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深層墜とし  作者: Arpad
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第五章 人を呪わば墜とされる

 気が付くと教室に座っていたという体験は、これで3回目である。そして、その姿を御南花さんに正面から見下ろされるのは2回目だ。

「あはは、お久しぶりです・・・えっと、御元気でしたか?」

「口酸っぱく危険だと言っているのに、君は性懲りも無く、やって来てしまうんだい?」

「運が悪いから・・・でしょうかね?」

「では、今回の不運について聴かせてもらおうかな?」

「・・・はい」

 私は毒針が相当数出回っている事と、既に被害者が出てしまっている事について、簡潔に説明していった。

「意識を強制的に深層へ墜とす儀式、深層墜としの意図的な流行促進・・・それに伴う惨事を案じた君の行動・・・そして新たな被害者、ね。確かに、君が大人しくしていられないわけだ」

「すみません、自ら火中の栗を取りに行ってしまって・・・見事に巻き添えを食ってしまいました」

「ふふっ・・・巻き添えを食わずとも、君はここへ来ていただろうさ。これから墜ちてくる子を、助けにね?」

「すっかりお見通しというわけですか・・・いや、それは最初からだっけ?」

「まあ、どちらも大差無い事さ・・・それよりも、件の子が墜ちてきたみたいだよ?」

「えっ、本当ですか? そういうのって、どうやって判るんです?」

「大気が震える様な感触・・・君には、判ったかい?」

「いえ・・・何も」

「そっか、やはりそういう・・・ほら、私はもはや異形側に片足を突っ込んだ存在じゃない? きっと・・・墜ちてきた異物の、餌の場所が伝わってきているんだよ。異物の排除こそ、この世界の意思なのだから」

「御南花さん・・・」

「ふふっ、そんなに心配してくれなくても大丈夫だよ? 異形と違って私には、曲りなりにも心が有るのだから・・・さあ、迷い子を助けに行こうじゃないか。異物を排除したいなら、帰してあげれば良いだけだって、見せ付ける為に」

「御南花さん・・・はい、よろしくお願いします!」

 御南花さんに導かれ、私は一年の教室がある西校舎1Fへと駆け出した。辻ヶ花が何組かは知らないが、きっと彼女が導いてくれる。だが中央階段を駆け降り、1Fに辿り着いたその時、西校舎の方角から悲鳴が轟いてきた。言わずもがな、辻ヶ花なのだろう。

「やれやれ、やはり異形の方が素早いか・・・急ぐよ、駒井君?」

「はい、先駆けます!」

 南校舎西翼の廊下を全速力で駆け抜け、滑りながらも角を曲がると、教室から転び出て来る辻ヶ花の姿を捉える事が出来た。

「辻ヶ花さん!!」

 大声で呼び掛けると、彼女は私の存在に気付き、涙を浮かべた瞳を大きく見開いた。

「先輩!!」

 親を見つけた迷子の如く、安堵の表情を浮かべながら、こちらへ走り出す辻ヶ花。しかしその背後に、不気味な人影がヌルリと姿を現す。フードを目深に被った、ウィンドブレーカー姿の男、少なくとも私にはそう見受けられた。その手には、幅広で肉厚な一振りの軍用ナイフが握られており、より現実的な殺人鬼の様相を呈している。

「あれが・・・辻ヶ花の異形?」

 そう確認する様に呟きながら、私は辻ヶ花のカバーに入るべく、走り続けていた。あと一息で手の届く距離だというのに、異形は既に彼女の真後ろに肉薄している。手にしたナイフが振り上げられ、私の手が辻ヶ花の手を掴むよりも速く、無慈悲に振り下ろされた。

「・・・あっ」

 短く息を漏らした後、辻ヶ花は蹴躓いてしまう。私はどうにか彼女を正面から受け止めたが、掌に湿り気を感じ、背筋を悪寒が走っていった。意を即決して確認すると、掌にはベッタリと液体が付着していた。この液体なのに手にまとわりついてくる感触、電灯の無い廊下では判り難いが、鼻を突く鉄臭さからして血液で間違いない。辻ヶ花の背は、深々と袈裟に切り裂かれていたのだ。すぐに後退する為、辻ヶ花を抱え上げようとしたのだが、異形が彼女の足を鷲掴み、それを妨害してくる。どうにか引き剥がそうと足掻いてはみたが、異形は掴んだ手を食い込ませ、一向に離そうとしない。

「だからといって、渡すものか!!」

 私は四肢に力を込め、引き剥がせずとも譲らぬ構えを見せた。これが私の精一杯、後は彼女がどうにかしてくれる。

「よく耐えたね、駒井君ッ!」

 私の名を叫ぶと共に、御南花さんの膝蹴りが異形の顔面に炸裂する。容赦の欠片もない見事な一撃に、流石の異形も後方へと吹き飛ばされてしまう。これが先輩サバイバー、こんな世界を独りで生き抜いてきた人は伊達ではなかった。

「駒井君、態勢を建て直すよ? 私が時間を稼ぐから、ひたすらに逃げ続けるんだ。そして、その子を起こして対抗策を見つけてほしい」

 そう言うと、御南花さんは手にしていた合口を、鞘から抜き放った。そう、前に私が鎧武者に投げつけられた合口である。肉を抉られた当人だからこそ、すぐに認識出来た。

「ふふっ、驚いたかい? 前回の後、投げ捨てられた鞘も拾って自分の物にしたのさ。私は丸腰ではない、だから今は走って?」

「っ・・・・・・分かりました!」

 私は、傷付いた辻ヶ花を胸の前に抱き上げ、来た道を引き返し始めた。廊下の角を曲がる頃には、金属がぶつかり合う様な音が鳴り始める。御南花さんと異形の闘いが、始まったのだろう。

「くそっ・・・頼ってばかりだ!」

 私は憤りながらも考えを巡らせ、不承不承ながら、東校舎の生徒指導室へ逃げ込む事を決めた。階段の手すりを登れない現状で、一番遠い部屋だからだ。良い思い出は無かったが、気にしている場合ではない。

 昏倒する辻ヶ花を抱えたまま、廊下を真っ直ぐひた走る。荒れる息づかいに異音が混ざり始めた事に気が付いたのは、南校舎東翼の角を曲がる時である。後方に目をやると、太刀を下段に構えた鎧武者が追跡して来ていた。

 笑えてくるくらいに、最悪のタイミングだ。私には、ピッチを上げる事くらいしか出来ない。幾度か背を剣風が撫でて行ったが、上下に切断される寸前で、生徒指導室へ滑り込む事に成功した。足で閉ざしたドアを背に呼吸と鼓動を調えていると、鎧武者の悔しそうな足音が遠ざかっていくのが聴こえてくる。

