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小さくなれるもん



 復路となると、身体が転移に慣れた気がする。



「もうすぐ着きますよ」


 シエルの声に目を開くと、数時間前に発った屋根裏部屋が見えた。



「・・・すごい」


 ほうと、息をつき、足元の床の板の感覚を靴先で確かめる。


 と、その時。




「きゅううううーーーーーっ!!」


 鳴き声と白い塊がものすごい勢いでヘレナめがけて飛んできた。



「がっ・・・」


「ヘレナ様!!」


 身体のど真ん中にパールの鼻面が突き刺さる。


 大型犬の愛をとうてい受け止めきれない、というか一瞬失神しかけたヘレナをとっさにコールが背後から包み込む形で、二人もろともあお向けに床に倒れこんだ。



「わうわう、きゅうきゅう、へぶへぶ・・・」



 コールを下敷きにしたヘレナの上に覆いかぶさったパールは、何事か鳴きながら一心不乱にヘレナの顔を舐めまくる。



 魔改造犬の唾液、すごい。


 思いのほか長い舌が超高速かつ縦横無尽にうごめいて、何が何だか。



「あ・・・あっ、パール、すとっぷ、すとっぷ、わかった、ごめん、ぱーる・・っ」


 またたくまに、頭から胸元にかけてパールのよだれでぐっしょり濡れた。



「うわ、大丈夫…なわけは・・・ちょっと、パール、落ち着こう、パール」



 背後のコールが腹にヘレナを乗せたままなんとか両手を伸ばしてパールを押しやろうとするが、大興奮の魔改造犬の動きは計り知れない。



 さすがの執事もこの事態には素が出るのか、なんだか普通の青年みたいだなと愛犬とコールにサンドイッチされぐしゃぐしゃになっているヘレナは意識を飛ばしかけた。



「あー。おかえり。やっぱりこんなんなったね」


 ミカののんびりした声とともに、突然解放される。



「・・・ん?」


 見上げると、魔導士の二組の手がパールを持ち上げていた。



「ぎゅうん、うわん、わん、あうん、きゅー・・・」


 悲痛な声を上げながら、宙に浮いたままじたばたと抵抗する大型犬の耳元にハーンが何事か囁いた。



「き・・・きゅぅん」


 とたんにパールがおとなしくなり、激しく振っていた尻尾をはじめふかふかの毛並みもしおしおとしおれた。


 いったい何を吹き込んだ、リド・ハーン。



「まあまあ、ハーンさんほどほどにしてやって?この子、置いてけぼりをくらってから飲み食い一切せずに、ずーっとここでヘレナが帰ってくるのを待ってたんだから」


「きゅう・・・」


 思わぬミカの援護に青い目を潤ませ、のたりのたりとしっぽを振るパールを二人は床におろし、かわるがわる頭を撫でた。



「これからは、ヘレナ様の身体のことを考えて、ちゃんと加減するのですよ?」


 シエルが言い聞かせると、「わう」と応える。



「よし、じゃあ晩御飯にしよう。シチューがそろそろ良い感じになってるよ。さ、パールあんたは先頭をお行き」


 ミカがぽんとパールの尻を叩くと、助けてもらった恩を感じるのか、素直に応じて階段へ向かう。



 ふうと息をついたところで、背後から話しかけられる。



「ヘレナ様」


 そういえば、コールに背を預けたままだった。


「あ・・・すみません」


「いえ」


 彼はヘレナを乗せたままゆっくり起き上がる。


「大丈夫ですか」


「あ、はい」


 そしてそのままコールに抱え上げられた。


「とりあえず、このまま下へ移動しましょう」


 ハーンほどではないが彼は手足がすらりとしていて細身の部類に思えるのに、あっさりヘレナを横抱きにして歩き出す。



「あの・・・」


 普段から洗練された足の運びをするせいだろうか。


 階段を降りている最中ですらまるで宙をすべるように振動をほとんど感じない。



「うまく対応できず申し訳ありません。犬と関わるのが久々だったもので」



 心からの謝罪に、戸惑う。


 考えてみれば、ヘレナはコールのことはいまだによく知らない。


 物事に対し、常に誠実であろうとする人だという事しか。


「いえ・・・あの」


 口を開いたものの、いざとなったら言葉に迷う。


「はい?」


「コール卿も、びしょびしょですね・・・」



 いつもはきちんと櫛を通し後ろに流されている彼の艶やかな黒髪はすっかり崩れ、前髪が額から頬にかけてぱらぱらとかかっていた。


 それがかえってすっきりとした鼻梁を強調し、真っ黒な瞳と相まって妙になまめかしく、逆にいつもより生気を感じる。


 顔が、こんなに近くにあるのも初めてだ。


「ああ・・・。こういうのも久々です。犬ってこんな風だったのかと・・・」


 ふわりと、彼の目元がほころんだ気がする。


 犬が好きだったのかもしれない。


「・・・あのパールという犬は・・・。本当に・・・」


「本当に?」


「愛情深いというか。なんというか・・・。あつく…いや、かわいらしいですね」


 暑苦しいと言おうとしたな。


 察したが聞かなかったことにした。



