宝石
ガランガランガラン
待ち望んでいた玄関の扉の開く音を聞いた少年は遊んでいた玩具を放り投げ部屋を飛び出しました。
「パパ、お帰り」
少年はドタドタと階段を駆け下りると、玄関に立つ父親の胸に飛びつきました。
「お帰り、あなた」
少年の母親もキッチンから現れ、半年ぶりに宇宙の探検から戻った夫を出迎えます。
懐かしい家族の姿に父親は、
「心配掛けて悪かったな。言われた通り良い子にしてたか」
「うん、パパ」
少年はそう答えると父親のもじゃもじゃ毛の生えた胸に顔を埋めるのでした。
この擦りつけた頬に伝わるチクチクした感触が懐かしく感じられます。
少年の父親は少年を抱きかかえたまま家族の食卓へ向かうのでした。
久しぶりの家族の団らんはそれは楽しいものでした。
母親の腕を奮った半年ぶりの天然食品の料理に舌鼓を打ちながら、父親は家族に自分が宇宙で体験した様々な出来事を語って聞かせました。
その話の一つ一つに少年は自分の胸の内に宿る好奇心を刺激され目を輝かせました。
食事も終わってソファーで父と子が寛いでいると、
「そうだ、良い子にしていた坊やには御褒美にお土産をあげる事にしよう」
そう言って父親は持ち帰ったバッグから紙の袋に包まれた箱を取り出しました。
受け取った箱は少年が両手で抱えるほどの大きさでした。
「わー、何だろう。ひょっとして新しい宇宙船?」
一見するとプラモデルの箱の様にも思えますが、前におねだりしていた宇宙船のプラモデルは、半年前父親が宇宙に出発する記念にもらったばかりでした。
「さぁ、何だろうね。部屋で開けてごらんなさい」
「うん」
そう言って少年は箱を抱えたまま子供部屋へと階段を駆け上がるのでした。
部屋に入った少年は箱を机の上に置きました。こうして包み紙を剥がすのももどかしいです。
ようやく剥がし終えると中から現れたのは無地の高級感溢れる厚地のケースでした。
一瞬新しいプラモデルじゃなかったのかと落胆しますが、それでも少年は中身は一体何だろうとわくわくさせながらケースの上蓋を外しました。
少年の目の前に現れたのは青い透明の『宝石』と呼ばれる標本でした。
それらの少年の手にすっぽりと収まるくらいの大きさの『宝石』は、衝撃吸収のクッションのために設けられた白い敷居に一つ一つ埋め込まれてキラキラと輝きを放っていました。
「わー」
少年の瞳もそれに負けじと言う位にキラキラと輝きます。
ピカピカの格好良いプラモデルでなかったのは残念だけどこの年の子供にとって標本の持つ魅力はプラモデルに劣らぬものですから。
『宝石』の中に封じられているのは、自分たちと同じ胴体から手足を一対ずつ真っ直ぐ伸ばした生き物でした。
生き物は一つの『宝石』の中に一体ずつ、静止状態で目を閉じています。
大きさの違いがあるとはいえ、その手足のか細さと言ったら驚きです。本当にその足で地面に立って歩けるのでしょうか。
「うわー、何て可愛い女の子達なんだろう」
少年は初めて見る異種の生物を一目見た瞬間、そう心の中で叫びをあげましたが、それは間違ってはいないようです。
彼には分かりませんが、『宝石』の中に封じこまれているのは皆その生物の女の子です。
手足の細さは種族共通であると言っても良いのでしょうが、成長過程の女性ということからなおさらその細さが際立ちます。
それでいてその手足の先の5つに分かれた指がスラリと伸びる様はもはや芸術と言ってもよいでしょう。
少年が一目見ただけで女の子と見抜くだけあって、その生物の外見からは種族の壁を越えて思わず守ってあげたくなるような雰囲気が発せられています。
背中に羽こそ生えていませんが、その可憐さは少年が読んだおとぎ話の本に出てきたフェアリーの様でした。
「どうだい、パパのお土産は気に入ってもらえたかな」
『宝石』を一つ一つ取り出しては眺めてうっとりとしていた少年は背後からの声に振り向きました。
部屋の扉に立っていたのは少年の父親でした。
「その『宝石』の中にいるのは最近見つかった星の生き物でね。
研究の為にいくらか採取したのだが、つまりその、捕り過ぎてしまった結果余ってしまってね。探索員たちで分ける事になったんだ。見てごらん。実に可愛いだろう」
部屋の中に入ってきた父親も『宝石』を一つ取り出し目を細めて中を覗きこみました。