「ふぅ・・・まったく、何度繰り返しても震えが止まらないな」

 あの凄惨な光景が広がっていた生徒指導室は今や、長机と数脚のパイプ椅子だけが置かれた空虚な場所に置き換わっている。とりあえず、辻ヶ花を長机の上に寝かせ、私は彼女を揺り起こすことにした。

「起きて、辻ヶ花さん!」

 肩を掴んで揺さぶり続けると、辻ヶ花の瞼がゆっくりと開いていった。覚醒に喜んだのも束の間、瞼が開き切った直後、彼女は涙を垂れ流し、狂声を発しながら暴れ始めてしまう。

「嫌だ離せ嫌だ離せ嫌だ離せ嫌だ離せ嫌だーーーッ?!?!」

 完全に正気を失っている。無理のない事だが、それでは困るのだ。私は心を鬼にして、辻ヶ花の両頬を捻り上げた。

「ひやだ! はなへ! ひや・・・ひゃい! いひゃい! 痛いっつってんだろうが、バカチンがぁ!?」

 いひゃいの辺りで、私は強烈な右フックを左頬に打ち込まれた。こいつが本当に強烈で、視界内で火花が舞い散ってしまう。

「痛っ・・・正気に戻ったかい、後輩さん?」

「あれっ・・・駒井先輩? 今のは、夢?」

「残念ながら、未だ夢の中だよ・・・それにしても、元気そうで良かった」

「元気そうって・・・そうだ私、背中を斬られて?」

 辻ヶ花は、一心不乱に背中へ手を伸ばし、傷の状態を確かめようとする。だがその手に触れたのは、何の損傷も無いブレザーの生地のみであった。

「あれ・・・何ともない?」

「何を言っているの? 君は恐怖のあまり、気絶してしまっただけだろう?」

 彼女には悪いが、ここは嘘を貫かせてもらう。背の傷が消えていた事には、長机に寝かせた時に気付いていた。おそらく、傷を負った辻ヶ花が気絶、傷を負わせた異形が御南花さんと交戦した事で、双方の意識から傷が消え失せたのだろう。御南花さんが落とされた腕を繋げてみせた時と、根本は同じだ。

「そ、そっか・・・・・・先輩、ここが先輩の言っていた場所なの?」

「ああ、そうだよ・・・あのフードの男が、君の恐怖心なんだね?」

「・・・・・・はい」

「予想外に怖がっていたみたいだけど、大丈夫?」

「それは、その・・・・・・幼稚園くらいの時の話なんですけど、実は、殺人事件に巻き込まれた事があるんです」

「殺人事件? つまり、あの異形は・・・」

「そうですよ・・・あの姿、その時の犯人にそっくりだったんです。だからかな、必要以上に動揺しちゃっ―――いえ、もう動揺なんてしませんから、大丈夫ですから」

「意地っ張りだなぁ・・・耐え切れなくなったら、言うんだよ?」

「別に・・・目の前で人が殺されて、それから人質されただけ・・・もう、昔の事ですから。さっきは目の前にナイフを突き立てられて、焦っただけですから」

「そっか・・・まあ、発狂しても頬っぺた捻り上げれば良いからね」

「また殴られたいんですか? まったく・・・何かもっと別の、ロマンティックな方法とか・・・無いんですか?」

「ロマンティックと言われてもねぇ・・・待ってよ・・・踵落とし、か?」

「おい、ロマンティックは何処に消えた?」

「漢のロマン、なんて・・・ん?」

 呆れ返って半目になっている辻ヶ花に言及する間も無く、生徒指導室のドアに衝撃が走った。何事かと顧みたところ、ドアがゆっくりと開かれ始めていた。御南花さんが無事に帰還したのか、一瞬の喜びは吹いて飛ばされ、差し込まれた手が異なる事に戦慄する。私は咄嗟にドアへ飛び付き、開放を阻止しに掛かった。

「辻ヶ花さん、今すぐ窓開けて!」

「先輩・・・ドアの向こう・・・アイツが」

「判っているなら動く!」

 強めの檄を飛ばすと、辻ヶ花は弾かれた様に動き始めた。窓を盛大に開け放ち、パイプ椅子を1脚抱えて駆け戻ってくる。

「ナイス♪」

 パイプ椅子をドアに噛ませてから、辻ヶ花を伴って窓から校舎外へと脱出する。

「止まらないで、昇降口まで走って!」

 辻ヶ花を先に走らせながら、私は後方と上空を警戒する。校舎外に出れば、十中八九、アレが襲い掛かってくるからだ。それにしても、すぐにでも鳴き声が響いてきそうなところなのに、今回は気配すら感じない。

「どうした・・・?」

 そんな折り、先を行く辻ヶ花が角を曲がろうとする背中を見て、私は初めて虫の報せというものを感じてしまう。違和感を覚えれば即行動、彼女の襟首をむんずと掴み、全力で引っ張り戻した。

「グエッ!?」

 突然に気道を潰された辻ヶ花が、踏みにじられた蛙の様な声を漏らしはしたが、最悪の事態は避ける事が出来た。あの怪鳥、角待ちで滑空してきたのである。あのまま飛び出していれば、辻ヶ花は美味しく頂かれて事だろう。散々、追いかけっこしたせいか、変な学習をしたのかもしれない。

「よく予見出来たな・・・解り合ってきたのか? ・・・嫌だけど」

「ゲホッゴホッ・・・あっ、あんなのも居るんですか?」

「まあね、よく翔んでいる・・・ほら戻ってくるよ、走って!」

「えっ!? あっ、はい・・・」

 息も絶え絶えに成りながら、昇降口まで辿り着いた私達。悔しそうな怪鳥の鳴き声を背に、休む間も無く移動を開始する。

「待ってくださいよ、先輩・・・私、もう・・・肺がひしゃげます!」

「ごめん、気になる事があるんだ!」

 辻ヶ花の異形が我々の元まで来たという事は、御南花さんはどうなってしまったのか。安否が気になり、抑えが利かないのである。西校舎へと至る角を曲がると、そこには憂えていた光景が広がっていた。

「御南花さん!?」

 囮を買って出ていた御南花さんは、壁に凭れ掛かるように力無く座り込んでいた。四肢の欠損や目立った外傷は無かったものの、ただ一点、喉元から大量に流血した形跡が見受けられる。

