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やや脳筋な従者、ヴァン・クラーク



「紅茶の入れ方がとてもお上手で驚きました」


「一応、従者だからな」


 ぶっきらぼうな返事からは想像できない、流れるような所作でヴァンは紅茶を淹れた。

 ティーワゴンの前に背筋を伸ばして立つ姿も、もともとの見た目もあってとても優雅だ。


「ああ、そういえば自己紹介していないな。ヴァン・クラークだ。従者だが、執事の代理で使用人を指示することがけっこうある」


 カップとソーサーを受け取りながら、ヘレナはうなずく。


「ああ…。なるほど」


「なるほど、とは?」


「ずいぶん堂々とされているなと思ったので。それに、住み込みだけでも使用人は相当な数のようですし、領地経営もありますから、重要な仕事をヴァン様と執事と秘書官の三人で手分けされたとしてもまだ足りないくらいですよね」


 契約から今まで続く様々な手違いは過重労働のせいなのだろう。


「…理解が早くて助かる。言い訳にしかならないが、半年前に帰着するまで俺たちはリチャード様と任地にいた。空けている間にこの伯爵家の運営に色々支障が出て、その処理に追われている。とはいえ、あんたには迷惑をかけた。すまない」


「…」


「なにか」


「いえ…」


 謝罪を口にしながらあんた呼ばわりされることを不快に感じてしまうのは、かなり自分の心がささくれ立っているからだと気づいた。

 空腹は、人の心を荒れさせる。

 ヘレナはじっとテーブルの上の料理を見つめた。


「とにかく、スープも料理も温めさせた。まずは食べてくれ。俺も相伴させてもらう」


 ヴァンが運び入れさせた広いテーブルにはスープ、肉を包んだペイストリー、野菜のグラタンなど温かい料理が湯気を上げた状態で並ぶ。

 ヴァンが同じものを食べると言ったからこそ、これだけの内容が用意されたのだろう。

 この三日間、冷たいものしか口にしていないヘレナにとって、この上なくありがたい。


「はい。いただきます」


 綺麗に磨き上げられた銀のカトラリーを手にとり、さっそくスープから攻めることにした。


「おいしい…」


 ニンジンとひよこ豆の、気取らないスープ。

 喉を伝ってじんわりとヘレナの胃が温まる。


「そうか」


 相槌を打ちながら、ヴァンは次々と料理を取り分けてヘレナの前に並べていく。


「とにかく、食べろ。話はそれからだ」


 本気で悪かったと思っていることは、身体で理解した。


「お前、小さい割にはよく食べるんだな」


 空になった皿を引きながら、ヴァンが感心したような顔をする。

 そういう彼自身もヘレナに給仕しながらも貪欲な食べっぷりだった。


 育ちが良いのか悪いのか。

 呑気なのか鋭いのか、この男の事はまだよくわからない。

 仕事の手際は良いように見えるのに、なぜか物事に対して鈍い。

 能天気と言うのも少し違う気がする。

 ヘレナに関心がないわけではない。

 正義感もある。

 なのに、なぜ。


 彼が現れるまで自分は飢え死にの可能性が頭をよぎっていた。

 しかも、この次またきちんとした食事が得られるとは限らない。

 先ほどの使用人たちは全く懲りていないように見えた。

 その場しのぎにへつらった彼らは、もっと巧妙にしかけてくるかもしれない。


「ごちそうさまです。とてもおいしかったのでついつい食べ過ぎてしまいました。機会があれば、料理人の方に感謝の意をお伝えください」


 それを告げたところで待遇が改善するとは思えないのは、悪意にさらされるのがこれが初めてではないから。


「…ああ。わかった」


 ヴァンはテーブルの上をきれいに片づけティーワゴンを侍女に引き取らせ、新しくいれなおした紅茶と焼き菓子を置く。


「このまま、話し合いをして良いか」


「もちろんです」


 うなずくと、書類と筆記用具を中央に並べた。


「まず、リチャード様のことだ」


「はい」


「結局この三日間、ほぼ寝室にこもりきりだ。たまに出てきたら秘書のライアンが無理に決裁のサインをもぎ取るのがせいぜいで、とてもじゃないが話にならない。まあ、挙式直後だから大目に見るしかない…のか? ということになっている」


