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唯一の糸



【ソロソロ ツクヨ】



 丸い声が耳に届くと同時に、前方にそれまでと違った景色が見えてきた。


 黒猫が足を止めて、シエルたちを見る。



「シエル様、ありがとうございました。ここからは自ら歩きます」



 腕の中の少女の凛とした言葉に、シエルは従った。


 巣が空になったような寂しさが彼の胸の内によぎる。



「ネロ。あそこはなあに?」



 まるでどこかの庭園を歩くかのような気楽さでヘレナは足を進め、ネロに問う。



【バーナード。 バーナード ノ ナカ?】



 的確な表現を探しているのか、小さな頭をひねって考え考え黒猫は説明を始めた。



【バーナード ノ マリョク タイリョク イイトコロ ワルイトコロ ゼンブ アソコ】



 尻尾をぱたりぱたりと揺らし、口を開く。



【キノウ シエル ト ハーン ソトカラ チリョウシタ

 デモ ワルイトコロ ミエナイ

 ダカラ チットモ キカナイ】



 昨日の治療と診察を思い浮かべながらシエルは頷いた。



「そうですね。単純に、早期の認知症にしか見えませんでしたから」



 人間の認知機能が落ちるのはたいてい老衰が絡む。


 ゆえに、老いた者ならばよくある症状だ。


 しかし、バーナード・コールはまた四十代半ば。


 まだ十分に若く、執事としては中堅と言える年齢。


 普通ならあり得ないが、前例がないわけではない。


 ごくごくまれにその年齢で脳の機能が落ちていく人間は存在する。


 その一人だったと、誰もが診断しただろう。




【ダカラ ナカカラ チリョウスル】



「どうやって?私がここにいるということは、なにかお手伝いできるという事よね」



 この空間にも飼い猫との会話にも全く動じない少女は事態の飲み込みも早かった。



【ウン ソウ】


 こくりと猫は頷く。



【ネロ ゴアンナイ

 シエル ワルイモノ タイジ

 ヘレナ ヌウ キレイスル】



「縫う?」



 首をかしげるヘレナに、ネロはまたついて来いというそぶりを見せて歩き出す。



【ソノトキ キタラ ワカル

 イクヨ ジカン ナイ】



 彼の前には土砂降りの前兆に見る黒雲のような塊が渦巻いていた。



【ミタメ コワイ デモ ダイジョウブ

 ヘレナノ ブランケット シゴトシテル】



 足早に進む黒い獣を二人は慌てて追う。



「待って、ネロ・・・」



 ふわりとたとえようのない柔らかな障壁を通り抜けたことだけは分かった。



 先ほどまでは少し風のような、何らかの流れを感じた。


 しかし、今はそれがない。


 無風空間。


 そして色のついた霧の中に閉じ込められたような、かすみがかった視界。




「ネロ、あれは何?」



 立ち止まって天を見上げたヘレナは問う。



 七色・・・いや、もっと繊細で様々な色合いの光が霧雨のように降ってくる。


 明るい色ばかりではない。


 闇に近い寒色もゆっくり降りて、あたりをわずかに照らす。


 どの色も、それぞれに美しい。




【アレガ ブランケット

 バーナード ノ カラダ スッポリ ジョセフ シタ】



「なるほど・・・。ヘレナ様が色々織り込んだからですね」



 あのブランケットは、とてつもない威力があるだろうとハーンが言っていた。


 彼女が辺境へ送られる父親のために作った守り袋には及ばないが、それとは材料も用途も違う為比べることはできない。




【ソウ ネロ パール ホカニモ イロイロ ヘレナ マゼタ イイカンジ】



 縦糸じたい、魔導士庁から持ち込んだイチイとノバラで染めたもので、横糸に至っては同じように家畜たちの毛を縒って作った毛糸だった。


 さらに、彼女の祈りと加護が縫い込まれている。




【ネロ ブランケット カラ バーナードニ ハイッタ アト カンタン】




 なかなか興味深いことを簡単に言ってくれる。


 ハーンがこの場にいないことが返す返すも残念だとシエルはうっすら笑う。




【ツイタヨ】



 小さな四つ足がたどった先に真っ黒な塊が現れる。


 それは、ゆっくりと縮んだり膨張したりしていた。


 あまりにも動きが鈍いが、これは。




