伝説の魔道具師
「み゛ゃん!!」
音と風圧に驚いた黒猫が飛び上がり、ベッドから飛び降りてものすごい勢いでハーンの足元から肩まで駆け上がった。
「あは。さすがのネロもびっくりだね」
してやったり顔のハーンに、肩の上でネロは背中の毛を逆立てて耳を畳み、ぱかりと口を開き「ハーッ」と空気砲を見舞う。
「だって僕なしであんな楽しい事をさくっとやっちゃうんだもん。ちょっと驚かすくらい良いでしょ」
透明な水色の瞳をぎらりと輝かせ、ネロの顔を覗き込むと、「・・・しょー・・・」と薄い空気を吐きながらしんねり小さくなった。
見た目はきらきらふわふわしているハーンだが、本質は狂気すれすれの研究員だ。
魔導士庁で闇の部分を垣間見た経験のある魔改造猫は引くしかない。
「それにしても、ずいぶんとたくさんしまいこんでいたんですねえ」
すっかり、『借りてきた猫』になった黒猫を胸元に抱きかかえて、ハーンはのんびりと全員の感想を代弁した。
ベッドの上には無秩序に積み重なる書類、そして硬貨。
「王宮金貨・・・」
危うくベッドから零れ落ちそうになった重い硬貨をとっさに手で受けたウィリアムはつぶやく。
高額過ぎて庶民は一生のうちに見ることがないと言われる物。
一枚で100ギリアの価値があり、これを二十枚載せた盆をテーブルに置いた記憶がよみがえる。
あの金貨で、ヘレナ・リー・ブライトン子爵令嬢を買った。
主に指示されて用意した時も、それをすっかり落ちぶれたハンス・ブライトン子爵が震える手でそれを鷲掴みにするのを眺めていた時も。
まったく何の感情もなく。
淡々と。
それが高位貴族に従う執事の仕事だと思っていた。
なんと傲慢な。
なんと恥ずかしいことを、自分は。
「ウィリアム様」
床に滑り落ちていた封書をシエルはそっと指先で拾いあげた。
「こちらに、フォン魔道具師の手紙がありました。おそらく、バーナード様にこの時計を渡す前に彼が入れておいたのでしょう」
差し出されてウィリアムは我に返る。
「バーナード様。フォン魔道具師はドワーフ族ではありますが、ちょっと変わった血筋の人なので、契約外のことも仕組まれたと思います。おそらく、この中に色々書いてあるでしょう」
シエルの言葉に、バーナードは甥を見つめた。
「・・・ウィル、私の代わりに読んでくれ・・・」
「はい。では」
ウィリアムは頷き、受け取った封筒の封蝋に触れたとたん、それはぐにゃりと溶け、赤い光を放つ。
「え・・・」
一瞬思わず目を閉じたが、封筒を握りしめたままだった。
にもかかわらず。
「・・・私が手にしていたのは、封書だったのでは・・・?」
今、ウィリアムが手にしているのは少し厚めの材質で作られた巻紙だ。
「これはいったい・・・・」
「フォン氏の遊び心というか、術というか・・・。正当な人間が手にしたらそうなるしかけなのです。魔導士庁と王族が極秘に契約を取り交わすとき等に時々使う手なのですが・・・。たぶん、バーナード様が依頼された時に、色々考えて施したのではないかと」
シエルの説明を聞きながら紙を開くと、まず材料費及び工費の見積もりが簡潔に箇条書きされ、その料金が明示されていた。
さらに懐中時計の図も描かれ、どのように細工したのか、付与した魔術の内容と使用上の注意まで事細かに書かれている。
几帳面な小さな字であまりにも多くのことが記されているため、読んでいるウィリアム自身、だんだん文字を追うのがやっとの状態となり、聞いているバーナードとジョセフは言わずもがなだ。
ようやくたどり着いた最後の行に、『依頼から二年後以内に支払うこと』と締めくくられていた。
現時点で支払を踏み倒したわけではないことに、まず、コールたちは安堵する。
しかし、こうなると逆に疑問がわく。
「どういうことなのでしょうか。なぜ、フォン氏は二年以内に支払うようにと・・・」
「まず、付与した魔術なのですが・・・」
いつの間にか横から文書を覗き込んでいたシエルが説明を始める。