「ひっ・・・その人、死んで?」

 凄惨な光景に、息を呑む辻ヶ花。それは当然と言える反応だが、この世界で人が死ぬことはない。

「うぅ・・・・・・ん? 戻ってきてしまったのかい、駒井君」

「そりゃ、戻ってきますよ・・・大丈夫ですか?」

「傷は塞がっているかな? ふむ・・・塞がっているね、なら大丈夫だよ」

 私の手を借りながら立ち上がる御南花さんを見て、辻ヶ花が悲鳴を上げてしまう。気持ちは解るが、大きな音を出すのは止めて欲しいものだ。

「なっ何なんですか、その人? 大丈夫なんですか!?」

「今は、俺達を逃がす時間を稼いでくれた人と認識してくれれば良いよ」

「それと・・・傷については、気にしなくて良いよ? この場所で、死ぬことは出来ないから」

 私と御南花さんの二人掛かりで説き伏せると、辻ヶ花はよく判っていないだろうに涙を浮かべながらも頷いてくれた。

「駒井君・・・それで、対抗策は見つかったのかい?」

「あっ、未だでした・・・辻ヶ花さん、今何か持ってない?」

「いきなりそんな、何かって言われても・・・あれ、何かポケットに入って?」

 彼女が、探っていたブレザーの外ポケットから取り出したのは、なんと短身の回転式拳銃(リボルバー)だった。これほど直接的な対抗策を見るのは、初めてである。

「それが異形を倒すのに最適な武器なんだけど・・・もしかして、辻ヶ花さんは銃が使えるの? 親父さんに習っていたりするの?」

「いやいや、アメリカじゃないんだから・・・でも・・・ああ、そうか。あの時の犯人、目の前で射殺されていましたよ」

「ほんと、壮絶な経験してるんだね・・・でもまあ、これなら勝てそうだ」

「どうかな・・・あの異形は彼女の経験、つまりトラウマから生まれた存在みたいだけれど・・・闘った感じからして、刃物を持った狂人というよりも刃物の使い方を心得る恐ろしく手練れた人物の様だった。辛うじて人間の域を超えてはいないのだろうが、そんな相手を使い慣れていない拳銃で倒すのは至難の技だと思うよ」

「確かに・・・御南花さんに一撃の致命傷だけ与えて、俺達を追ってきたわけですからね。手際は良いのでしょう」

「ここは一旦、逃げよう・・・せめて、私が全快するまでは」

「逃げるって・・・そういえば、あの異形が閉めたドアを開けてきたんですけど、どういう事なんですか?」

「教室の結界が効くのは、在来の異形だけなんだよ・・・生まれたての異形は、意識を捕まえるまで何処だろうと追い掛けてくる。そして倒さない限り、主人格が目覚める事もない」

 教室の結界が効くのは在来の異形だけと聴き、ふと教室に突っ込んだ怪鳥の事を思い出す。あれはドアが締まっていなかったせいか、人が中に居なかったせいで結界として成り立っていなかったのだろう。少しだけ、疑問が晴れた気分である。

「そうなんですか? そういう大事な情報は、早めに共有してくださいよぅ・・・ビックリしました」

「ごめんよ、伝える事が多すぎてね。とにかく今は逃げ――」

 御南花さんの言葉を遮ったのは、辻ヶ花の悲鳴だった。彼女は昇降口の方を振り返り、顔を青ざめさせている。

「なっ、何か・・・武士みたいの来てますけど、ヤバイですか?」

「武者が来ているのか・・・逃げるよ、辻ヶ花さん!」

 私が御南花さんに肩を貸し、東校舎端の階段まで逃げようとしたその時、2発分の銃声が背後で木霊した。

「何してんの、辻ヶ花さん!?」

 私は、武者に対して銃撃を加えた辻ヶ花さんに声を荒げた。

「だって、この銃なら化け物倒せるって言うから・・・というか、全然効いてないみたいなんですけど?」

「・・・それは、君から生まれた異形への対抗策。他の異形、特に在来の異形に効果は無いよ」

「御南花さんの言葉は聴こえたかい? 弾を無駄にしてないで、逃げるよ!」

 御南花さんに左肩を貸し、右手で呆けている辻ヶ花の腕を掴んで、私は逃走を開始した。武者だけなら、目の前の教室に閉じ籠るだけで難を逃れられる。だが、この位置も既にあのフードの異形にバレていると考えるなら、階段で上階に逃れるしか道は無い。意識のある御南花さんなら、背負った状態で手すりを登れるだろう。

 出来る限り足早に階段へ向かってはいるが、全速力で走ってもギリギリなのだから、どんどん武者に距離を詰められていた。さらに不幸な事に、階段の正面、渡り廊下の入り口からフードの異形が姿を現してしまう。これで退路は断たれた、後は教室に逃げ込むくらいしか手は残されていない。しかし、方向を変えようとしたところで、御南花さんに制止されてしまう。

「教室だと袋のネズミ、2体の異形に踏み込まれては為す術が無くなるよ」

「それじゃあ・・・どうします?」

「ここで勝負を付けよう・・・私が武者を抑えるから、その間にもう片方の異形を倒してほしい」

「とんでもない事言い出しますね? まあ、毎度の事ではあるんですけど・・・辻ヶ花さん、悪いけど拳銃貸してくれる?」

 己の異形に今にも発砲しそうだった辻ヶ花に銃口を下ろさせ、私は優しく彼女から拳銃を奪取した。シリンダーには5発装填されており、2発無駄撃ちされたので、残りは3発という事になる。

「ここは俺と御南花さんに任せて、辻ヶ花さんは程よい位置取りで待っててね?」

 辻ヶ花が震えるように頷いたのを皮切りに、御南花さんは武者の方へ、私はフードの異形の元へと歩き出した。出来れば、私が待っているポジションに就きたいものだが、儘ならないものである。勝負は3発、分の悪い決闘になりそうだ。

「さて・・・どうしようかな」

 互いに早足で距離を詰める私と異形、先ずは得物の有効範囲にアドバンテージがある私から仕掛けるべきだろう。予備動作無しで銃口を向け、間髪入れずに銃爪(ひきがね)を引き絞る。

 短く弾ける様な銃声と共に、銃口から弾丸が吐き出された。銃身が短い上、適当撃ちをした割には、近くに着弾しなかったので真っ直ぐ飛んでいってくれたらしい。異形が唐突に姿勢を低くしていなければ、見事命中していた事だろう。そしてこの銃撃が、私と異形との闘いの幕を上げる号砲となった。