「うん、すごいよ。ありがとう」
今の少年は誇らしい気持ちでいっぱいでした。
子供たちの間ではケース中にびっしりと並べられた標本であったり、あるいは流行りのカードや模型であったりといった様々なコレクションを得意げに見せびらしあったりするものですが、この自分の父親のお土産に勝る代物は無いと言ってもいいでしょうから。
どんなにお小遣いを貯めようとも、どれだけお金持ちの家庭の子供がパパにおねだりしたところでこんなに綺麗な『宝石』を手に入れるのは不可能でしょうから。
僕父さんの子供で良かったよ。少年は自分の父親の事を誇らしげに見上げるのでした。
それからの少年の生活はそれは幸せなものでした。
朝から晩まで頭の中は『宝石』の事でいっぱい。学校で授業を受けている最中も頭の中に浮かぶのは宝石の放つ水晶の輝きばかり。話を聞いていなくて先生に叱られたってへっちゃらです。
母親はそんな少年の様子を心配しますが父親は「まぁ男の子にはそんな時もあるだろう」と鷹揚に構えました。
少年は最初は標本を見せびらかしてクラス中の人気者になるのもいいかなと思いましたがやっぱり止めました。
だってあの標本は僕の大事な物だから。
自分だけの秘密。自分の守るべき物。そういったものがあっても良いじゃないか。
少年は良く漫画やドラマの中でみた男の誓いとか男の勲章といった言葉の意味が分かったような気がして、ちょっぴり大人になった気分になったのでした。
学校から帰り部屋に戻ると決まって机の引き出しから箱を取り出し、中の『宝石』を一つ一つうっとりと眺めるのでした。
『宝石』の中の女の子たちは自前の体皮の上から自分たちと同じように人工の衣服を身に纏っていました。それも他の原始的な生き物の標本との大きな違いと言っても良いでしょう。
例えばある女の子は少年たちの住む惑星の水兵さんが着るような服を身に纏い、別の女の子は身体の線の浮き出た薄いローブの様なものを羽織っています。
胸と腰の周りだけを布で覆っただけの女の子もいますが、大抵の女の子の着衣は腰の上と下で分かれていて、下に腰を覆うスカートと呼ばれる形状の着衣を履いているのでした。
女の子達には薄着の子もいれば何枚も服を重ね着している子もいます。
ひょっとしてこの生物は大気の温度の変化によって衣服を調整しているのだろうか。少年はそんな事を観察の最中に発見したりもします。
こうして見ると『宝石』の中で眠る女の子達には自分たちと同じように外見にそれぞれ個性と言って良い違いがあることが分かります。
それは今言った衣服の違いばかりでなく、生物としての大きさや発達具合であったり、種族の差を超えても感じられる容姿の差といった具合に。
例えば頭から生える髪が『宝石』越しにも分かる漆黒の子がいれば、淡い色をした子もいます。
生え方もさらさら真っ直ぐであったり、流れる波の様にウェーブを描いていたりといった違いがあります。
髪の毛だけ見ても実にこれだけの個性があるのです。
少年は『宝石』の中の女の子たちを頭の先からつま先まで上下つぶさに観察し、その都度様々な発見をしては喜びを感じ、そして夜は眠りにつくベットの中で興奮の余韻に浸るのでした。
「あなた最近愛想悪いわね」
教室で呼び止められた少年は振り返ります。彼を呼びとめたのはクラスメイトの女の子で、彼とは幼馴染に当たる関係です。
幼少の頃から遊んでいた長い付き合いで、少年のガールフレンドと言っても良いでしょう。
「うん、そうかな」
そう答える少年の様子はそんな事どうでも言いとばかりに上の空です。
彼にしてみればまどろっこしい話はどうでも良いから早く帰りたいというのが正直なところですから。
「別に私とあなたの付き合いだからさ。何も今さら丁寧にしろっていう訳じゃないけども、って聞いてるの」
もう、今は一刻も早く家に帰って『宝石』を眺めていたいんだから。
確かに君もチャーミングだけどそれはあくまで僕らの種族の間での話であって、『宝石』の中の天使たちとはとても比べ物にならないんだから。
帰り際、彼女からの怨みが篭った視線を受けて背中がチリチリと焼きつくのを感じましたが今の少年にはちっとも気になりませんでした。
少年は今日も相変わらず『宝石』を眺めています。
今では中の1人1人の顔を見分けられるようになった『宝石』に少年は愛を持って話しかけるのです。
