終章 何人乗ろうが切れぬ糸
火の元の安全を確保し、御南花さんの導きによって、私は深層世界における自席へと降り立った。
「何だ・・・この有り様は」
教室内、しかも学友の机が並んでいたはず場所には、天井と床を貫く柱が林立した。見た目からすると、太い薔薇の蔓が三つ編みの様に束ねられているようである。だが特筆すべきなのは、絡み合う蔓の隙間から、クラスメイト達の手足や顔が垣間見える点だろう。その姿は納谷が生み出した異形を思わせるものの、不特定多数の人が同じ異形に捕まっているというのは、どういう事なのだろうか。
「これは・・・ちょっと想定外だったよ」
私の疑問を察知したかの様に、変わらず机に腰掛けていた御南花さんは苦笑しながら口を開いた。
「想定外って・・・何が起きてるの?」
「私は、各々の異形が入り乱れるラグナロクみたいな状況を想定していたんだけど・・・どうやら、墜ちてきた意識の数が多過ぎて、世界が個別に対処する事を諦めたみたいだね。墜ちてきた意識の処理は、皆が共通して恐れる存在に一任されたみたいだ」
「皆が共通して恐れる存在・・・他の異形とは違うんですか?」
「今まで見てきた異形が私的な存在なら、これは対極に位置する公的な存在。個を凌駕する群の異形だね・・・言わば、私達がやろうとしている事の最終形さ」
「最終形とは、穏やかじゃないですね・・・・・・鎧袖一触とは、行かなくなりましたか?」
「これは・・・かなり分が悪いかもしれないね。相手は想定よりも、ずっと強力なようだ」
「とはいえ、抗わないわけにもいかないですよ」
蔓の柱に囚われたクラスメイトの中にはもちろん、南野さんや真鍋さん、そして矢継さんも含まれている。蔓に生える牙の様な棘が身体を貫いているようで、苦悶の表情と流れ出る血が目についた。手をこまねいている時間は、端から存在しないのだ。
「その決意、伝わってくるよ・・・でも焦りは禁物、急いて事を仕損じるわけにはいかないからね」
「はい、心得てますよ・・・それで、どうすれば良いんですか?」
「ああ、先ずは――マズイッ!!」
御南花さんに胸ぐらを掴まれ、私は床に投げ出された。その直後、天井と床の双方から蔓が噴出し、私達が居た場所に柱を形成していく。彼女のファインプレーが無ければ、滅多刺しの刑に処されていた事だろう。
「もう安全地帯は存在しない・・・ここから離れるよ!」
御南花さんに手を引かれ、私は引きずられる様に教室外へと転び出た。廊下も教室内の様に柱が蔓延っており、教室から逃れただけでは不足していると教えてくれている。
「学校全体が蔓に呑まれている、いったい何処へ行けば良いんだ・・・?」
珍しく歯噛みしている御南花さんを横目に、私は他の事を考えていた。皆が共通して恐れていた棘のある蔓、そんなものは、この学校に二つと存在しない。
「御南花さん、屋上だ・・・屋上が異形の出所なんだよ!」
「屋上? そうか・・・そうだね、足を運ばないものだから失念していたよ!」
目的地が定まり、駆け出したところで、私達が居た地点から又もや蔓が噴き出してきた。どうやら、同じ場所に留まり続けると位置を特定され、捕食しに来るようだ。
「まるで免疫機能の様じゃないか・・・よし、走りながら説明するよ?」
階段を駆け上がりながら、御南花さんはこの事態への対抗策について語り出した。ちなみに踊り場の姿見は、蔓に絡まれ、機能していないようである。
「屋上の化け物と渡り合うには、我々が一つになる必要がある。それは、分かっているね?」
「分かってますよ? ですから、方法を教えてください!」
「男と女が一つになるんだよ、あれにしか無いでしょう?」
「え? あぁ・・・手を繋ぐんですね?」
「その通り♪ マイムマイムの如く、両の手を取り合ってね。そうすると、有線を介した転送みたいな現象を引き起こせる。ただし気をつけて欲しいのは、この行為は君という存在で満たされた頭の中に、私という情報の塊をぶち込む事に等しいという点だ。君の意識は無理矢理に圧縮され、頭が破裂する様な恐怖に襲われる事なるはずだ・・・その際、僅かでも拒否反応を示せば、一体化は失敗する。そして二度と受け付けなくなってしまうだろう。チャンスは一度、運を試す勇気が君には有るかい?」