「ええ。とてもかわいいのです、パールって」


 正直、さっき舐め尽くされて己が飴のように消えてしまうのではないかと内心思ったのは秘密だ。





 そして、一階に降りるとシエルがさくっとヘレナとコールに浄化魔法をかけ、パールのよだれの跡は一掃された。


「きゅ・・・・」


 それを見ていたパールは至極無念そうな顔をして、ミカを爆笑させた。



「あはっ。シエルさん、よけいなことしたね!」



 コールはともかく、せっかくヘレナに素敵な匂いを付けたのに!!と言わんばかりの様子で、拗ねまくった。


 ミカに促されてしぶしぶ水とご飯に口を付けたが、いつもの半分以下しか食べず、あとはヘレナの膝にずっと顎を載せてぴすぴすと鼻を鳴らし続ける。



「・・・パール。ご機嫌治して?」


 膝上の頭を撫でつつなんとか己のご飯をかきこんだヘレナは語り掛けた。


「今回はね。初めてうかがうお宅だったから、パールは連れていけなかったの」


「くうん」


 ネロは連れて行ったじゃないかという不満が上目遣いにありありと出ている。



「ネロの件は不可抗力。いきなり飛び込んだしね。・・・あ。だからと言って、次は私も飛び込む!とかは駄目よ?」


「くん・・・!」


 何で分かった?と驚きに目を見開くパール。



「ネロはね・・・。ほら、小さいから、まあ、先方もそれほど驚かなかった・・・とは・・思うけど。いや、黒猫抱えて訪問とかって、みなさん、さぞ私のこと変人と思われたでしょうね・・・」


 ただでさえ、見た目が子どもの伯爵夫人(仮)。


 面識のないまま猫を抱えて上がり込むなんて、奇天烈すぎる。



「いえ・・・。ジョセフがそんなことを考えたりは・・・しませんよ?」


 慌ててコールがフォローするが、どこか目が泳いでいる。


 しかも語尾が疑問形。


 正直者め。



「とにかく、悪いけれどこれからも転移先にパールを連れていくことはできないわ。残念なことに大きい犬が怖い人もいるから・・・」


 パールが傷つかないよう、ヘレナは考え考え言葉を選んだつもりだった。


「う・・・?わう!」


 彼女は何かを思いついたような顔をして一声吠えた。




「あううーん!」


 すると、ふいに膝の上の重みがなくなっていく。


「え?」


 ヘレナは己の眼が信じられなかった。



 すすすすす・・・と、パールが縮んでいく。



 ヘレナが背中に乗れそうなフェンリル犬からオオカミくらいの大きさになり、中型犬になり、小型犬になり・・・そして。



「子犬?」


「きゃう!」


 幼い舌っ足らずな鳴き声の白い塊が、ヘレナの足元で得意気な顔をしていた。


 両手を伸ばして小さき獣をすくい上げる。



「・・・あなた。小さくなれるの?」


「きゅ!!」


 どうだ!!と言わんばかりの子犬を胸に抱いて額の匂いを嗅ぐ。



 うん。


 パールだ。


 間違いない。



「びっくりしたわ・・・」


 出会ったころの姿に己の意志でなれるとは。


 さすが魔改造フェンリル犬。



「へえ・・・」


「ほう・・・」


 テーブルの向こうから不穏な声が聞こえてきた。



「知らなかったなあ・・・。パールにそんな機能・・・いや、能力があったなんて」


「いやあ、なかなか奥が深い・・・。私たちも、まだまだですね・・・」



 深い海と夏の空のような二対の瞳がぎらぎらと光っている。



「き・・・き・・・きぅぅ・・・」


 魔導士たちの欲望を耳と肌で感じ取ったパールはぷるぷると震えだし、さらにすすすすす・・・と、小さくなった。



「あら」


 両掌で包み込めるほどになって小刻みに震えるパールはもはや犬というより・・・。



「・・・カヤネズミ?」



 大きさはまさにそれだが、青い瞳と白銀の毛と骨格は犬のまま。



「あははは、ちっさ。なんか一口で食べられそうだね!!」



 ミカの一言に衝撃を受けたパールが手のひらの中でころりと転がる。



「大丈夫よ、パール。怖がらないで。どんな姿のあなたも可愛いわ」



 小さな額に口づけると細い声で「き・・・」と鳴いて、すすすす・・・と子犬の大きさに戻った。



「シエル様もハーン様もミカも、からかわないでください。この子、とてもとても繊細なのですから」


 ぎゅうと抱き込んで、抗議する。



「ふふふ、それは失礼しました」


「ごめんね、パール。僕たち、怖くないよ?」


「だよねえ。こんっなに親切にしているのにさ」



 三人は、ただただ悪い笑みを浮かべた。




「ここの常識の基準が分からない・・・」



 小さな騒動を眺めていたコールはひそりとごちる。



 変幻自在のフェンリル犬と、研究熱心な魔導士二人、鋼のメンタル侍女、そして小さな少女。


 一見、平凡そうに見えるヘレナ・リー・ストラザーンを中心に物事は動き続けている。



 なんにせよ、心強い味方なのは間違いない。



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