第六章 斯くして地獄の蓋は開かれた
「何たる事だよ、まったくもう!!」
深層世界にて、私は絶叫しながら、史上最凶の異形から逃げ回っている。それを何と言い表すべきか。捕まれば最期、力ずくで去勢を行なってくる圧倒的美少女だった。
生み出したのは、浮気性で有名だという同級の男子生徒。その男子生徒が豹変したと聞き及び調査したところ、彼の心変わりに激怒した交際相手が毒針で深層送りにした事が判明した。私はその交際相手と交渉し、男子生徒が深層世界でどの様な目に遭っていたのかを細かく伝える代わりに、毒針を引き渡すという協定を結ぶに到っている。もはや男子生徒を救わなくても良いという状況だが、あの仕打ちを知って放置は出来ないというものだ。生き返る度に潰しもがれ続け、ショック死を繰り返すという負の連鎖を理解すると、臍下にヒュッと寒気が走る。共感出来てしまうのが恨めしいし、あの異形は男にしか反応しないというのも恨めしい。御南花さんが真横を普通に通り過ぎて行ったのには、不覚にも笑ってしまった。
さて、全速力の私に追い付けないと察したのか、圧倒的美少女が本性を露にしていく。四つん這いになり、髪を振り乱し、目も口もカッ開いて、今までの倍速で迫って来る。もう恐ろしさのあまり、珍妙な声を漏らしながら、ひたすらに駆けずり回った。
しかし、獣と貸した異形の速度に敵うはずもなく、飛び掛かられ、私は敢えなく取り押さえられてしまう。物凄い力で仰向けに引っ剥がされると、片方の手で首を押さえ、もう片方の手が臍の方へ降りていく。私は涙目になりながら必死に抵抗したが、こちらの拳が全く通用しない。いよいよガッチリと鷲掴まれたその時、異形の額に十字架の様な物が何者かによって押し付けられた。すると異形は悲痛な叫びを上げながら背後へ跳び退き、程無くして溶解すると、床に吸収されていった。
「やれやれ・・・間一髪というやつだね?」
頭上に目をやると、苦笑しながら手を差し伸べてくれる御南花さんが佇んでいた。
「あっ、ありがとうございますぅ・・・」
不覚にも鼻声で礼を述べながら、私は彼女の手を借りて立ち上がった。
「日本の地獄的な要素に怯えつつも、その対抗策が西洋の一神教とはね。宗教に緩いお国柄が色濃く反映されているのが面白い・・・とにかく、無事で良かったよ」
「ありがとうございます・・・あんなトラウマを植え付けられたら、これから生きていけない気がするので、大変助かりました」
「そうだね、被害を受けた主人格の子は・・・お気の毒に、としか言い様が無いね」
「Oh・・・既に手遅れだったか」
「まあ、現実には帰っていったから一先ずは安心だね・・・ほら、君も連日で疲れたろう? さっさと帰って寝直しなさい」
「はい・・・そうします」
辻ヶ花と納谷の一件から1週間の時が経ち、私の日常にも変化が生じ始めていた。中でも顕著なのが、昼休みの前半で矢継さん達と昼食を摂った後、昼休みの後半に辻ヶ花とも昼食を摂るという不可思議な状態になってしている事だろうか。前者は学校生活を円滑に進める上で必要であり、後者は毒針の在処を探る上で有益な時間なので仕方がない。
「辻ヶ花さんの読み通り、二年生のプレイボーイも墜とされていたよ」
中庭のベンチにて、やや遅めのランチを摂る後輩達の隣で、私はパック封入のコーヒーをストローで吸い上げている。あくまで、偶然居合わせただけだと言い張れる距離感で。
「ああ、やっぱりですか? この前まで、しつこくナンパしてきたのにパッタリと来なくなったものですから・・・死んだか殺されたんだと思ってましたよ」
「いや、死んではいないからね? 肉体的には・・・だけど」
「精神は逝っちまったんですね、ざまあみろですよ・・・というか先輩、お昼がコーヒーだけって、分不相応にダイエットでもしてるんですか?」
「一言多いぞぅ・・・先輩はね、お昼食べて来てるの。ここでも食べたら、ダイエットどころか肥え太るから・・・肥え太った先輩は嫌でしょう?」