「何を今さら・・・墜ちてきた時点で、試さないなんて選択肢はありませんよ!」
屋上手前の踊り場で足を止めた私は、御南花さんと両の手を繋いだ。
「未来の為、他人を蹴落とす覚悟を見た。誰かの為、恐怖を殺す気骨を示された・・・御南花さんが、俺の嫌っていた自意識の権化だとしても・・・もう大丈夫ですよ。ここ1か月くらいの出来事で、昔の自分も悪くないと、頼りになるって再確認出来ましたから・・・昔の俺が抜き身の刀なら、今の俺は他人を受け入れる鞘みたいなものです。一つに成ったくらいが、ちょうど良いとは思いませんか?」
「フッ・・・基にしただけあって、似てきたじゃないか。時間が無い、一気に行くよ!」
次の瞬間、繋いだ手から電流が走り、想像絶する苦痛が脳まで一直線に駆け抜けていった。そして脳に達すると、苦痛は熱へと姿を変え、生きながら頭蓋内に熱湯を注ぎ込まれる様な刺激に身震いが止まらなくなる。程無くして脳が風船の如く肥大し、頭蓋を内側から押し開けようとする感覚にも襲われ、激しい頭痛で意識が朦朧としてしまう。私の意識が、流入してくる御南花さんの意識に押しやられ始めている。拮抗しているという事は、未だ乳化現象が起きていない証、未だ未だ刺激が足りていないようだ。
「くっ、やはり隙間が無い。もう、止めたした方が・・・」
「隙間が無いなら、作れば良い・・・足りないのなら、拡げれば良い!」
(フッ・・・互いに似通った箇所は統合する事でスペースを生み出し、それでもはみ出す部分は無理矢理に押し込んだのか・・・相変わらず無茶をするね)
その御南花さんの言葉と共に、神経を焼き切る様な苦痛が消え、握り締めていたはずの手の感触が無くなっていた。目の前に居たはずの御南花さんは何処にも見当たらず、私は一本の合口を手に載せている。まるでこれが、御南花さんの忘れ形見であるかの様に。
(いや、消えてないからね?)
不意に頭の中で、御南花さんの声がハウリングする。驚きのあまり、合口を落としそうになってしまった。
「うわぁ、本当に居るんですね・・・何だか・・・前頭葉の辺りが疼きます」
(ふむ、そこには居ないはずなのだけど・・・今の私は、やたらデカイ心の声みたいなもの。気にし過ぎるのも良くないが、忘れられても困る。今まで通りに恐れてくれないと、異形として存在出来ないからね)
「分かりました・・・それじゃあ、畏怖する事にします。隙を見せれば宿主を祟り殺す、そんな諸刃の守り神として」
(良い例えだ・・・ちなみに弱気になったら、祟り殺さずに恥ずかしい記憶の走馬灯を放映するから、よろしくね?)
「うわぁ、スパルタ・・・・・・それじゃあ、行きましょうか?」
(扉の向こうには、筆舌し難い恐怖が待っているだろう。だけど大丈夫、頭の中にはもっと畏ろしい私が居るのだから)
「・・・安心出来ない」
私は苦笑しながら、屋上へ続く扉を押し開けた。古めかしい、悲鳴にも似た音を発ててドアが開く。するとその先には、赤黒い花を満開に咲かせる薔薇園、そしてその薔薇を見上げる生徒会長の姿があった。
「幾ら数えても、一人生徒が足らなかった・・・やはり、この薔薇を綺麗と言った、貴方だったのね?」
私の到着に気付いた先輩は、息苦しくなる様な微笑を向けてきた。学校に居た全ての人間を地獄へ落としておきながら、何故誰よりも苦しそうな表情を浮かべているのか、甚だ疑問である。
「校内に毒針をバラ蒔き、深層墜としを流行らせたのは・・・貴女でしたか、三賢寺先輩?」
「ええ、その通り・・・阻止出来なくて残念だったわね、駒井君?」
私の事を把握している、いや笹木達を救い出した辺りで、矢継さんが報告していてもおかしくはない。おかしいのは、私の行動を知りながらも、暢気にお喋りしていた事だ。私一人が騒いだところで、障害にはなり得ないと確信していたのだろうか。考えても判らないなら、核心を突くしかない。
「どうして・・・こんな事を?」
「答える義理は無くってよ・・・でも、頑張った人には酬いてあげないといけないね。私がこの事態を引き起こした理由・・・簡単に言えば、嫌がらせかしら?」
「・・・嫌がらせ?」
