第四章 飛んで火に入る毒の針
明くる日の昼休み、私は衝撃的な場面に遭遇した。
「や、矢継さん・・・友達居たの?」
教室内にて、矢継さんがクラスメイトらと机を囲み、ランチを興じようとしていたのである。その面子は、私の前席の南野さんや矢継さんの前席に座る真鍋さん等、割りと近場の人が寄り集まっていた。
「藪から棒に、失礼な」
矢継さんは、牛乳パックのストローを咥えたまま、呆れ果てた様な半目を私に向けてきた。
「居たんだよ、有り難い事にね・・・面倒事に巻き込まれないよう、距離を置いてもらっていただけ」
「ああ・・・そっか、なるほどね」
笹木達が手を退き、面倒事から解放された今、関係性を隠蔽する必要が無くなったというわけか。
「千速とは授業中以外、疎遠な振りをしていましたが、学校外ではよく遊んでいるんですよ?」
ドッキリのネタバラシ的に、関係性を明かしてくる南野さん。
「おお、一枚上手な付き合い方・・・でもなんか、席の位置が意図的過ぎない?」
「この学校の席順って、伝統的に合議制なんだよ。だから、仲良しが密集し易いってわけ♪」
暗黙のルールを解り易く解説してくれたのは真鍋さん、確か質問攻めにされた際、最前列に居た気がする。
「要するに・・・友達が居ないのは、駒井君だけ」
「ん? ・・・・・・あっ、本当だ」
弁当箱の包みを解きながら、矢継さんは私の脆弱性を情け容赦無く指摘してきた。考えてみれば、そういう地盤固めを等閑にしてきたのは事実だ。それどころでは無かったとはいえ、手痛いミスである。
「すぐにクラスの男子とコンタクトを・・・駄目だ、うちのクラスには男子が居なかった」
「なら、お昼をご一緒に如何ですか? 席も至近距離ですし、人となりを知っておきたいです」
優しく手を差し伸べながらも、南野さんはリサーチを怠らない。
「良いね、席の周りは私達が囲っているわけだから、オセロ的には既に女子だよね♪」
ちょっと何を言っているのか判らないフォローで、真鍋さんは後押ししてくれている。
「オセロで角は寝返らない・・・どう足掻こうと黒は黒、駒井君は女子に成れない」
そして、全てを無に帰す矢継さん。怒っているわけではなさそうなので、おそらく素の発言なのだろう。悪い意味で、末恐ろしい娘である。
「ご、ごめんね? この子色々あって、人付き合いが苦手になっちゃっていて・・・揚げ足を取るのは、この口か!」
真鍋さんの手によって、矢継さんの口に玉子焼きが捩じ込まれる。
「現状、駒井君との親密度が一番高いと言えるのは千速なわけですから、何も問題は無いかと」
馴染みの無い尺度で太鼓判を押す南野さんに対し、口内を塞がれている矢継さんは物申した気な半目を向けるしかなかった。
「あはは・・・二人ともありがとう、お言葉に甘えたいところなんだけど・・・ちょっと済ませたい用事があるんだ、良ければ又誘ってね?」
私は、定型文の様な社交辞令を残し、その場を後にした。通常時なら有り難く参加させて頂くところだが、今の私には毒針の持ち主を捜すという急務が存在している。それと何より、落ち着いた日常を取り戻した矢継さんの、邪魔をしたくは無かったのだ。彼女の発言に棘があったのも、邪魔されたくない気持ちの顕れに違いない。
これから暫く、昼休みは校内を歩き回る事になるだろう。人気の少ない場所を巡り、毒針が使用されたりしないか見回るつもりだ。不毛な行ないとしか見なされないかもしれないが、また深層へ墜ちる時に備え、もっと校内に詳しくなっておきたいという思惑も内在している。要するに、何もしなかったわけではないという言い訳作りと校内探索を同時にする作戦なのだ。作戦名は、昼廻りである。
第一回目の今日は、現在絶賛改装中の体育館、その裏を訪れたいと思う。作業員の方々は昼御飯に出掛け、昼休みはもぬけの殻となっているからだ。まさに、怪しい密談を行なうには持ってこいの場所である。とりあえず、パック入りのゼリーを吸引しながら、一回りすれば良いだろう。
どうせ何も無いと嵩を括っていた私だったが、体育館裏へ回ろうとした瞬間、人の気配を感じて歩を止めた。
何やら、話し声がする。角からこっそり様子を窺ってみると、そこには相対する男女の生徒の姿があった。制服の目新しさと着馴れていない感じからして、一年生だろうか。十中八九違うとは思うが、万が一という事もあるので、失礼ながら聞き耳を立てておく。
「辻ヶ花・・・俺と付き合ってくれ!」