「それは見苦しいので嫌ですけど・・・先輩、明らかに窶れてきてません?」
「え? ああ・・・最近毒針に耐性が出来たのか、1本じゃ足りなくて2本刺しているから・・・そのせいかも?」
「うっわ、爛れてるなぁ・・・・・・お弁当、分けて上げましょうか?」
「いや、食欲が――」
「優香のお弁当、手作りなんですよ♪」
私が丁重な断りの言葉を掻き消す様に、納谷が意気揚々と参戦してきた。
「手作り・・・手作り!? 鍋とか爆発させるタイプかと思ってたよ」
「おい、いつの時代のイメージだ、それは! というか、友里亜は黙ってなさい。無駄にハードルが上がるだけだから!」
「そう? フォローしようとしただけなんだけど・・・それじゃあ先輩、冷食だらけの私のお弁当から摘まみます?」
「あざとい!? あざといよコイツ・・・さすが、数年掛けて私を憑り殺そうとしてだけの事はあるわね」
「本当に失礼な子ね? せっかく天の邪鬼に、素直になれる流れを作ってあげようとしたのに」
「あんだって?」
箸を握ったまま、一触即発の様相で睨み合う二人の様子を見て、私は思わず笑いのツボを刺激されてしまう。
「あはは、また仲良くなれて良かったね?」
『仲良くないです』
「えぇ・・・自然体に見えたんだけどなぁ?」
「それも言ったじゃないですか・・・テロリズムを敵として定めた私達は、現在という時期を乗り切る為に手を組む事にしただけであって・・・つまり、友達ではありません!」
「そうですよ・・・不器用な女子高生が、急に生き方を変えられなかっただけの話ですから」
「お、おぅ・・・じゃあ話題を変えようかな? 今週に入ってから、もう3件の深層墜としが過去最高の頻度で発生しているんだけど・・・納谷さん、黒幕について教えてくれる気になったりしてないかな?」
「・・・この間、私の保有する針を委譲した時に言った通りです。知りうる情報や深層へ落とされたとおぼしき人を見つけたらお知らせしますが・・・あの人の正体については明かせません、ごめんなさい」
「そっか・・・黒幕を説教すれば、深層墜としも終息すると思ったんだけどな」
「説教なんかい・・・というか先輩、友里亜を拷問して正体吐かせれば良いんじゃないっすか? まどろっこしくて仕方がないですよ・・・」
「手荒な事はちょっと・・・拷問なんてすれば、俺がリアルで捕まっちゃうから」
「正念場で何を悠長な・・・戦いにおいて、情報こそが何よりも重要なリソースなんですよ? 闘いに勝って勝負に負けるつもりですか?」
「そんなつもりは無いから、安心して? 手荒な事をしたくないのは、誰もが義理堅さで黒幕の正体を明かしてくれないからだよ。恐怖心や強迫ではなく感謝や尊敬で動いている人達から、力と苦痛で黒幕の正体を聞き出そうする事こそ、闘いに勝って勝負に負けている状態なんじゃないかな?」
「うぅ・・・正論だけど、正論で勝てるんですか?」
「説教する為には、正論を振り翳し、正攻法で克たないと・・・説得力が無いでしょう?」
「はぁ・・・先輩はそういう人ですよね・・・だったら、私が拷問しますよ。私は、そういう人間ですから・・・」
「うふふ・・・香織は相変わらず、ガサツで可憐しいんだね。でも怖いから、香織を黙らせる秘策を使おうかな? 秘技・・・先輩に、香織の好きなタイプを教えちゃいます♪」
「はあっ!? くっ、友里亜・・・笑顔で小賢しいマネをするのは、健在のようね」
「だってそれが、香織と長く一緒に居るのに最適な性格だったんだもの・・・ほらほら、どうするの?」
「くっ・・・私とした事が、本当に友里亜には隙を見せ過ぎていたのね・・・良いわ、今日のところは見逃してあげる」
「は~い、最近は素直さが増してきて、友達(偽)として嬉しいな♪ というわけで、私が最大限配慮したヒントを使い、あの人にたどり着いてくださいね?」
「ヒント? ああ、この前のやつだね。確か・・・あの人の顔は誰もが知っている、だったっけ?」
