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夢の通い路



【サイモン・シエル コッチ キテ】



 舌っ足らずな、異生物の声に呼ばれて意識を向ける。



 シエルは魔導士庁の敷地内にある建物で割り当てられた部屋に帰り、翌日またゴドリー邸へ向かう為の準備をして眠りについたはずだった。


 しかし、気づいたら浮遊空間の中に立っている。


 呼びかける幼い声に警戒しつつも、とりあえず後を追うことにした。



 霧のような、雨が降る前の雨雲のような白銀と青みを帯びた灰色の空間の中を、その気配をたどって進むと、まっすぐな黒髪を背中に流した少女がぺたりと座りこんで黒猫と話し込んでいた。



『トクベツ』な待遇を要求する猫。


『平等』を説く飼い主。



 一人と一匹の論戦は、最初は少し少女が負け気味だった。


 ヘレナ・リー・ストラザーンと、数か月前に生まれたばかりの猫のネロ。



 あの黒猫は魔塔の研究者たちと作った改造生物。


 わずかなイエネコの要素を元にした神獣であり、魔物だ。


 もしも添加した特性が危険な領域に達した場合、即刻『処置』せねばならない。


 それを念頭に入れて注意深く観察してきた。


 同時期に生まれた猫たちの中で、『ネロ』は見た目も能力もごくごく平凡なイエネコだったからこそ、ヘレナ・リー・ストラザーンへ贈った。



 しかし、その予想は簡単に覆されたことをサイモン・シエルは身をもって知った。



 なぜなら、ここは異空間。


 聖と魔、そしてうつつの間の、不安定な世界へと自分たちは黒猫に導かれてここにいる。




【モフモフ!! ダイジ! パール ダイスキ!】



 欲に忠実な黒猫が絶叫して、勝負が決まった。



「ヘレナ様、こんばんは。・・・まさか、こんな場面に遭遇するとは」



 興奮状態で意味不明の言葉を口走る黒猫を抱きしめ宥めている少女に背後から声をかけると、子どものように小さな頭が振り向いた時のほんのわずかな一瞬、とても残念そうな表情を浮かべた。



 彼女は、ここは夢の中であり、己の願望で黒猫と会話をしていると考えているのだろう。


 だから『サイモン・シエル』の声を認識した瞬間、初めて教会で出会った時の姿で現れたのだと期待していたことを、そのふいに揺れた青灰色の瞳のさまから理解した。

 



『不細工好きなんだよ、ヘレナは』



 ミカが言っていた言葉を思い出す。



 まさか。


 まさか、冗談などではなくまごうかたなき真実だったとは。


 シエルは今、けっこうな衝撃を受けている。


 ミカが裏口に護身用に置いている棍棒で頭を殴られたような、かなりの。



 あれは、万年発情期で堕落しきったクソ坊主たちの性欲の対象に一ミリたりとも引っかからないために、練りに練った偽装だった。


 アンバランスなほどに大きな頭と絶妙な目鼻立ち、短い手足にいかつい身体、肌もガサガサに見せて、これに手を出すくらいならそのへんの木を抱いた方がまし、と思わせるくらいの渾身の擬態。


 あれを、本気で好ましいと思っていたとは・・・。


 本来の容姿に絶対的な自信を持っているわけではないが、まさかアレに完敗する日がこようとは想像していなかった。



 膝の力が抜けそうなくらい、動揺している自分に、驚いている。


 そして、決意した。


 あの姿は封印しよう。


 とても便利だったが、二度と使わない。


 今後、何らかの理由で偽装することがあっても、絶対にアレにはならない。


 架空の、もう一人の自分に殺意がわいた。



 いや。



 今はそんな些事に囚われている時ではない。


 シエルは軽く頭を振り、こんこんと飼い猫のわがままを諭し終え安堵している少女へ、己の暗い心を悟らせないよう平常心を装い平坦な声で話しかける。




「ヘレナ様。おそらく私たちがいるここは、夢の中ではないと思います」


 すると彼女はきょとんと首をかしげた。



「え?そうなのですか?さっき、ネロが夢の中だというから、てっきり・・・」


 前提が崩れても全く動揺しないところが、ヘレナらしい。



【ユメノナカ ホントウ デモ タシカニ チョット チガウ】



 こくりと少女の腕の中のネロが頷く。


 そして、するりと黒い身体をひねらせ降りた。



【ココハ ミチ。 イロイロ ツナガッタ ベンリナ ミチ。 ナンデモ デキルヨ】



 黒猫はすたすたと歩き始める。



【キテ バーナード ノ ナカ イク】



 長い尻尾をたてて、ゆっくり振る彼は、もう振り返らない。


 のしのしと確信をもって前へ進む。



「え?」



 空になってしまった両腕を開いたままぽかんとしているヘレナをシエルは手を伸ばして抱き上げた。



 異空間の中ゆえに重みはあまりないが、腕の中には確かに小さな少女を感じる。


 かすかな熱も、気配も、シエルの知るそれだ。



「ついて来いということでしょう。ネロの後を追います」


 ネロの歩みは意外と早い。



【コッチ コッチ ハヤク ヨル ミジカイ】


 悠長にしていたら見失いそうだ。



「このまま失礼しますね」


 手を引いて歩いているのではおそらく間に合わない。


 そのために、自分は呼ばれたのだろう。



「あ・・・。ええと、はい。お願いします」


 ヘレナが手を回してしがみついてくる。



「ちょっと急ぎます」


 シエルは速度を増して黒い塊を追いかけると、それを感じたのかネロの動きは駆け足になった。




「あれ?そういやこういう場合、ハーン様はいなくてよいのかしら」



 彼女らしい疑問だ。


 好奇心旺盛で研究狂のハーン。


 そもそも、彼の魔力も必要なのではないか。


 シエル自身もそう思う。



 すると、前方から律儀な回答が流れてきた。



【リドハーン ヨンダ ナンドモ ヨンダ。 

 デモ ズット コウビ ズット オワラナイ。

 モウイイ イラナイ。

 シエル ト ヘレナ ネロ ジュウブン】




「・・・?」



 最初、ネロの言葉が理解できなかったのか首をひねるヘレナが、何度かそれを復唱した後に、肩をすくめて小さく悲鳴を上げた。


 掴まることをやめた両手で口を押えているが、頬から耳にかけて真っ赤なのが見て取れる。


 そして触れている部分がちょっと熱くなったように感じた。



 こんな夢幻空間だというのに。


 この現実味が不思議でならない。




「・・・な。なるほど、なんというかその・・・」


 彼女は動揺をなんとかごまかそうと咳ばらいをしつつ、ふいに思いついたであろうことをぽろりとこぼした。



 コンヤハネカセナイヨテキナ?



 うっかり耳で拾ってしまったシエルは、思わず吹き出した。



「ふっ・・・」


「あっ、私、今、声に出してしまいました?うわ、どうしよう」



 更に焦って身をよじるヘレナを抱く腕の力を少し強めると、状況を思いだしたのか、直ぐに落ち着いた。




「奇遇ですね。私も全く同じことを考えてました」



 囁きを落とす。


 こんな時なのに。


 わざと、低く、甘く。



「そ、そうですか・・・。でも、おはずかしい・・・」



 まだ十七歳。


 大人のような、子どものような、中途半端な年のころ。


 少しつんと上向きの白い鼻とバラ色に染まった頬をシエルは見下ろした。


 黒い睫毛の下には、あの不思議な、オパールの瞳。

 



 どこにいても、何があっても。


 この輝きとともにいられる幸運を。


 あの猫にはのちほど、今夜の褒美をあげるとしようか。

 


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