嗚呼、そっちの蜜談か。私は関係無いと断定し、盗み聞きは止めて踵を返そうとした。
「嫌」
だがしかし、余りに単純で間髪入れない返答に、私の方が立ち竦んでしまった。関係の無い私でもビックリしたのだから、当事者は心停止していても可笑しくない。
「なっ、何でだよ?」
おっと、予想に反して意識を保っていた男子生徒、果敢か無謀か食い下がる。先程よりも真剣に、聞き耳を立てる私が居た。
「嫌、それが答えよ」
手加減という言葉を知らないとしか思えない、まるで切れ味だけを追求した様な言葉の羅列。私なら、むしろ願い下げな相手だが、彼はどうするのだろうか。
「そっか・・・ごめん」
踵を返し、こちらへ駆けてくる男子生徒、私は彼に防塵シートの陰に隠れながら敬礼を贈った。こんな時でも、相手を気遣えるとは、なかなか出来ない事である。
「あんた・・・何してんの?」
隠れているはずなのに声を掛けられ、私は声にならない悲鳴を上げる。待てよ、実は私にではないというパターンではないのか。そっとシートの陰から顔を出すと、あの告白されていた女子生徒が、それはもう怪訝そうな顔で私を待ち構えているのが見えた。
「あっ・・・どうも」
「何? ・・・まさか、あんたも? 待って言わなくて良い、こんな変質者お断りだから」
何やら勘違いされているようだが、気になったのはその言動だった。実に生意気で高飛車、或いは高慢ちき。基本的に感情の起伏が乏しいはずの私が、瞬間的にイラつき始めている。
「誤解をしているようだけど・・・俺は君を知らないし、君に用も無いよ。気まずい場面に遭遇したから、隠れていたのさ」
「はあ? この期に及んで情けない・・・ブラックリストに入れてあげるから、所属と名前を言いなさい」
「ブラックリストって?」
「私に気の有るヤバい奴を記録してんの・・・ほら、所属と名前」
「えぇ、理不尽・・・2-Eの――」
「待って、先輩だったの?」
「そうだよ? 一年生は男子が比較的多いとはいえ、同級生じゃないって判らなかった?」
「いちいち顔なんて覚えてないし・・・制服だって新品だし」
「ああ・・・転校してきたばかりなんだよ。確かに、一年生と間違われても仕方がないかも?」
「転校生・・・つまり在籍日数は私以下って事でしょう? ・・・はぁ、気を遣って損した」
「くっ、どこに気遣いが・・・えっと、もう行って良いかな?」
「待って、未だ名前を――」
つらつらと垂れ流される文句の途中で、私は面白いものを見つけた。ちょっとした茂みの向こうから、こちらへ吹き矢筒を向ける女子生徒を発見したのである。雰囲気に遊びが無い為、イタズラではないのだろう。狙いはおそらく、目の前の後輩、二の腕の辺りに狙いを定めていた。
吹き矢程度で何をするつもりなのか、精々かすり傷を負わせるか、驚かせるくらいの効果しか望めないというのに。
(ん? かすり傷・・・?)
ふと、私が探し求めていた物が脳裏に浮かんだ。まさか、あの毒針を飛ばそうとしているのではないか。刺されば地獄行きという点で、あの毒針はワンショットワンキルに最適とも言える。被害を抑えるには後輩を庇うのが一番だが、それでは確証を獲られない。この場合、飛ばしてきたものを打ち落とすのが最適解だ。
存在に気付いていない素振りで、後輩からの文句を受け流しつつ、横目で筒に息を吹き込む瞬間を注視しておく。そして、吹き矢による攻撃が実行に移されたところに合わせ、私は目標だと思われる後輩の二の腕をカバーする様に、ゼリーの空きパックを振るった。
ペチッと軽いもので軽いものを叩く音が鳴り響いた後、飛来物が地面に転がる。まさか迎撃されるとは思っていなかった襲撃者は、慌てふためきながら、校舎の方へ走り去っていった。出来れば話を聞きたかったが、意外と逃げ足が速く、今からでは追い付けないだろう。
「えっ、誰? というか、何??」
状況を呑み込めていない後輩は捨て置き、私は先に飛来物を回収した。吹き矢で放てるように多少手を加えられていたが、鏃となっていたのはやはり、あの玉虫色の毒針だった。何で恨みを買ったのかは判らないが、この後輩は深層墜としの刑に処されようとしていたのだ。少し、事情を探っておくべきだろう。
「君は今、この針を吹き矢で射掛けられたんだよ」
「針? 今日も針?」
「今日もって・・・前にも何か遭ったの?」
「別に・・・関係無いでしょ」
「これを叩き落とした時点で、関係無い事もないと思うんだけど?」
