第六話
「感染者が移動となると、確実に避けなければいけないルートがあります。 感染者識別機というのはご存知ですよね?」
次の日の朝、朝食を摂りながら話を始めたのは東雲だ。 唐突に口を開いた所為で一瞬なんのことか分からなかった二人であったが、すぐに東雲の言わんとすることを理解する。
人権維持機構、その組織が根城とする場所までの案内。 当然そうなれば外を歩かなければならない。
感染者識別機は、カメラの視界内に入った人物のV.A.L.V含有率をチェックするのだ。 それはつまり、昨日まではなんともなかった桐沢が識別機によって見つかれば、すぐに対策部隊が駆けつけるという意味合いになる。
「ああ知ってる、学校で教えられたな。 監視カメラみたいなやつだろ?」
「そうです。 まぁ幸いなことに、この地域にはそれほど配備されていないので……」
東雲は言いながら、懐から端末を取り出した。 それを操作し、桐沢と櫻井に画面を見せる。
そこに表示されていたのは、地図だ。 緑色の点が一つ点滅している。
「この点が今の現在位置です。 それで、これを拡大すると」
操作された端末に映し出されたのは、拡大された地図だ。 そこには多数の赤い点が表示されている。
「この赤い点が感染者識別機です」
「ちょっと待て、何故そんなことを知っている?」
聞いたのは櫻井だ。 確かにその通りであり、感染者識別機の場所は対策部隊しか知りはしない。 当然街中にある物を数えればそれは分かるが、ダミーもその中には含まれる。 だが、東雲の口振りからしてまるでその情報が正しいかのような言い方だ。
「わたしたちの中にいる仲間の感染者、その人の文字です。 電子機器の操作などを行える感染者ですね。 その文字によって、わたしたちはこの辺り一帯にある識別機の位置は正確に把握しています」
「感染者……」
桐沢にはあまり実感はなかったが、当然人権維持機構にも感染者はいる。 そして、東雲が言うには感染者識別機の場所を特定したのもその感染者とのことだ。 それを聞いた櫻井は「なるほど」というと、再び東雲の言葉に耳を傾けた。
「それで目的地であるアジトはこの青い点です」
「そんな遠くはないんだな……って、東雲さん? これって……」
「はい?」
「見た限り、識別機に発見されないルートってのがないんだけど……」
桐沢の言葉通りだ。 東雲が提示した情報からして、そのアジトまで到達するには必ずどこかの識別機の場所を通らなければならない。 全てのルートが使えず、この神社から抜け出すルートというのが存在しなかった。
「まさか俺このまま一生神社暮らし!?」
「いや、それは……なんというか、私も困るのだが……」
言いづらそうに櫻井は言う。 その反応は気恥ずかしさから来たものであったが、桐沢から見たらそれは「迷惑そうに顔を背ける櫻井」に見えていた。
「っすよね。 んでどうすんだよ東雲? まさかマジでそうしろとか言わないよな」
「ご安心を。 ルートはしっかりとありますので」
そう言った東雲は、ご飯を食べ終え立ち上がる。 小さな声で「ご馳走様でした」と言い、食器を台所へと運んで行った。
「それでこのルートかよ」
「文句があるなら是非地上を。 捕まっても知りませんが」
桐沢たちが通るルート、それは下水道であった。 冷えきり、貫くような寒さが辺りを覆っており、桐沢と櫻井の前を歩く東雲は軍服のようなコートを身に纏い、顔も向けずにそう伝える。 声に抑揚はほとんどなく、その冷たい声色は今現在の場所とよく合っているような印象を受けた。
「アジトまではまだ距離がありますので、わたしたち人権維持機構の話でもしましょう。 まだどういう組織か、というのも詳しくは存じていないと思いますので」
「人間と感染者の和平を目指す組織、だったか?」
東雲の言葉に、櫻井が口を開いた。 自身の体を抱えるようにしながら歩く姿は寒そうだったが、その言葉にちらりと視線を向けた東雲は寒さを感じているようには見えない。 慣れている、と言いたげな振る舞いだった。
「正確に言えば、人間と感染者の共存を目指す組織です。 今現在、知っているように人間と感染者の関係は良好とは言えません」
その言葉通りだ。 感染者は人間から敵対視され、存在そのものが悪とされている。 感染者というだけで、それはもう立派な罪なのだ。 良好どころか最悪の関係、そう言い表すのがもっとも適切だろう。