「バーナード様が重要と思うもの、盗まれては困る物を片っ端から収納する、と書いてありますが、これは、バーナード様の本能に作用するように細工されていて、触れた時に魔道具が判断して空間移動する機能まで勝手に付けていますね」
図の中に小麦の粒のような小さな文字で書かれている文言にそのような内容が罹れているらしい。
「それと、受取に来たバーナード様に軽い暗示のようなものもかけて、まず私物で重要なものをまず収納させる・・・ともあります。これのおかげで私財を守れたのです」
全てを見越した手際の良さにウィリアムは改めて驚く。
「まさか・・・。彼は叔父の窮状を一目で読み取り作ったということですか?」
「はい。彼は魔導士庁勤務のころは先見の能力を持つ稀有な魔導士で・・・。今も時折来庁していただいています。そのような御方なのでそもそも、普通は簡単に彼の元へたどり着けないのです」
シエルの言葉に三人の男は衝撃を受け、顔を見合わせる。
「フォン爺さんは、悪さの依頼はまず受けないし、不審者はあの集落に入れず森へ迷い込む術がかけてあるから、伝説の魔道具師なんですよ。酒の肴に『そういえばそんな店が』という感じの。拾った辻馬車にのって一発で会いに行けたバーナード様はすごいなあ。滅多にないんじゃないかなと思います」
目をきらきらと輝かせてハーンが会話に参入した。
「ちょうど暇だったのか、面白い仕事と思ったのか・・・。あ、ようはバーナード様の回復も予測済みだったということかな。もしそうなら、僕たち全員じいさんの手のひらで踊らされた感じがなくもな・・・」
ハーンのおしゃべりをネロの尻尾がぺしんと止めた。
「ひどい、ネロ・・・」
むうと口をとがらせるハーンに、ウィリアムは苦笑する。
「・・・その、魔道具師様のおかげで、私たちはこうしておおいに救われました。ありがたいことです」
ちらりと目に入った書類の中には、探していた権利書の一つが見えた。
もう見つからないと諦めかけていた文書がここにあると解って、ずいぶんと肩の荷が下りた。
あとは、とりあえずもう一度収納しなおした後、ゴドリー邸のどこか安全なところで整理と確認を行わねばならない。
彼らがこちらに帰ってくる前に。
「そういや、フォン爺さんの母親は聖女だからそういうちょっといろいろドワーフにない力を持っているんだけど、そういうのが何十年かに一人、現れるらしいんですよね」
人懐っこいハーンは、まだ頻繁に会ったわけではないにもかかわらずフォンの愛弟子の一人だそうだ。
『面白いこと』に対する執着の度合いで気が合うのだろうか。
「聖女の子どもだということがですか?」
ベッドの上に乱れ重なる書類をなんとかかき集める作業しながらウィリアムが尋ねた。
とりあえず、バーナードはベッドの中でネロ係になってひたすら彼の腹を撫で、それ以外の四人が書類と貴重品を床におろして積み上げていく。
しかし、単調な作業にいち早く飽きたハーンが雑談をはじめ、それに乗った形だ。
「うん、というより、ドワーフの姿かたちとかとにかく全部が好きすぎて押しかけ女房的に突撃する聖女。ドワーフって基本的に他の種族と交配したくない性質があるんだけど、たいてい聖女に軍配が上がるんですよね。で、結局ちょっとドワーフの能力が上がるのかな」
それは鉱脈を探ったり、悪しき者を感知する・・・危機管理能力のようなもの。
「すがたかたち・・・」
総じてドワーフ族は背が低めで骨も肉付きもがっしりとして、目鼻だちの造作はおおぶりだ。
全体に毛深く、体臭も強い。
特徴からアナグマと表現されることがある。
そこがまたたまらないと聖女はドワーフの妻を志願した。
頑固で職人肌で、正直、そして誠実。
生きることにどん欲で、たまに悪戯をする余裕はもちろんある。
神がこの地に授けた善なる一族のひとつ。
「とにかくさ、味のある顔と身体が好きなんだって」
「・・・どこかで聞いたような言葉ですね」
「・・・そういえば」
若者三人が同じ答えを頭に思い浮かべた時、年長の二人は話が分からず首をかしげた。