「むぅ・・・・・・最近、下駄箱とか机の中とか、至るところに針を仕掛けられていて・・・たぶん、イジメられてる」
「それは、穏やかじゃないね・・・その針って、処分しちゃった?」
「未だ・・・何か証拠になると思って、指紋着けずに保存してる」
「賢いなぁ・・・・・・その針って、見せてもらえたりしないかな?」
「嫌」
「聞き覚えのある即答・・・もしかして、怪しまれてる?」
「当たり前でしょう!? 一緒に居る時に吹き矢で襲われるなんて、裏で仕組んでいたとしか思えない!」
「確かに、一理ある・・・でも、俺は関係無いと主張しておく。何故なら君より、この針に興味が有るのだから」
「堂々と、ムカつく・・・この針って、何かあるの?」
「う~ん・・・君が持ってるのを、確認させてくれたら教えてあげる」
「はぁ!? 何で隠すの??」
「可能な限り、深入りして欲しくないからさ・・・ただ、この針はとても危険だから、くれぐれも刺したり刺されたりしないようにね? それでは、針を見せてくれる気になったら、御一報くださいな」
「・・・御一報って、何処に?」
「そうだ、自己紹介しないとか・・・俺は2-Eの駒井瓢、窓際の一番後ろの席に座っているから」
「・・・気が向いたら、行ってあげる」
「まあ、無理して来なくて良いからね? 乗り掛かった船とはいえ、別に乗らなきゃいけない決まりでもないし」
私は飛来物から取り外した毒針を円筒のケースへ入れ、その場を後にした。背中に、痛い程の視線を感じながら。毒針で狙われ続ける後輩とは、又々穏やかではない事に見舞われそうな雰囲気である。
翌日の昼休み、矢継さん達と昼食を共にしていると、不意にこめかみが熱を帯びてしまう。
これは、誰かに視られている時のサインである。然り気無く、視線が注がれて来る方向を確かめると、そこには教室内を覗きながらゆっくりと歩き去る一年生の姿が目に留まった。
あの一年生、名乗らせては居ないが、確か辻ヶ花と呼ばれていたか。心変わりしたらしく、どうやら私に針を改めさせる気になったようだ。
「ですから、豆苗はエンドウ豆、つまりグリンピースの発芽した段階のものを指して・・・駒井君?」
「え? あぁ・・・ごめんね、南野さん」
「あはは、馴れてないと大変だよね? 薀蓄を傾け出した、南野碧の勢いは」
「そうなんですか、夕美さん? そうなんですか、駒井君?」
「そ、そんな事ないよ? ちょっと、昼休みの内に済ませておきたい事を思い出しただけで」
「おっ、巧い言い訳だね♪ よし、ここは碧の扱いに馴れている私に任せて、逃げなさい」
「言い訳なんですか、夕美さん? 言い訳なんですか、駒井君?」
「違うから安心してください・・・それでは、また後ほど」
私は角が立たない様にしながら、昼食の後片付けに入った。その間、矢継さんが無言のまま、こちらを見据えてくる。もしかしたら、秘密裏に動いている事がバレているのだろうか。不安なので、少し探りを入れてみよう。
「どうかした、矢継さん?」
「・・・別に、転校生は忙しいんだなぁと思っただけ」
「うん、そうだね・・・でも、探索するのは楽しいよ?」
訝しんではいるが、確証は得ていないといったところか。特に報告義務も無いし、隠し事をしてはいけない関係性でもない。矢継さんに対して、何か不義理を働いているわけでもないのに、この掛けられるプレッシャーと罪悪感は何由来なのだろうか。
教室を出ると、中央階段の前でこちらを顧みる辻ヶ花後輩の姿があった。そのまま階段へ姿を消した事から、どうやら屋上へ誘導されているらしい。後に続くようにして屋上へ足を踏み入れた私は、薔薇を背に腕を組む辻ヶ花と対面する事になる。
「案外察しが良いじゃないですか、駒井先輩?」
「ほぅ・・・先輩扱いしてくれるんだね、後輩さん? それで、如何にも取引を持ち掛けてきそうな雰囲気だけど、そうなのかな?」
「はぁ・・・まあ、そうっすね。実は今日も、椅子の背凭れに針が仕掛けられていたんですよ。単純過ぎて引っ掛かったりなんてしないんですけど・・・とにかく、変な事に巻き込まれてるって言うなら、教えてくださいよ。何か知ってるんでしょう、セ・ン・パ・イ?」
「はいはい、当て付けがましく言わないの・・・とりあえず、今日も仕掛けられてたのと、前の分も見せてくれる? 話はそれからでも遅くないでしょう」
「チッ・・・・・・分かりましたよ」