 俺たちは独身だからそういうのがわからないんだよ、と付け足されたところで、返答に困る。


「はあ…。そうですか」


 ずいぶんと甘やかされたご主人様だ。


「…あのさ。令嬢なら、こんな話を聞くと顔を赤らめたりするのが普通じゃないのか」


「ああ、恥ずかしがってほしいところでしたか、それは申し訳ありません」


 この男はこんな話を振っておいて、ヘレナに顔を赤らめて欲しかったのだろうか。

 もしかして、そういう趣味が。

 じっと疑いの眼差しを送ると、はっと何かに気付いたらしく、逆に顔を赤らめ慌てて首を振る。


「いや、そうじゃなくて…いや、もういい。執事のウィリアムも手が離せず、とてもあんたの面倒を見る暇がないから代理で俺が来たんだが、こんな始末だ。遅くなって悪かった」


 正面に座したまま、頭を下げたヴァンのつむじをヘレナは眺めた。

 父のように、ヴァンの頭もハゲるのだろうか。

 父の頭皮の寿命は三十代半ばまでだった。

 果たして、彼は。


「…食事を美味しく頂いたので、もう結構です。ところでこちらから二つ質問しても?」


「ああ。なんだ?」


「まずあの別邸の一件、どうなりました? 誰があのようなことをしたか、把握できたのでしょうか」


「…いや。案内係としてもともと指示しておいたヤツとか何人かは罰を与えたが…」

「おそらくほかにもいるようだけど、使用人の数が多すぎて割り出しきれないというところですか」


 正直に手を上げる馬鹿はいない。

 とくに窓ガラスを破壊したなら、器物破損の罪で罰金刑などに処し即紹介状を破り捨てて解雇だ。

 リチャードたちがヘレナを教会に置き去りにしたことから、何をしても罪に問われないと高をくくっていたところ、思わぬ展開になり、彼らはさぞかし慌てたことだろう。

 そしてまたこの事態。

 使用人の質が悪いのか、大規模な屋敷はこんなものなのか判断に迷う。


「悪いがその通りだ」


「なるほど。わかりました」


 問い詰める気にもならない。

 しかしヘレナの態度にヴァンは眉を顰めた。


「…もう一つはなんだ」


「あの別邸、修理はどうなっていますか」


「窓ガラスはもう入れ替えた。それと屋根の修理も昨日終わって暖炉の掃除もさせた。念のために各部屋の点検をウィリアムが今頃直接やっているはずだ」


「なら、私はやはり別邸住まいということですね」


「う…ん。しかし離れは雪が降れば孤立するだろうという話になって」


「だろう?」


「あの別邸はむかし療養が必要な令嬢のために建てたもので、その後あまり使われていなかった。先代は思い出があるから大切にしていたようだが」


「要するにずっと忘れて放置していた建物をたまたま思い出して、あそこを使うかって話になったのですね」


 ざっくりと指摘すると、ばつの悪そうな顔をした。


「その通りだ」


「なるほど」


「いやそれでだな。これから春になるまでこの部屋を使うことにしないかと伝えるために、俺はここに来たんだが…」


 二人の間に沈黙が降りる。


「無理ですね。逆に気が休まりません」


 ヘレナはきっぱり断った。

 この北の端はちょうど上の寮へ向かう使用人用階段に近い。

 ヴァンたちの目の届かないところで何をされるかわからない。


「だよな」


「はい」


 お互いに紅茶を飲んでしばらく考えた。


「あの。別邸で二年間暮らすにあたって、いくつかお願いがあります。もし聞いていただけるなら、それを書面に残しておきたいのですが」


「なんだ」


「まず、あの別邸は基本的にどなたも立ち入り禁止で」


「は? 今はちょっとあれだが、使用人を数人くらいは出すぞ。一応面接もして」


「いいえ、結構です。そもそも私の実家も数年前から家政婦すらいない状態でしたので平気です」


「…いなかったのか」


「はい。食事、洗濯、すべて出来るので、道具さえ融通していただければ…。ああそういえば。私がこれから過ごす生活費は父が持ち去った二千ギリアに含まれていたのでしょうか」


