幼馴染が縦横無尽過ぎてラブコメどころじゃない
僕の幼馴染である輪子は縦横無尽だ。
良く言えば自由人。悪く言えば理不尽。
やりたい事をやりたいようにやる、それが輪子って女の子だ。
僕はそんな輪子に振り回されてばかり。
御蔭で受験勉強もままならない。
え? 幼馴染の女の子がいるようなリア充は爆発四散すれば良いって?
冗談じゃない!
君らはアイツがどれだけ異常なのかを知らないからそんな事が言えるんだ!
それなら僕がアイツにどれだけ迷惑を被っているのかを垣間見て頂こうか。
おっと、噂をすればというやつだ。
どたどたと僕の部屋へと向かう足音が聞こえて来る。
そして勢いよく開かれるドア。
そこに立っているのは、一人の女の子。
セーラー服に身を包み、サラサラの長い髪を後ろでギュッとまとめたポニーテール。
化粧っ気のないその顔は、ボーイッシュで。
綺麗というよりも可愛いらしいといった言葉がしっくりと来る。
間違いなく、僕の幼馴染である輪子である。
しかし何故にセーラー服。
うちの学校って私服通学でしょうよ。
まあ、似合ってるから、良いんだけどね。
彼女はドアを開けるなり元気いっぱいにまくしたてる。
「やっほー! タケシ! かわいい、くぁわいい輪子ちゃんなのだー!」
輪子は、そのまま僕へとダイブ。
その行動はお見通し!
サッと身を引けば、輪子はそのまま僕のベッドへと倒れ込む。
そして右へ左へとゴロゴロと暫く転がる。
その後、満足したのか、うつ伏せの姿勢でピタリと止まり僕を見る。
「にひひっ」
何だか凄く嬉しそうに笑いだす。
む。何でこいつはこんなに嬉しそうなんだ。
バカなのかな。
いや、バカだったね。
「否定しないって事は、タケシも輪子の事が可愛いって思ってくれているんだよね! これには流石の輪子ちゃんも照れちゃうぜ! にっひひひっ」
嬉しそうに僕の枕に顔を埋め、足をバタバタとさせ、その度にスカートの裾がひらひらと舞う。
客観的に輪子の容姿だけで判断するならば、間違いなく可愛いと言えると思う。
見た目だけは…… 本当に可愛いんだよなぁ。
内面も可愛い幼馴染だったらと、何度神様に願った事か。
祈った事か。
そして呪った事か。
輪子の可愛さを肯定してしまえば、何かに負けたような気分になってしまうし、慌てて否定でもしようものなら、お調子者の輪子の事だから「素直じゃないにゃー」とか言い出し始める事は目に見えてる。
輪子のペースに乗せられてしまったら、何時もみたいに振り回される事になっちゃうぞ。
相手にしちゃだめだ。
こうやって意識しちゃってる時点で、完全な無視は出来てない気もするけども。
僕はこんな事をしている場合じゃないんだ。勉強をする事にしよう。
暫くジタバタしていた輪子だけれども、やがてその動きもぱたりと止まる。
スルーを決め込んだ僕の反応が不満だったらしい。
「無視しないでよー、つーまーんーなーいー」
輪子はベッドから降り立ち、不貞腐れてた様子で、机へと向かう僕の後ろから抱き付いてくる。
近い! 近いよ!?
いくら幼馴染だからと言っても近すぎる!
僕も健康な身体の持ち主な訳で。
思春期真っ盛りな青少年な訳で。
女の子の体に興味もある訳で。
背中に柔らかい感触がある訳で。
僕の首に回された腕が温かい訳で。
僕の顔のすぐ横に輪子の顔がある訳で。
首筋に触れる吐息がこそばゆい訳で。
磯の香りがする訳で。
磯の香り?
って、生臭ぁ! 輪子さん! あなた、すげー生臭いんですけどぉ!?
