マンデラ・エフェクト
「さあ、行こう、美咲」
車から降りて懐中電灯を向けると、『管理地、侵入禁止』と書かれた、真新しい看板が立てられていた。
その先に、ひっそりと静まりかえる遊園地が見えた。
「やっぱり、帰ろうよ……」
ぎゅっとシャツの裾を引っ張られた。僕は、振り返って、彼女に笑顔を見せる。
「大丈夫だって、美咲。まだ破産管財人が決まったばかりでゴタゴタしているんだ。ちょっとばかり遊んだって問題ないさ」
僕は、彼女に手を振ってみせた。
――彼女とは、大学を出て地元に戻って就職した職場の先輩を通じて知り合った。けっこう良い感じで付き合っていて、いずれは結婚も……と思っていたところで、その就職先である、遊園地の親会社『ウラノ観光』が、倒産したのだった。
彼女を紹介してくれた、くだんの先輩は、会社の雰囲気が怪しくなったのを察すると退職して、どこかに転職したようだったが。
「二人だけで遊園地を楽しむなんて経験、今日を逃したらできないさ。ほら」
会社から失敬してきた鍵束から、入場ゲート横の鍵を取りだして、開けた。軋む金属音をたてて、大分、年期の入った扉が開く。
「こっちだよ、実は、いわくつきのジェットコースターがあるんだ」
ぼんやりとした非常灯を頼りに、月夜にシルエットになって見えるジェットコースターの方まで歩いて行く。
「これ、リニューアルの目玉として、アメリカのテーマパークで廃棄したのを安く譲り受けたんだってさ。まあ、輸送費がかかるから、車体や制御系と骨組みの一部だけだけ運んだそうだけど」
美咲が、最高部を眺めて呟いた。
「すごく、高いわね……」
「うん、当時、高低差が世界有数でさ。『アイアン・ファントム』って名前で、そのテーマパークのウリの施設だったらしい。会社も、集客力アップで相当期待してたらしいよ。でも、こっちで組み立てたら、なんか不具合が多くて、結局、一般公開する前に、会社が潰れたって感じ」
「え、大丈夫なの……?」
僕は、管理棟の鍵を開けて、制御コンソールのスイッチを入れた。低いハム音と供に、モニターが点灯し、システムチェックが開始される。ジェットコースターのレールについた電飾も光りだして、チェーンリフトのモーターが回転し始める。
「まあ、テスト段階で事故が起こったらしくてさ。どういう事故だったか、何人かに聞いたけど、皆言っていることが違うというか、要領を得ない感じでさ……」
「それって、まずいんじゃない?」
「ううん。原因究明は、大分前に終わっていたよ。もうすぐ公開予定だったから、問題はない、はずさ。まあ、今日乗らなかったら、後は解体されるだけかもしれないけどな。よし、っと」
ボタンをいくつか叩いてテストモードに設定する。そして、操作員用の液晶画面のついたリモコンを取り出す。
「こいつの凄いところは、稼働用の人員を少なくするために、リモートで操作できるところさ。N○SAの技術を利用しているらしいよ」
美咲と二人で、コースターの一番前の席に座り、セーフティーバーを降ろす。
「さて、行きますか。ポチッとな」
スタートボタンを押すと、ブレーキが解除されて、するすると車体が降りてゆく。そして、カチカチというチェーンリフトの音とともに、車体が昇っていった。
そのとき、僕は、妙な胸騒ぎを覚えた。なんか、前にも、美咲と一緒にこのコースターに乗ったことがあったような……。いや、そんなはずはない……。
「どう、怖いかい……え!」
笑顔を作りつつ、隣を見て、ギョッとする。
そこにいたのは、ボロの外套を羽織った、影のような何か、だったのだ。よくみると、外套のフードの中にある顔は、骸骨のような形で横筋が何個か入った石と金属の塊のような……。