辻ヶ花は、懐から針の入った厚手のビニール袋を取り出し、私の足元に放り投げてきた。舌打ちといい、この扱いといい、狙われる理由は確実に高慢ちきだからではないのか。何か説教してやりたい気分だが、話の腰が折れてしまうので、恥辱に耐えながらビニール袋を拾い上げた。
「どれどれ・・・ああ、なるほどね」
ビニール袋に入っていたのは、どれも玉虫色に耀く縫い針だった。その数6本、毒針かどうかなんてのはパッチテストをしてみないと判らないが、試したら深層行きなので止めておく。まあ、テストをせずとも、このタイミングで市販では見たことのない色合いの針が大量に出回っているのなら、毒針で間違いないだろう。
「で・・・どうなんすか?」
「うん、俺が危惧していた物で間違いないみたいだ・・・君は、相当な恨みを買っているみたいだね?」
「どうせ、逆恨みですよ・・・それで、その針がどうして危険なんですか?」
「ふむ・・・その前に、座って良いかな? もちろん、君は立っていても良いよ」
「いや、座るから!」
二人仲良くと行くわけもなく、恒例の両端座りスタイルでベンチに腰を降ろした後、私は針についての情報を開示していった。最も重要な情報は、伏せたままに。
「この針には、何らかの毒が染み着いている。だから針で刺されると、その晩には高熱を出し、程なくして意識障害を起こす・・・俺も事故だったけど刺されてね、大変な目に遭ったんだよ」
「待って・・・純然たる危険物じゃない!? そんなの、教師に言って没収させた方が良くないですか??」
「もっともな意見だけど・・・君も実は、半信半疑でしょう? 体験した者にしか、その危険性は理解出来ない。故に、先生方は真面目に取り合ってくれないどころか、無駄に内申点を落とす羽目になりかねないのさ」
「それは・・・そうかもだけど、狙われているのは事実だから・・・誰が、そんなヤバい物を?」
「判らない・・・実は、個人的に探っているんだけど、判然としなくてね。何者かが、この針を大量にばら蒔いているって事しか判ってない。だから、地道に回収していこうとしていたんだけど・・・まさか、そんな針で狙われまくっている後輩と出会すとは思わなかったよ」
「別に、好きで狙われているわけじゃないし・・・というか先輩、助けなさいよ。後輩のピンチなんだよ?」
「助けなさいよって、言われてもね・・・誰にどう恨まれているとか、話してくれないことには、コメントすら出来ないよ」
「誰に恨まれているかなんて判らないけど・・・たぶん、告白してきた男子を片っ端から拒否ったから、恨まれてるのかも?」
「どうかな・・・昨日、君を襲ったのは女子だったよ? むしろ、憧れていた男子を歯牙にも掛けなかった君を恨む、女子達の復讐なのかもしれない」
「はぁ・・・どっちにしろ、くだらない理由で狙われているって事ですね。あ~あ、バカばっかでバカらしい」
「・・・とりあえず、その口の悪さと偉そうにするの控えたら?」
「はい? なんで私が、自分勝手な感情ばっか押し付けてくる連中を、慮らなきゃいけないんです? 頭大丈夫ですか、先輩?」
「なるほどね・・・」
辻ヶ花は、何処だろうと誰だろうと、こんな感じで高慢ちきに振る舞っているのだろう。これだから、自意識に振り回される人種は手に負えない。つい最近まで同類だった私が言えた事ではないのかもしれないが、ここまで酷くはなかったと自負できる。
とはいえ色んな意味で先輩である私が、ここは堪えて、フォローするのが最適解なのではないか。
「それじゃあ、誰かと付き合ってみたら? 憧れていた男子を振ったのは、そのせいだって理解して、手を退いてくれるかもよ・・・机上の空論だけど」
「えぇ・・・・・・たぶん昨日ので、ナンパも含めると駒井先輩以外の男子を振った事になるんですけど?」
「わぁ・・・・・・えっ、そんなにモテるの!? 何で??」
「さぁ・・・性格に難があるのなら・・・普通に可愛いからですかね?」
「もはや清々しい・・・遺憾ながら尊敬するよ」
「そんな尊敬要らないんで・・・良い方法考えてくださいよ」
「良い方法ねぇ・・・もはや、毒針のストックが無くなるまで、耐えるしかないんじゃない?」
「結局、現状維持じゃないですか・・・あ~あ、なら先輩が付き合ってくれます? 私は嫌ですけど、いつ終わるか判らない嫌がらせに耐え続けるよりかは多少マシですから」
「俺だって嫌だよ・・・嘘偽りで、そんな関係になりたくないな」
「そっちが乙女かよ・・・私に嘘偽りの関係性を教唆しといて良く言えますね?」