「ええ、その通りです♪ ほぼ答えみたいなヒントなので、後は頑張ってくださいね?」
「それが解らなくて困っているんだけどな・・・何か思い付く、辻ヶ花さん?」
「先輩、あれじゃないですか? 誰もが顔を知っていると言えば・・・校長?」
「なるほど、校長か・・・学校のトップが黒幕、その発想は無かった」
「ほら、あの武者居たじゃないですか? あれ校長室に置いてあるのと似ていた様な気がして・・・どうなの、友里亜?」
「う~ん、正解不正解のコメントは控えたいんだけど・・・校長先生って、誰もが義理で口をつぐむ程に尊敬されていると思う?」
「あぁ・・・・・・先輩、やっぱり今のは忘れてください」
「あはは、酷い言われ様だな校長先生・・・それじゃあ、誰もが顔を知っていて、誰もが尊敬する人物を捜してみるとするよ。そんな人間が実在するなら、むしろ会ってみたいし」
「案外あの人も、会うのを楽しみにしているかもしれませんよ・・・それはそうと、深層墜としの頻度ですけど、さらに加速していくと思いますよ?」
「納谷さんが複数本の針を所持していたのは、針を生徒間にバラ蒔く係だったから・・・だっけ?」
「はい・・・ですが私は、香織を仕留めるのに苦戦して、使い込んでしまったんですけどね。 他の運び屋さん達は本懐を遂げながら拡散に成功、毒針は学校中に伝播しているみたいですよ?」
「くっ・・・いったいどれだけの人間が、深層へ墜とされてしまうのか・・・考えただけで目眩がしてくるよ」
「えっと・・・私が渡された本数は10本で、使用限度が二三回ですから・・・運び屋一人で一つのクラスを墜とせる規模でしょうか。全体の被害を割り出す為の、運び屋の数が判りませんけど、そう多くはないと思いますよ」
「それでも、15人の運び屋が居れば、全学生を墜とす事も可能なんだね・・・・・・あれ、そういえば毒針に使用限度なんて有ったの!?」
「物質に劣化が有るのは当然ですよ。先ほど、毒針の効きが悪くなったと仰ってましたけど、単純に使用限度を超過してしまったのでは?」
「なるほど、そうだったのか・・・となると、俺が単独で深層へ行ける回数も限られてくるな・・・ちゃんと考えて使わないと」
深層墜としの被害者が出た際に、深層へ墜ちる手段が無いとなると、困ったことになってしまう。今晩にでも針の選別をし、最大回数を割り出したいところである。そんな風に、私が無言で思考を働かせていると、不意に口内へ何かを押し込まれた。舌が感じたところによると、どうやら唐揚げの様である。
「つまり先輩が窶れているのは、疲労のせいって事じゃないっすか・・・これは、迷惑掛けたお詫びみたいなものです」
犯人は辻ヶ花の様だ。一応、迷惑ではないと伝えるべく、口内の唐揚げを咀嚼する。鶏胸肉を小麦粉で揚げたものらしく、さっぱりとしていて、昼食後といえど苦にはならない代物だった。
「うん、美味しい・・・もう一個頂戴?」
「嫌ですよ、私の御昼なんですから。貴重な唐揚げを、どれだけ惜しみながら提供したことか―――って、友里亜! 今食べたでしょう!?」
「御嬢様の癖に腕を上げたねぇ・・・ほら、冷食の唐揚げあげるから、ね?」
「冷食のは嫌い! 個人では超えられない旨味に悔しくなるから!」
冷食の唐揚げを食べさせようとする納谷と、それに抗う辻ヶ花。その微笑ましさに苦笑しつつ、私は辻ヶ花の唐揚げをもう一つ拝借、こっそりとその場を後にした。
放課後、私は約定通りに、あの男子生徒が深層世界でどんな目に遭っていたのかを、墜とした張本人へ伝えに行った。
彼女は男子生徒の悲惨な扱いを聴いて爆笑し、潔く毒針を譲渡してくれた。複雑な心境だったが敢えて深堀せず、毒針をバラ蒔くあの人について聞いてみたが、毒針は友人経由で回ってきたもので、黒幕とは直接会った事は無いらしい。そう、既に毒針はねずみ算式に拡がり、その被害が散発的に出始めているのである。