 姿勢を低くしたまま肉薄してくる異形、そんな的に当てるスキルなど持ち合わせない私は、両手で拳銃をそれっぽく構え、ひたすらに銃口を向け続けた。すると、異形はある一定の距離までは近付いてきたが、ナイフの間合いに入る事なく後方へ退いていってしまう。適当撃ちの偶然に依る精度の高さが幸いし、狙い澄ました一撃に警戒心を抱いているらしい。その成果は、扱いに長けた刃物を所持している異形の方が圧倒的有利なのだが、それを感じさせまいとする私の演技が通用した事になる。

 とはいえ、二度目はないだろう。今のは、銃撃に失敗した事で生じた隙を埋め合わせる行為であり、状況を白紙に戻しただけに過ぎない。これより放つ第二射目、これを外せば状況は最悪なモノになってしまう。私は細く長く息を吐きながら、備え付きの照準器で狙いを定めていく。狙いは腰元、照星(フロントサイト)照門(リアサイト)が合致する瞬間を狙い、銃爪を引き絞らんとする。

 しかし、集中し過ぎた事が逆に仇となってしまった。異形が突然、手にしていたナイフの刃を持ち、私に投げ付けてきたのである。だがしかし、だからといって引き絞りつつあった銃爪を戻すことは叶わない。破裂音と共に銃弾は吐き出され、正面から飛来するナイフの切っ先と綺麗に衝突する。

 馬鹿正直に狙い過ぎていたとはいえ、弾道に沿ってナイフを放ち、尚且つ相殺させるなど、曲芸レベルの反則技だ。これが未だ、人間の域を超えていない者の動きなのか。裂かれた弾丸は左右に分かれて壁に没し、衝撃で弾かれたナイフは回転しながら天井に突き刺さった。ここにきて、私はさらなる不徳を重ねてしまう。一連の出来事の終盤、私はナイフの事を目で追ってしまっていたのだ。

「くっ・・・銃が!?」

 気付かぬうちに異形は、私の懐にまで肉薄しており、繰り出した左回し蹴りで私の手を打ってきた。その強烈な一撃により、手の内から拳銃が吹き飛ばされ、瞬く間に丸腰にされてしまう。さらに恐るべきは、振り抜いた左足を着地させた途端に右回し蹴りを繰り出してきた事だ。

 私は咄嗟に腰を落とす事で蹴りを回避したものの、異形の振り抜いた右足がその左足と揃った途端、私に背を向けた状態の奴は垂直に高く跳び上がり、天井に突き刺さるナイフの柄に手を掛けた。重量が増し、天井から引き抜かれるナイフ。異形は自然落下中に腰を捻って身体を回し、私の脳天目掛けてナイフを振り下ろしてきた。

「なっ!?」

 何もかもが、規格外の動き。私はナイフを振り下ろす腕の手首を私は左手で制止、その力の拮抗で瞬間的に浮き上がった異形の胴体に対して右肩による体当たりを敢行した。踏ん張りなど利かない異形は、後方へと吹き飛ばされ、着地に失敗したようで床にゴロゴロと転がってしまう。

 それを好機と捉えた私は距離を詰め、俯せに倒れる異形を押さえ付けようとした。しかしそれも異形の罠、私が近付いたところで飛び起き、ナイフを横一文字に振るってくる。その一撃は、逃げる海老の如き動きによって回避に成功したものの、その後に連撃を見舞われてしまう。

 右袈裟の斬り下ろし、転じて左袈裟からの斬り下ろし、返す刀の逆右袈裟斬り上げ、更に返す刀の左袈裟斬り下ろし、そこまでは体捌きで辛うじて回避したものの、続く技には後退を余儀無くされた。それは、振りかぶった左上腕にナイフを載せた後、横一文字に斬るというもの。背後に跳び退いて回避し、続けざまに放たれた真一文字の斬り下ろしも空を斬る。だがそこで異形は止まらず、両手でナイフを握り、私に体当たりを敢行してきたのだ。

 その様は、まさに銃剣特攻。跳び退いたばかりの私では回避出来ず、両手で異形の手首を掴む事で、どうにか刃が鳩尾に食い込むのを阻止出来た。しかしそれも束の間の事、力負けしている私に押し返すなんて芸当は出来ない。この場合はどうするべきか、悩んでいる内にも、ナイフの切っ先は刻一刻と私の肌に迫ってきている。

「頭下げて!」

 私は声掛けに従い、頭を下げた。鳩尾に食い込み始めたナイフを見つめること3秒、背後で銃声が鳴り響き、掴んでいた異形の腕から急速に力が抜けていく。何事かと顔を元の位置に戻すと、正面に眉間を撃ち抜かれた異形の顔が目についた。今さらながら、木乃伊の様な不気味な面相をしている。

 崩れ行く異形を突き放しながら振り返ると、銃を構えながら泣きじゃくる辻ヶ花の姿があった。蹴り飛ばされた銃を拾い、恐怖と闘いながらも助けてくれたのだろう。こんなに震えているというのに、眉間に命中させるとは驚きを隠せない。武者にも当てていたみたいだし、彼女には射撃の才が眠っていたりするのか。

「ありがとう、辻ヶ花さん・・・その、大丈夫?」

「私を・・・私を守ろうとした人が、刺されて死んだの・・・だからもう、同じことは・・・繰り返させない」

 しゃっくりの合間に語られた言葉は、とても茶化せる様なものではなかった。察するに、過去に起きた事件の状況と私が追い込まれた状況が皮肉にもリンクしてしまったのだろう。故に、彼女は恐怖に打ち勝てた。自らの恐怖心たる異形を自らの手で葬るのを見たのは此が始めていた。

「そうだね・・・君に助けられたよ、ありがとう」

 私は辻ヶ花の肩に手を置き、その視線は奥で闘っているはずの御南花さんに向けた。消耗し切っていた彼女だが、鎧武者の攻撃を紙一重で避け続けている。まるで、慣れ親しんだレクリエーションの如く、淡々と処理していた。

「御南花さん! こっちは片付いたよ!」

 大声で呼び掛けると、彼女は後方へ跳び退き、踵を返して此方に駆けてきた。

「教室の中へ!」

 御南花さんからの指示に従い、私は泣きじゃくるどころか過呼吸を起こし始めた辻ヶ花を伴い、近くの教室へ待避した。我々は前から、御南花さんは後ろのドアを閉め、教室の結界が完成される。

 過呼吸が治まらない辻ヶ花を手近な机に座らせていると、合口を腰に提げた御南花さんが歩み寄ってきた。

「・・・その子、どうしたんだい?」

「感情の箍が外れたせいか、抑えが利かなくなったみたいなんです・・・」

「そうか、自ら終止符を打ったんだね・・・・・・さあ、おやすみ」

 突然、御南花さんは辻ヶ花を抱き寄せる様に、その鳩尾に拳を叩き込んだ。途端、身体から力の抜けた辻ヶ花は、風に吹かれた灰塵の如く、フッとかき消えてしまった。気を失わせ、強引に目覚めさせたのだろう。

