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私がバイクを仕事に選んだ理由

作者: 櫻庭ちえ

 京都新聞のニュース記事で同級生が交通事故で亡くなった事実を知ったのは、寒い冬の日の朝だった。

 本当に本人が亡くなったのかどうかを調べるのが怖かったけれど、本人の自宅に恐る恐る電話をかけてみると、不幸にもそのニュースは本当だった。

 とても優秀な同級生だった。彼は公認会計士の資格取得目指して大学と予備校のダブルスクールもこなすパワフルな人だった。背が高くて、大きなバイクを軽々と乗りこなす人だった。


 私がバイクに乗り始めたきっかけが何だったのか、たまに人に聞かれることもあるけれど、実はあまりよく分からない。というよりも思い出せない。

 ただ、一つあるとすれば、魔法使いが空を飛ぶように、ほうきに乗って自由に世界を旅したかった。ほうきと同じように、またがって、乗る乗り物。だから私はバイクに乗り始めた。

 だけど乗るのと見るのとは大違いで、教習所で中型免許を取ろうとしたとき、本当に苦労して、規定をはるかに超える時間乗るはめになった。卒業試験に合格した日、教習所の教官が私に言った台詞を今もとてもよく覚えている。

「最初は250ccくらいの小さいのから乗りなさい。バイクは本当に危険な乗り物だからね、気をつけて」

 実際に教習所に通ってみて気がついたのは、バイクという乗り物は自分の想像を超えて手間隙のかかる、実に扱いにくい乗り物だったということでもあった。整備の仕方も知らなければ、こけているバイクを引き起こすのも一苦労だった。だけど、結局、教官に言われたからではないけれど、250ccのバリオスというカワサキのバイクを買った。

 自分ひとりでは乗りこなせないからと思い、大学のツーリングサークルに入ってみることにした。そこにはバイクで日本中を旅する仲間たちが集まっていて、私のように女の人でバイクに乗っている仲間にも出会った。時には授業をさぼって琵琶湖まで走り、時には一泊二日で温泉旅行に行き、早朝に京都市内から丹後半島へ抜ける周山街道と呼ばれる美しい山道に出かけた。

 アルバイトに授業に、そしてボランティア活動、各自バイク以外にもたくさんの趣味や活動をしていたのに、どうやって時間を捻出できたのか、今となっては本当に不思議だけれど、誰かの家に集まって鍋パーティをやったり、バイクの整備をするために集まったり、ただ旅をする以外の時間も楽しかった。

 だけど、バイクは危険な乗り物、とどこかの先生にも言われたとおり、私も何度か交通事故にあった。トンネルでハンドルが暴れたあと、気がついたら、自分のバイクのマフラーとアスファルトが花火を上げている姿を見ながら、自分も背中でかなり長い距離を滑っていくのを自覚した。

 トンネルの先の側道で体が止まった時、自分が無事なのが不思議なくらいだった。大丈夫かと仲間たちが走ってやってきてくれた。うん、大丈夫みたい、と答えて、自分の体をおそるおそる見回してみた。その時、私が腰につけていた大き目のウエストバッグが私の尾てい骨を守ってくれていた事実に気づき、一気に全身の血の気が引いていった瞬間は、今でも忘れられない。

 その事故をきっかけに私は安全に運転するための技術について学び始めた。

 大阪府警や京都府警が主催する安全運転講習のイベントや、元白バイ隊員やレースをやっていた人たちが開催するライディングスクールというものに通い始めたのだ。

 事故で怪我をした親に、まだ乗るつもりなのかと聞かれた時、もう乗らないかもしれないと一瞬思ったけれど、サークルの仲間たちがバイクを修理してくれている事実も後押しして、安全運転について学びながらもう少しだけ乗ってみる、と決めたのだ。

 しかし、ライディングスクールに行ってみて、学んだのは乗る技術もだけれど、一方で世の中でバイクに乗るということが、いかにポジティブに捉えられていないのかという事実も、今まで以上に思い知らされた。

 バイクに乗ることを、親は大手を振って喜んでくれてはいない事実。たまに見かける真夜中の改造バイクで走る高校生の集団とそれを取り締まる警察官たち。高校を中心に展開されている、三ない運動という活動。混合交通の中で自動車から邪魔者扱いされること。

 これが現実だった。

 私は、ただ自分が旅をしたいという気持ちだけでバイクに乗り始めたけれど、実はその行為を好ましく思っていない人のほうが世の中には多いのだなと、痛感した。

 そんな日々の中で、サークルの仲間を失ったことは、追い討ちをかけられたような出来事だった。

 バイクは危険な乗り物だった。

 昨日まで普通に笑っていた友達が、一瞬でもう会えなくなることもあるんだと思い知らされた。

 世の中から交通事故がなくなったらどれだけ幸せなんだろう。二輪車における事故を減らすために私に何ができるだろうか。

 そんなことを繰り返し考えているうちに、就職活動をする時期を迎え、気がつけば、二輪車と関わる仕事に就こうと決意している自分がいた。


 世界にはバイクが生活必需品になっている国や地域もある。子どもの送り迎え、食料や水の買出しや畑までの長い道のりを、バイクが支えている。


 学生時代、日本に飽き足らず世界各国に旅もした。


 ケニアの田舎で、お父さんが家族を後ろに乗せて走っているバイクを見かけた。うしろには息子らしき子どもと、頭の上にかごを乗せたお母さんが座っていた。畑でとった野菜だろうか、畑からの収穫物を運んでいる姿を目撃した。今にも壊れそうなぼろぼろのバイクで、音も匂いもすごかった。