「にゃはははっ 実は今日の午前中にちょっと漁船に乗ってきたのだー!」
漁船ですとぅ!?
普通なら、冗談だと笑い飛ばすところだけども、何せ輪子だからなぁ。
何してるの、この子。
普通の女の子って、シャンプーの良い香りや、甘酸っぱい汗の匂いとか、これぞ青春! って感じの芳香を発するもんでしょうよ。
それが磯の香り、いや、むしろ生魚。
10代の女の子が発して良い臭いじゃないでしょ。
第一、中学生がちょっと漁船に乗らなきゃいけない状況って何なの。意味が分からなさ過ぎる。
「それで、タケシってば何してるの?」
見れば分かるでしょ。
勉強だよ、勉強! 受験戦争は既に始まってるんだよ。
抱き付いたままに、問いかけてくる輪子へと僕はこれ見よがしにノートを見せつける。
「ほうほう。それは御立派なのだ。そんなタケシくんには差し入れを御提供!」
彼女が取り出したのは1本のペットボトル。
ぱっと見は何の変哲もないウーロン茶。
問題があるとすれば、既に封が切られているという点。
封が切られているという事は飲みかけだという事。
つまりは間接キス。
だが、間接キス程度でいちいち動揺してちゃ、輪子の幼馴染は務まらない。
それに輪子とは物心がついた時には一緒にいた訳で、間接キスどころか、実際にキスをした事だってある。……幼稚園の頃の話だけどね。
ちなみに飲まないという選択肢はない。
誤解がないようにいっておくけれども、何がなんでも間接キスがしたいって訳じゃない。
輪子の事だ。
僕が拒否ろうものなら、「あれー? 間接キスとか気にしちゃうタイプ? 輪子の事を異性として意識しちゃってる系? にひひひっ照れるにゃー」とか、言い出すに決まってる。
ここはクールにさりげなく飲むのが多分ベスト。
そんな訳で液体を一気に喉へと流し込む。
うん。間接キスという点を除けば、なんてことはない普通のウーロン茶。
魚臭さ満点の輪子の事だから、魚醬でも詰まってたりするんじゃないかとと内心ドギマギしていたけども、流石の輪子もそこまで非常識でもなかったみたいだ。
これなら飲める! 飲めるぞぉ!!! と、ゴクゴクと飲んでみれば、その様子をじっと見つめていた輪子が、ほんのりと頬を染める。
「にひひっ、タケシと間接キスなのだー!」
ふふん。その発言は想定内。
生まれてこの方10数年。伊達に輪子の幼馴染をしてる訳じゃないってね。
その程度の揺さぶりで動揺する僕じゃない。
「お相手は漁師のおっさんなのだ!」
ぶふぉ! おまっ げほっ ごふぉっ!
その発言は想定外!
何てものを飲ませるんだ!
ああ、もう! 飲み込んだウーロン茶が入っちゃダメな方に入っちゃったじゃないか。
何でわざわざ漁師のおっさんの飲みかけを持って来てるんだよ!
おっさんとの間接キスとか、思春期男子には厳しすぎるだろ!
いや、思春期男子じゃなかったとしても厳しいわ!
まさかこの為だけに、わざわざ漁船に乗ったのか?
悪戯にしても酷すぎる!
よし、決めた。
暴力は好きじゃない僕だけれども、ぶっ飛ばそうと思う。
え? 誰をですって?
勿論、輪子さんをですよ。
あと、娘の教育を間違えまくってる輪子パパもぶっ飛ばそうかと思う。
記憶が無くなるくらいにまでぶっ飛ばして、無かった事にしよう。
堅く、堅く拳を握りしめ、衝動のままに振りぬこうとしたその時。
「なーんて嘘なのだ! 実は私の飲みかけなのでした!」
輪子が無邪気に笑う。
セーフ! 僕、セーフ!
ついでに輪子パパも命拾いセーフ!