「ちょっと、乱暴が過ぎません?」

「こんな場所に長居は無用さ・・・帰れる時に帰る、それが深層世界サバイバーからの教えだよ? 戻れなくなってからじゃあ、遅いのだから」

「御南花さん・・・」

「でも・・・君は帰さないよ?」

 御南花さんは合口を引き抜き、その切っ先を私に向けてきた。

「ちょっ、御南花さん!?」

「私は、君に何度も何度も、来てはいけないと言ったのに・・・どうやら命が惜しくないらしい」

「命って・・・どうしちゃったんですか、御南花さん!?」

「どうしたって? 堪忍袋の緒が切れて、我慢の限界を迎えたのさ・・・・・・私が、君にサバイバーの立ち回り方というものを叩き込む!!」

「そんな・・・・・・え?」

「どうせ止めても、やって来てしまうのだろう? だったら、異形に負けない為の立ち回り方から切り落とされた腕のくっ付け方まで教えてあげようというわけさ・・・覚悟は良いかい?」

「あはは・・・勘弁してくださ! 特に腕のくっ付け方ぁ!?」

「問答無用!!」

 唸る白刃、私が現実に目覚めた時、そのイメージだけが脳裏にこびり付いていた。詳細は、残念ながら思い出せない。



 夢の中で死闘を繰り広げ、心身を窶したところで、学校を休む理由にはならない。そして詮索されても困る為、何事も無かった様に振る舞う必要がある。

 私はそう出来たのだが、彼女には無理だったのだろう。昼休みになって間も無く、辻ヶ花が3日寝ていない様な顔で、教室の前を幽鬼の如く通り過ぎていった。十中八九、私の事を呼び出しているのだろう。友に裏切られ、深層ではトラウマを呼び起こさせられた後輩を、形式上の先輩とはいえ見過ごすわけにもいかない。

 誘われるがままにやって来たのは案の定、無人の屋上であり、他人に聴かれたくない密談を求めているのは明白だ。辻ヶ花はベンチへ無造作に腰掛けると、盛大にため息をついてみせた。

「昨日・・・変な夢を見たんですよ」

「へぇ・・・どんな夢?」

 私は彼女の正面に佇んだまま、問い掛けた。

「学校が舞台で・・・逃げ回って・・・ああ、先輩も居ましたよ、端役で」

「端役・・・確かに、主役は感情表現が豊かじゃないとね。特に、泣きの演技とか?」

「やっぱり・・・・・・覚えているじゃないっすか!」

 辻ヶ花は顔を真っ赤に火照らせながら、ベンチに拳を打ち付けた。

「そんな怒られても、覚えてないなんて一言も言ってないでしょうに? 辻ヶ花さんの方こそ、何で覚えて・・・あっ、斬られこそすれ、捕まってなかったからか」

「あれは夢だと信じたかったのに・・・あんな醜態を人目に、しかも得体の知れない駒井先輩に見られるなんて・・・サイアク!」

「得体の知れない駒井先輩・・・悔しいけど、語呂は良いな・・・それで、泣きじゃくる姿を見られたか確認したくて、俺を呼び出したのかい?」

「泣きじゃくる言うな! っ・・・もちろん、違いますよ。私の――私を裏切った、納谷って居たじゃないですか?」

「ああ・・・君の友達の?」

「もう、違いますよ・・・・・・針で刺してき

ました、出会い頭のアホ面に」

「へぇ・・・・・・ん? 何だって!?」

「私が登校してきて、心底驚いていましたよ・・・まさか戻って来られるとは、露程にも考えていなかったのでしょうね。私は殺られたら殺り返す主義なんで、取り置きしといた例の針で刺してやりましたよ。そうしたら、血相変えて早退したもんだから、笑いが止まりません」

「いや、笑ってないじゃない・・・というか、何してんの? あの針は危険物だと、重ね重ね説明したでしょうに・・・まさか未だ互いに隠し持っていたとはね」

「その点は、謝りますよ・・・未だ先輩の事、完全に信用出来ていなかったので」

「後でちゃんと渡す事、良いね? ・・・それで、納谷さんを深層に墜として、どうするつもりなの?」

「言ったじゃないですか? 殺られた分、殺り返すんですよ。例え泣きじゃくろうと、慈悲は掛けません・・・決着、つけてやりますよ」

「ふむ、正当な復讐劇というわけか・・・それで、どうするの?」

「どうするって・・・決着付けるって言ったじゃないですか? 聴力、大丈夫ですか?」

「どんな決着を、辻ヶ花さんは決着とするの?」

「それは・・・友里―――あいつが私にしようとした事を、そっくりそのまま反す事ですよ!」

「つまり・・・肉体が滅ぼうと精神は苦しみ続ける地獄に、彼女を永劫収監する事を・・・君は決着とするんだね?」

「もっ・・・もちろん、そうですとも」

「ふ~ん・・・なら、おかしいよね? その決着のつき方なら、もう既に成就しているはず。なのに君は、わざわざ俺を呼び出して、聴かせなくても良いことを報告してきている。まるで、そっちへ行くなと、後ろ髪を引いてほしい欲しそうに・・・さあ、本心を教えて?」

「それは、だって・・・・・・友里亜を針で刺した直後くらいまでは、本心でしたよ? 裏切られた上、トラウマまで刺激されたんですから、怒り狂ってましたとも・・・でも、あいつが居ない教室を過ごして、気付いてしまったんです。あいつの居ない教室は酷く空虚で、これから2年強も学生やってく自信が無くなって・・・先輩、私は間違っていますか?」

「うん、間違ってる」

「いや、即答・・・真面目に考えてくださいよ!」

「真面目も真面目、考える必要すらないよ・・・後悔しているなら、取り返せば良い。何でもやってみなければ、その結末は判らないよ?」

「先輩・・・私ちょっと、あの世界やる事が出来ました」

「ふっ、意地っ張りめ・・・では先輩からの忠告、辻ヶ花さんが墜ちると君の異形も復活するらしいから、気を付けてね?」

「えぇ・・・又出てくるんですか、あのトラウマ? その前に、何で先輩は来ないみたいな立ち位置なんですか!」

「え? 俺も行くの、という純粋な驚き・・・後は当事者の問題じゃない?」

「それはそうですよ・・・先輩だって当事者ですし、何より露払いは必要ですから」

 辻ヶ花はベンチから腰を上げると、ブレザーの胸ポケットを探り始め、やがて中から抜き身の毒針を取り出した。

「先輩・・・一緒に、墜ちてくれますか?」

 まるで心中を思わせる言い回しだったが、辻ヶ花の瞳は爛々と耀いていた。意を固め、もう恐れないと決したのだろう。後輩にそんな眼を向けられた先輩、どうすべきなのだろうか。それもまた、考える必要すらない事だ。