「そうかもね・・・でも、君だって理由があるから、誰からの誘いも蹴ってきたわけでしょう?」
「別に・・・誰も彼も、条件にそぐわなかっただけですよ」
「へぇ・・・条件って?」
「教える気はありません、プライバシーなんで・・・じゃあ私、友達待たせてるんで戻りますね」
「ああ、お疲れさ――友達が居なすったの!?」
「腐れ縁、みたいなもんですけどね・・・とにかく、何か遭ったら又、チラ見しに行くんで。あと、渡した針は先輩にあげます」
来た時よりは、肩の荷が降りた様に見える辻ヶ花。肩を怒らせ、高飛車そうに校舎内へと去っていく。その姿は、絶え間無く襲い来る毒針の矛先に、押し潰されまいと抗っている様にも見えた。
毒針の在処を追い求め、辻ヶ花という手掛かりを得た私は、次の一手について考えを巡らせていた。それは、転校生である私だけに課された、体力測定を消化しながら。現在、持久走に挑戦中だ。
持ち主を特定し難い毒針をどう見つけるのが問題だったが、辻ヶ花という生き餌と知り合えた事で、今のところ飛んで火に入る何とやら、入れ食い状態となっている。
放っておいても毒針の方から現れてくれるのは有り難いが、いつまでも辻ヶ花が回避し続けられるわけもないし、流石に不憫だ。そこで、私のすべき事を考えてみたのだが、やはり彼女を付け狙う刺客を暴くところから始めるべきだろう。
刺客の正体が割れれば、警戒し易くなり、もうしばらく生き餌を続けられるかもしれない。もちろん、危険と判断すれば、すぐにでも鎮圧するつもりだ。捕らえたら毒針の入手ルートを吐かせ、黒幕へと至る道を模索する。今度の刺客は恩人ではない為、ケレン味の効いた尋問をするかもしれない。
問題は、どうやって刺客を暴き立てるか。物証から推理し、刺客を特定するというのも面白いが、現実的には現行犯で捕まえるのが望ましいと言える。それが一番、言い逃れ出来ないからだ。辻ヶ花の周囲を警戒していれば、罠を張ろうとする刺客を捕らえる事が可能だろう。
だが四六時中見張る事も出来ないし、それを実行する私の方が不審者と見なされてしまいかねない。そうなると、警戒の役目は彼女と腐れ縁で結ばれているという友達に任せ、私は吹き矢から刺客を特定出来ないか奔走するべきだろう。先ずは、吹き矢部的な部活が存在していないか、調べる必要がある。
「はーい、ゴール!」
ストップウォッチを担ってくれていた真鍋さんの声が耳に届き、私は走るのを止めた。考え込んでいるうちに、走り切ってしまったらしい。そう目論んでいたとはいえ、実現すると驚きを隠せないものである。
「ふぅ・・・ありがとう、真鍋さん。タイムは?」
「3分22秒、100メートル走のタイムが平均くらいだったとはいえ、そのペースで走り切るなんて・・・何か、スポーツしてたの?」
「してないよ? 自主的にランニングしているから、そのお陰かも」
「ああ、確かに! ランニングが趣味って言ってたね」
夢の中でしこたま走らされたせいかも、とは言えないので、転校時のデフォルト設定を利用させてもらった。
「お疲れ様です~」
どんなメニューで走っているのか追及されそうになったところで、真鍋さんと共に記録係をしてくれていた南野さんと、矢継さんがやって来てくれた。
「おお、助かっ―――二人も、ありがとうね。本当に大丈夫だった、手伝ってもらっちゃって?」
「もちろん大丈夫ですよ? この学校に、体育を頑張る人はあまり居ませんから」
「えっ、そうなの?」
「カリキュラムを消化する為に体裁は取りますが、実際には日光に当たる時間、みたいなものなんです。部活動が無いせいか、女子ばかりのせいか、そういう気風が伝統化したらしいですよ?」
「ああ、だから只の体力測定なのに見物人が多かったのか・・・・・・ん? 部活動無いの?」
「ありませんよ? 元々、自主的な習い事に通う生徒が多かったからみたいなんです。共学化に伴い、新設するか議論されたそうですが、将来的な財政難を危惧しての共学化なのに、コスト増やしてどうすんだという事で、新設されませんでした」
「あはは・・・さすが南野さん、詳しいね」
「部活動が無いと、何か困るの?」
全ての項目が埋められた記録用紙を差し出しながら、矢継さんが問い掛けてきた。相変わらず、目の付け所が鋭くて困る。
「困りは、しないかな? 部活動が無いって事に、驚いただけだよ」
「へぇ・・・転校する時、調べなかったの?」