あのね今日は学校でこんな事があってね。この街のお勧めの風景と言ったらやはりあそこかなぁ。いつか見せてあげたいな。
もちろん少年がいくら話しかけたところで『宝石』の中の女の子たちが返事をする事はありません。
それもその筈。彼女たちは『宝石』の中で仮死状態の深い眠りについているのですから。
少年にはそれが物足りなくて堪りませんでした。
折角こうして僕とそりゃ大きさは全然違うけど年の変わらない可愛い妖精達を目の前にしているのに、こうやってただ眺めているだけだなんて。そんなの我慢できないよ。
彼女たちとお友達になりたいな。向かい合ってお話をしてみたいな。小鳥の様な唇からはどんな甘い声が発せられるのだろう。呼吸をする時の平らな胸やお腹が上下に動く様子を見てみたいな。
今は閉じられたままの瞼の向こうの瞳はどんな色をしているのかな。覗き込んでみたら吸い込まれちゃいそうだよ。
少年には一度思いついた自分の願望を抑えることはできませんでした。
そして休日。
家の少年の部屋の古新聞紙を広げた机の上には標本を収めた箱と物置にしまいこんでいた学校の科学の授業で使った実験器具たち。傍らには父の書斎から持ち出した科学雑誌が置かれています。
少年がこっそりと調べたのは女の子たちを包む『宝石』を蒸発させる方法です。
『宝石』を蒸発させる事によって中に囚われた妖精たちはその深い眠りから目覚めるのです。今の少年はまさしく茨の中のお姫様を救出する騎士の様になった気分でした。
「よし準備ができたぞ」
雑誌のイラストに載っていた薬品の調合が完了しました。少年は薬品の入ったフラスコを手に取ります。
この薬品を『宝石』に垂らせば『宝石』は蒸発して消滅し、あの妖精たちが目を覚ますのです。
少年は『宝石』を一つ正面に置くとポトリと薬品を垂らしました。
しゅうううう。
『宝石』が音を立て消えて行きます。
徐々に薄れていった宝石はやがて完全に消え、待ち望んでいた妖精の眼ざめです。
もはや少年と彼女たちを仕切る壁は存在しません。
水晶越しにしか見る事の叶わなかった雪のように白い肌、ブロンド色をした髪の毛が今少年の目の前に現れました。
「う、ううん」
机の上で目覚めの時を迎えた女の子は可愛らしく呻き声を漏らしました。
目を覚ました直後でまだ頭がぼんやりしているのか、ここがどこだかわからない様子で周囲をきょろきょろと見まわしています。
「こっちだよ」
できるだけ優しい声を出したつもりでしたが頭の上から突然響いた彼の声は女の子を驚かせてしまった様です。
女の子は体をびくびくっと震わせ恐る恐る声のした少年のいる方を見上げました。
大丈夫恐がらなくていいよ。さぁその瞳をこちらに見せてよ。
けれども、
「ひ、ひいいいいいぃぃぃぃ」
何という事でしょう。
女の子が少年の方を見るとこの世のものでないものを見たかのような恐ろしい悲鳴を挙げたのです。
そして女の子の体はその声が象徴するかのような濁った灰色の固まりに変貌してそのまま動かなくなってしまいました。
「え……そんな」
少年を襲ったのはいけない事をしてしまったという罪悪感と取り返しのつかない事をしてしまったというたまらない喪失感。
彼はここで過ちに気付き自分の試みを中止するべきだったのでしょう。
けれども焦りから来る今のは運が悪かっただけなんだ、次こそは上手くいって見せるという意識が自制心に勝っていたようです。
少年は尚も続けます。
そして女の子たちが目覚め彼と目を合わせて行く度、
「いやああああああああぁ」
「うう、うわあああああああああぁ」
可憐な彼女たちには似つかわしくない恐ろしい悲鳴を挙げ、皆しゅうかいな姿で固まってしまいました。
次も。
次も。
そのまた次も。
「う、うう、ううぅぅぅ……」
そしてケースに入っていた30個全ての『宝石』全てが溶けた今、彼の目の前に立っている者はいませんでした。
彼が友達になる事を望んでいた『宝石』の女の子たちは、木で出来ているともクズ鉄で出来ているとも言えない澱んだ色をしたボロ細工の様な姿になって、彼の机の上に並んでいます。
ある子は両手で自らの体を抱きしめた姿で、ある子は彼の視線から自分を庇うように両手を突き出すような姿で。また別の子は先に変貌した子に寄り添った状態で時を止めています。