危ない危ない。危うく一生もののトラウマを背負うところだった。
「にひっ タケシってば嬉しそうなのだ! そんなに輪子との間接キスが嬉しかった?」
彼女はしてやったり感満載の表情と声色で言う。
ああ、良かったよ!
少なくとも見知らぬおっさんとの間接キスと比べたらね!
だけど、それは-100点と-10億点のどちらかならば、-100点の方がマシだというだけであって、僕の心の収支的にはガッツリと赤字だからな!
「にっひひひ これも地道なリサーチの結果なのだ。 ちなみに情報源にはクローゼットの中のあれも参考にしていたり!」
輪子は勝ち誇ったように胸を張る。
漁師のおっさんとの間接キスを意識させる事によって、自分との間接キスの価値を引き上げるとか、どんなリサーチ方法だよ。
って、ちょっと待って。
何で輪子がクローゼットの中のあれを知っている!?
父さんや母さんにも知られていない僕だけの秘密なのに!
「にひひっ あの程度の偽装で誤魔化せると思っていたとか片腹痛くて笑っちゃうのだ! にっひひひひっ」
彼女は笑う。
ひょっとして、輪子がポニーテールなのも。
セーラー服を着用してるのも。
全部、クローゼットの中のあれが情報源だって事なのか?
うあああ! 心当たりがあり過ぎるぅ。
心の中で、のた打ち回る僕。
そんな僕に輪子から容赦ない追撃が放たれる。
「ちなみにクローゼットの中の情報源に関しての情報源は、タケシのママなのだ!」
ちょ!?
母さぁん!
あなた何て事をしてくれちゃってますの!?
常々「輪子ちゃんが早くタケシのお嫁さんになって、うちの子になれば良いのに」って可愛がっている事は知ってるけども!
可愛がる優先順位は間違えちゃダメぇ!
先ずは実子の僕!
ぶっちぎりで僕!
左アングルからの僕!
振り返ってからの僕!
輪子の順位はその次くらいにしといてぇ!
はぁ、はぁ、ハッ!?
ダメだダメだ。僕とした事が我を失い過ぎてる。
ここは冷静に。一旦落ち着こう。
あれがバレたというのは確かに恥ずかしい、というより少しばかり照れくさい。
ちなみにあれ、というのは、国民的アイドルグーループ、念仏坂49。
その不動のセンターバックであり、更にソロデビューシングルの『来来来世』がそれまでの売り上げトップだった『踊れたい焼さん』超えの売り上げ枚数を達成。
年末の紅白歌戦争にも出場した現役女子中学生アイドルの地獄谷メグル。
そのメグルちゃんのCDや写真集などを集めた秘蔵のコレクションだ。
でも、輪子に知られたからといって何の問題がある?
現状としては、輪子がポニーテールにしたり、そのコスプレをしたりするくらいかな。
うん。何の問題もない、ないよな?
一瞬、この世の終わりみたいな気分になったけれども、これなら大丈夫そうじゃないか。
ふう。焦って損し――――
いや…… ちょっと待てよ。
何かスルーしちゃダメな事があるような気がする。
よく思い出せ、輪子は何て言っていた?
今日の輪子の台詞を順番に思い出してチェックをしていく。
そして。
『情報源に関しての情報源はタケシのママなのだ!』
あああああ!?
バレてたぁぁ!
よりによって一番バレちゃダメな人にバレてたぁ!
幼馴染にバレようとも、同級生にバレようとも、そんなのは余裕で耐えられるけども、母さんだけはダメぇぇ!
母さんに「あらあら、タケシはこういう子が好きなのね」とか思われてたって事でしょ!
流石にキツイ!
膝から床に崩れ落ち、そして無様にのた打ち回る。
恥ずかしいぃぃ!
いっそ殺せ!
殺してくれぇ!
