをするのは危険だろう。



「すまないな。あんたが寝込んでいる間に、ミカを通して応接室の使用許可をストラザーン伯爵家から取ってしまった」


「いえ。部屋は空いていますし。なんなら二階の図書室を使ってください。寝室と仕事部屋は別の方が良いでしょうから」



 一階で一番広い部屋なので、一時期はシエルやヒル、さらにクリスまでが泊まりこみをしたりと、男子向け宿舎になりつつある。


 先日ヘレナの寝ている間にラッセル商会が移転魔法で出入りしたのは、彼らのための寝床を秘密裏に設置するためだったのだろう。



「仕事中毒のあんたがそれを言うとはな」



 クラークが皮肉たっぷりの笑みを浮かべた。


 言葉遣いは市井暮らしのままで荒っぽいが、ノーブルな顔立ちのせいなのか下品にならない。


 彼のチョコレートのような濃茶色の髪と深い緑の瞳にふと、ヘレナは引っかかるものを覚えたが。



「うーん。藪蛇ですね」


 とりあえず、苦笑しながらコーヒーに口を付けた。


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