辛うじてかつての顔や手足は判別できるものの、その顔に浮かんだ表情は見ているこちらが目を背けたくなるほどに恐怖で歪んでいます。
あの細い可憐な手足も今では無造作に突き出された枯れ木から伸びる捩れた枝の様です。
彼女たちの様々な色をした鮮やかな髪も濁った色の澱に沈み、もう二度と見る事ができないのです。
「あ!」
自分の行為のもたらした結果に茫然としていた少年ですが、視界の隅の方、彼の行為の結果の産み出された造物の端に1人だけまだ動いている女の子に気づきました。
しかし彼女も無事であるとはいえません。机の上で這いつくばった女の子の体からはやはり恐怖からなのでしょうか、黒い粘液がぼたぼたと流れ落ちています。
黒く染まった体で自分の垂らした粘液の上を、ゆっくりと懸命に這っていました。
「いけない」
少年は1人残った女の子を救おうと、彼女の体を摘まもうとしました。
決して少年に悪気はありませんでした。彼女に触る時の力加減だって決して傷つけないように、間違いの起きないように十分に、十分に気を付けたのでしたから。
でもそれは良くなかったのです。
少年の視線が彼女たちに害をもたらしたように、彼が直接触れる事も彼女にとっては致命的であった様です。少年の指が触れると、粘液の上を這う女の子はひときわ強く体をびくっとさせました。
慌てて少年は指を離しますが、彼女は黒い粘液の上でひくっひくっと体を痙攣させ、やがて粘液に包まれたまま動かなくなってしまいました。
「ううう、ううううううううううう」
少年は机の椅子から飛び出しベットに顔を埋めると、その日一日中泣き続けました。
「一体どうしたのかしら。今日はずっとああなのよ」
一日中部屋に閉じこもったままの少年。キッチンでお気に入りのテレビアニメを見ようともせず、家族の揃う晩御飯の時間になっても部屋から出てきません。
母親も心配になって部屋の様子を確かめても、少年はベットに顔を埋めて項垂れているだけなのです。
「僕が行ってくるよ。これはおそらく男同士の問題だろうから」
そんな妻に対して父親はそうとだけ言うと、家の階段を登っていきました。
「ここは暗いね。明かりを点けるよ」
息子の部屋に入った父親はそう言うと扉の側のスイッチをかちっと付けます。
照明が付き部屋が明るくなると部屋の様子が露わになります。
ベットの脇には母親の言っていた通り、顔を埋めて項垂れる少年が。
机の上には自分の書斎から持ち出された雑誌に、科学の実験器具。そして見覚えのある箱と箱から取り出されたそれのなれの果てを見た時、父親は全てを察しました。
最近の少年の様子から薄々の予感は感じていましたがそれは当たっていたのです。
「そうか、『宝石』の封を開けてしまったんだね」
父親は少年の傍に寄り添い優しく肩を抱くと続けます。
「あの『宝石』の中にいたのは『人間』という地球と呼ばれる星に住む生き物でね。
とても繊細でか弱い存在で我々の姿を見る事すら彼らの精神には耐えられないんだ」
「こんなひどい事をするつもりじゃなかったんだ。話をしてみたかったんだ。お友達になりたかっただけなんだよおおおお」
少年は父親の胸にすがると堪らず嗚咽交じりの涙声を漏らしました。
「だから彼ら人間とはああして『宝石』を通してでしか触れ合う事が出来ないんだ。
決してその先を望んではならない。或いはいつか彼らの精神がこの銀河を司る我らオーバーロードと共に歩めるようになるまで進化する、その時まで」
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
少年は父親の胸の中でただただ謝り続けました。
それは折角の父親のお土産を無残な物にしてしまった事に対する詫びでしょうか。悪気はなかったとはいえひどい目にあわせてしまった『宝石』の女の子達に対する精一杯の謝罪なのでしょうか。
それとも愚かだった自分に対する後悔の念が彼に涙を流させているのでしょうか。
いえ、おそらくはその全てでしょう。
きっと今の彼の中では様々な気持ちがぐるぐると渦を巻いている筈です。父親の持って帰ったお土産は不幸な結果に終わってしまいました。
けれども少年の父親は少年がこの経験を通して強く鍛えられる事を望みました。
父親は少年が泣き疲れて寝てしまうまでその腕で優しく彼の事を抱きしめ続けました。