「私が入学した時、蕀ノ坂は未だ女子校だった。規律や気風に従順で在れと仕込まれ、礼儀作法も厳しく指導された。校則は今の2倍強存在し、一つのミスが命取りに成り得る戦場の様な毎日・・・あの一年は、地獄の様だった。でもその地獄は、一年で終わりを迎えた。共学化が決まり、校則が緩和され、新しい風が蕀ノ坂に吹いてきた。でも、その年度から生徒会長に内定していた私は、古き良き蕀ノ坂を説く在校生と何も知らない新入生との板挟みになってしまった。在校生の顔を立てつつも、新入生へのフォローを欠かさなかった。努力を惜しまなかったおかげで、互いに不干渉という折衷案に難着陸する事が出来た・・・そして今や、古い蕀ノ坂を知る者は少数派となり、やがては消えてなくなるでしょう。私はそれを否定しようとは思わないけれど、少し苛立ちを覚え始めていた。入学者数に陰りは無いというのに、増益の為だけに共学化を決め、生徒間の軋轢を生徒会へ丸投げした学校運営側。そして何も知らず、奔放に振る舞う新入生達に、私は怒りを覚える様になっていった・・・蕀ノ坂の流儀を叩き込まれた一年、共学化に振り回された二年、私ばかりが割りを食った気がして、私は溜めてきた鬱憤を、まとめて返礼する事にしたのよ」
「だから・・・学校に居る全員を、深層墜としに? それだけの理由で、こんな大それた事を?」
「人間、事件を起こすのに大義名分は必要無いものよ? 国を揺るがすのは民の鬱憤、人を揺るがすのは人の鬱憤、そして大地を揺るがすのは星の鬱憤・・・心に耐え難い苦痛が在り、その手に復讐する術が有るのなら・・・人は簡単に、鬼にも修羅にも変貌出来る。大義名分は、後から付いてくるものなのだから」
「復讐の術・・・それが、深層墜とし?」
「深層墜としの起源は判らないけれど、代々の生徒会長に受け継がれてきたのは事実。巧妙に隠されていたのだけれど、私は偶然にも見つけてしまったから・・・この薔薇園に一輪だけ咲くという赤黒い薔薇を、そしてそこから採れる猛毒を」
「伝説の薔薇・・・暗に仄めかしていたというわけですか?」
「ええ・・・ギリギリを攻めるというのも、愉しいものよ?」
「そうですか・・・なら、薔薇で叶えた夢は悲劇に終わるというのも、覚悟の上ですか?」
「もちろん・・・全校生徒が意識を取り戻さなければ、学校運営は頓挫、さらに賠償に喘ぐ事でしょう。そして、ここに囚われた人間には、私が苦しんだ二年分、耐え抜いてもらおうかしら・・・ほら、最高の悲劇でしょう?」
「まったく・・・狂っているように見せ掛けて、復讐が計画的・・・穏やかじゃありませんねぇ?」
「こういう時の常套句は、何だったかしら・・・私の邪魔をしないなら、貴方は特別に帰してあげましょうか?」
「転校してきたばかりで又転校とか、勘弁してくださいよ・・・夏休みが減らされても嫌なので、先輩の野望は此処で結びにしましょうね?」
「ふふっ・・・ここの薔薇は、致死性よ?」
三賢寺先輩が片手を挙げると、薔薇園に変化が生じ始める。カサカサと葉っぱを揺らしながら蔓が形を変えていき、幾千の花が集結する事で一つのラフレシアの如き大輪を顕現させた。蔓の棘で形作られた不気味な口が、獲物の血を搾りたそうに蠢いている。
「薔薇園が恐れられていた本当の理由は、上級生による私刑が行なわれていたから。止めさせるのに苦労したのだけれど、こうして役立つなんて・・・皮肉よね?」
「あはは・・・今から帰るって言ったら、赦してもらえますか?」
「うふふ・・・ダーメ♪」
三賢寺先輩が挙げていた手を振り下ろすと、幾つかの蔓が軟体動物の脚の様に蠢き出し、さらに私目掛けて殺到して来てしまう。
「なら、抗います!」
震える脚を力強く一歩前に踏み出し、私は合口を鞘走らせた。それから、襲い掛かる蔓の一撃を避けつつ、その度に余分な蔓を綺麗に剪定していく。このくらい縄跳びで遊んだ事があれば、人の身でも回避は容易いものがある。
「やはり、この程度で止められはしないか・・・では、これでどうかしら?」
多少切り払ったところで効果は無いらしく、蔓たちは今も元気に蠢いている。先程は個別に突貫してきたが、今回は数本ずつに纏まり、六本の大きな杭となって襲い掛かってきた。
「これは・・・流石に力を貸してください、御南花さん?」
(もちろん・・・さあ、本番と洒落込もうじゃあないか)