「了解・・・キューピッドばりに、二人の仲を取り持とうじゃないか」

 私は掌を辻ヶ花の前に差し出し、彼女はそれを毒針で軽く突いてみせた。

「ありがとう・・・先輩」

 辻ヶ花は少し頬を赤らめながら、私とは反対の掌に自ら突き刺した。

「背中を押した責任、とってくださいね?」

 意地の悪い笑みを浮かべる辻ヶ花に、私は嘆息しか出てこなかった。意図して押させたくせに、全くもって手間の掛かる後輩である。



 赤霧の世界で目を覚ますのに慣れてきたと思うのは、不幸な事なのかもしれない。

「貧乏くじに他ならないと思うよ?」

 解を求めた先輩サバイバーの返答は、相当に容赦無かった。

「ですかねぇ・・・」

「そうだねぇ・・・他人の事情に振り回されてでしか、墜ちてきていないのでは?」

「おっと・・・うん、考えるのは止めましょう! 今回も、御迷惑をお掛けするかと思います・・・はい」

「判っているよ、私も馴れてきたからね・・・少し前に墜ちてきた子を助けようとしたのだけれど、力及ばずだったよ。やはり、独りで立ち回るのは難しい」

「そうだったんですか・・・でも、今回はそれで良かったのかもしれません」

「ふむ・・・その意、どういう事かな?」

 私は御南花さんに、辻ヶ花と納谷、二人の後輩の顛末をかいつまんで説明した。

「深層で仲直り? 此処はそんな可愛い気のある場所では無いのだけれど・・・随分とまあ、奇抜な妙技を繰り出したものだね」

「苦言なら前回の辻ヶ花って後輩に呈してください・・・場を整えたのは彼女なんですから、ちなみに俺は露払いだそうです」

「ほう、あの泣きじゃくっていた子がねぇ・・・捕まらなかったとはいえ、恐怖で記憶に蓋をするだろうと考えていたが・・・思いの外、気骨のある子だったらしい」

「二度と来たくないと思いますよねぇ、普通」

「君がそれを言うのかい・・・・・・おや、主役が降臨されたみたいだよ?」

「しまった、早く来た意味が・・・場所は何処ですか?」

「1年B組・・・その納谷という子を捕らえた異形が立て籠っている場所だよ」

「それって、異形の目の前に墜ちて来ちゃったって事ですか!?」

「そうなるね・・・急ぐよ、駒井君!」

 御南花さんの先導に追随し、私も全速力で駆け出した。気が付いたら異形の目の前とは、最悪のお目覚めである。以後の動きとしては、辻ヶ花が逃げられていた場合、私が援護に回り、御南花さんが対抗策探しといった感じだろうか。捕まっていた場合は、いつも通り私が囮になる覚悟だ。

 しかし、1年B組へ向かう道中で辻ヶ花と遭遇する事は無く、到着した教室では予想外の光景が待っていた。教室のド真ん中に屹立する歪な柱の前に、辻ヶ花が立ち尽くしていたのである。

「辻ヶ花・・・さん?」

 声を掛けると、辻ヶ花は青ざめた表情で振り返った。その瞳には涙を湛え、振り返った衝撃で遂に零れ落ちてしまう。恐怖に因る号泣とは違い、悲しみから発された静かな涙だ。

「先輩・・・友里亜は、こんなにも私を・・・」

 膝から崩れ落ちる辻ヶ花、理由が判らない私は彼女の元へ歩み寄り、不自然の塊の如き柱を注視した事で涙の意味を理解する。柱の中心、木の洞の様な箇所に苦悶の表情を浮かべる納谷が埋め込まれていた。そして柱を形成しているのは、辻ヶ花に瓜二つな大量のマネキン、それが幾重にも絡み合い積み重なっているのだ。

 これが意味するところは、納谷の恐怖の対象が辻ヶ花その人だという事、しかも尋常ではない勢いで嫌悪している。仲直りするつもりでコレを見たら、どんな強靭な精神の持ち主だろうと、へし折れてしまうのも無理はない。これは当事者特効型の異形、とでも分類すべきだろうか。

「立つんだ、辻ヶ花さん」

 だからといって、立ち止まる理由にはならない。私はそれを、辻ヶ花さんに伝えたい。

「確かに、これは酷い・・・だけど逆に、気になってはこないかい? 何故、納谷友里亜という人物は、ここまで怖れる辻ヶ花香織との友人関係を偽装し続けていたのか・・・知ることを恐れないで、泣きじゃくろうと慈悲は掛けないんでしょう? 好奇心のまま、彼女の心へ踏み込んじゃえ♪」

「心へ・・・踏み込む」

 辻ヶ花は俯いたまま、ふらつきながらも立ち上がり始めた。心意気が通じたのかは不明だが、再び立ち上がってくれたのは僥倖である。後は、納谷の異形をどうやって打ち払うのか、それが問題だ。

「一先ず彼女を覚醒させておかないと、異形を倒したところで現実へ帰還してしまうな・・・」

 私が色々と考えを巡らせていたその時、見張りに立っていてくれた御南花さんが、唐突に声を張り上げた。

「気を付けて、何か来るよ!」

 何か来るというアバウトな忠告が耳に届くのと同時に、教室の窓ガラスが四散する。なんと辻ヶ花の異形が、窓からの侵入を図ってきたのだ。ナイフを逆手に構え、虚を突けたはずの辻ヶ花へ肉薄せんとしていた。

 予想の斜め上を行く展開に、対抗策の無い私は、辻ヶ花を引き寄せ身代わりになろうと試みる。だが先手を打ったのは、誰あろう辻ヶ花自身であった。

「邪魔をするな!!」

 怒気に満ちた威嚇と同時に、辻ヶ花はブレザーの外ポケットから拳銃を取り出し、躊躇いなく発砲した。乾いた銃声が教室内で反響する中、接近を試みていた異形の動きが止まる。注視しなければ判らないが、異形の胸には風穴が空いていた。今の一瞬で、辻ヶ花は異形の急所を撃ち抜いてみせたのだ。

