3話
古城と泉がお互いを意識しているのは丸わかりだった。
一応、津多が二人の接近を邪魔しているようだが、こっそり古城は泉の許へ行っていた。
僕はそんな二人を見つめる。
ある日は、泉の好きな菓子を餌に古城が奴の隣を陣取る。夢中で菓子を食べる泉を、古城は幸せそうに眺めていた。
ある日は、楽しそうに話しかける古城に、泉が素っ気なく返事する。本当に嫌なら泉は無視している。泉が少しづつ心を開いているのが、僕には分かった。
ある日は、泉の暴言に古城が泣きそうになっていた。奴はついつい恥ずかしくて、キツイ言い方をしてしまったようだ。あたふたしながらも古城の機嫌を取ろうとしていた。
ある日は、泉と古城が見つめ合っていた。恋人というには拙いが、ただの友達にも見えない。
少しづつ二人の距離は近づいていた。
「ちょっといい?」
津田が声をかけてきた。部活前だったので断ったが、しつこくお願いされて仕方なく付き合う。
空き教室まで連れていかれ、僕は何事かと眉を潜めた。
「日比谷」
「何?」
津多は目を泳がせた。精神状態が良好とは言えない今は、ちょっとしたことでも苛ついてしまう。
僕は話を促すべく、津多の頬を両手で挟んだ。
「ちょっ、ち、近いわよ」
「言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれる?」
「わ、分かった! 分かったから離れて」
言われた通りにすれば、津多は大袈裟に後ろへ飛びのく。そんなに僕の近くにいるのは不快なのか。
「ねぇ、スズのこと好き?」
僕は呻きそうになるのを堪えた。どうして、今、それを聞いてくるのか。どうして、このタイミングなのか。津多は間が悪すぎる。
「……だったら、どうだって言うの?」
「私ね、日比谷だったら良いと思ってたの。日比谷だったら、きっとスズを大切にしてくれるって。だからね、私が応援するから」
「余計なお世話だよ」
抑揚のない声が出た。津多の表情が凍りつく。
「お前、何様のつもりだよ」
「わ、私はただスズが泣くところを見たくなくて……同じくらい日比谷の辛そうな顔もみたくないって思ってて」
津多は偽善者だ。自分が気に入らない相手を受け入れたくないだけなんだ。それなのに、彼女や僕を理由にする。
僕には分かる。津多の焦りが。
確かに泉は、古城を傷つけてばかりだ。それでも古城は、泉から離れない。奴が好きだと言葉だけでなく、態度で示し続ける。古城の想いは真っ直ぐで、眩しくて、何もできない僕など気後れするほどだ。
古城の想いは、泉の冷えた心を温めていく。
泉は情の深い男だ。懐に入れた相手は、とことん大切にする。
奴を殴って謝りもしない僕が、今危機的状況に陥ったとしても、必ず助けに来てくれる。僕には断言できた。僕の幼馴染みで、親友の泉は、そういうことのできる人間だ。
「津多、相手を見限るのは簡単だよ。だけど、信頼するのって難しいことだ。特に泉にとってはそれがとても難しい。どうもさ、古城にはそれが分かってるらしい。だから、古城は何を言われてもめげないんだ。泉に信頼してほしいから、頑張ってるんだ」
「何を言ってるのか、私には分からないよ」
力なく津多は言った。
本当はわかっているのだろう。
もう、手遅れだ。僕たちがどう足掻いたって、二人はもう。
「何もできない僕を笑いなよ。僕はね、情けない奴なんだ」
「そんなことない。日比谷は優しいもん」
違うよ。僕はただの臆病者だ。好きな人にぶつかる勇気もなければ、幼馴染みを裏切る狡猾さもない。
しかも、関係ない津多に八つ当たりしてしまう最低野郎なんだよ。
もうダメなのだろう。幼馴染みを、好きな人のことを応援するべきなのかもしれない。
でも、僕はそこまで達観できない。
夏休みも間近に迫っていた。部活に、勉強、やることは沢山あるはずなのに、やる気が出なくて、学校をサボった。
ぽつんと部屋の中に一人でいると余計なことを考えてしまう。
苦しい。泣きたい。情けない。浅ましい。馬鹿みたいだ。
僕は何をしているんだろう。
学校を休んで二日目、母は僕を叱りながらも心配しており、幼い妹は「お兄ちゃん、元気になって」と自分のおやつを置いていく。
情けない。