こうなると、危惧していた事態が現実のモノになってしまいかねない。思い悩んだ私は、何だか帰宅する気になれず、気が付けば屋上へと足を運んでいた。屋上へ続く扉のノブを握り捻ったところで、屋上からする話し声が耳に届く。珍しく、先客が居るらしい。密談には最適なこの場所、邪魔しては悪いので私は引き返そうとした。したのだが、漏れ聴こえた声に馴染みがあり、返そうとした踵を押し留めてしまう。
「・・・矢継さん?」
聴こえてくる声は、おそらく矢継さんのものである。そして、相手の方の声にも覚えがあった。誰かは判らないが、馴染みのある組み合わせではないのは確かだ。気になった私は、扉を少し開け、屋上の様子を垣間見ようと試みる。だがしかし、いの一番に見えたのは、こちらへ歩み寄ってくる矢継さんの姿だった。バレたのかと総毛立ったが、どうもそうではないらしい。私は意を決し、先に扉を開く事にした。
「・・・あれっ、矢継さん?」
そしてこの、わざとらしい反応である。矢継さんは私を見て目を丸くしていたが、何も言わず、そのまま脇を抜けて屋上から立ち去ってしまった。素っ気ないのはいつもの事だが、ここまで顕著なのは知り合って間もない頃の様だ。
「あら・・・お久しぶりね?」
人差し指で頬を掻きながら階段を降りていく矢継さんを見送っていると、屋上の方からお呼びが掛かった。振り返ってみると、時折出会う名前を知らない先輩がベンチの一つに腰掛けているのが確認できた。他に人が見当たらない事から、矢継さんと話していたのは、この先輩という事になる。道理で、聞き覚えがあるわけだ。
「どうも、ご無沙汰しています・・・」
すぐに立ち去ろうとしたのだが、先輩は微笑を浮かべながら、私の事を手招いてきている。別段、圧を感じさせる人ではないのだが、この時ばかりは得も言われぬ強制力があった。
「聴いてた?」
静静と先輩の元まで近付いていくと、そう満面の笑みで問い掛けられた。
「いえ、来たばかりですけど?」
得意のすっとぼけで答えると、先輩は納得した様に頷いてくれた。内容は聴いていないのだから、間違いではない。
「そう、疑ってごめんなさい。ちょっとプライベートな話をしていたものだから・・・・・・君は、どうして屋上へ?」
「え? ああ・・・ちょっと考え事がしたくて、立ち寄ったんですよ。まあ、誰も居ないと思っていたんですけどね」
「そうね・・・誰からも嫌われる場所だものね、此処は」
「そこはかとなく怖がられてますよね・・・何か原因になる事件とか、あったんですか?」
「さあ、特に何も無かったはずだけれど・・・強いて言えば、伝説のせいかしら?」
「伝説・・・以前教えてくださった、願いが叶う系のやつですか?」
「ええ・・・見付けられると、本当に願いが叶うのだけれど、結末は決まって悲劇になるそうなの。偶々やって来て、もし見付けてしまったら、嫌でしょう?」
「それはドラマチックですけど、嫌ですねぇ・・・でも、伝説について他で聴いた事が無いので、もしかしたらハッキリしない嫌悪感だけが伝播したのかも?」
「その通りかもしれないわね・・・生徒会で真しやかに語り継がれてきた伝説だから」
「へぇ・・・先輩って、生徒会の方だったんですか?」
「ええ・・・ちょっと会長として名を連ねているだけよ」
「そうですか、会長を・・・・・・ん? 生徒会の会長?」
「そう、生徒会長・・・知らなかった?」
「すっ、すみません・・・勉強不足でお恥ずかしい限りです」
「ふふっ・・・転校生だからと開き直るのではなく、勉強不足だったと反省する事は、大変好ましいと思うわよ?」
「買い被られているような気がしますが、ありがとうございます・・・この後、調べさせて頂きます」
「気にしないで、一般的に生徒会の活動なんて生徒の目に留まらないものなのでしょう? 内申点稼ぎと揶揄されるくらいだし、興味か実害が無ければ会長が誰かなんて気にする余地が無いのも頷けるわ」
「うっ・・・重ねて、謝罪致します」
「ごめんなさい、貴方を責めたい訳ではないの・・・嫌味臭い口調だと自覚し、矯正しているつもりなのだけれど、儘ならないものね。こうなると、想定以上に底意地がひねくれているのかもしれないわ」