「消えろ!」

 辻ヶ花は動きの止まった異形に更なる銃撃を加え始め、異形を後退させていく。そしてシリンダー内の銃弾を撃ち尽くす頃、異形は自ら割り入った窓枠に足が引っ掛かり、倒れ込む様に教室外へと落ちていった。前回あれだけ苦戦した異形を、瞬く間に始末してしまうのだから、心持ちとは重要である。身を打ち震わせる恐怖心は、止めどなく溢れる憤怒で圧殺出来るのだ。

「このぉぉーー!!」

 自らの恐怖心を瞬殺した辻ヶ花、雄叫びの様な声を発しながら、異形の柱へと駆け出した。次いで柱に飛び付き、拳銃のグリップ底でマネキンを殴打し始める。力技で、異形から納谷を解き放とうとしているのだろう。

 となれば異形が黙っているわけもなく、閉じていた生々しい眼をカッ開き、邪魔者の排除に動き出した。絡み合う四肢の一部が解き放たれ、組み付く辻ヶ花を殴り払おうとしてきたのだ。

 しかし彼女は、たとえ殴り飛ばされようとも殴り返しに行く。そんな気骨を見せられては、我々も黙って突っ立っているわけにはいかない。私は適当な椅子を掴んで振るい、御南花さんはちゃっかり自分の物にした合口を駆使してマネキンを排除していった。

「今だ引き抜け、辻ヶ花さん!」

 ある程度マネキンの数が減ったタイミングで、私は辻ヶ花に要請を飛ばす。頭に血が昇った状態だったので心配だったが、辻ヶ花は納谷の足を鷲掴み、柱の中から彼女を引きずり出してみせた。だが納谷が柱から取り去られると、柱を形成していた全てのマネキンが解放され、雪崩の如く襲い掛かってきてしまう。

「辻ヶ花さん、マネキンはこっちで抑える! 納谷さんから対抗策を見つけ出して!!」

 私はそう絶叫しながら椅子を構え、波入るマネキンと正面から衝突した。椅子を振るえたのは二回程度、すぐに何処かへ吹っ飛んでしまい、素手で対処する羽目になってしまう。それでも、二三体のマネキンの頭部を打ち砕いてみせた。

 だが、人間というよりも四足の獣の如き動作をするマネキンに対し、私はどんどん追い込まれていき、最終的にはリンチの様な足蹴をされ続けるという状況に陥ってしまう。急所だけを守りながら、ひたすら足蹴に耐え続けて入ると、やがて痛みを感じなくなっていった。

 いよいよ気が狂ったのかと私が薄目を開けると、御南花さんが手を伸ばしてくれていた事に気が付く。私に群がっていたマネキンを斬り伏せ、助け出してくれたのだ。

「痛てっ・・・ありがとうございます、御南花さん」

「ナイス囮だったよ、駒井君? さて、もう一踏ん張りだよ」

 御南花の手を借りて立ち上がると、マネキンが数えられる程度にまで減っているのが判った。教室の後方で辻ヶ花と納谷が取っ組み合っている現状から察するに、全て御南花さんが斬り伏せたのだろう。独りで生き残るには、これくらいの実力が必要なのかもしれない。

「残念ながら、対抗策は期待出来そうにない。となると実力行使で殲滅するしか無いのだけれど・・・手伝ってくれるかい?」

「ええ・・・及ばずながら手伝いますよ、師匠?」

「ふふっ・・・悪くない響きだね」

 その後、二手に分かれてマネキン達の残党処理を開始した。落ち着いて闘ってみると、マネキンは地面に叩き付ければ割れる程度の強度しかない為、案外制し易い存在と理解する。スパスパ斬れる刃物があれば、無双出来るのも納得だ。拳で胴体を打ち砕き、落ちた頭を踏み砕くだけの簡単なお仕事だが、目玉だけ生モノパーツだったらしく気分は宜しくない。

 程無くしてマネキンの掃討は完了し、教室の前方に残骸の山が築かれた。それも床に呑み込まれ始めているので、撃退成功と一息ついても良いだろう。丁度良く教室の後方で、後輩達によるキャットファイトが行なわれている。休憩がてら、観戦するのも一興か。私と御南花さんは机に腰を下ろし、辻ヶ花の頑張りを見守る事にした。

「私が・・・何したって言うのよ!」

 辻ヶ花による堂の入ったパンチが、納谷の腹部に打ち込まれる。

「うっ!? ・・・うるさい!」

 納谷も苦悶の表情を浮かべたものの、一歩も退かずに辻ヶ花の頬へ風を切る強烈な平手を食らわせた。

「どれだけ周りに疎まれているかも知らないくせに! まるで自分に非が無い様な口振りで! 殿様気分で私を非難するつもり!」

 一呼吸毎に繰り出される、見ていて気持ちの良い平手の応酬。手首のスナップではなく腕ごとブン回している為、音が鈍くて衝撃が強い。激しい抵抗に辻ヶ花のメンタルが持つか一抹の不安があったが、彼女の目には未だ怒りの炎が灯っていた。

「私は、何も悪くない!」

 隙だらけだった納谷の顎に、辻ヶ花の鋭いアッパーカットが炸裂する。一般的な女子生徒である納谷に、アッパーカットを食らう経験など無かったらしく、唖然とした顔で尻餅を突いてしまう。今ので勝負が決しても可笑しくはなかったが、納谷は辻ヶ花を睨む事を止めてはいない。

「他人は、いつもそうだ・・・勝手な感情ばかり押し付けてきて、私の気持ちはお構い無しで、受け入れないと敵視する・・・あんたは、味方じゃなかったのかよ!」

「そう、味方だった・・・孤立する様に仕向ける為、どんな時も肯定してきた。私がトドメを刺して、誰も信じられず絶望しながら落ちていけば良かったのに・・・我が身可愛さで先輩まで落としたのは、失敗だったかなッ!」

 突然立ち上がった納谷は、頭から辻ヶ花の胴にぶつかっていった。不意打ちで押し倒されるかと思いきや、辻ヶ花は耐え切り、ガッチリと抑え込んでみせる。

「どうして、そこまで・・・そこまでして、私をッ!」

「・・・6年前、香織の目の前で殺されたのが・・・私のお父さんだから」

「・・・えっ? あの人が・・・友里亜の、お父さん??」

「・・・あの頃、あるテロリストグループが銃器密輸の為、入国管理局要人の弱みを握ろうとしていた。要人の家族が狙われる事を危惧した公安は、各家庭に護衛を配備した。そして、当時の入国管理局局長の子女の護衛に回されたのが納谷君五郎、私のお父さんだった。そして実際に子女誘拐事件が起こり、護衛をしていた納谷君五郎は死亡、子女も人質となってしまうが、第二防衛ラインでの奪還に成功する・・・それが、香織の言う殺人事件の真実」