御南花さんの気配を背筋に感じた次の瞬間、身体中に電流が走った。だがしかし、少々痺れたものの痛みや苦痛は感じない。逆に思考がハッキリと冴え渡り、四肢には体感した事の無いレベルで力がみなぎっている。言うなれば、筋肉増強効果のある電気風呂に浸かっているような気分だ。
この力があれば、こんな薔薇の異形も敵ではない。そう確信した私は正面から迫る蔓の束を縦一閃に斬り下ろした。研ぎ澄まされた斬撃は蔓の束を両断するに留まらず、疾風となって刀身よりも遥かに長い距離まで斬り進んでいく。これが異形の力、なるほど人の身では大群となって力が分散しているか、対抗策が無ければ手も足も出ないのも頷ける。この強力な力を、私は手前勝手に振るえるわけだ。
(諸刃の剣という事を、常に意識する様に)
高鳴り始めた心を御南花さんの御叱りで冷ましながら、私は迫る五本の蔓束をも散々に切り払ってみせた。
「貴方は・・・本当に人間なの? いいえ、人間であろうとなかろうと・・・私の怒りを阻ませはしない!」
三賢寺先輩の号令の下、遂に大輪が動き始めた。屋上を覆うドーム状フェンスの頂点、正午の太陽の様な位置へ移動した途端、突然に大輪部分を除く全方位から同時に蔓が私へと殺到する。校舎の入り口部分すら粉砕し、一切のタイムラグ無しに迫ってきていた。唯一の逃げ道は直上のみ、その先には大輪が待ち構えている事から罠、しかも必殺の罠であると推察出来る。
とはいえ、もはや臆している暇も無い。私は相手の目論見通り、直上へと高く跳び上がった。全方位から一点に集まった蔓の攻撃を紙一重で回避出来たものの、蔓は地面に触れると間欠泉の如く跳ね上がり、跳躍した私の後を追ってきた。やはり罠、私を捕らえ、そのままお口の中へ押し込むつもりなのだろう。
そう推察した私は空中で身体を回転させ、フェンスから地面へ伸びている部分の蔓を、疾風にて切り離した。こうすれば、下から迫る蔓の間欠泉も無力化出来たはずだ。そう安心したのも束の間、跳ね上がってきた蔓の勢いは何故か衰えず、長さ的に大輪の中へは押し込めないものの、私の身体に何重にも巻き付いてきてしまう。
「南無三っ!?」
見事に簀巻きにされた私は落下し始め、同じく大輪も留め具の外れたシャンデリアの如く落下を開始した。このままでは、あの惨たらしい口の中で生きたままミキシングされてしまうのだろう。考えただけでも身震いする、今年度最凶の恐怖である。
(チャンスだ!)
この絶体絶命の極致をチャンスと言ってのける御南花さん、その言葉に背中を押され、私は膂力で拘束を引きちぎった。そして着地した後、肉薄する大輪目掛け、渾身の右袈裟斬りを放つ。斬撃の疾風は大輪を吹き抜け、寸分違わず両断してみせた。大いに花びらを散らせながら、残骸は屋上へと落下する。両断した事で生じた隙間により私は事なきを得たが、こうも大規模な攻撃となると三賢寺先輩の安否が気になってしまう。
「先輩! 大丈夫ですか?」
立ち昇る砂埃を剣風で払いのけながら、私は返事をしてくれない三賢寺先輩を捜し歩いた。
「先輩・・・見つけましたよ?」
三賢寺先輩は数十もの蔓の下敷きとなり、その棘に身体中を刺し貫かれた事で血溜まりの中に沈んでいた。揺り起こすと、先輩は虚ろだが眼を開け、口角を僅かに吊り上げてくれる。
「・・・我が身を省みない、攻撃だったのに、涼しい顔をして・・・良かった」
「深層墜としの呪い、解いてあげましたよ先輩? まったく・・・言動に人の善さが滲み出ていて、闘い辛かったですよ」
「ごめんなさい・・・もう、誰かに止めてもらう事でしか、私は此の愚行を手放せそうになかったから・・・だって、生徒会長なんだもの」
「そう、貴女は生徒会長なんです・・・現実へ戻ったら、事態の収拾に努めてくださいね?」
「ええ・・・全力を尽くします・・・ふふっ・・・完膚無きまでに、叩きのめされるのも・・・たまになら、悪くない」
穏やかな微笑を浮かべ、三賢寺先輩はフッとかき消えた。最初に現実へ回帰したのが黒幕というのも、中々に皮肉が効いている。
「ありがとう、御南花さん・・・お陰で厄介事が解決したよ」
(礼は無用さ、私は君なのだから・・・)
「だとしても、ありがとうですよ・・・・・・ところで、終わったのに分離しないんですか?」
(ん? いつから分離出来ると誤解していたんだい? 一体化したのだから、一体のままに決まっているだろう?)