暫くジタバタと転げまわったりもしたけども、そんな事をしていても事態が好転する訳もなく、無駄に体力を消耗しまくっただけで、やがてその体力も尽きて止まる。
だけども、涙だけは尽きる事無く流れ落ちていく。
ああ、このまま溶けてしまえたら良いのに。
帰りたい、大地に。
そんな僕を見つめる存在がいる。
輪子である。
「にっひひひ。さっきから、顔が真っ赤になったり、真面目な顔になったり、騒いだり、ぐったりしたり、見てて面白いのだー。やっぱりタケシってば、最高なのだ!」
そうですか。それは良かったですね。
輪子さんの気分は最高なのかも知れませんけどね。僕の気分は最低です。
全く…… 誰の所為でこんな目に遭ってると思ってるんだよ。
全部とまでは言わないけど、概ねは輪子さんの所為なんですけどね。
でも、これで少しは分かって貰えたでしょ?
僕が如何に輪子に振り回されまくっているかって事を。
誰か助けて。
そんな僕を嬉しそうに見つめていた輪子だけども、やがてすっくと立ちあがる。
お? ひょっとして帰るの? 帰ってくれるの?
野生のタケシは立ち上がって、仲間にして欲しそうな目で見つめたりもしないから、是非ともこのまま帰って欲しい。
「ウーロン茶を飲んだ所為なのかな。少し催してきてしまったのだ。にひひひひっ。トイレに行って来るのだー! 覗いたらダメなんだからね!」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、輪子は言う。
流石は僕の期待を裏切る事に関して定評のある輪子さん。
帰る気配は微塵もない。
それでも、トイレに行くという事は一旦はこの部屋から出ていくという事。
それなら、ドアをロックして締め出してやる。
さぁ、出ていってくれ。直ぐに出ていってくれ。
僕の思惑も知らずに、輪子はトテトテと歩き、部屋を出ていく。
パタンと閉まるドアを確認した瞬間。
GO!
バネ仕掛けのおもちゃの人形のように跳ね起きる。
一目散にドアへと向かい、ドアの鍵へと手を伸ばす。
ドアのロックOK!
これで輪子が戻って来ても、とりあえずは大丈夫!
次にすべきは、クローゼットの中の確認。
輪子の事だから、あれに何か悪戯を仕掛けている可能性は十分にある。
どうか無事であって欲しい。
そんな祈りにも似た願いを込めながら、クローゼットを開けるとそこには。
何か居た。
「きゃー! 覗いちゃダメって言ったのにー! のび太さんのえっちー!」
というか輪子だった。
悲鳴と共に僕の頬に衝撃が走る。
そして、輪子はプンスカと頬を膨らませ、如何にも怒ってますという感じを醸し出しつつも、クローゼットを勢いよく閉じる。
?????
どういう事?
これ、トイレのドアじゃないよね。
僕の部屋のクローゼットだよね。
未来へと繋がる机の引き出しでもなければ、猫状ロボットの住まう押し入れでもないし、好きなところへ移動出来ちゃう便利なドアでもない筈だ。
僕はただ、自分の部屋のクローゼットを開けただけ。
それだけの筈なのに、何故かクローゼットの中にいた輪子にのび太呼ばわりされた挙句、ビンタまでされる始末。
解せぬ。
解せぬが、もう一度開けてみる。
「お帰りなさいあなた。セクシー輪子写真集にするのだ? それとも、わ・た・し?」
やっぱり、輪子がいた。
しかも古臭いドラマの新妻みたいな事を言ってらっしゃる。
それって、僕に嬉しい要素がほとんどないのだけど。
一体何の罰ゲーム?
本当に状況は分からないけども、ここは深呼吸でもして落ち着こうと思う。
吸ってー、吐いてー、吸ってー。
そして。
チェストおおおおおお!
全力で手刀を叩き込む!
狙うは輪子の眉間である。
「痛いのだ! 暴力反対! EV反対ー!」
涙を浮かべて蹲る輪子。
うるさい! トイレはどうしたんだよ!