【コレ ワルイトコロ】



「・・・心臓、だったのですか」



【ソウ】



「そんな・・・そんなはずは」



 シエルは愕然とした。



 これは、人間の心拍としてあまりにも遅すぎる。


 心臓を患っていたのなら、外から見た時に全く分からなかったのは何故なのだろう。




【デモ サキニ コッチ】



 ぴょんぴょんぴょんとシエルたちにはわからない空間をまるで階段を上がるように跳んで黒猫は登る。



【マズハ ココ】



 後を追うと、どす黒い管が出現した。



 近づくと、息苦しさを感じる。



 まるで、己の首を何かにじわじわと絞められているような。


 隣に立つヘレナもそれを感じるのか、ぎゅっと胸元を握りしめている。




「もしかして、これは血管ですか」



【ネロ ソンナノ シラナイ

 デモ コレ ワルイ】



 そして、ふいっと顎で示した。



【シエル クロイノ ゼンブ ナクス】



 黒猫の言いたいことがわかるようでわからない。


 治癒魔法ではだめなのか。


 シエルが使うべき方策に迷う。



【モウ イラナイ ジャマ】



 見透かすようにネロは口を開く。



【シエル ヒカリ ショウメツ アナ デキル】



 強い光でこの黒い部分を焼ききれと言うのか。


 しかし。


 空いた穴をどうするのか。




【アナ ヘレナ ヌウ フサグ】



「え・・・。どうやればいいの、ネロ。道具がないわ」



【アルヨ】



 自信満々にネロに告げられ、ヘレナは途方に暮れた。



【イチイノ ユビワ ヘレナ テツダウ】



 彼の金色の瞳に導かれ、ヘレナが左手の中指を見つめると、魔導士たちからもらった木の指輪が白い光を放つ。



「・・・え」



 指輪全体から湧き出る光は、シュンと音を立てて一点に集まり、やがてそれは白銀の細い棒になった。



 長さはヘレナの中指から手首ほどで、太さは小指と同じくらい。



 先は鋭くとがり、後方に小さな穴が開いている。




「・・・針?」



 ヘレナはもちろん、シエルも驚きに目を見開いた。



【ウン ソウ ハリ ツカウ】



 尻尾の先がぴくぴくと動く。



【ヘレナ ヌウ カンガエ カンタン】



「・・・あ。想像しやすいからこれを使ってってことね?」



 手のひらの上の特殊な針。


 初心者向けの魔法の杖のようなものだろうか。



【ソウ】



「糸はどうすればいいの?」



【ノゾム イト デキル ココハ ソウイウトコロ】



「なるほど・・・」



 なにもかもごった煮状態のこの空間なら、何でもありなのか。



 少しひんやりとした白銀の針を親指と人差し指ではさみ持ち、高く掲げた。


 針穴を見つめながら考える。



 治癒能力の高い、強い糸が欲しい。



 本来ならそのようなものなら光魔法のみで作るだろう。


 しかし、ヘレナの光の魔力は強くない。


 全魔法均等にわずかに操れるという、器用貧乏の典型。


 こうなるとやはり、様々な要素を練り合わせるのが一番だと思う。




「いと」



 空を見据えて呟いた。




「光で治め、闇で休ませ、水で潤す。土の強さと風の素早さ、そしてなにものも寄せ付けない火の守りを付与した、唯一の糸になって」



 キ・・・ンと金属を鳴らす鋭い音のあと、震えるような振動を針から感じた。



「私の。私だけの、特別な糸。」



 次の瞬間、針孔から細い光の線が現れる。


 ゆらゆらと揺れながらあっという間に長く、長く伸びていく。


 出来上がったそれをそっともう一方の手で触れてみると、指先に確かな感触。



 糸だ。



 金色にも、鈍色にも、見える、生きた糸。


 しかも、伸縮性もあり、丈夫で多少の負荷で切れる気がしない。



「すごいですね・・・」



 向かいに立って見守り続けたシエルがそっと指先を伸ばし、僅かにヘレナの糸に触れた。



「ああ、あなたの中から生まれた力だと解ります。あの刺繍のようにとても優しい心地がする」



「・・・ありがとうございます」



 シエルの誉め言葉は、いつもどこか面映ゆい。



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