第二十話
「星が綺麗ですね」
「……ああ」
それから数刻。 桐沢の携帯を使い、夏井らには連絡をしてある。 一報を聞いた夏井の声はとても安心したようなもので、自分がした罪の重さを再度認識させていた。
しかしそれでも、東雲は決して桐沢を責めることはしなかった。 無窮とも言える愛情、それこそが東雲が桐沢に向けているもので、それがあるからこそ桐沢は省みることができる。 どんな自分だとしても、東雲は全てを受け入れ全てを肯定し、そして全てを見届けてくれるという、一種の安心感かもしれないそれが、今の桐沢にとっては何よりも有り難いものであった。
「ところで、寒くはないのですか?」
二人は今、海岸沿いの柵へと背中を預けて座っていた。 東雲は綺麗な星空を眺め続けていたが、ふと思い出したかのように桐沢へと顔を向けると、そう言った。
「ん」
言われた桐沢は左手を差し出す。 東雲は一瞬ぽかんとした表情を見せたが、すぐさま意図を読んだのか、その手を握る。
「……わ、これって」
「予想通りだよ」
それを握った彼女は、ありがたがるように両手で包む。 桐沢の手は暖かく、それで自らの手を暖めるように。
「良い妄想ですね」
一瞬、その言葉が今のこの状態のことを言っているのかと思い、桐沢は思わず手を引っ込めそうになる。 が、東雲の言わんとすることは『自らの体温が上がる妄想』ということだとはすぐに分かった。
「なぁ、東雲」
東雲は、いつも通りに接してくれている。 いつも通りの顔で、いつも通りの態度で、いつも通りの言葉で。 しかし果たして、今の自分にそれらを受け取る資格はあるのか。 それらを受け取って許されるものなのか。
妄想だけでは、どうにもならないことはあった。
人の命を救うこと。 それは、どのような妄想でも叶わないものだ。 死んだ者は生き返らない、そんな当たり前は存在する。
強敵を圧倒すること。 それもまた、妄想ではどうにもならなかった。 自分はいくら強いと妄想しても、その強さを扱えないのでは意味がない。
人に優しくすること。 性格までは変えられない、考え方までは変えられない。 人を傷付け生きていく、それが自分なのだと知った。
主人公になること。 もしも適正なんてものがあれば、自分ほど向いていない者は珍しいだろう。 親友を見殺しにし、あろうことか這い蹲っていた自分に手を差し伸ばしてくれた者のことすら傷付けたのだ。 そんな主人公など、居て堪るものか。
そして、勇気を振り絞ること。
今のその状態が、正しくそうだと言える。 たったひと言は遠く、果てしない道のように長い。 結局のところ桐沢宗馬という奴は自分が可愛いだけの馬鹿で愚かで矮小な奴だ。 それは理解した、理解することができた。 だからこそ今踏み出す一歩の価値は、自分にとって掛け替えのない価値がある。
「東雲」
「はい?」
名前を呼ばれた東雲は「何か?」とでも言いたげに桐沢の顔を見る。 東雲にとってはただ声を掛けられたからその人物の顔を見た、ということに過ぎないが、桐沢にとっては真っ直ぐすぎる彼女の眼差しは眩しすぎた。
だが、それでも伝えなければならない。 言わなければならない。 今それを伝えることができなければ、今後また同じようなことを自分は繰り返すだろう。 いつかではない、そのうちではない、今ここで伝えるのだ。
これが一歩。 未熟な自分は、この一歩を踏み出すのにどれだけ時間をかけただろうか。
「東雲――――――――ごめん」
たったひと言の謝罪の言葉。 それをしなければ、東雲と語り合うことなど許されるわけがない。
「へ、いきなりどうしたんですか?」
寒さの所為か、東雲の顔は赤い。 耳も頬も痛さを感じるのではないかというほどに赤く、そんな姿を見て再度言葉は出てきた。
「ごめん、ごめん。 俺が悪かった、俺が間違っていた。 言った言葉は取り消せないし、お前は許すって言うかもしれないけど……俺は俺が許せない。 だから、東雲」
一度、失敗をした約束。 もしここでその約束をしなければ、彼女はきっと怒るだろう。 それでも男か、と。 長い間一緒に居たからこそ、彼女が言おうとする言葉など分かる。
「俺はお前に死んで欲しくなんかない、お前に居なくなって欲しくはない。 俺の言葉は薄っぺらくて、お前は信用しようとするだろうけど……不安は残るんだと思う」
「……はい」
東雲は、桐沢の言葉を否定するでも肯定するでもなく、目を細めて聞いていた。
「だから、俺の行動を見てくれ。 俺は絶対、お前を守るから。 悲しむのも、後悔するのも、終わってからにしようと思う。 今はとにかくお前を守る、俺は馬鹿だし弱いから一つのことで精一杯だからさ、それだけ頑張らせてくれ」
その言葉を受けた東雲は、少しだけ目を見開いた。 そしてその瞳をゆっくりと閉じ、数秒、何かを考えている様子を見せる。
胸の前で両手を組み、その姿はまるで祈りを捧げるようだ。 月明かりと星明り、辺りの雪は辺りを照らし、東雲を照らしている。 そんな光景に目を奪われつつ、息を飲みつつ、桐沢は東雲の言葉を待つ。
「――――――――わたしより弱いのにですか?」
「……お前それ言うのかよ。 それでもだ!」
「分かりました。 では、守ってみてください」
東雲は笑い、言う。 相変わらず少々辛口ではあるものの、それを受けた桐沢もまた、笑う。
「……それで、早速なのですが。 アジトまでわたしを運ぶことは可能でしょうか?」
「え? 別にそのくらいならいつでも……っと、東雲!?」
答えている間、東雲の体はゆっくりと倒れる。 それを慌てて抱えた桐沢は、すぐに東雲の状態を理解した。
酷い熱、息遣いは荒い。 抱えた東雲の体をゆっくりと起こすと、東雲の口からは血が流れ落ちていた。
ただの体調不良では、ない。
「……そうか」
そこでようやく、桐沢は気付いた。 ここまできてようやく、気付けた。
あの日、櫻井が死に、桐沢が意識を失ったあの日……その場を繋ぐ為に戦ってくれたのは、誰か。
制限時間があり、とても長時間使用できない東雲の武器。 それを酷使すればどうなるか、何のための制限時間か。 自らの体を犠牲にしてまで、あの日東雲は戦っていたのだ。 そしてその体で、傷だらけの体で自分の看病さえしていたということだ。
そんな気持ちも知らず、そんな想いも知らず、自分が東雲に浴びせた言葉は――――――――。
「宗、馬くん?」
「……絶対助けるからな、東雲」
抱き締めた彼女の体は小さく、か細い。 一体その小さな体でどれほど辛い思いをしたのか、どれだけの困難に立ち向かってきたのか。
その支えとなれるように、力となれるように。 そう、固く誓った一月のことであった。