「えっ、そうなんですか!? どうしよう、修羅場を抜けたら急にむず痒くなってきました・・・」
(フッ・・・冗談だよ、分離もきっと可能なはずさ。では何故、分離しないのか・・・ほら、君にも聴こえてきただろう?)
「え?」
私が思わず耳を澄ますと、遠くの方から阿鼻叫喚な悲鳴が大量に響いて来ているのを、なんとか察知する事ができた。
「これはまさか・・・囚われていた人達が、襲われている?」
(御明察♪ 世界の最適解たる群の異形を倒したわけだからね、通常迎撃シフトへ変更したんだろう。つまり、各々の異形に襲われているわけだ)
「えぇ・・・薔薇の異形を倒したら、それで終わりじゃないんですね・・・面倒臭い」
(まあまあ、今の私達なら対抗策無しでも異形を屠れるわけだし・・・ほら、お待ちかねの鎧袖一触だよ?)
「別に楽しみにしてませんよ・・・あぁ、しんどい・・・気を抜いてからのハプニングはヤル気が出ない・・・ちょっと休憩してからで良いですよね? 一度捕まって記憶に蓋してくれてからの方が、色々と都合も良い事ですし?」
(その言動、まさに鬼畜・・・まあ、私も同意見なんだけどね♪ 大悪を打倒した君を、誰も叱る事は出来ないさ・・・大いに休むと良い)
「そうしましょう、そうしましょう・・・」
この後、大の字になって呼吸を調えていた私は、自力で切り抜けてきた辻ヶ花と納谷に叱り付けられるのであった。大変に、遺憾である。
結果的に、私立蕀ノ坂学園で起きた昏倒事件は、大きな問題には成らなかった。
現実時間的には15分強の出来事とはいえ、数百人の人間が気を失っていたのだから、本来は問題にならないわけがない。実際に、目覚めた生徒達や教師の間では様々な流言飛語が飛び交った。テロ、ガス漏れ、集団催眠、うたた寝、改修工事中の体育館から飛来したシンナー、宇宙人による集団拉致等など、狙い通り深層世界や前後の空中舞踊の記憶が封じられていた事は良かったが、事態は退っ引きならない段階にまで発展しようとしていた。
そんな時、事態を収拾させたのが、生徒会長による緊急放送だった。集団昏倒を、五月病が招いた集団心理の暴走、つまりは怠慢の顕れであると断言したのである。あまりの暴論に私は噴き出しそうになったのだが、腐っても生徒会長、誰もが明確な答えを欲していたタイミングを逃さなかった事で、皆にそうなのかもしれないという正に集団心理を植え付けたのだ。後は簡単、威厳や世間体を守りたい学校側は口を閉ざし、生徒達もまた怠惰と認定されても困るので話題にするのを避け始め、SNS等へ拡散する者も現れなかった。集団催眠が起きていたとすれば、正にこの時である。
こうして昏倒事件は、事件の首謀者である三賢寺先輩の人心掌握によって闇へ葬られ、白昼夢の様なものだと後年には笑い話へ変貌してしまう。ちなみに、この影響をモロに受けた中間テストでは、平均点が急上昇するという珍事も発生している。事件の全貌を知る極僅かな面々は、暴論を基軸にしようが日常へと回帰したがる人間の性質に、苦笑いを浮かべるしかなかった。
あれから2週間、緑の葉だけになってしまった薔薇園は、今も閑散としてしまっている。相変わらず中庭の方が人気で、屋上は仄暗い秘密を共有する面子が集まる場所でしかないのだ。
「あ~あ・・・疲れた」
私はベンチの背凭れに身体を預け、全力で欠伸をした。たった今まで、三賢寺先輩と戦後処理の話し合いの場を設けていたのである。
(フッ・・・お疲れさま、次期生徒会長殿?)