「それは・・・穏やかでは、ありませんね」
「ええ・・・人の本性は変えられない、物心という表皮でお茶を濁しているに過ぎないから・・・貴方にも、そんな悩みはある?」
「俺ですか? う~ん・・・確かにありましたけど、解決済みですね。先ぱ―――会長も、よく屋上へ足を運んでいる様ですけど・・・そういう考え事が有るからですか?」
「ふふっ、先輩に違いないのだから先輩で構わないわよ・・・屋上へ来るのは趣味と実益を兼ねてかしら。この薔薇園を管理しているのは生徒会、特に生徒会長の仕事なの。一口に管理と言っても、薔薇園を見守り、異常が有ったら業者の方に依頼するだけの些末なお仕事だけれど」
「そうだったんですか・・・そうですよね、そうでないと此れだけのモノを綺麗に維持出来ませんよね」
「綺麗と称賛される事が少ないから、貴重な意見をありがとう・・・さて、放課後という事もあって、だいぶ話し込んでしまったわね。考え事の邪魔をしてしまって、ごめんなさい」
「いえいえ、もはや何を悩んでいたのかも忘れてしまったので、大丈夫です♪ それでは、帰宅する事にしますね」
「ええ、気を付けてね? 有意義な時間をありがとう・・・また明日」
薔薇を見上げる先輩に一礼してから、私は屋上を後にした。もちろん帰宅してから、悩み事を思いだし、何も解決していない事に悶え苦しむ事になる。
「昨日、何故屋上へ来たの?」
明くる登校日、自席に着いた私は矢継さんに問い掛けられた。質問というより、詰問の様相を呈しており、徒ならない雰囲気である。
「ちょっと用事帰りに寄ろうとしただけだよ・・・会長さんにも聞かれたけど、会話の内容は聴いていないからね?」
「・・・会長と話したの?」
「え? うん、世間話をね。何度か会った事があるんだけど、昨日初めて生徒会長だって知ったよ・・・あれ、未だ名前知らないや」
「そう・・・出会っていたのね」
「ん? うん・・・矢継さんは、どういう知り合いなの?」
何の気なしに探りを入れたところ、矢継さんに鋭い眼光を放たれてしまったが、やがて諦めた様に口を開いてくれた。
「前に、私がトラブっている所を会長に見られてたの。それ以来、時たまトラブルについてのヒアリングを受けているだけ・・・もう心配いらないって、昨日伝えたから」
「・・・そっか」
トラブルというのは、笹木達との一件だろう。そういえば、先輩と初めて遭遇した時、矢継さんの様子を気にしていた様な気がする。彼女との会話は、何となく気まずくなり、そこで打ち切りとなった。隙あらば、こちらの詮索をしてきていた矢継さんらしからぬ反応である。
授業が始まってからも、私は矢継さんの反応に引っ掛かりを覚えていた。今の矢継さんはまさに、トラブルを抱えていた頃の彼女そのものに相違無い。つまり、何か隠し事をしているというわけだ。では、何を隠している。矢継さんが私に隠している事と言えば何か。そう、私に明かしてくれていないのは、黒幕の正体である。
では、黒幕について考えてみよう。意識を強制的に深層へ墜とす毒針を作り、校内へバラ蒔いた怪人物。納谷曰く、誰もがその顔を知り、誰もが畏敬の念を抱く。校長や恐らく教師よりも身近な存在なのだろう。そこへ、矢継さんの不可解な態度を加味すると、どうなっていくのか。その答えを弾き出すには、未だピースが足りていない。
そう思い至ったのは、4限目の英語の授業中であった。ちょうど良く、発音の練習として前後の席でペアを組まされたので、前の席の南野さんに質問を投げ掛けてみる。
「南野さん、ちょっと英語と関係ない事、聞いても良いかな?」
「え? ・・・今ですか? 授業中ですよ?」
「ちょっと、気になる事があってさ。物識りな南野さんなら、何か知ってるかと思って・・・」
「物識り? 頼られては仕方ないですねぇ・・・何ですか?」
「南野さん、生徒会長の顔って知ってる?」
「はい、存じ上げていますよ?」