「そんな・・・それって、本当に?」

「当然・・・プロパガンダに利用されかねない事件性から、対外的には会社員を狙った事件に子女が偶然巻き込まれたという筋書きに変えられた。真実は被害者にすら隠匿され、秘匿契約ありきで護衛の遺族にのみ開示された。本当は遺族も知らされないはずだったけど、連日の抗議でどうにか聞き出したんだから・・・お父さんの最期を知った私は、お父さんが命懸けで守った子女がどんな子なのか興味が湧いたの。それに何の意味も無い事は判っていたけどね」

「それで、私と友達・・・のフリをしたと?」

「わざわざ転校までしてね・・・だけど蓋を開けてみれば、生意気で高飛車で高慢ちき、それがお父さんの守った子女の姿だった。だから私は決意した、この子をいつか破滅させるんだってね。方法は簡単、手が付けられない程に高慢さへ拍車を掛ければ良い。後は自壊するのを待ち、私が棄てるだけだった・・・でも思った以上に粘るから、私も流石に諦めようかと思ってた。そんな時に、あの人が手段をくれたの」

「あの、毒針・・・」

「その通り・・・倦怠を打ち払う希望だった、次のステップへ進む為の鍵に思えた・・・だから私は貴女を地獄へ墜としたの」

「そんな、好き勝手をッ!! 私だって・・・好きでこんな風になったわけじゃないんだから・・・あの事件以来、人が怖いの。男は、携帯を出すみたいにナイフを取り出して、私に駆け寄ってきた。逃げる私を庇って、まずお兄さんが斬られた。次に犬の散歩をしていたおばさんが刺された、犬まで殺された。最後におじさんが、男を取り押さえようとして刺されて死んじゃった・・・私は無理矢理連れて行かれそうになったけど、男も頭を撃たれて死んじゃった・・・私は理解した、人は人を殺すんだって。何の前触れも無く、笑顔を浮かべながらナイフを振るってくるんだって・・・本当は、家に閉じ籠っていたかった。でも、私が潰れてしまったら、守ってくれた人に申し訳ないと思った。だから、強い自分になる事に決めた。誰にも隙は見せない、甘えない、近付かせない、私は頭抜けた存在なんだって・・・そうやって泣き虫の自分を抑えてきただけなんだから」

「うん・・・・・・知ってた。

近くに居れば嫌でも判るよ、辻ヶ花香織はねぶたみたいな

子なんだって。苛烈に威嚇してきても、実際は脆い紙と木でしかないだって・・・限界だったんだよ、いつまでも憤りが解消出来ない私と人を信じられない香織は。だから終わらせる事にしたの、香織を地獄へ墜とし、それでも心が晴れなければ、自殺しようって決めていた・・・でも、貴女は地獄から帰還し、今は一緒に地獄に居る・・・何でなの?」

「仲直りがしたくて・・・でも、もう判らなくなってきた・・・ここで共倒れするのがお似合いなのかもしれない」

 正直な気持ちをぶつけ合った末、絶望という結論に至った辻ヶ花と納谷、その状況に御南花さんが立ち上がった。

「何故そうなるんだい? それが君たちの望む結末なのかい?」

 純然たる第三者の意見に、二人の視線が彼女に吸い込まれる。

『・・・誰?』

 二人同時に呟かれてしまった御南花さんは肩を竦ませ、私の事を手招いた。

「私では駄目だ、君が総括してほしい」

「あはは・・・了解です」

 私は頬を掻きながら辻ヶ花と納谷の前に移動し、とりあえず取っ組み合う姿勢を解除させた。

「第三者委員会の見解を言い渡します・・・もう良いから、さっさと仲直りしてください」

「何ですか、その投げやりな見解! 私達の話、ちゃんと聴いてたんすかッ!!」

「そう食って掛からないでよ、辻ヶ花さん・・・確かに、君達の過去は複雑で、他人がどうこう言える体験ではない。だけど考えてみて、問題になっているのは過去の事件ではなく、スタンスが変わり始めていた事じゃないかな? 辻ヶ花さんは、誰も信じられないと言いつつ、納谷さんを信じ切っていた。納谷さんは、辻ヶ花さんが本当は悪い子じゃない事を体感してしまい、不毛な八つ当たりを止めようとしていた。辻ヶ花さんは人を信じない事に疲れ、納谷さんは悲願を失う事を恐れたんじゃない?」

「先輩・・・謎掛けは良いから、はっきり言ってくださいよ?」

「せっかちな後輩だなぁ・・・つまり、仲直りして二人で追える目標でも見つければ良いのさ。もはや、何でも言い合える仲になったわけなんだからさ?」

「目標って・・・具体的には何ですか?」

「納谷さんも、せっかちな後輩だね・・・本来、二人が憎むべきなのはテロという行ないに対してなんじゃないかな? すれ違いを助長させていた情報格差が無くなった今、やっと二人が手を取り合って共通の敵について語りあえるはずだよ」

『共通の・・・敵』

 二人はそう呟きながら、互いに顔を見合わせた。そして、自分達が何をすべきなのか悟ったかの様に、ゆっくりと頷き合う。言葉に出さずとも、仲直りは成ったらしい。この拙い言葉の列挙で、何か活路を見出だせたのなら、此れ幸いである。

「あくまで第三者の意見だから、よく話し合って決めてほしい・・・でも確かな事もある、こんな深層墜としなんて方法で決めちゃ駄目なんだ。イレギュラーはイレギュラーでしかないから・・・ここで見聞きした事は、忘れてしまった方が良い。とはいえ所持している針は、ちゃんと提出する様に、ね?」

『・・・はい!』

 二人の返事を聞き届けてから私は、いつの間にか彼女達の背後に回り込んでいた御南花さんに頷き掛けた。すると、彼女は二人に当て身を食らわせ、あっという間に気絶させてしまう。今から寝かしつけるのも大変だから、現実への強制送還である。二人が霞みと消えた後、私は御南花さんに頭を下げた。

「ありがとうございます・・・こんな茶番にご助力頂いて」

「別に大した事はしていないさ・・・望む結末を迎えられたとすれば、それは君自身の頑張りに他ならない」

「御南花さん・・・」

「だから今日は、私が当て身の原理について説明してあげよう」

「う~ん・・・何ですと?」

「今回も危機一髪だったからね・・・この教室から出てはいけないよ、出来る限り逃げ回るんだ」

 斯くして私は、当て身で人が気絶する原理を骨身に叩き込まれてから現実へ帰還する事になった。

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