お兄さまたちと黒猫様
「お待たせしました。こちらになります」
薬草酒が詰められた瓶とメモを手にしたジョセフと腕にブランケットをかけたハーンが同時にコンサバトリーへ戻ってきた。
「ねえ、ヘレナ様。一緒に持ってきた差し入れはもうジョセフ様の奥様にお渡ししたからね」
「あ・・・」
最近何かと食事を一緒にする気安さでウィリアムの叔父だからと、深く考えずに持ち込んでしまった加工食品の数々だが、この家の酪農の規模と使用人たちの質の高さを考えると子どものままごとだ。
なので、ヘレナはこっそり持ち帰るつもりだった。
しかし、それをハーンがさくっと差し出したと知り、内心頭を抱える。
「美味しそうなものばかりありがとうございます。後でバーナード様と一緒に頂きますね」
ジョセフに礼を言われては後に引けない。
頬に血がのぼるのを感じながらも、ヘレナはようよう返事をする。
「あ・・・あの。素人の手作りで大変お恥ずかしいのですが…。お口に合えば幸いです」
クリスに以前、『ねえさんの中には田舎のおばちゃんがいる』と言われていたことを思い出す。
誰彼構わず物を配るのは今後控えようと深く反省した。
「ハーンがすでに説明したかもしれませんが、私共の提供した改良家畜より作られたものなので、二次的な薬と考えてバーナード様に差し上げてみてください。味もなかなかですので」
ヘレナの心中を察してか、シエルがいたわるようにヘレナの肩をさする。
「ジョセフ。私も最近ヘレナ様のところで食事を頂いているうちに次第に体調が良くなってきたので、叔父上にもよい影響が出るかもしれない」
ここにきてまさかのウィリアムの助太刀。
「ね。こんな感じなので期待してくださいね?」
最後にハーンが可愛く首をかしげ、得意気に微笑んだ。
いったい、何を吹き込んだのか気になるところだが、これほど人に持ち上げられたことがないヘレナは憤死寸前だった。
「あの・・・。『お兄さまがた』の欲目なので・・・どうか。話半分でお願いします」
彼らはヘレナに甘すぎる。
「なるほど、『お兄さま』・・・。良かったです。ウィリアム様の暮らしが少し解り、こちらとしても安心しました」
元家令は心から嬉しそうに肩を揺らした。
「ああ、そうそう。ついでにこのブランケットも必ずこうしてバーナード様の身体にかけておいてくださいね」
言いながら、ハーンはブランケットを両手で広げ、ふわりとバーナードの肩から足首にかけてすっぽり覆った。
彼はやせ細ってしまったが、甥と同じく身長はそれなりにある。
大きめに作って正解だったとヘレナは心の中で思う。
「ほう。これは・・・。素晴らしい織物ですね。しかも祈禱のようなものを施されていますね」
「わかりますか」
ハーンの満足げな声に、慌ててヘレナは割って入った。
「いえ、そんな大げさな。バーナード様の回復をお祈りしながら糸を繰っただけのこと。あとは使った糸と染料が少し特殊なのでその影響があるかと思います。実際、そこを狙って作りました」
説明している最中に、膝の上にいたネロが両足を揃えて背中を弓なりに伸ばす。
そしておもむろに床におり、たたたた…とバーナードへ駆け寄ると、たん、と弾んで彼の膝に飛び乗った。
「は?あ、ネロ!またあなた・・・」
バーナードの膝に四肢をしかと固定し、ぴんと尻尾を上げてネロは口を開いた。
「びゃうびゃうびゃう・・・・びゃーう」
「・・・え?」
ネロを捕獲しようと両手を伸ばして駆け寄ったヘレナは困惑する。
「びゃうびーやう、やうやう、おうおう」
小さな口をぱくぱくと開いては閉じ、開いては閉じしながら不思議な鳴き声を放つ。
黒猫は金色の眼を見開き、真剣な顔でなにやら語っているような気がした。
「おうおうあお、あおお、びゃお」
「・・・ごめんなさい、ネロ。貴方が何を言っているかさっぱりわからない・・・」
「おおう?」
ヘレナが正直に答えると、ネロは「マジか!!」と言わんばかりに目を見開く。
「びゃう・・・びゃおうおうお・・・。びゃ」
ふう、とため息をついて尻尾を降ろすと、すとんとバーナードの膝に座り、そのままくるりと丸くなった。
「ええと、ネロ?」
問いかけても目を閉じて知らんぷりをされ、その後はびくともしない。
そして、うつろなまなざしのまま、なぜかバーナードはブランケットから片手を出してネロの背中を撫で始めた。
どうしたものか。
バーナードの足元にしゃがんで何とかネロに話しかけようとしたところで、ふと、ヘレナはブランケットから覗く彼の足元に視線が止まった。
華奢な身体に比べて、スラックスの裾からあらわになった足首が妙に太い。
・・・むくんでいる?
ずっと歩かずに座っているからなのか?
母の病状が悪化したころもそうだった。
あれは・・・。
「・・・おそらく、ネロは『今夜はバーナード様と一緒にいる』と言いたいのではないかと」
シエルがそっと背後からヘレナに語り掛けてきて、顔を上げた。
「そうなのですか・・・。わたしは飼い主としてまだまだですね」
「いいえ。甘えん坊のネロがヘレナ様から離れるなんてかつてない事です。なんらかの意図があるのだと思いますよ?」
そのさらに後ろではハーンがこっそりネロの説明をしているようで、「ほうほう・・・」とジョセフが頷いている。
「わかりました。そもそもバーナード様は見ての通り猫好きですから平気でしょう。黒猫様がうちの子たちと仲良くなさるかはさておき、しばらくうちでお預かりしてよろしいでしょうか?」
ジョセフの背中では西日が傾き始めている。
そろそろゴドリーへ戻らねば、ウィリアムの不在が本邸の使用人たちに知れてしまう。
寛容な当主に甘え、とりあえず今は早急に屋敷を辞すことにした。
「ありがとうございます。本日のところはどうかよろしくお願いいたします」
ヘレナが謝辞を述べると、ネロは片目をちらりと開け、「び」と呟き、ぱたりと長い尻尾を振った。
茜色の光が、優しくすべてを包み込む。
バーナードの頬に赤みがさしたような気がした。