第十七話
視界が、ようやく晴れてきた。 ぼやけつつ、割れるような頭の痛さは視界が鮮明になるに連れて引いていく。 視界に映ったのは人影で、桐沢はそれを認識したその瞬間、勢い良く起き上がった。 今一番会いたい、声を聞きたい人物のような気がして。
「櫻井……ッ」
「……あ、目が覚めましたか?」
「っと……東雲、か」
ベッドの傍らに居たのは、東雲だった。 いつからそこへ居たのか、目元には小さな隈ができている。 その瞳が赤いことから、余程寝ていないのだろうか。
「……櫻井は?」
恐る恐る、桐沢は尋ねる。 聞いてはいけない、聞いてしまえば現実は確定される、しかし聞かずにはいられなかった。
生きています。 無事です。 安心してください。
東雲の口から、そんな言葉が出てくればどれほど楽になれたことだろう。
「……わたしの力不足です、申し訳ありません」
「……はは、あはは、アッハッハッハッハ!!」
涙が、溢れた。 治まった頭痛は再び脳内を埋め尽くす。 気持ちが悪く吐き気を催す、自分の声が気持ち悪い、自分の存在が気持ち悪い、どうして櫻井が死に、自分は生きているのだろうか? 代わりに死ねたら、どれほど楽だっただろうか。 夢であればどれほど良かったか、妄想であればどれほど良かったか。 いくら思ったところで、現実は残酷にも襲い掛かる。 だからこそ現実なのだと、どうにもならないのだと、少年は知る。
「わたしがもっと強ければ、こんなことにはならなかった……はず、です」
「……」
東雲は顔を伏せ、悔しそうに言う。 それを見た桐沢は、思わず口に出してしまう。 行き場のない気持ちをどこへぶつければ良いのか、その行き場を見つけてしまった。
「――――――――それ、俺に対する当て付けか?」
「へ? い、いえ、そんなつもりは!」
「……だってそうだろ? お前が強ければこんなことにはならなかったってことは、俺が強ければこんなことにはならなかったって意味だろ?」
「そういう意味ではありません! わたしはただ、自分の無力さが悔しくて……」
拳を握り締め、東雲は言う。 訴えるように言う。 言い訳をするように言う。
ああ、駄目だ。 その行動や言葉が、どうしても気持ち悪く思えてしまう。 どうにも嘘っぽく、どうにも虚像にしか見えない。 心が痛い、悲鳴を上げて裂けそうになっている。 どうにかしなければどうにかなってしまいそうなほどに。
桐沢はそれをもっとも単純な方法で解消する。 手短に居る東雲に、その痛みをぶつけることによって。
「強くなれば櫻井は帰ってくんのかよ……!! お前が強くなれば櫻井は生き返るのか!? 俺が強くなればあいつは生き返るのか!? そんな言い訳なんて俺は聞きたくねえよッ!!」
「わ、わたしはただ……謝りたくて。 巻き込んでしまったこと、助けられなかったこと、それらの責任は間違いなく、わたしにあるので」
「――――――――そうだ」
一度口にすれば、言葉は止まらない。 洪水のように、濁流のように言葉は溢れていく。 楽な方へ、自分の心が楽な方へ、ひたすらに流れ出していく。 もっとも楽なのは、櫻井の死を乗り越えることだろうか? 櫻井の死と向き合うことだろうか? 櫻井の仇を討つことだろうか?
