第十話
「神藤さん曰く、この辺りなら多分大丈夫とのことですが」
「多分ってところにすげえ不安が残るな、それ」
「まぁ万が一見つかったとしても、宗馬くんの文字があれば大丈夫という考えかもしれませんね」
新年。 一月を迎えてから、二週間ほどが経過した。 世間は年末年始ムードから打って変わり、慌ただしくも動き始めている。 夏井、及び神藤の手により鴉に所属する者を捕らえた日から、早くもそれだけの時間が経過していた。 桐沢が人権維持機構に入ってからというもの、龍宮寺真也は以前よりも大人しくなったという話もある。 桐沢自身は何も思わなかったものの、人権維持機構からすれば「桐沢を警戒している」という事実に他ならない。 それに加えて一人を捕らえたというのは、ある意味決定的な一手になり得るものだ。
そんなこともあり、人権維持機構の内部は非常に穏やかな空気になっている。 物事が順調に進んでいる証、とも言えよう。
「んな他人任せな……。 そういや東雲、昨日は笹枝だっけ? あいつの尋問だったんだろ? どうだった?」
笹枝紡、精神干渉を引き起こす「四百四病」という文字を持つ感染者だ。 曰く、とある条件を満たした者に幻覚を見せる文字とのことで、厄介なのが発動後。 笹枝の四百四病は周囲に伝染し、感染するのだ。 最初に感染した者は宿主となり、その条件を満たした者に次々と感染していくという厄介極まりない文字である。
その危険度から、直接の面会は機構内で禁じられている。 相手の様子が見えない壁越しにのみ尋問は行われ、出来ることと言えば会話をすることくらいだ。
「前に宗馬くんが教えてくれた世間話なら口を利いてくれるのですが、組織のことについてはだんまりですね。 情報を出すつもりはないみたいです」
「頑固な奴なんだな。 無理矢理……ってのは難しいんだっけか」
「何分、精神干渉系の文字ですから。 条件は不明ですが、誰もそうはなりたくないでしょうし。 それにわたしも、もしかしたら既に条件は満たされているかもですしね。 わたしが妙な言動や行動を取ったら止めてくださいね?」
「ああ任せとけ。 つってもなんか歯痒いな……折角捕まえたってのに」
「そうでもありませんよ。 龍宮寺真也は、仲間というのを特別扱いするような男なので。 奴なら必ず助けにくるでしょう」
「……ってことは、俺たち今こうしてのんびりしてるのってまずくね?」
桐沢の言葉通り、今現在、桐沢と東雲の二人は外に出向いている。 のどかな場所で、原っぱが広がるような光景だ。 今は雪景色となっているが、春になればそれは気持ちの良い光景になりそうな場所だった。 この日、桐沢は東雲を連れ外出をしている。 街案内という名目ではあるが、桐沢自身はデートだと思っていることは言うまでもない。
「今だからこそですよ。 いざ事が起きれば、わたしも死んでしまうかもしれませんから」
「死ぬって……いやそりゃその可能性もあるけどさ」
しかし、まるで自分がそうなっても構わないというように、東雲は言う。 桐沢にとってはあまり聞いていて楽しい話ではなかった。
「今回こうして宗馬くんとお話するのも最後かもしれません。 ですので楽しませてくださいね?」
「断る」
東雲の言葉に対して、桐沢の返答は早かった。 東雲は思わぬ答えに若干驚いたものの、すぐさま口を開く。
「どうして?」
「これが最後なんて俺は嫌だ。 だから生きて次の遊びの予定を考えるんだよ。 な?」
「……次の」
「そ。 つうかまだ遊んでないのにこんな辛気臭い話、俺イヤなんすけど!? もっと楽しもうぜ、折角の外出許可で折角の休みなんだからさ!」
桐沢は両手を広げ、笑って東雲に対して言う。 無理矢理に場の空気を変えようとしているのは誰の目からしても明らかであった。 が、生憎東雲には空気を読むという能力がない。
「桐沢は、死ぬのが怖くないんですか? もしかしたら死ぬかもしれない、明日かも明後日かもということを思わないんですか?」
「話変える気ゼロっすか……。 いやまぁ、思うに決まってるだろそんなの。 いつ戦いになってもおかしくない、また龍宮寺と戦うことになったらって思うと足も手も震えるっつうの。 でも、それって生きたいからそうなるんだろ? 生きたいから怖いってなるんだろ? なら死ぬかもしれないなんて考える必要ないんじゃないかなって、明日も明後日も、一年後も十年後も、俺は笑って生きてやるってな」
「……そのように考えたことはありませんでした。 いつ死んでも良いように、身辺整理などは常にしていたので」
「んなことすんなって。 少なくとも東雲が死ぬのは絶対に嫌だ。 東雲だって俺が死ぬの嫌だろ?」
もしかしたら「いえ、そんなことはありませんが」と言われることも覚悟していた。 東雲であれば言ってもおかしくはない発言であり、桐沢が不安に思っていないといえば嘘になる。