「それって、皆知ってるものなのかな?」
「知っていると思いますよ、有名な方ですからね」
「有名って、何が?」
「三賢寺未夢先輩、蕀ノ坂学園の女子高時代を知る最後の生徒会長ですからね。凜然としていながら人当たりが良いので人気が高いんですよ? 何でも、ファンクラブまで存在しているとか。信じられますか、一生徒にファンですよ? 私も憧れています♪」
「そ、そうなんだ・・・ありがとう」
これで私は、物識りを焚き付けると後が大変という教訓と黒幕についての目星を得る事が出来た。
黒幕は、あの生徒会長なのではないか。そう考えてみると、不思議と腑に落ちてくる。証拠も確信も無いのだが、あの人なら義理立てられるのも解る気がするのだ。もし私がそちら側だったとしても、同じく口を閉ざしていた事だろう証拠や動機は、鎌をかけて聞き出すとして、問い質す前に納谷辺りで答え合わせをしておくべきか。
南野さんの生徒会長伝説を聞き流しながら、私が考えに耽っていると、唐突に絹を裂く様な悲鳴が教室内で上がった。叫んだのはクラスメイトの一人で、窓の外を指差しながら、顔面蒼白となって震えている。小さな声だが、窓の外に変なモノが居たと主張しているようだ。
「・・・何も居ませんよね?」
窓の外を窺ってから、南野さんが私に問い掛けてきた。私の見た限りでも、怪しい人影などは見当たらない。そもそも、ここは2Fなので人が居るわけも無いのだが。
「うん、何も居な――ッ!?」
振り返った私は、目にした光景に言葉を失ってしまった。先程、悲鳴を上げた生徒が宙を舞い、教室後方の壁に叩き付けられていたのである。何が起きたのか判らず、教室内の誰もが息を呑む。しばしの静寂、だがそれも長くは続かなかった。
瞬く間に教室中から悲鳴が上がり、クラスは阿鼻叫喚の地獄と化してしまう。化け物、怪物、妖怪、そして悪霊、異形を意味するあらゆる言葉が錯綜し、クラスメイト達がまるで見えない何かと闘うかの様に暴れ出す。かと思えば、ワイヤーアクションばりに宙を舞い、方々に吹き飛ばされていく。一連の恐慌は教師も例外ではない、恐怖に染まりきった顔で、黒板に爪を立てながら崩れ落ちていくのが見えた。
さらに私は、この状況下でも顔色一つ変えないクラスメイトの存在にも気が付いた。その様子は、意識が深層に囚われていた笹木達を思い起こさせる。今まで気にかけていなかったが、10人弱のクラスメイトが心神耗弱状態に陥っていたのだ。
そして状態を把握し切り前に、私の周囲でも悲鳴が上がり始めた。南野さん、真鍋さん、そして矢継さんまでもが金切り声を発しながら、手や足をバタつかせて暴れ出す。声を掛け、どうにか落ち着かせようとしたが叶わず、やがて沫を噴いて昏倒してしまった。気が付けば、教室内で意識を保ち、立っている人間は私だけになっていた。
「・・・駒井君」
私が呆然と立ち尽くしていると、何処からか声が聴こえた。聴き馴染みのある声、私は反射的に、声に応えてしまう。
「御南花・・・さん?」
顧みると、御南花さんが私の机に腰掛けている。あの世界へ墜ちた際に、私が最初に見る光景が背後に存在していた
「そんな、俺は・・・・・・いつの間に深層へ、墜ちていたんですか?」
「いいや・・・残念ながら君は、未だ深層へ墜ちてはいないよ。今は紛れもない、現実の真っ只中さ」
「現実? これが? この惨状が? ・・・・・・何が起きているのか、知っているんですか?」
「知らないよ、でも推察は出来る・・・君は何故、深層世界が学校の形をしているか解るかい?」
「え? それは・・・学校で針を刺されたから、とか?」
「当たらずとも遠からずといったところだね・・・深層は現実の合わせ鏡の様な場所だけれど、道が断絶していて場所毎に独立した空間になっているんだ。どの場所に墜ちるかは、その人が何処に重きを置いているかで分かれてくる。学生や教師の大半は、家と学校のピストン輸送だからね。厄介事を抱え易い学校へ墜ちてくるというわけさ」
