トクベツ
にぎやかな夕食だったが、課題は山積みなのですぐに解散し、ヘレナは前夜の疲れもあって早々に床に就く。
パールが甘えモードのままなので一緒に寝ることにした。
この屋敷へ来た当初はベッドが大きすぎると思っていたが、大人の男並みになりつつあるパールの添い寝だと丁度良い状態だ。
何よりも、日が暮れると冷えてくるこの晩秋から初冬。
すっかり冬毛仕様でふかふかでほかほかのパールはありがたい。
ぴったりくっついて目を閉じると、すとんと眠りに落ちた。
【・・・レナ・・・。ヘレナ】
どこか舌っ足らずな幼い声にふと意識が浮上する。
見渡してみると、雨雲のような灰色の空間の真ん中にヘレナは立っていた。
「・・・ここは・・・。夢?」
浮遊感があるのに、不安はない。
寝間着ではなく、昨日バーナード氏を訪ねた時のワンピース姿の自分。
【ソウ ユメノナカ】
気が付いたら足元に黒猫がちょこんと座っていた。
好奇心旺盛な金色の眼、かわいらしい小さな口。
そして、雄弁な長い尻尾。
「ネロ!」
すとんと腰を降ろし頭を撫でると、喉を鳴らす。
【ヘレナ ヤット キタ】
普段の少ししゃがれ気味の鳴き声とは全く違う、甘い声。
「ふふ、まっていたの?」
【ウン ネロ ズット マッテタ】
夢の中だから、ネロと話せるのだろうか。
それともこれはただの夢なのだろうか。
わからないけれど、昨日は彼の言うことが全く分からなくてもどかしい思いをしただけに、自分の願望が見せる世界なのかもしれない。
【ヘレナ ネロイナイ サビシイ?】
「そうね。寂しいわ。貴方がそばにいない夜は初めてだから」
両手でわしゃわしゃと全身撫でまわしながら答えると、満足げな顔をした。
【ヘレナ バーナード シンパイ? バーナード ゲンキ イイ?】
「ええ。今のバーナード様の状態はおかしいから」
【ネロ デキル オテツダイ ネロ カシコイ ネロ イイコ!】
耳としっぽをぴんと立てて得意気な姿に、ああ、ネズミを捕ってきて並べた時のネロにそっくりだと思いだす。
【ネロ ガンバル ダカラ ゴホウビ ホシイ】
「ご褒美?」
ヘレナが首をかしげると、きりっと背筋を伸ばしてネロは宣言した。
【ネロ ダケ イッパイ イッパイ ナデナデ】
「え?」
【ネロ ダケ イッパイ イッパイ ギュッギュ】
ぎゅっと抱きしめてということだろうか。
【ネロ ダケ イッパイ イッパイ チュッチュ】
「ちゅっちゅ?」
時々ネロに対する愛が溢れすぎて顔中にキスを降らせていた時、前足を伸ばして抵抗されていたような記憶があるが、あれはいやよいやよも好きのうち的なものだったのか。
「・・・ん?ちょっと待ってネロ」
そこでようやく気が付いた。
「ネロだけ?パールにしちゃだめってこと?」
【パール チョット イイ 、 ネロ イッパイ イッパイ モット イッパイ】
ふんす、と鼻息を荒くするネロ。
【ネロ カシコイ ネロ カワイイ ネロ イチバン!】
「なるほど」
これは二匹の序列をはっきりさせて待遇の差をつけろということなのだろう。
「ネロの望みは分かったけど、それは聞けないわ」
【ナンデ!】
金色の瞳と黒い瞳孔が真ん丸になる。
可愛い。
すごく、かわいい。
だけど、ここは踏ん張りどころだ。
「ねえ、ネロ。パールのこと、嫌いなの?」
【・・・キライ チガウ】
むうと唇をとんがらせて黒猫は答える。
【デモ ネロ トクベツ スキ】
なるほど。
「なら、今度、ネロのために鴨を捕って、特別なタルタルステーキを作るわ。一番おいしい部位で、新鮮なお肉をネロだけにご用意する。それでどうかしら」
ネロは鴨肉が大好きだ。
一瞬、ぱあっと表情が明るくなったが、すぐに我に返りぷいっと横を向く。
【ダメ ゴマカシ ナシ】
「うーん。ごまかしているつもりはないのよ?私にとってネロもパールも大事な家族なの。どちらか一方を贔屓することはできないわ。それに、ネロばかり可愛がっているところを見たらパール、どうなるかしら?」
【パール クヤシイ ナク、 ネロ タノシイ!】
子猫から成猫へ成長しつつあるネロは今、いじめっ子期なのだろうか。
「楽しい・・・かあ。でも、それってパールは楽しくないよね?」
【ダカラ?】
「パール、ネロのこと嫌いになっちゃうのではないかしら?」
転移時に置いてけぼりをくらって、さんざん拗ねたパール。
心根が優しいので嫌いになることはないだろうが、わだかまりは積もっていくはず。
【キライ・・・?パール ネロ キライ?】
長い尻尾が迷うように揺れる。
「ねえ、ネロ。私、今、パールと一緒に寝ているんだけど・・・」
ぴんと立った大きな耳にこそっと囁いた。
「すっごくもふもふしていて、あったかいわよ」
ぴくぴく、と耳と髭が動く。
「ねえ、ネロ。これから冬が来るのよ」
【フユ?】
「ネロは生まれてから初めて冬を経験するのだったわね・・・」
物憂げにため息をついて見せる。
「あのね。冬ってとてもとても寒くて暗い時間が長いの」
【サムイ クライ ナガイ・・・】
「冷たい氷と風がびゅうびゅう吹いて、しんしんと冷えるから、土の中にもぐって冬を過ごす獣もいるくらいよ」
【フユ・・・】
小さな頭でぐるぐると考えているのがわかる。
あと、ひと押し。
「そんななか、パールのふわふわでほかほかの毛皮に埋もれられたら・・・」
ゆっくりと声を低めて誘惑する。
「とても、とても・・・。快適だと思うわ」
くわっとネロは目を見開いた。
【モフモフ! ジャナイ、パール ネロ ダイスキ! オトモダチ ダイジ】
「うん。仲良くしたほうが絶対良いと思う」
「そうですね。私もそう思います」
ふんすふんすと鼻息荒く決意表明するネロの後頭部を優しく撫でていると、上から柔らかな声が降ってきた。
「ヘレナ様、こんばんは。・・・まさか、こんな場面に遭遇するとは」
「・・・あら」
少し荒ぶった状態のネロを胸に抱いたヘレナが顔を上げると、すぐそばでシエルが困惑気味の顔で見下ろしていた。
「こんばんは。夢の中でお会いするのは初めてですね」
夢の中でも、美形のままなのだなとヘレナは少し残念に思う。
容姿に関しては願望通りというわけではないのか。
妙なことを考えつつ、挨拶をした。