タイムスリップ大正時代 田中義一首相にインタビュー
大正時代。
田中義一首相にインタビューをしてみた
高校レベルの歴史をおもしろく復習できる参考書的自伝風歴史小説
田中義一
<高橋是清のモラトリアム>
おらは田中義一。
おらは長州出身の陸軍軍人だ。
山県さん(山県有朋)の人脈のおかげで首相になれたぞ。
先の内閣(第一次若槻内閣)では、片岡君の失言で金融恐慌になってしまったが、おらの内閣ではなんとかこの恐慌をおさめることができたんだ
それは大蔵大臣の高橋君(高橋是清)が行ったモラトリアム(支払い猶予令)のおかげだ(以下注)
でも人々はそれでも不安だったんだな。
「小さい銀行だと、いつつぶれるかも分からねえ」
「そうだな、銀行がつぶれたら預けてたお金もパーになっちまう。やっぱり預けるとしたらでかい銀行のがいいよね」
そんな感じで5つの大銀行に預金が集中するようになったんだ(三井、三菱、住友、安田、第一)。
<普通選挙と弾圧>
また、わしは普通選挙を実施した。
まあ、これは加藤君(第一次加藤内閣)の時に「普通選挙法」ができて、普通選挙をすることになっていたから行ったわけだがね。
しかしだ。いざ選挙をやってみると、驚いたことに社会主義運動や労働運動をしているような輩(無産政党)が8人も当選してしまった。日本労働党といった奴らがな。
そして、これに勢いをつけた日本共産党が公然と活動を始めたんだ
共産党め、非合法政党のくせに生意気な
そこでおらは徹底的に共産党を弾圧した(三・一五事件、四・一六事件)
「国体を変えようとする無政府主義者どなぞ死刑にしてしまえ」
おらは緊急勅令で、治安維持法を変えて、最高刑に死刑を追加した。
そして全国に特別高等警察をおいたんだ
あとオラはパリで不戦条約にも調印した
パリ不戦条約は、戦争の放棄を宣言したものだ
中国に対しては力でねじふせる外交をしていくが、欧米に対しては協調路線でいこうと思っているのさ
ともあれ、おらは幣原君のような軟弱な外交はせんかった。
おら自らが外相もやって、中国へも強圧的に出たんだ。
たとえば、山東出兵などだ
<山東出兵>
満州を支配してる人物に張作霖という者がおった
「日本さん」
「張作霖くん」
日本と張作霖は持ちつ持たれつの関係じゃった。
でも、それを見た蒋介石は怒ったんだ
「張作霖。てめえ、ふざけんな、おら。日本となんか仲良くすんじゃねえ。もし日本と手を切らないなら、お前から攻めるぞ」
蒋介石は張作霖を倒すために出兵したんだ。(北上して討伐しようとしたので「北伐」といいます)
しかし、もし張作霖が倒れたら、日本と満州のつながりが切れてしまう。日本にとっても、それは困る。そこでそこに住んでる日本人を助けるという名目で山東へ出兵したんだ。張作霖を助けるためにな。
<満州某重大事件>
わしも中国に対して強く出たが、さすがに関東軍(満州においた日本軍)の暴れぶりには閉口した
やつら、とんでもない事件を引き起こしおった
「張作霖爆殺事件」だ。
「張作霖爆殺事件」とはこのような事件だ。
日本は関東軍を通じて、張作霖を支援していたんだが、関東軍はどんどんと暴走を始めた。
関東軍は張作霖にこんな話を持ち掛けたんだ
「張作霖どの。いっしょに蒋介石と戦って満州を守ろうではないか」
しかし、弱気になっていた張作霖は乗り気ではなかった。
それをみた関東軍は思った
「もう張作霖には見切りをつけよう。それよりも張作霖を殺して満州を日本の支配下に置いてしまおう」
「それがよい。奴は列車で満州に帰るから、闇夜に紛れて列車ごと爆破してしまおう」
こうして関東軍は移動中の張作霖を列車ごと爆破して殺してしまったのだ
しかも、それを関東軍め、中国のせいにして報告をしてきおった
わしら政府は何の指示もしておらんのに、奴ら、独断で行いおったわい
困った、実に困った
まさか「関東軍の自作自演です」とも言えんし、わしは「満州某重大事件」と言ってはぐらかそうと思ったんだ
でも、天皇から「あの件はどうなったんだね」と厳しくしかられ、総辞職することになったんだ。関東軍の暴走ぶりはわしでも止められなんだ
「満州某重大事件」は、けっきょく中国にもバレてしまい、張作霖の息子「張学良」が日本に反旗を翻した。
まあ、当然のことだろう
自分の父親を殺されたんだから
張学良は、「ふざけんな、日本め。オレは日本とは手を切って、蒋介石と手を組む」と憤り、日本との蜜月の関係はなくなってしまったんだ
(補足説明)
当時の中国では、いくつかの勢力が対立を続けていました
北:北では張作霖が北京政府をつくってました
南:南では国民革命軍(国民政府)の蒋介石が南京政府をつくっていました。
南にいる蒋介石は言いました
「よし、中国を統一するぞ。北京にある軍閥政府(張作霖)をぶっ倒す!」(北への討伐なので、これを北伐といいます)
それを見た日本も言います
日本「その近くの山東には日本人も住んでいる。そこに住んでいる日本人を守るために、日本は軍を送らせてもらう」それが山東出兵です。
山東出兵は3回にわたり行われました(山東の3と3回の3)
(注)モラトリアム(支払い猶予令)
「銀行がつぶれるかもよ」
そうなったら、みんな自分の預けたお金を守りたいから、我先にと預金を下ろそうとするよね
でもみんなが「お金下します」って銀行に殺到したら、銀行がつぶれちゃう
じゃあ、どうしたらいい?
「銀行はつぶれません、大丈夫ですよ、安心してください」
と安心させてあげればいい
そこで、政府は「とりあえず3週間だけ、預金おろすことはできません。でも、この間に政府から銀行に大量の融資をしますんで、安心してください。大丈夫、銀行はつぶれませんし、皆さんの預金もちゃんと無事です」
そういう政策をとって安心させてあげたんだ
「おお、よかった。銀行はつぶれないし、俺たちの預金は無事みたいだ」
人びとは安心して、落ちついた
こうして金融恐慌は収まったんだよ
~田中義一内閣まとめ~
1927年
モラトリアム発令
山東出兵(張作霖を助けるために山東へ出兵するぞ)
東方会議(中国関連の軍人や外交官を集めた会議。「中国には軍事力を背景にした力任せの外交をするぞ」)
1928年
第一回普通選挙実施(公布は加藤高明のとき)
三・一五事件
済南事件
張作霖爆殺事件(関東軍が電車ごと張作霖を爆殺しちゃった→満州某重大事件→天皇の怒りを買い後に総辞職)
パリ不戦条約
1929年
四・一六事件
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