「はぁ・・・それが現状と何の関係が?」
「深層の、特に一空間へ意識が大量に墜ちてくると、異常事態を引き起こすみたいなんだ。昨日から今日に掛けて、今までの比では無い数の意識が深層へ墜ちて来たんだよ、それはもう降りしきる雨の様にね。すると驚くべき事に、深層と現実の境界線が曖昧になり、この学校が局地的に特異点化してしまったんだ」
「あの・・・解り易く言うと?」
「えぇ、無茶振るねぇ・・・事前に大量の意識が墜とされたインパクトで、この学校内に居る人間に対して深層の異形が干渉出来る様になってしまい、その異形が無理矢理意識だけを連れ去ってしまっているって事なんだよ」
「つまり・・・校舎内に居る人間全てが、深層へ墜とされた?」
「はい、御明察♪ 然りとて止める手立ては、もはや無いけど・・・どうする?」
「どうするって・・・止める手立ては無くても、解決する手が無いわけじゃあないですよね?」
「フッ・・・まあね、君が身を粉にすれば、不可能では無いと思うよ。まあ、並大抵の苦労では済まないと覚悟するんだね」
「はい、善処します!」
「素直だねぇ・・・さて、深層へ御招待する前に、君に告白しないといけない事があるんだ」
「ん? ・・・・・・何ですか?」
「君は気にしていたよね? 何故、自分の恐怖心が襲って来ないのかってさ・・・・・・それはね、恐怖心が異形化していないわけでも、超巨大で来るのに時間が掛かっているわけでもなく・・・ずっと君を、傍で支えていたからなんだよ」
「えっと・・・それって、どういう意味なんですか、御南花さん?」
「解っているのに、分からないフリをするのは良くないね・・・御南花君依なんて人間は居なかった、先輩サバイバーなんて存在しなかった、私こそが君の恐怖心、君の異形なんだよ」
「御南花さんが、俺の恐怖心? こんな緊急時に、反応に困る冗談は止めてくださいよ・・・」
「緊急時にふざけているのは、君の方だよ。頭では辻褄が合っているのだろう? 自分を相手に、一般人のフリなんてしなくても良いんだ・・・」
「・・・・・・そうですね、過去の出来事を振り返ってみれば、この展開は想定の範囲内と言えます。でも判らないのは、正体を隠してきたのは何故なのか。そして、今それをカミングアウトしたのは何故なのか・・・簡潔に教えて頂けますか?」
「そう来なくては・・・素性を隠していたのは、君がそう願っていたからさ。無意識の内、私の正体に薄々勘付いていた君は、同じく無意識下で私が敵として豹変する事を恐れていた。私はそれを察知し、遠回しに否定する事で、君が目的達成に注力出来る様に促していたんだよ・・・だけどもう、隠している余裕は無くなった。君の目的を達成するには、私の正体を語る事が不可欠だったからね」
「・・・教えてください、その方法を」
「ああ、もちろん・・・今の深層では、これまで培ってきたルールが適応されない本当の化け物がのさばっている。これを打倒するのは、人の身ではちょっと無理、いや不可能なんだよ・・・・・・さて、在来の異形の話を覚えているかな? 彼らは主人格を喰らい、自らの情報量を増す事で永続的な存在価値を得ている。つまり、パワーアップしているわけだ」
「主人格を異形が喰らう・・・まさか同じ事を、俺を喰らうつもりですか?」
「流石は私、話が早い・・・けど、少し違うよ。君が、私を取り込むのさ。異形が主人格を取り込むのは、足りないピースを埋めたいという、世界が付与した渇望のせいなんだ。ゆえに在来の異形とは1+1=1、1の皮に1の身が入った事で、ようやく1に成れた存在に他ならない。ならば、満ち足りている主人格が、異形を取り込んだらどうなると思う? 1+1=2となり、異形を凌駕する情報の密度を得られるはずなんだ。端的に言えば、在来の異形なんて鎧袖一触というわけさ」
「う~ん・・・その表現だと、主人格と異形は同価値ってことになりますよね? 何で異形に圧倒されるんです?」
