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懐中時計


「おまたせしました。こちらになります」


 ジョセフがビロードの布張りされた小さな箱をバーナードの手に載せる。


「先さまの形見ですので、金庫に保管しておりました」


 ジョセフはバーナードより一回り近く年上で家令として長く務めた。

 それ故に多くのことを知っている。


「・・・ジョセフ。ありがとう。お前があの家に勤め続けてくれただけではなくこうして私を保護してくれたことは、僥倖だ」


 バーナードは箱を開け、銀色に輝く古い懐中時計を認めたあと、感謝の意を述べた。



 バーナードの祖父である先コール子爵はウィリアムが十歳になるころまで存命で、帝都にほど近い小さな領地で隠居生活をしていた。


 コール子爵家は家格こそ低いが長く続く家系だ。

 帝国の礎になった高位貴族の傍系で本家が滅んでも残った秘訣は、徹底的な後継者一括相続主義だった。


 当主のみがすべての財産を相続し、弟たちには一銭も渡さない。

 そしてもう一つは、男子を多く作ること。

 疫病や有事に備えて、スペアの子どもを少なくとも二人は作る。

 庶子でも構わない。

 男子であれば。

 長男が当主を相続すれば、次男は経営の補佐として就く。

 しかし。

 保険にしか過ぎない三男は、新当主に男子が生まれた時にお払い箱になるのが通例。


 そもそも、子供は思い通りに生まれるはずがない。


 バーナードとウィリアムのどちらも、三人目を渇望した当主が侍女に産ませた庶子を実子として届け出たものだった。

 出産後そうそうに侍女たちは僅かな報酬を掴ませ用無しとして捨てられ、その後の消息は分からず、もちろん正夫人や彼女の腹から生まれた子たちからは冷遇される。

 延々と続く悪習だった。


 バーナードが十五歳になるころに当主の座に就いた長兄は、財政のひっ迫を理由に彼を高位貴族の使用人として働きに出すことに決定した。

 弟に対する大人げない嫌がらせである。


 長孫よりはるかに賢明なバーナードを哀れに思った祖父は、高位貴族の中でも良識家で知られたゴドリー侯爵家へ就職させるよう説得し、旅立ちのはなむけに自身の懐中時計をこっそり手渡した。


 それが、この懐中時計だった。



「ウィリアム。すぐに渡せなくてすまなかった。執務室もたいへんなことになっていただろう」


「叔父上・・・。やはり、我々が帰国した時の記憶は・・・」


「ああ。あまりない。お前が私を見て驚いた顔をしている夢を見たが・・・あれは現実だったのか」


 リチャード・ゴドリー伯爵が凱旋し、屋敷へ帰着した日。


 バーナードは完璧な執事として出迎えた。

 帰着祝いの宴も間違いなく仕切った。

 正餐会も何もかも、完璧だった。


 しかし、夜になってウィリアムが個人的に私室を訪れた時、全く別人になっていた。


 ほんの数刻前まできちんと着ていたはずの服と髪は乱れ、目はうつろで、なぜか裸足で靴も靴下も見当たらない。

 部屋の中は様々なものが床に転がって積もり、それを踏みしめて立ちつくすバーナード。

 廃人。

 そうとしか言いようがなかった。

 おそらくは、気力で表面を取り繕い続け、宴が終わった瞬間に力尽きたのだろう。


 運の良い事に、帰国の祝いのためにジョセフが帝都に滞在していた。

 すぐにウィリアムは彼を訪ねて相談し、叔父の一切を託すこととなり、今に至る。

 懐中時計は仕事着のベストに金具で固定されていたため、彼と一緒に託すことができた。



「まだ私には・・・。よく、わからないのだが・・・。自分の体調を含め色々なことが思うようにいかなくなっていた。ある日気が付いたら、王都の街の真ん中に立っていた。なぜそこにいたのか、わからない・・・。雑踏の中に独りだった」