「…いや。それはさすがにない。あれはリチャード様が初手で強く出ればガタガタ言われないだろうと、ちょっとふっかけてみただけだ。本気じゃなかった。こちらとしては、あんたに死なれては困る」


「そうだったのですね…。なら、こうしませんか。週に一度、誰かに食材を運ばせてくだされば、私は決して本邸へ赴くことはしません」


「わかった。運ばせる」


「そして、できればあの別邸の周りにぐるりと境界線としての柵もしくは植え込みで囲ってください。そして周知してください。境界線の中に入ることまかりならぬと」


「なるほど。そのほうが線引きしやすいな。しかしまるで幽閉するような感じだな。それではあんたは辛くないのか」


 何をいまさら。

 リチャードの物言いがそのものだったではないか。


「できれば、弟や叔母、出入りの商人がその別邸を訪れることを許していただきたいのですが」


「商人とは、どういうことだ」


 ヴァンが顔色を変えた。

 これから贅沢でもする気なのかと疑っているらしい。

 面談の時も思ったが、彼らの女性感はあまりにも偏りすぎている。

 いったい過去にどんな目に遭ったんだかと呆れながら、ヘレナは根気強く説明を続ける。


「私は今まで手仕事をラッセル商会に納めて収入を得ていました。たいした稼ぎにはなりませんが、取引を始めてもう五年近くになります」


「それは聞いていない」


「はい。父には内緒でしたから。業務は主にドレスの装飾の下請けです。胸元や袖口を飾るレースを編んだり、刺繍を施したり。できればその仕事を続けて、自分の小遣いくらいはなんとかしたいのです」


「お前の父親に渡した金は…」


「とっくに消えました。ご存じなのでは?」


 冷めた目つきで見据えると、ヴァンは少しうろたえたように目を瞬かせた。


「…いや、俺は」


 彼は、詳しいことを聞かされないままこの契約結婚に関係しているのだろうか。

 そういえば、騎士も似たような感じだった。

 まるで余興に参加しているかのような。

 計画を思いついて進めていたのは、リチャードと執事、秘書の三人だったのかもしれない。

 よくもまあ。

 ヘレナは内心呆れ返った。

 どうしてこうも、美形という人種には考えなしが多いのだろうか。


「父はこの本邸を出てすぐに、立会人だったスワロフ男爵と賭場へ行きました」


「…ああ。そういう」


 あからさまに気まずげな様子に傷口を深く抉られたことに腹は立つが、人の不幸を面白がるよりましかと思い直す。


「はい。それに自分の服も作り直さねばならないので、容認いただきたく。ラッセル商会についてはどうぞいくらでもお調べください」


「わかった」


「今のところは以上です」


「ちょっと待ってくれ、書き起こすから」


「はい」


 ヴァンがペンを走らせ、議事録めいたものを作成し始めたので、上から覗き込む。

 見やすく、要点もきちんと捉えている。

 ヘレナの話をきちんと聞いてくれていたということだ。


「安心しろ。これは要望というより、協定だ」


「ありがとうございます。私のサインはいりますか」


「ああ。ここに書いてくれ」


「はい」


 ヘレナ・リー・ストラザーンと記入した。


「…ゴドリーとは、書かないのだな」


「書きませんよ。恐れ多い」


 下にヴァンが己の名前を書くのを眺める。

 ヴァン・クラーク。

 予想通りの力強い筆跡だ。


「私がゴドリーの名を使うのは二年後に渡される離婚届。それだけです」


「…そうか」


 ヴァンの深い緑の瞳がかすかに揺れた。







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