先にビンタしたのはそっちでしょうよ。
それにEV反対ってなんだよ。それを言うのならDVだろうが。
EVって電気自動車の事だろ。どう考えてもこれからはEVの時代だろうよ。何も考えてない癖に無意味に時代の流れに逆らうんじゃないっての。
それに僕と輪子は夫婦でもないから、DVでも間違いだけどな!
それで? あれは―――― 僕のメグルちゃんコレクションは、無事なんだろうな?
僕の言葉に輪子は悲痛な表情を浮かべて首を振る。
え? ま、まさか?
僕のメグルちゃんが……
「というのは、冗談でここにあるのだ!」
あるのかよ!
良かったぁぁぁ。
それにしても悪戯にしては笑えないぞ!
僕がそれをどれだけ大事にしていると思ってるんだ!
「あうう。ごめんなさい」
僕の言葉に項垂れる輪子。
素直か。いや、基本的に素直ではあるのか。
その素直さの99%が自分自身の為に発揮されてるいるだけで。
しょぼんと肩を落とす姿は、何だか叱られた仔犬のようで。
こっちが悪いことをしている罪悪感には見舞われない。
今までに何度も繰り返されて来た光景だからね。
喉元過ぎれば、というやつで直ぐに忘れるに決まってるし。
それにしても、トイレに向かった筈の輪子がどうしてクローゼットの中にいるんだよ。
一体どうやって入ったんだよ。
「にひひっ勝手知ったる他人の家というやつなのだー!」
ほら、もう忘れた。
そしてその言い分は分かる。
いや、本当は分かりたくないのだけれども、認めざるを得ない。幼馴染だしね。
でもさ、その家の住人よりも、家の勝手について詳しくなっちゃう他人ってのはどうかと思うぞ。
だから吐け。どうやって侵入したのかキリキリと吐くのだ。
「言えないのだ…… それを言っちゃったら、輪子はタケシのお嫁さんになれなくなっちゃうのだ」
そう言った輪子は今にも泣き出しそう。
何それ怖い。
何なの? その何らかの陰謀が蠢いてそうな設定は。
何よりも、輪子が僕の嫁になれるつもりでいるところが一番怖い。
僕にだって選ぶ権利はある筈なのだけど。
それにしても、意味不明に過ぎる。
輪子の滅茶苦茶っぷりは今に始まった事でもないけども、嘘だよな?
「うん。嘘なのだー、にひひっ」
でしょうね!
「本当は、もしもタケシが反抗期を迎えて引き篭もった時、部屋から引きずり出す用の隠し通路があるのだ! タケシのパパに教えて貰ったのだ!」
父さん、あんたもか!!
もう少し息子を信じましょうよ。
反抗期対策に全力を出し過ぎでしょうが。
むしろ、その事実を知ってしまった今、まさに反抗期を迎えてしまいそうなんですけど。
うちの両親ってば揃いも揃って碌な事してないなぁ。
僕自身、今まで良くもグレずにここまで育ったと思うよ。
それも、今日までかも知れないけどね。
結局、輪子の隔離には失敗してるし。
気が付けば、結構な時間が経ってるというのに、ぐるんぐるんと振りに振り回されっぱなしで勉強も全く進んでない。
そうだ。勉強だ。
今度こそ輪子の存在は居ないものとして、勉強に集中するのだ。
「まだ勉強するのー? そんなの後回しにして輪子と遊ぼ!」
嫌だね。僕は受験に勝ち残ってお前とは別の高校へ行く。
せめて学校生活だけでも、普通の日常ってやつを手に入れてやる。
僕にだってそれぐらいの自由はあっても良いだろ?
だから邪魔をしないでくれ。
「え? 同じ高校には行かないのだ?」
ああ、行かない。というか、行けないだろ。
こう見えても僕って結構成績良いんだぞ。
「それは嫌なのだー! 輪子もタケシと同じ高校へ行くのだー!」
ひっくり返り、ジタバタと喚きたてる輪子。まるで駄々っ子のようだ、というか完全に駄々っ子そのもの。
それは無理だろと言いかけて僕は気が付く。
輪子が勉強をしているところは見た事がないし、何時も滅茶苦茶しているから、バカっぽいイメージがあるけども、実際の学力はどうなんだ?