いいや、どれも違う。 もっとも楽なのは、櫻井の死を他人に押し付けることだ。 自らにもある責任を全て、他人に押し付けることだ。 それで心は幾分か、間違いなく楽にはなるのだから。
「そうだ、そうだそうだッ!! お前が、東雲があの日あそこで倒れていなきゃ櫻井が死ぬことはなかったッ!! お前が協力してくれなんて言わなきゃ、櫻井が死ぬことはなかったッ!! お前がもっと強ければ、櫻井が死ぬことはなかったんだよッ!! 全部、全部全部全部……お前の所為だ東雲ッ!! お前が櫻井を殺したんだよッ!!!! なぁ!?」
「ッ……はい」
東雲は目を見開き、しかし顔をすぐに伏せ、呟くように言う。 否定はしなかった、東雲はそれらの言葉を受け入れた。 心は少し軽くなり、気持ちは少し楽になっていく。
同時に大切な何かが失われていくことに、桐沢は気付けない。 それだけの余裕は彼の中に存在しなかった。
「……エドワーズは、あいつはまだ生きてるのか?」
「はい、生きています。 あの日、倒れた宗馬くんをなんとか守ろうと戦ったのですが……力及ばず」
「……櫻井を助けようとは動かなかったのに」
事実、東雲には動きようがなかった。 その程度のことは誰が見ても分かる状況で、東雲も反論くらいいくらでも頭に浮かんだだろう。 しかし彼女は何も言わない、精々明るく笑い、桐沢の気持ちを保とうとする。
「宗馬くん、櫻井さんの仇を討ちましょう。 奴の文字も、必ず弱点は存在するはずです。 今、夏井さんや神藤さんたちが話し合いをしてまして……」
「いいよ、どうでもいい」
「そんな……櫻井さんのこと、悔しくはないのですか」
その言葉が、心にヒビを入れた。 前向きなその言葉が、前向きなその態度が、後ろを振り返らずに歩き続けるその行為が、どうしようもなく気持ち悪い。 まるで人形のように感情がない、そこには人の心はきっとない。 そう思い、桐沢は東雲の言葉に激昂する。
「悔しくない、だと? ふざけんな、ふざけんなよテメェ!! 悔しいに決まってんだろ! ぶっ殺したいと思うに決まってんだろッ!! けど戦って何が分かった? あいつとやりあって何が分かった!? 櫻井の死は俺たちに何をもたらしてくれたんだよ!? なんにもねぇ、分かったことなんて勝てないってことだけだッ!! あいつはなんの意味もなく殺された、ただ気まぐれに殺されたッ!! そんな風に俺の友人が、恩人が殺されて悔しくないわけねぇだろうがッ!!!!」
言葉は止まらない。 東雲がそれでいくら傷付こうと、既に桐沢にはそれを考える余裕がなかった。 櫻井の声が、顔が、暖かさが、理解者が、恩人が、もう存在しないのだから。
「そ、う……です、よね。 ごめんなさい、配慮が足りず」
東雲の顔は、無表情だ。 少なくとも桐沢から見て、申し訳なさそうな顔には見えなかった。
「お前が」
それは、決して口にしてはならない言葉。 人の心を刺し殺し、痛め付け、終わらない痛みを与え続ける言葉だ。
だが、桐沢は少し考えてみた。 それを言ったとして、東雲は果たして表情を変えるだろうか? 否、変えないだろう。 だって、東雲には心がないのだから。
「お前が――――――――ったんだ」
「え?」
超えてはいけない線がある。 悩んだ末、それを超えるのは正しいことだと自分に無理矢理言い聞かせ、その線を越えた。 すると、不思議なことにそれ以降はいくら線があろうと超えることに躊躇いが生まれなくなった。
「お前が、お前が死ねばよかったんだッ!! それだけ悪いと思うくらいなら、お前が櫻井の代わりに死ねば良かったんだよッ!! なぁ!?」
「それ、は」
顔を伏せる、表情は見えない。 だが、きっと無表情で変わらず想いを東雲はしている。 そう言い聞かせた。
「はは、ははは……そうだ、お前が死ねば櫻井は死なずに済んだんだ。 それに、お前は死ねば妹にも会えるじゃん、一石二鳥だろ? ハハハ」
「……」
桐沢の言葉に、東雲は黙り込む。 数秒顔を伏せた後、その顔を今度は真上へと上げた。 天井を見ているのか、そんな姿だった。
「……そうですね、それが最善なのかもしれません」
否定は、しない。 東雲はここに至るまでの間、桐沢の言葉を一切否定しなかった。 それがどれほどのことか、今の桐沢には分からない。
「すいません、あまり居ても迷惑だと思いますので……少し席を外しますね」
東雲は言い、立ち上がる。 そしてそのまま、振り返ることなく部屋を後にするのだった。