「茶化さないでくださいよぅ、御南花さん・・・俺は嫌なんですから」
三賢寺先輩に、深層墜としに関わる全ての物品ならびに情報を引き渡すよう再三要請しているのだが、この情報を引き渡すのは次代の生徒会長のみと彼女は譲らず、私が生徒会長になって取り扱いは好きにすれば良いと主張している。最近は、その為の後ろ楯にもなるし、業務内容も手取り足取り教え込むと息巻いてしまい、私がひたすら勧誘されるというアベコベな状況に陥っていた。
今日も例に漏れず、譲渡拒否と生徒会長推薦の話で時間を浪費してしまっている。
「どうにも三賢寺先輩、楽しんでいる節があるんだよなぁ・・・御南花さん、感じませんでした?」
(さあ? でも深層墜としの業から離れたら、憑き物が落ちた様に朗らかになったと見えなくもない・・・相当な苦慮と決意が渦巻いていたんじゃあないかな?)
「そんな解り易い人ですかねぇ・・・黒幕だっただけあって、本当に食えない人だと思いますよ」
(毒針を与えたのは、何れも人間関係にトラブルを抱えた生徒ばかり・・・しかも今回の事件を機に、全員がそれを解消している。事件を揉み消す時の手際といい、まるで失敗する事を前提にしていたみたいだよ)
「止めて欲しかった的な事言ってましたもんねぇ・・・でも計画的には、俺達が転校して来なかったら、大成功してましたよね?」
(そうかもしれないし、違ったかもしれない)
「はいはい・・・さもありなんですね、分かります」
(ifを想像しても、益は無いという事さ・・・それよりも、これからについて考えたらどうだい? 君の手中には、深層への鍵と私という力が存在しているんだ。君はそれを、どうしていくつもりなんだい?)
「それは・・・」
御南花さんは結局、私と一体化したままである。何でも、昏倒事件の際に深層と現実を行き来するルートを見つけたらしく、時折頭の中から消えては、いつの間にか戻っていたりする毎日だ。
加えて昏倒事件の際に異形が行なった様な、現実へ干渉する術を彼女は身に付けたらしい。つまり、気付かれずに人間を突き飛ばせたりするわけだ。幾らでも応用が利く、恐ろしく使い勝手良い能力である。とはいえ、それはやはり人の身にとって過ぎた力に他ならない。露見すれば、モルモットな未来が待ち構えていることだろう。
「とりあえず・・・今は学生生活を全うしたいですね。でも・・・もしかしたら、俺も先輩の様に薔薇の呪いの誘惑に負けて、深層世界を私的に利用してしまうかもしれない。その時は・・・よろしくお願いしますね?」
(もちろん、手を貸すよ・・・私たちは必ずしも、正義の徒ではないからね)
「三賢寺先輩は意図的に被害範囲を狭めていた。だが仮に今回の騒動を全国規模、いや世界規模で引き起こせたら、おそらく人間は絶滅していたでしょう・・・この手に、不条理で凝り固まった世界を、振り出しに戻すことが出来る力がある・・そう考えるだけで今は、心が安らかになりますよ。もう、大抵の事では挫けないでしょうね」
(おいおい、君が挫けたら人間種は絶滅させられるのかい?)
「あはは・・・大丈夫ですって、そんな大それた事をするには相応の覚悟が必要になりますし・・・俺という存在は一人だけど、もう独りじゃない。それでも歯止めが効かなくなった時は、今回の俺達みたいな人が現れて、きっと――」
その時、荒々しく扉が開いた。数人分の、聴き馴染みのある声が耳に届く。ひょんな出来事から、昼休みにおける先輩後輩の垣根は取り払われてしまったのだ。今日もまた、矢継さんと辻ヶ花が何やら激しく討論しているらしい。もうすぐ私も、その不毛な論争に巻き込まれる事になるのだろう。だが、それが面白い。奇怪な世界がキッカケとなり、意図せず生じてしまった不思議な人間関係。これが在るうちは、薔薇の呪いも大人しくしてくれると信じている。
「きっと邪魔してくるでしょうが、俺は世界を壊しますよ」