機転や発想の柔軟さは優れているような気もしなくもない。
でも、掛け算九九とかすら覚えていないと言われたとしても、それはそれで納得出来てしまう気もする。
そんな僕自身では結論の出ない疑問と共に輪子を見つめてみるけど、やっぱり結論なんて出る訳がない。
ここは一つ試して見るべきだろう。
その結果次第で、僕の人生プランを大幅に修正する必要も出てくるだろうし。
輪子、よく聞いて欲しい。
お前が僕と同じ高校へ進めるのかどうかを調べてみようと思うんだ。
今から出す問題に答えてみてくれ。
僕の言葉に駄々を捏ねていた輪子の動きがピタリと止まる。
「輪子がタケシのお嫁さんに相応しいかのテストという訳なのだ? にひひひっOK、掛かって来いやー!」
聞き捨てならない言葉が混じっていたように思うけども、輪子のやる気はマキシマム。
これを削ぐのは得策じゃない。
それじゃ、とりあえず、かけ算九九からいきますか。
2×1=?
「にひひひっ流石にそれは輪子を馬鹿にし過ぎなのだー!」
やっぱりこれ位は分かるよな。悪い悪い。でも、念の為だ。一応答えを言ってみてくれ。
僕に促されると、輪子は少しだけ不満な表情を浮かべつつも口を開く。
「深淵をのぞきこむ者は、深淵からものぞきこまれているのだ!」
なにこの子、怖い。
2×1=の答えを聞いたら、何だか患って拗らせた中学生みたいな事を言い出したんだけど。
いや、ちょっと待てよ?
このフレーズは何処かで聞いた事があるような……
そうか! ニーチェか!
確かこれはニーチェの言葉だった筈だ!
2×1=を問われてニーチェで応じやがったのか!
うん、バカだな。何だそのフフーンと言わんばかりのドヤ顔は。
それでインテリジェンスに富んだ回答をしたつもりか?
ぷくっと膨らんだ鼻が最高にイラっと来るんだけど。
はい、テスト終了。プランの変更は必要なしで決定です。
「わー! 嘘なのだ! 流石にかけ算九九くらいは分かるのだー! 輪子はタケシがふざけてるのかと思ったのー! 嫌ー! 捨てないでー! お願い! 何でもするから!」
涙ぐみながら輪子が僕にしがみ付いて来た。
人を女の子を弄んだ挙句に捨てるクズ男みたいに言うんじゃない!
ええい、離れろ! あ、こら、鼻水が!
というか、折れる! 背骨が折れる! 痛い! いだいって! いだだだだだだ!
「輪子を、輪子をぉぉ! 捨ーてーなーいーでー!」
分かった! 分かったから離れろってば!
僕は全力で縋りついてくる輪子を何とか引きはがす。
確かに僕もちょっとバカにし過ぎていたような気はしないでもないけども。
でも、次からは真面目に答えろよ。
「うん。頑張るのだー!」
僕の言葉に輪子は鼻水を拭き、両手をギュッと握りしめて如何にも頑張るぞ! って感じのポーズをとる。
何だよこの野郎。あざと可愛いじゃないか。
だけど、手加減はしない。ちょっとでもダメだと思ったら容赦なく見限るからな!
そんな訳でドンドン問題を出していく。
出した問題を解いていく輪子。
あれ? 意外と出来るぞ?
落ちこぼれと言うほどでもない感じ。
「タケシ、これってどうすれば良いのだ? ふむふむ。なるほどー 」
こんな感じで、たまに間違えたり、行き詰ったりしたりしても、教えてやれば理解出来る。
この様子なら今からでも頑張れば、受験までに間に合うんじゃないか?