 バリ島でも生活の足として、街行く人々がバイクに乗って通勤し、お店で物を買ったり売ったりしている姿を見かけた。外国人観光客向けのバイクツアーもあって、国際免許を持っておらず、乗れなかったことを後悔した。大柄な白人の家族が目の前でバイクツアーに申し込んでいるのを見て、体の大きさに合うバイクがあるのか心配になった。

 イタリアの街中では、きれいなお姉さんを後ろに乗せたタバコを吸いながらバイクに乗っているお兄さんを見かけた。なんだか異世界のような出来事だった。たぶん映画の見すぎじゃないかと振り返ったけれど、お兄さんがタバコをポイ捨てする姿を見て、現実世界の意できごとなんだと実感した。路上に停まっているバイク一台一台が、なんだかとてもおしゃれだなと思った。

 どこかの国でどこかで出会った人が言っていた。

 バイクがなかったら、毎日歩いて二時間畑まで行くことになるんだよ。僕に家族とすごす時間をくれたのは、このバイクなんだ、と。

 私もバイク乗るの、と話がはずんだ通りすがりの観光客相手の商売人だったような気もする。日本から来たと言ったら、このバイク、日本製だよ、と本当か嘘か分からないことを言っていた。カワサキのバイクでないことだけは、確認した記憶がある。


 世界のどこかの国の人たちにとってもみな、交通事故は同様の問題なはずだ。

 二輪車の世界での交通事故を一件でも減らせたら。


 そんな思いが通じたのか、私は二輪車と深く関わる会社の一つから、内定、という嬉しい知らせを受け取った。


 大学を卒業してから今日まで、幸いなことに、私は本当にたくさんの国でバイクのある生活を目にする機会に恵まれた。

 私が学生だったころ、ライダーとライダーがすれ違う瞬間に、ピースサインをする習慣があった。最近はあまり見かけなくなったとけれど、この瞬間、見知らぬ誰かと、一期一会のその瞬間だけ、心が通じている気がして、いつも鳥肌が立つ。

 オーストリアでバイクを借りて、一人で走りに行ったとき、すれ違うほとんどのライダーが私にピースサインを送ってくれた。フルフェイスのヘルメットごし、私が女性であることは背格好から想像できたかもしれないけれど、まさか日本人だとは誰も気がついてはいないと思う。だけど、それでも、みんな、ピースサインをしてくれる。

 その度に思う。バイクに乗っててよかったな、と。

 今の時代メールもあるし、携帯電話もある。言葉を交わすコミュニケーション手段は増える一方だ。だけど、このピースサインは違う。言葉がなく、見ず知らずの誰かと、ただバイクに乗って旅をしている時間を一瞬だけのコミュニケーションだ。二度と会わないかもしれない人と、旅の時間を共有することができる、一瞬だ。

 サインも世界各国でさまざまで、手を振る国もあれば、犬がおしっこをするように、足をあげて挨拶を交わす国もある。

 言葉が通じなくても、見ず知らずの人とでも、無言の挨拶を交わすこと。

 世界各国でバイクに乗る人たちが、形は違っても、同じ行為に意味を持っているのだとしたら、きっとみんな、同じような気持ちでいるに違いないと思う。 

 こんなことを楽しめる人たちがバイクに乗っているというのに、どうしていつも二輪車に乗ることが、悪いことのように扱われてしまうんだろうかと、ふと思う瞬間がある。確かに事故にあった時に負傷するリスクは自動車よりも高い。決して安全な乗り物ではない。

 だけど世界では、バイクがこれだけ愛されていて、ありとあらゆる場所で活躍しているのだということを、知ってもらいたい。そうすれば、日本でのバイクに対する印象も変わっていくのではないだろうか。


 WHOによると交通事故の死者数は年間で約120万人超。これはマラリアや結核での死者数に匹敵するといわれている。しかも、これから増える事故は進展国を想定されていて、その多くの国では二輪車が生活の足となっている。

 だから、私は今日も、自分の仕事に取り組むのだ。


 時に生活を支える道具に、商売の道具に、旅を楽しむ手段にもなるバイク。

 人と人をつなぎ、コミュニケーションの時間や空間を生み出す道具でもある。

 だから、私はバイクが好きなんだ。

 そして、世界でバイクを愛してくれる人のために、今日も自分の仕事と向き合いたいと思う。バイクで誰かが涙を流さなくていいように。


<完>

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