早くこの気持ちを断ち切らなきゃと思えば思うほど、息苦しくなった。
夜、鬱々としていた僕の部屋の扉が開く。
母か妹かとカーペットに寝転んだまま、ぼんやり見ていれば、一番顔を合わせたくない奴の足が見えた。
「勝……?」
「帰れ」
寝返りをうち、泉に背を向ける。
「お前、最近可笑しかっただろ? おばさんもチビちゃんも心配してる。俺だって心配してんだからな」
「帰れ」
泉が僕の近くに腰を下ろした気配がした。奴の持ち込んだクッションに座ったのだろう。
「あれ、だよな。あれからお前とちゃんと話してない」
「お願いだから、帰ってくれ」
「ダメだ。勝がちゃんと俺の顔見て話してくれるまで帰らない」
「帰れって言ってるだろ!」
久しぶりに正面から見た泉の顔は、何時になく真剣だった。学校で見せていた余裕たっぷりの人を小馬鹿にしたような笑みはない。僕は泉のその顔が虚勢だと知っていた。
本当の泉は神経質で、気にしいで、怖がりだ。人に嫌われることを何より怖がる。それは、幼い頃、大好きだった父親に突き放されたから。両親が離婚したのは、泉のせいではないのに、泉は自分が父親に嫌われたからだとずっと思っている。
僕の中に最低の考えが浮かぶ。僕は、泉が羨ましかった。妬ましかった。
「全部、泉のせいだ」
言っちゃダメだ。それだけは、ダメだ。僕は、泉の友達なのに。泉の一番近くで、泉の良いところも、悪いところも知っている僕が、泉の父親のようなことをしてはダメなのに。
わかっていても、止められなかった。
「ズルいよ! 僕は、僕はずっと古城が好きだったのに! 泉は古城に酷いことばかりするのに、どうして好かれるんだ! これじゃ、僕が、津多が、悪者みたいじゃないか。僕らは、泉から古城を守りたかっただけなのに」
津多まで巻き込んで何を言っているのだろう。僕は、何もせず見ていただけなのに。偉そうなこと言える立場じゃないのに。
「泉なんて、大嫌いだ! 顔も見たくないんだ! 帰ってくれ」
「そ、か……そうだったんだな。勝は、昔から隠すのが上手いからな。かくれんぼもいつも最後まで見つからなかった。勝、俺……」
泉は何かを言いかけて止める。悪かったとだけ呟いて部屋を後にした。
僕が古城寿々音を好きになったのは、些細なきっかけからだった。
入学式から数日が経過し、教室内では仲の良いグループができあがっていた。
同じ部活、同じクラスの藤並と仲良くなる内、泉とも距離が開きはじめた頃だ。ちょっと前まで毎日のように互いの家を訪れていた僕たちが、教室でしか会わないようになった。
その日、古城のことが話題にのぼった。古城は絵の賞を取ったことがある。結構大きな絵画展だったらしく、当時は天才少女と持て囃された。そんな古城は頭も良く、物静かで可愛らしい。誰かがはしゃぎながら、彼女のことを話していた。
僕はといえば、さほどその話に興味が持てず、何か別のことを考えていた。
その場に泉もいたが、奴も僕と同じような反応を示していた。
状況が変わるのは数日後。僕は、教師に次の授業で使う資料を取りに来いと名指しで言われ、別棟にある図書室へと向かっていた。
その途中、資料庫となっているはずの部屋から話し声が聞こえてきた。
その楽しげな笑い声につられるよう、こっそりと部屋に入り、彼女を見つけた。
窓辺の床に座り込んでスケッチしながら、誰かと話している少女。窓は少し開いていて外に誰かいるようだが、姿は見えない。
さらさらとした髪が揺れる。くすくすと耳を擽る笑い声は愛らしくて、控えめに弧を描く口元は上品だった。僕が今まで見てきた女の子と全然違う。
胸が高鳴った。
けれど、その時の僕は関心がないふりをして、その場を去った。
恥ずかしかった。女の子に見惚れるなんて経験を今までにしたことがなくて、勘違いかもしれないと思っていた。
それからは、古城を探すようになってしまう。
彼女のことを知る内、自分の感情にも気づいていった。
決定的だったのは、美術室で絵を描く彼女を見た時。
夕日の差し込む教室で、真剣に製作に取り組む姿は、大人の女性のようで、色っぽくすらあった。
普段は可愛い印象の強い彼女のそんな姿に、僕はやられてしまったのである。