 いつからか、不眠が続き、意識も混濁していった。


 執事として働いた年数が長いことが幸いした。

 日々の決まりきった業務は問題なくこなせる。


 しかし、波打ち際に建てた砂の城のように、ゴドリー伯爵邸の中が崩れていくのを本能で感じ、なんとかせねばと思う。


 でも、打開策を考える力がわかない。

 焦る自分とどこか他人事のように投げやりな自分が同居して、さらに思考を乱し続ける。

 そうしているうちに、時々、気が付いたら思わぬ行動をしていることがあった。

 なぜ自分はここにいるのか。

 どこに向かって歩いているのか。

 それが分からず、立ちすくむ。


 しかし。



「不意に思ったのだ」


 手のひらにのせた懐中時計を握りしめてバーナードは声を絞り出す。



「ウィリアムに、託すしかないと。私には、もう無理なのだと・・・」


 ぼんやりした頭の片隅から、ある噂が浮かんできた。


 魔導士庁を退職した老人が改造魔道具を作っていると。



 バーナードにとってありがたいことに彼の住処は入り組んだ街中の一室ではなく、王都のはずれの畑を営む集落だった。


 彼はとっさに通りかかった辻馬車を雇い、大きな木の根元にある小さな家を尋ねた。




「私の名前と祖父の言葉が刻まれているこの懐中時計なら、凱旋前に私が死んでも甥で後続のウィリアムの手に渡る。だから・・・」



 そこに住まうのは、ドワーフ族の血を明らかに引いている老人。

 おそらく、この人がうわさの魔道具師だと確信した。



「金に糸目はつけない。高性能の収納機能をこの懐中時計に施してほしいと、ある男に依頼した」


 その老職人は。


 なにも問わなかった。

 ただ、バーナードを見た瞬間、様々なことを理解したような顔をした。

 そしてあっさり請け負う。



『最短で一週間。フェイクの時計を今すぐ作って渡す。出来上がったら時計の文字盤の三時が光るから、そしたらまた来い。使い方を説明する』



 それからの一週間は。

 とても長かった。

 少しでも気を抜くと自分がなくなる。

 保ち続けることに限界を感じたころに、文字盤が光っていることに気付いた。



「再び老職人を訪ねて、使い方を習って・・・」


 記憶を手繰り寄せながら語っていたバーナードが、突然顔色を変え、片手で口を押える。



「叔父上?」


 背中を丸め小刻みに震える叔父の背中をウィリアムは慌ててさすった。

 彼の額には脂汗がにじんでいる。


 膝に乗る黒猫と魔導士の二人はそのまま黙って様子を見ていた。


「バーナード様。お身体に障ります。今日はここまでで・・・」


 元家令も気遣う声を上げたが、バーナードが小さく頭を振った。



「わたしは・・・なんてことを」


「どうされたのです、叔父上」


「払って・・・いない」


「は?」



「おそらく、未払いだ。このしかけの代金を・・・払った記憶がない」



 緊張の糸が切れたのか、それとも別の要因のせいなのか。

 その後、バーナードは二度とゴドリー伯爵邸の敷地から出たことがなかった。

 仕掛けを作ってもらったのはウィリアムたちの帰国の一年ほど前。


 材料費と技術料は安くない。

 それにもかかわらず、その老人は請求してこない。



「どういうこと・・・いや。なんと申し訳ないことを・・・」



 時計を握りしめてうなだれる男に、リド・ハーンが声をかけた。



「すみません、ちょっとその細工された時計を見せてもらえますか」


 すっと両手を差し出され、とまどいながらもバーナードはその手のひらに載せる。



「うん・・・やっぱりね」


「やはりそうですか」


 光にかざしてみたり手のひらの上で何度かひっくり返し、表面をしげしげと眺める魔導士の二人。



「あの・・・?何か?」


 ウィリアムが問うと、ハーンは頷いた。


「ええとね。これ、フォンじいさんが仕掛けを作った物で・・・」


 フォン爺さん?と首をかしげるウィリアムとジョセフに、シエルが補足説明をする。


「すみません。魔道具にはたいてい製作者の痕跡が残っているのです。魔力もありますが、今回の場合ははっきりと署名されています。まあ、魔導士か魔道具師にしかわからないことなのですが・・・」


 彼がみなまで説明する前に、ハーンは時計を持ち主に返した。



「と、言うわけで、バーナード様。とりあえず今、中身を全部出してみましょう。たぶんそれで色々解りますよ」


 ぽかんと目を見開くバーナードに、シエルは頷く。



「我々はおおよその見当がついているのですが、説明するよりも収納したものを今ここで確認したほうが良いかと」


「なる・・・ほど・・・」


 こくりとつばを飲み込み、甥に目を向けた。



「ウィリアム」


「はい」


「これをお前に託す。手順を言うからやってくれ。なに、難しくない」


 そう言いおいて、甥の手に懐中時計を握らせた。


「はい。わかりました」



「これに登録したのは三人の名前。私、お前、そしてベンホルム・ゴドリー侯爵だ」



「え・・・。いえ・・・。そうですね。私も同じ立場ならそうしたでしょう」


 リチャード・ゴドリー伯爵の父、ベンホルム。


 主君を飛び越えざるを得ないのは、邸内の誰が信用できるのか全く分からないからだ。

 現に、今のリチャードの周辺は・・・。


「では、やろう。まず、蓋を開いて己の名を告げ、開放を命じてくれ」


「はい」


 ウィリアムは留め金に指をあてて蓋を開いた。


「バーナードの甥、ウィリアム・マーク・コールが命じる。開放せよ」


 ピンと硬質な音が小さく上がり、文字盤の上に白銀の魔方陣が点滅しながらゆっくりと回転する。


「よし。ちゃんと作動したな」


「ああやっぱり、解除コードが付与されていたんだ。あの人好きだよね、そういう仕掛け」


 ハーンのわくわくとした声が聞こえるが、魔道具を扱うのが初めてのウィリアムはひそかに緊張していて、背中がじんわりと熱くなっていた。


「解除の言葉は・・・花の名前だった・・・。祖母の好きだった花で・・・青い・・・」


 ここにきて記憶があいまいになっているらしく、バーナードは額を抑えて考え込んでしまった。


「叔父上・・・」


 青い花はそう多くはない。

 しかし、業務以外の植物に造詣が深いわけでもないウィリアムは困惑した。


 そこで、「なーん」とネロが一声鳴いた。


「そう・・・そうだ。あの。この猫を抱えていた少女・・・」


 記憶を手繰り寄せながら、バーナードがつぶやいた。


「昨日の・・・。もしや、ヘレナ様ですか」


「ああ、そう・・・。そうだ、黒髪の、小さな・・・。彼女の瞳の色に似た花・・・」


 それを聞くなり、ウィリアムは全てを理解した。



 薄い灰色と青を混ぜた優しい色の小さな花弁。



 昔、曾祖母が縫ってくれたハンカチの刺繍はまさにそれだ。


 Forget me not ....



「勿忘草」



 花の名を唱えると、魔方陣が文字盤を覆い、薄水色に輝いた。


 解除されたと理解し、命じる。



「すべてをここに」


 次の瞬間、宙に様々な物が現れ、どさどさどさっとベッドの上に落ちた。



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