疑わしき人
「・・・結局、どういった状況なのでしょうか」
ぽつりとウィリアムがシエルに尋ねる。
「私たちはコール様の話を聞いた段階で、ヒ素系の毒を長期的に微量盛られ続けていたのではないかと推測していました。
人によるのですが、あれは精神的な部分を壊すことがあるのです。
例えば躁状態になって何時間も喚き続けるとか、逆に鬱になり無気力になるとか。
几帳面な性格ならなおさら、以前のように仕事ができなくなった己を追い込むこともあるでしょう」
焦れば焦るほどにあれこれに手をつけ、どれも完了しない事態になり、ますます混乱していく。
「なるほど・・・。叔父はとても有能でいささか仕事中毒だったため人の何倍も捌けていたと聞いています。ゴドリー家で従僕からあっという間に執事へ昇進したのもそのためです。二年前の彼は非の打ち所がない完璧な仕事ぶりだった」
帰国してから、色々習うはずだった。
なのに。
「単純に盛られたのがヒ素だけならば、治癒できたのです。
それを思い浮かべて光魔法を当ててみましたので。
しかし反応がほぼなかった。
ということは鉱物系の毒ではなく、なんらかの生物由来と考えられます。
魔物から採取した毒も少し考えましたが、入手が難しく高価で、扱いも難しい。
高位魔術で保護した器具で保管せねばならないものを魔導士でない者が取り扱うのは危険です。
しかも薬草酒の類で進行を遅らせられるならありえない。
そして、ハーンと私はこの国と周辺諸国程度ならば毒草の類を把握しています。
しかし、なんとなく・・・。
違う気がするのです」
シエルたちにしては煮え切らない結論だ。
しかし、その先に言わんとする言葉が隠れているのを感じた。
「ちがうとは、どういう意味ですか」
「コール様。ゴドリー伯爵家で貴方がた四人の他に植民地赴任に同行して、数か月程度で先に帰国した者はいますか」
「・・・っ!!」
ウィリアムは息をのむ。
「・・・数人。着任に当たって侍女と従僕を同行させました。提督の館の環境を整えるために。そして、半数が三か月ばかり経った頃に帰国の途につき、現在もゴドリーで働いているのは・・・」
持ち上げかけていたティーカップをゆっくりとテーブルの上へ降ろし、両手を組んだ。
その繊細な指は力を込めているのか、いつもより白く見える。
「現在の侍女頭、ヨアンナ・・・のみ」
「現在、の?」
それまでシエルとウィリアムの会話を見守っていたヘレナが思わず口をはさむ。
侍女頭とは、あの、本邸の端に押し込められた時に一番ましな対応をしたはずの女性のことだろう。
見た目はウィリアムのように規律正しく仕事の差配には厳しい女性のように見えた。
しかしこうなると、叔母がふと漏らした言葉が引っかかる。
往年には到底及ばない、使用人たちの仕事ぶりだと。
「一年・・・。いや、一年と二か月前まで五十半ばの老練な侍女頭が仕切っていました。しかし仕事中に転んで足腰を痛めたそうで退職し、田舎に帰りました。その後を継いだのが次席だったヨアンナです。彼女は確か十代半ばからゴドリーに勤めていて、現在は侍女の中で最古参でもあります」
ヨアンナ、と名前を口にした時、膝で固まったままの筈のバーナードの指先がわずかに動いたようにヘレナの眼に映った。
「・・・先ほど、コーヒーの話をした時に。貴方は何を考えていましたか?」
小さな円卓の向かいから、シエルは問いかける。
低く、静かな声で。
「・・・ヨアンナなら・・・。気の置けない同僚だっただろうと・・・。
いや。
帰国した時にほとんどの使用人が入れ替わっていたなら、毎日疑われずに毒を盛ることができるのはヨアンナしかいない。
でも、彼女はとても信用が置ける侍女だと先代も太鼓判を押していたはずだ。それに、どうやって?と・・・」
疑いは、少しずつ生じていた。
書類が整ってくるにつれ判明していく、使途不明の金。
以前とは比べ物にならない程、教育のなされていない使用人たち。
当初はなぜか、侍女頭の説明をあっさり信じていた。
十歳近く年上の生真面目なヨアンナの言葉に疑う余地はない。
「私は・・・。私と叔父は、まんまと嵌められたのか・・・」
最近になって、突然、何もかもおかしいと思い始めた。
そう、つい最近のことだ。
教会の一室にヘレナ・ストラザーンという少女が現れてから。
己の中の何かが変わった。
会話を交わし、食事を分けてもらい、僅かな時を過ごす。
ただ、それだけなのに。
視野が開け、次の一手を考えられるようになった。
まるで、真っ白に立ち込めていた霧が次第に薄れていくように。
「・・・それについては、なんとも。ただ、入手経路ならば今の話のおかげでだいたい見当がつきましたので・・・」
シエルは少し困ったような笑みを浮かべた。
「・・・シエナ島に伝わる何かということですか」
もしくは、流通されている物。
そして、目立たず簡単に屋敷に持ち込める、ごくごく日常的な見た目と匂い。
「そうですね。シエナ島及び南方古来の物と絞れば意外と早くたどり着けるかもしれません。ハーンと医療研究組はおそらく大喜びで調べるでしょう。今まであまり注目していなかった地方ですから」
支配地となった月日が浅いために、情報も少なかった。
それが盲点になると侍女頭及び関係者が考えたのならば。
「『彼ら』は用意周到なのか・・・。それとも」
何にせよヨアンナは今、リチャード夫妻の新婚旅行に同行して不在だ。
ウィリアムの瞳に闇の色が増す。
ひそかに探ることを想定して泳がせているのか。
決して解き明かすことができないと楽観しているのか。
どちらでも構わない。
今より酷い状況はないのだから。
「本当に・・・。またとない好機だ」
ゆるりと唇を歪める執事に、二人はなんと言葉をかければよいのかためらう。
するとネロが低い声で「びゃう」と鳴き、ぐいぐいと額でヘレナの手のひらを押した。
催促されている。
何か、言えよと。
「油断、していると良いですね」
ヘレナに言えるのは、願いのようなものだった。
うまく、解決できますようにと。