「まあね、選択権とか無かったし・・・それはそうと、記録を纏めてくれてありがとう、綺麗で見易いよ」
「普通にサボっているより、内申点が良くなるから協力しただけ・・・それに君は忘れているだろうけど、私は駒井君の面倒を見る様に言われているから、仕方なく」
「あはは、その律儀さには頭が上がらないよ」
こうして体育の授業を終えれば、やって来るのが昼休みだ。前半は矢継さん達と昼食を摂り、後半は校内を散策する。
今回の徘徊は、訪れる機会が限られている東校舎を歩き回ってみた。何故なら東校舎は、3Fに音楽室と柔道場、2Fは図書室と科学実験室、そして1Fには職員室と因縁深い生徒指導室、用務員室等が配されており、用が無ければ、訪れる理由の無い場所なのである。
「本当、何で来たんだろ?」
我ながら、苦笑するしか無いくらい、方向性を見失っている。部活という目印を得られず、吹き矢使い捜しは暗礁に乗り上げてしまった。まさか部活動が存在しないとは、時代の先を行っているのか、全くの想定外としか言い様が無い。
とはいえ、吹き矢を扱える様な生徒などというのは、そう多くはないはずだ。聞き込みをすれば簡単に見つかりそうだが、同時にこちらが捜している事も伝わってしまう。そうなれば、捨て身の強行策で辻ヶ花へ襲い来る公算が高い。二進も三進も行かないとは、まさに現状を表す言葉である。
「あっ・・・駒井先輩」
呼ばれた気がしたので顔を上げると、教室から出てくる辻ヶ花の姿を見つけた。そのまま視線を持ち上げていき、その教室が図書室だと理解する。
「図書室・・・・・・君が?」
「本くらい読みますよ、失礼な・・・まあ今回は、付き添いなんですけどね」
「付き添い?」
私が首を傾げたその時、図書室から新たに女子生徒が現れた。
「どうしたの、香織? またナンパ?」
おそらくこの子が、辻ヶ花に腐れ縁と称された友達なのだろう。あまりに自然とナンパという言葉が口から出てくる辺り、私以外の男子生徒を虜にしていたというのも、満更嘘ではないのかもしれない。実質、全制覇であったろうに、転校してきた事が少々申し訳なくなる。
「違う・・・ほら話したでしょう、厄介事に首突っ込んできた先輩。見掛けたから、声を掛けてあげたの」
辻ヶ花、相も変わらず癪に触る言い回しをする子だ。
「あっ、失礼しました・・・香織の友達をしています、納谷友里亜です」
「どうも御丁寧に、駒井瓢です・・・ところで、香織とは何方?」
「はぃ? 嫌ですね先輩、話の流れを読んでくださいよ、どう考えても私の事でしょうに・・・やっぱり馬鹿なんですか? 編入試験、何点だったんです?」
「あはは、判っていましたとも。でもやっぱり、本人から聞いた方が良いかと思ってさ」
「名乗らなくて良いって言ったの、駒井先輩じゃん・・・辻ヶ花香織・・・です」
「ふっ・・・ごきげんよう、辻ヶ花さん?」
「今、鼻で笑いましたか? いちいち癪に触る先輩ですね・・・というか、考え事しながら歩かないでください、邪魔です」
「ああ、ごめん・・・ちょっと吹き矢について考えていてね」
「吹き矢・・・ああ、一応役に立とうとはしてくれてたんですね? あの役立たずめ、と気分を害する必要が無くなりました」
「そう、良かったね・・・そうだ、ちょうど良いから二人に聞きたい事があるんだけど、時間ある?」
「別に、厄介事を終わらせる話なら、良いですよ・・・友里亜は、どうする?」
「香織のピンチについてなら、喜んで」
「ありがとう。それじゃあ・・・場所を変えようか?」
私は屋上へ行くつもりだったのだが、二人揃って屋上は嫌いだと訴えてきたので、初めて中庭に降りてきた。中庭は、コの字型となっている校舎の内側、北側の渡り廊下からしか入れない憩いの場である。季節の花々が彩る花壇とベンチ、さらには噴水までもが整備され、多くの学生が昼食に利用しているそうだ。だがもう、昼休みも終わりかけのせいか、生徒の姿も疎らになっていた。
私は下級生だけベンチに座らせ、二進も三進も行かない現状を説明し、意見を求めた。
「部活が無いのを知らないとか・・・論外じゃない?」
「自分でもそう思うよ・・・それで、辻ヶ花さん自身に心当たりは無いんだね?」
「無いですよ・・・知ってたら、もう取っ捕まえてます」
「だよね・・・納谷さんは、どうかな?」
「ありますよ、心当たり」
「そっか・・・あるの!?」
「ちょっと友里亜!? 知ってたなんて聴いてないんだけど!!」