「はい、もちろんです」
「それなら死ぬことなんて考えないで、生きてることを考えようぜ。 俺たちまだ若いんだし、やりたいことだってあるだろ?」
「……やりたいこと、ですか。 特には」
「……あーじゃあ見つける! やりたいこと、これから見つけるってことで。 東雲の友人として俺も手伝ってやるから」
「友人。 わたしと宗馬くんは友人なんですか?」
「さらっと傷付くこと言うよね東雲さん……。 ああそうだよ、話して、握手して、一緒に遊んでんだから友人だ。 だろ?」
「……それは少し、難しい話ですね」
「なんでだよっ!」
だが、言われた東雲は嬉しそうに小さく笑った。 そんな東雲を見て、桐沢も呆れながらも笑う。
「……ってわけで、この話はここで終わり! 飯でも食いに行こうぜ、良い場所知ってるんだ」
「櫻井さんの情報ですか?」
「よくご存知で……」
やはり勘が鋭いのは考えものだと、そう思う桐沢であった。
「お前結構食べるんだな」
「女性の前でよくそんな失礼な発言ができますね。 普通に一人前です」
二人が寄ったのは、櫻井曰く「有名なスープカレー屋らしい」と言われる店だ。 櫻井も櫻井でインドア派、その情報はネットから来るものであり、桐沢は少々不安に思っていたのだが……どうやらその必要もなかったようで、満足気な表情を二人はしている。
「いやでもさ、女子って滅茶苦茶ダイエットに励むものじゃん」
「食べなければ動けません、それとその偏見は捨てた方が良いと思います」
そして、今は食後の雑談。 辺鄙なところにある店内は空いており、混んでいたなら引けたことも今の状態であれば問題はないだろう。 水を飲みながら、二人は他愛ない会話をする。
「櫻井は超少食だけど……」
「……あ、本で読んだことがあります。 確か櫻井さんは巫女でしたよね? でしたら、霞を食べているのではないでしょうか?」
「それ仙人だからな。 お前もその考え捨てた方が絶対良いぞ」
東雲の読んでいる本は一体どんな本なのだろう。 今度機会があれば借りてみようかと思いつつ、桐沢は言う。
――――――――そのときだ。
「ちょっと失礼。 デート中悪いな、この辺りで……なんだっけ?」
男が声を掛けてきた。 見た目からして、年齢は桐沢とそう変わらないように見える。 黒いロングコートを身に纏い、顔立ちがえらく整った男だ。 男にしては高い声、しかし妙に芯のある声だ。
そして男は、聞こうとしたことを忘れでもしたのか、後ろに付いている少女の方を向く。 その少女は背が小さく、茶色い髪に頭にはヘアピンを付けていた。クマのヘアピンはやけに似合っている。
「ええっと、確か「すぐに人を殴り付けるクソ野郎のクソガキ」だったかな……」
「そうそれ。 そんな奴知らない?」
「へ、あ、えっと……」
なんて大雑把な質問だろうか。 男の方は気さくなタイプらしく、その妙な質問をするにも全く物怖じしていない様子である。 対する少女は、苦笑い。 きっと答えが見つからない質問だとでも思っているのかもしれない。
「いきなり話しかけてきて、いきなりその妙な質問というのは意味が分かりませんね。 それに情報というのは対価がなければ、例え知っていても教えません」
「……東雲さーん」
恐らく見ず知らずの他人に対する親切心というのが東雲には存在しないのだろう。 それもそのはず、東雲にとって情報を与える、交渉をするという行為は、対価や見返りがあって初めて成立する行為だ。
「なんか生きるの大変そうだね、あんた。 まぁ良いや、あの馬鹿名前くらい覚えとけよな……。 折角面白そうだから来てんのに」
男は独り言を言い、後頭部を掻く。 見た限り、どうやら困っている様子ではあった。
「人探しか? 他になんか情報あれば、見かけたら教えるとかできるけど」
「んー……いや良いや、時間取らせんのも悪いしな」
男は言うと、片手を上げて歩き出す。 妙な男だった、しかし桐沢にとってはそうだと言うだけで、それは東雲から見たら全く違って見えている。
「待ってください」
突然、東雲が立ち上がる。 そして男の背中へ向け、言い放つ。
「あなたは、悪人ですか?」
「ちょ、おい東雲……」
「……」
言われた男は振り返る。 その眼は黒く、黒い。 それを見た桐沢は今まで感じたことのないような寒気を感じ、身構えた。 恐怖、畏れ、殺意? 男の存在そのものが、何故か恐ろしくも感じる。
「そうだよ、悪人。 ん、てか東雲……東雲って言った?」
「そうですが」
「良かった、あんたのことも探してたんだよ。 ちょっと話しでもしよう」
言う男は、遠慮なく東雲と桐沢が座る場所に腰掛けた。 それを見ていた少女は困惑しつつも、男に習い椅子へと座る。
「俺は獅子女結城、こっちは四条琴葉。 とある奴から依頼されて神奈川の方から来たんだ」
男は、そう言った。