「コンニチハ。あなタ……ハ、『マンデラ・エフェクト』トイウ……言葉ヲ知っテいル……かナ?」
その何者かは、酷く聞き取りづらい声で、いきなり話しだした。
「え、えっ?」
「つい数年前、某国ノ大統領が亡くナったとき、その大統領は、もう二十年も前に亡くなっていたと勘違いしたニンゲンが多かったということだ」
僕は、その何者かが話すのをただ聞いていることしかできなかった。リフトの音が遠くから聞こえてくるように感じた。
「ま、マンデラ?」
骸骨っぽい何かは、外套から骨の手をだして、僕を指さした。いや、骨というよりは石か鉄の骨格模型のような質感だ。
「……ソウイウ、多くのヒトが勘違いする出来事は、実際に過去が変わっているノダ……シカシ……全てのニンゲンが変わった過去を認識するノではない……そレが勘違いト思われル」
非現実的な光景に、ただ頷くことしかできない。
思わず背後を見下ろすと、コースターは、それまでの遊園地とはまったく違う場所を進んでいた。
「うわぁ……」
鬼火のようなものが、コースターの骨組みを照らしている。その骨組み自体も、ホンモノの骨のような形状をしていた。
そして、メリーゴーランドでは、白いモヤモヤしたものが毒々しい明滅に合わせて廻っていた。
トゲのついた絶叫マシンには、小鬼のようなモノが乗って叫んでいた。まるで望遠鏡を通したように、その子鬼が縛られた人達を金棒で痛ぶっているのがはっきり見えた。
血の池地獄のような池には、ぷかぷかと目玉のような模様の船が浮かんでいる。その池からは、描写しがたい生き物が水面上に現われては、飛沫を上げて潜っていった。
「な、なんだ、なんだこれ……」
「ココは、四次元時空の外にアル、高次元の世界ダ……所謂あすとラル世界ともイウ……この遊園地は、もうすぐ死ヌ。この遊園地の霊ハ……成仏するたメに……高次元を上がってイル。オマエも……一緒に引き上げてヤったのダ」
僕は、その何者かに視線を戻した。
髑髏の眼窪の奧で、かすかな光が蠢いた。まるで、笑ったように見える。
「オマエは、たいむマシン、タイムりーぷという言葉を知っているナ? ……ソウイウ現象は、存在スル。しカし、ソれは、ワレワレ、怪異とも呼バれる高次元の存在に属するモノだ」
「こ、高次元?」
「過去を変えることハ、ワレワレ、高次元の存在にシカ、デキナイ」
そのとき、コースターが最頂点に達したのが分かった。
「オマエは、この遊園地でよく働いタ。願いに応えて、このノりモノが下るとき、時の轍を超えさせてヤろウ……」
「え?」
その言葉に驚いて、思わず瞬きした。
目を開けると、そこには、美咲が座っていた! そして、周囲の光景が『あの日』に変わったのが分かった。
夏の強い日差しに、目が眩む。コースターが滑り出す轟音とともに、隣に座る美咲も叫んだ。
まずい! 振動と強烈な浮遊感とともに落ちていきループで上下が反転し、その先にある大きなカーブで、レールに罅が入っているのが、遠くから何故かはっきりと見えた。
「み、美咲!」
脱線。
爆発するような破砕音。金属の破片。投げ出されて、地面が迫る――………………暗転。
* * *
僕は、気がつくと、僕は、自分の車の運転席で震えていた。
あの――事故の日から、僕の全ては、変わってしまった。
いや、今度こそ、あのコースターに乗れば――次こそは、彼女を救えるかもしれない。
車から降りたら、あの髑髏のような高次元の存在?のことは忘れてしまうことは分かっている。
でも、わずかな可能性をかけて、僕はドアを開け、こう言うだろう。
「さあ、行こう、美咲」
彼女の霊を引き連れ、彼女が死ななかった過去に変わってくれることを望みつつ……。
(了)
※ 書いているうちに、なんか時間ループものになってしまいました。