「だって、吹き矢で襲われたなんて、聴かされて無いんだもの・・・変な先輩を見つけたとしか」
「あっ・・・確かに言ってなかったわね。それで、何処のどいつなの?」
「それは・・・言いたくない。言えば香織、取っ捕まえに行っちゃうでしょう? それに先輩の言う通り、現行犯で捕まえないとはぐらかされちゃうよ」
「そうだけど・・・じゃあ、どうするつもり?」
「う~ん・・・とりあえず先輩には心当たりを教えておいた上で、誘い出してみるとか?」
「私を襲いに来た奴を、先輩に押さえさせるってこと?」
「そうだ、私達で一芝居打ちましょう? 私は帰る前に用事があるから、屋上で待っていてと言う。そこに先輩が潜んでおけば?」
「現行犯を押さえられる・・・どう先輩、何か文句ある?」
「文句? 無い無い・・・それにしても、二人の息はピッタリなんだね。素人目でも、仲の良さが窺えるよ♪」
「べっ別に、単に付き合いが長いだけですよ・・・息が合うのは、当然と言うか・・・」
「ありがとうございます、駒井先輩♪ 先輩も、香織と付き合っていくなら、この子が手負いの猫みたいに素直じゃないって覚えておいてくださいね?」
「ああ、なるほど・・・プフッ・・・言動や行動を思い返してみればみるほど、ピッタリな表現だね」
「友里亜、何を言い出すの!? というか、何笑ってくれやがってるんですか、先輩! 厄介事が片付いたら、用済みだって忘れないでくださいよ?」
「分かっていますとも、後輩さん♪ さてと、もう予鈴が鳴る頃合いだね。心当たりについて教えてもらってから、解散しようか?」
納谷さんの携帯で心当たりだという女子生徒の顔写真を見せてもらった後、私は彼女達と別れ、教室へと急いだ。心当たりの女子は、彼女達のクラスメイトであると携帯のは文面に映し出されていた。それなら確かに、辻ヶ花はすぐさま取っ捕まえようとするだろう。襲撃犯は身近に潜んでいた、灯台下暗しとは言い得て妙である。
放課後、下校する矢継さん達と別れた私は、屋上へいち早く参上し、出入り口からは死角になる場所で待機していた。
ぼんやりと狂い咲く薔薇を見上げながら時の移ろいに身を任せていると、程無くして辻ヶ花が姿を見せた。キョロキョロと周囲を見回している事から、私が居るのか確認したいのだろう。
仕方なく、死角から顔を出して手を振ると、その場に入れば良いのに私の元まで歩み寄ってきてしまった。
「へぇ・・・ちゃんと来てくれたんだ、先輩?」
「え? いや、当たり前でしょう? これから襲撃犯を捕まえるってのに・・・」
「別に、未だ襲撃犯とグルじゃないかと疑っているだけ・・・違うってところ、見せてくださいよね?」
「当然、捕まえるさ? ほらほら、中からは狙えないけど、分かり易い場所に移動して! 襲撃犯に気取られるわけには、いかないんだからさ」
辻ヶ花を現在地から追い払おうとしたその時、屋上の重厚な扉が開く音が響いてきた。まさか、もう来てしまったのか。やむを得ず、辻ヶ花と共に死角に隠れながら、僅かに顔を覗かせて見張っていると、一人の女子生徒が姿を現した。しかしその面貌は、写真で見せられた女子ではなく、別に見覚えのあるものであった。誰あろう、納谷さんである。
「ごめんなさい、気付かれちゃったみたい!」
納谷さんの報告を聴き、私達は姿を隠す事を止めにした。それから辻ヶ花が声を張り、少し離れた位置に居る納谷さんとコンタクトを試みる。
「友里亜! 失敗したの?」
「香織? うん、会話は聴こえていたはずなのに、帰っちゃったの!」
報告を聴き、私と辻ヶ花は顔を見合わせてしまった。互いに顔を見合わせ、眉をひそめている。
「このタイミングで気付かれるなんて・・・先輩、本当にグルだったんじゃ!」
「確かに内通を疑いたくなる行動だけど、誓って何もしていない。向こうも失敗続きで、警戒していたのかもしれないでしょう?」
「もう信じない! やっぱり全部、仕組まれ――ッ!?」
辻ヶ花が不信を爆発させようとしたその時、彼女の首筋に小さな針が突き刺さった。
「そうやって香織は、人を簡単に信用しようとはしない。例え、本当に親身になってくれていた人でさえも・・・だから、墜ちるんだよ?」
私が針の飛んできた方向に目をやる頃には、既に次弾が発射されていた。上腕に痛みが走り、確認すると玉虫色に光る針が突き刺さっている。
「友里・・・亜?」
辻ヶ花は、吹き矢を構える親友の姿を凝視しつつ、膝からその場に崩れ落ちた。
「襲撃犯は・・・君だったのか、納谷さん?」
