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繕いものは得意



【イト デキタ ナラ ヤルヨ】



 ネロのあっさりした口調に我に返った。



「ええ。ネロ、私たちを導いてちょうだい」



【ウン マカセテ】



 そよ、とネロのひげがそよぎ、彼の金色の眼がじっと黒い空間を見つめる。


 まるで長考しているかのように動かない。


 ヘレナとシエルは固唾をのんで、黒猫の次の指示を待つ。



 何か、タイミングを見ているのか。


 それとも。




【シエル】



 びしっと背筋を伸ばした猫正座の姿勢になったのち、くいっと小さな顎を上げた。



【ガツント ヤッテ チョット オオキク キリトッテモ モンダイナイ】



 予想よりはるかに大雑把な指示だった。



「ネロ・・・」



 ヘレナはちょっと膝の力が抜けそうになるのをなんとか耐えた。



 シエルは少し笑いながら病巣と向かい合う。



「はい。では、光に少し火を混ぜて当ててみましょうか」



 すっと何かを払うように片手を振り上げた。


 彼から生まれたわずかに赤みを帯びた金色の光の玉が飛んでいく。



 パーン・・・・。



 毬を壁に打ち付けたような音がした。


 シエルはその光の玉を石のように固いものではなく、水のように柔らかなものをイメージして作ったようで、標的に当たった瞬間、それ形を変え、ぬるりと包み込む。



「なんとか・・・想定通りにいったようですね」



 彼にしては珍しく、少し安堵したような息をついた。



 黒い部分をしっかりと包みこんだ当初は中の部分が抗う様に膨れたり縮んだりする。



 固唾をのんで見守っていると、光の膜と『ワルイトコロ』は互いに戦う様に蠢き、点滅し続けたが、やがて静かになり、消えた。



 まるで燃えさかっていた焚火が時間を経て灰になるかのように。



【キレイニ デキタ シエル ジョウズ】



 ネロがくねんくねんと満足げに尻尾の先を振ると、シエルは「ご期待に添えて何よりです」とほほ笑んだ。



「こういう、ことだったのですか・・・」



 ヘレナは呆然と立ちすくむ。



 『アナ』。



 ネロの言った通り、黒く禍々しいものは消えた。



 しかし、まさかその存在していた場所そのものが『無』になるとは想像していなかった。



【ヘレナ デバン

 ハヤク フサグ ヌウ】



 促されて、こくりと喉を鳴らす。



「ええ・・・。要するに、この空間を繕えば良いのね」



 針を握りしめ、穴を見つめたまま問う。



 ここは、何でもありの空間。


 それでも、ヘレナの想像を遥かに超えていて、凡人の自分にそんな重責が務まるか不安になった。



 じわりと手のひらに汗がにじみ出た。


 非現実の世界なのに。


 こんなところはリアルだ。



 躊躇う飼い主に、ネロはきらきらと金色の瞳を輝かせてしゃべり続けた。



【ソウ

 クツシタノ アナ

 ヘレナ ヌウ トクイ

 ダカラ カンタン】



 四六時中そばにいる黒猫は、ヘレナを観察し、知り尽くしている。


 貴族令嬢らしからぬ日常すらも。



「ちょっ・・・。それは・・・あまり言ってほしくなかった・・・」



 かっと顔に血がのぼるが、今更だ。


 取り繕ったところで、色々知られているのだとすぐに思いなおし、深い息をついた。



 やんちゃだった弟が、やがて学校で傷つけられて。


 貧乏を極めて偽装結婚する羽目になったのだし。


 繕いものばかり上達したのは確かだ。



「うん、やろう。これは、大きな靴下の穴なのね」



 ちょっとやけっぱち。


 ちょっと空元気。


 それくらいが、ちょうどよいかもしれない。



「じゃあ、やってみるわ」



 ヘレナは『無』と向き合う。


 大きさとしては、縦も横もヘレナが両手を広げた幅と同じくらい。



 その『無』と『有』のきわにひと針さした。



 繕いの方法はいろいろある。


 この空間を目にするまでは、なくなった部分を狭めて単純に管と管をつなぐ形にすることを考えていた。


 でも、これは違う。



 糸で埋める。


 『イイトコロ』をつくる。


 それしかない。



 例えば、蜘蛛が枝と枝の間に巣を張るように。


 そんな針運びで『有』にすべきだろう。


 考えがまとまったら、迷いがなくなった。



 だいじょうぶ。


 できる。



「いきます」



 ふうと一息ついて、次の着地を目指して針を繰り出した。




 ひと針。


 ふた針。


 小さな少女が魔法の針を操り始めて間もなく、かすかな旋律が耳に届いた。



「な・・・なな、な・・・なな」



 低くて、柔らかくて、繊細で、強い。


 甘くて、優しくて、心地よい。


 清らかで、美しい声。



 どのような曲なのかはわからない。


 無意識のうちに紡がれる歌。



 いつも、その時々によって旋律が違うと、彼女の弟であるクリスが言っていた。



 手仕事に集中し、無の境地に至った時。


 針と糸と布から生まれる音と、そして彼女のささやかな歌声が作業空間に漂う。



 それは、聖域。


 それは、尊ぶべき存在。



 ヘレナ・リー・ストラザーンは稀人であるのだと、シエルは痛感する。



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