コイツって地頭は良いんだな。
それに。
何度か言っているけれども、輪子ってば、ルックスだけは抜群だ。
真面目に勉強に取り組んでいる表情は、普段よりも少しだけ大人びて見える。
何よりも距離が近い。
何時も距離は近いのだけど、輪子の常軌を逸しまくった所業の所為でそれを意識する事は少ないのだけど、この状況では流石に女の子として意識してしまう。
何時もこんな感じでいてくれれば、同じ高校に通っても良いかも。
そんなタイミングで、不意に輪子と目が合う。
「にひひひっ」
輪子は嬉しそうに笑う。
ヤバい。見透かされたか?
「何だかタケシが優しいのだ!」
良かった。僕の動揺にはどうやら、気が付いてないみたいだ。
でも、それじゃまるで普段の僕が優しくないみたいじゃないか。
お前がおかしなことばかりするからだろ。
輪子が普通にしていてくれるのなら、僕だってそれなりには接するさ。
「ふぇ? つまり、勉強をすれば、輪子に優しくしてくれるって事なのだ?」
勉強だけに限った事じゃないけども、まぁ、そうだな。
「ぐぬぬぬ。タケシに構って貰いたくて、色々頑張ってきた輪子の今までの努力とは……」
努力のベクトルが間違い過ぎだろ。
構って欲しいから、ちょっかいを掛けるって小学生男子かお前は。
輪子が普通になってくれるのなら、僕だってほら、もうちょっと仲良くしたりすることも吝かではないというか。むしろ仲良くしたいというか。って、雰囲気に流されて何を口走ってるんだ僕は。
ぽとり。
俯いた輪子の顔の当たりから何かが零れ落ちる。
それは幾つも続けざまに落ちる。
ひょっとして涙?
ちょっと待って。今、僕って輪子を泣かせるような事言ってたか?
「ち、違うのだ。これは涙じゃないのだ。これは、これは……」
涙じゃない? 確かに言われてみれば、零れ落ちたものは、液状ではなく固体だ。
それなら、コンタクトレンズなのかと思ったりもしたけども、3つ以上落ちている時点でそれも違う。
手に取って拾ってみれば。
魚の鱗かな?
はいはいはい。読めましたよっと。
要するに、僕の気を引きたくて悪戯してたけども、それが全部逆効果だったと分ったと。
つまり、目から鱗が取れたって言いたい訳ね。
ひょっとしてこれの仕込みの為に、わざわざ漁船にまで乗り込んだってのか?
いや、目から鱗を出す為だけに流石にそんな事はしないか。
でも、使えるタイミングを見計らってはいたんだろうな。
そしてそのタイミングが訪れたと、そういう訳ね。
ダメだな。そういう事をするから優しくされないんだって全然分かってないっぽい。
まぁ、この程度の悪戯なら、まだ可愛げもあるから良いんだけどね。
「ぅぅぅ。輪子の目から、目から……」
はいはい。鱗が取れたって言うんでしょ?
「本マグロがあああああ!」
輪子の言葉と共に飛び出す魚体。
何ですとぅ!?
鱗じゃないだとぅ!?
目から本マグロとか普通は出ないだろ!
いや、それを言ったら鱗も出ないんだろうけどさ!
いくらなんでもマグロって!
そして、勢いよく飛び出たそれは完全に油断していた僕の眉間に突き刺さる。
黒々とした力強い背中に、ギラギラと脂の乗ってそうな輝く腹。
間違いない、これは。
これは――――
カジキマグロやないかーい!
「にっひ! にひひひひ! このマグロってば輪子が獲ったのだ! どう? 凄いでしょ?」
僕は自慢気に笑う輪子をぼんやりと眺めながら。
鱗じゃないのかよとか、本マグロですらないのかよとか、でも、確かに凄いけどもとか、食べたら美味しそうだなとか、やっぱりコイツに関わると碌な目にあわないなとか考えながら血の海に沈んでいったのだった。