私は呆然自若となった辻ヶ花に代わり、そう問い掛けた。
「実は、顔を見られていたのではないかと気を揉んでいたのですが、全くの杞憂だったみたいですね・・・フフッ、飛ばした針を打ち落とされた時は、ビックリしましたよ?」
納谷さんは、満面の笑みでそう答えた。
「本当は、穏便に香織を墜とすつもりだったのですが、厄介そうな先輩を引き入れたものですから・・・少し、強行策に出てみました。油断を誘っておいて、正解でしたよ。もし恨むなら、要らぬ世話を焼いた御自身をどうぞ?」
「ゆ、友里亜・・・本当に?」
実に愉快そうな納谷さんに対し、意気消沈中の辻ヶ花は蚊の鳴くような声を口から漏らした。
「よく聴こえないけど・・・そうだよ? 私こそが、針を仕掛けていた犯人・・・もう会う事も無いだろうから、もう一つ教えてあげるね? 私はずっと、貴女の事が大嫌いだったの・・・私が味わい続けた苦しみ、地獄でたっぷり味わってきて?」
そう言い残し、納谷さんは校舎内へと走り去っていった。捜していた黒幕への糸口、私は即座に追い掛けようとしたのだが、ズボンの裾を掴まれた事で頓挫してしまう。
「待って・・・待ってよ」
震えの止まらぬ辻ヶ花の手が、私をその場に押し留めようとしているのだ。振り払う事は簡単だが、そうすべきではない事は火を見るより明らかだった。
「もう会う事は無いって・・・どういう意味? 針が刺さっても、高熱が出るだけじゃないの?」
ショック状態にあるというのに、核心に迫る質問を投げ掛けてくる。私は、そんな彼女の首筋から針を抜き取りつつ、問いの答えを開示する事にした。
「今晩、俺達は地獄に墜ちる・・・比喩じゃなく、現実にね」
今にも五体倒地してしまいそうな辻ヶ花をベンチまで運びつつ、深層墜としと深層世界、そしてその世界で体験した事を、語り聴かせてやった。
「つまり、自身の恐怖心から生まれた化け物に捕まり、君が二度と目覚めないと納谷さんは考えたんだろう・・・残念ながら」
「信じられない・・・本当に、友里亜が私を? 私を、終らせようと・・・」
「間違いないだろうね・・・彼女の事を、もっと疑うべきだった」
彼女は私を疑う事が出来たのに、しなかった。故に私も彼女を疑わなかった、付き合いの浅い私だけが彼女を疑えたというのに。それくらい辻ヶ花と納谷さんは、仲好く見えていたのだ。錯視だとは、思えないくらいに。
「とりあえず、深呼吸をしてほしい。厳しいのだろうけど、落ち込んでいる暇は無いよ・・・本当の戦いは、これから何だからさ」
「・・・信じられない」
「だろうね・・・・・・直に、針の刺さった場所が変色し始め、高熱と異常な目眩に襲われる。この症状が出たら、信じてほしい。気が付けば君は、赤霧に包まれた世界に居るだろう。そこでは話した通り、君の恐怖心から生まれた化け物が、君を襲う。逃げるんだ、捕まれば苦しみは避けられない」
「・・・・・・先輩は、そんな所に行くのが、怖くないんですか?」
「えっ、俺? そりゃ怖いさ、人間の常識なんて毛ほども役に立たない、死と隣り合わせの場所なんだから・・・でも一番嫌なのは、墜ちる前の高熱と助かった後の寝汗かな? 本当にしんどいから、覚悟した方が良い」
「・・・・・・はぁ、何だか私だけシリアスしてて、馬鹿みたいじゃないですか。友里亜に裏切られていたのはショックですけど・・・まあ、先輩程度に出来たのなら、私に出来ない道理はありませんよね? 無事に戻って、復讐してやる為にも」
「そういうとこだと思うよ、元凶は・・・でもまあ、気を取り直せたみたいで何よりだ。さて、そろそろ下校しようか・・・どんなに辛くても寝るのは22時、良いね?」
「ええ、構いませんよ? 先輩こそ、ソファーに座ってうっかり寝落ちとかしないでくださいね」
「あはは、俺は先に寝ても問題無いんだよ。君が先に墜ちるのが困るだけで、ね?」
「はぃ? よく判らないけれど、ズルい!」
地団駄を踏み出す辻ヶ花に笑顔を向けながら、私は内心で胸を撫で下ろしていた。どうにか意気消沈した心理状態から、私の知りうる元気そうな状態まで持ち直せたようだ。唯一であろう友と呼べた存在の裏切り、相当堪えているだろうが、そんな精神状態で乗り越えられる程、あの世界に慈悲は無いのである。
慈悲、その言葉と共に御南花さんの顔が脳裏に浮かぶ。パンドラの底に残された希望の様な彼女、どうやら又会うことになりそうだ。それを少し、私は嬉しく感じていた。