「それは深層世界が、異形達のホームだから。アウェーの主人格とのパワーバランスが著しく狂う程の付加価値が与えられるんだよ。1+1というのは、例えでしかないのさ」
「なるほど・・・御南花さんを取り込む事で、俺自身が異形であるかの様に誤認させ、人の身に付加価値を乗せようというわけですね? それなら、深層から全員を救い出す事が可能になるかも知れませんね!」
「理解してくれて助かるよ・・・だけど、この方法には問題もある。私を信じ、恐怖心を受け入れられるか、それが問題なんだよ」
「ふむ・・・信用はしているから良いとして、恐怖心を受け入れ方とかあるんですか?」
「ちょっと待って・・・信用するの早くない? 自分で言うのも変な感じだけど、嘘を付いている可能性の方が高いんだよ? 君を騙して取り込んで、在来の異形みたいに成ろうとしているだけかもしれない・・・なのに君は、同じ様に信用出来ると言えるのかい?」
「言えますよ? だって素で俺より強いのに、わざわざ騙して取り込む必要なんてないじゃないですか? それに以前、御南花さん言ったじゃないですか、自分には心が有るって・・・他とは違うって言葉、信じちゃ駄目ですか?」
「・・・・・・これは、一本取られた。私の後釜は、とんだ楽観主義者みたいだね」
「えっと・・・後釜?」
「心はね、着せ替え人形みたいなものなんだよ。本性という剥き出しの感情に物心という服を着せることから始まり、試着を繰り返すように人格形成が進み、好みという大体の形が作られる。覚えているだろう、数ヵ月前の大きな失敗を?」
「数ヵ月、俺は・・・他人の心に、深い傷を負わせてしまった。自意識を抑え込めなかったせいなのに、アイツは・・・」
「そう・・・あの失敗を契機に、本性は私という衣服に恐怖した。理路整然と言葉巧みに他人を傷付ける、抜き身の刃の様な私。それは他人のみならず、自らをもボロボロにしていく諸刃の剣・・・誰にでも起こりうる自分を変えなきゃという瞬間、多くは既存の服をより良くする加工を施すものだけれど、私の場合は違った。本性は私を恐れるあまり、全てを忌み嫌い、痕跡残さず入れ換えを図ったのさ。そうして私は恐怖の対象となり、本性を包み隠す新たな服として君が創造されたというわけだ。正論で殴り倒し、自我を完膚無きまでに踏みにじった私を、泣き笑いながら赦した人物を基にしてね」
「まったく、最強のカウンターだったよね・・・一撃で、こっちのアイデンティティを粉砕したんだから。自己嫌悪で登校拒否になりかけたから、見かねた養父に、この学校へ登校させられてきた。だから次は、絶対に間違えないって息巻いてね」
「そう・・・間違えないと決めた時、私は自らの意思によって地獄へ身を投げた。後事を君に託してね・・・後は犯した罪を抱きながら、深層でたゆたっているつもりだったのに。まさか、後釜である君まで深層へ墜ちてきたものだから、ビックリしたよ・・・実体を得たら、身体が女性でさらに驚いたけど」
「皮肉かもだけど・・・自分を忌み嫌った俺だから、そんな俺を赦し助けると決めた先輩サバイバーだからこそ、この事態に対処出来るのかもしれない。さあ、御南花さん・・・御南花さんで良いのかな?」
「フッ・・・うん、良いよ。今は君こそが、駒井瓢なんだから。それに俺や私じゃ、ややこしいものね?」
「あはは、確かに・・・では御南花さん、異形に成る方法を教えてもらえるかな?」
「ああ、もちろん・・・だけど言葉で説明していても埒が明かない。深層へ墜ちてから、行動開始しよう・・・さて、準備は良いかな?」
「もちろん、準備Oーーー駄目だ、ちょっと待って!?」
「どうしたの? トイレ?」
「違いますよ! 皆が倒れているなら、火の元をチェックしておかないと・・・家庭科室と理科室を覗いてから行きますね!?」
「ハハッ・・・私、いや君らしいよ。私も付いて行くから、焦らず片付けよう」
こうして私は、全校生徒ならび関係者一同を救出すべく、その第一歩を踏み出すのであった。
『マッチ一本、火事の元!』