そして、それは逆もまた然り。 感染者たちにとって、人間は恨むべき対象であると同時に、力ある感染者はそれを実行に移している。 代表的な例で上げれば、獅子女率いる『神人の家』、そしてとある少女が率いる『集い』が今現在、危険な感染者集団として対策部隊には目を付けられている。
「感染者だというだけで罪だなんて、絶対に間違っています。 彼らもわたしたちも、何も変わらない同じ人間なんです」
「……そうだな」
櫻井は桐沢に一瞬だけ視線を向け、そう答えた。 櫻井にとってもまた、東雲のその言葉は心から同意できるものだ。 たった今、横にいる彼女の親友、そして感染者の友人は、昨日と何も変わってなどいないのだから。
「ですが、今のままでは絶対にその目的を成し遂げることはできません。 障害が多すぎるんです」
「障害?」
「宗馬くん、今この日本がどういう状況にあるかはご存知ですか?」
「え、日本が?」
いきなり言われ、桐沢は困惑する。 そんなことなど、考えたこともなかったからだ。 大雑把には知っている、大雑把には理解している。 だが、それはとても詳細を知っているとは言えず、いざ改めて「どういう状況か」と問われれば、それに返す適切な答えは見つからなかった。
「対人間、国家指定のテロリスト集団とされている神人の家は、無意味な殺戮を繰り返しています。 彼らの傲慢、かつ自分本位のやり方で、多くの一般市民も命を落としています。 その中にはきっと、感染者に対する理解を深めている人も居たはずだと、わたしは思います」
「ニュースで何回か見たことはあるな。 強力な感染者が多く属しているって」
「強力……とはまた違います。 神人の家の感染者は、一人一人が軍隊とですらやり合える力を持っているんです。 強力ではなく、最早それは兵器と言っても良いくらいに」
「……そんなにヤバイ連中なのか? 神人の家ってのは」
「少なくとも、わたしでは太刀打ちできないでしょう。 対策部隊は公にはしませんが、いつ内戦が始まったとしてもおかしくはないです。 だから強くならなければならない、奴らに対抗できるほどに」
気持ち、少しだけ東雲の声色が沈んだ。 何かあったのか、それは声色を聞けば明らかなことであったが、桐沢にも櫻井にもそれを尋ねることはできない。 そんな空気を纏っていた。
「待て、東雲。 まさか人権維持機構は、神人の家とも戦うつもりなのか?」
「彼らが居ては、共存は決してできません。 それと同様に、わたしたちは対策部隊とも戦うつもりです」
「……対策部隊とも? えっと、東雲の言ってることって、つまり」
「世界の全てが敵。 それが、わたしたち人権維持機構です」
その生き方しか、その選択肢しか存在しなかった。 対策部隊を敵に回し、それと敵対する組織もまた敵にする。 人権維持機構が敵とするのは世界そのものだ。 その規模はあまりにも大きく、果てしない。
「……東雲は、そうやってずっと戦ってきたのか?」
「はい」
言葉に迷いなど存在しない。 東雲の透き通るような声色は下水内に反響し、冷たく響き渡った。 およそ十五、十六ほどの少女の小さな背中には巨大な決意があり、果たしてそれを支えきれているのかどうかは定かではない。
「……本当は、茨の道だということも、生半可な気持ちでは進めない道だということも分かっています。 今のままでは叶えられないと、果たせないと。 夢見る馬鹿だということも……分かっています。 でも、誰かが抗わなければならないんです。 ここで諦めてしまえば、きっとこの先ずっと、何も変わらない。 だからわたしが諦めるわけにはいかないんです、わたしが抗わなければならないんです」
「叶うだろ」
「――――――――え?」
それは、思って口にした言葉ではなかった。 気付いたときには、桐沢はそう言っていた。 思わず、反射的にそう口をついて出てきた言葉がそれだったのだ。
「叶うだろ、絶対に。 お前がそれだけ想ってるなら、叶わなかったら間違ってる」
「なんですか、それは。 そんな曖昧な……」
「だって、じゃなかったらおかしいだろ。 お前みたいに頑張ってる奴がいて、そいつが夢を見ていて、そのために必死に頑張って……それで叶わないなんて、俺は絶対に嫌だ」
「……ふふ、そうですか。 櫻井さん、もしかして宗馬くんは少し頭が悪いんですか?」
「大分だよ。 だがな東雲、お前は自分のことを夢見る馬鹿だと言ったが、お前よりも余程馬鹿はここに居る。 こいつは毎日毎日、夢の中ではヒーローな大馬鹿だからな」
「お前それ今言うのかよ!?」
「ありがとうございます。 お二人は優しいんですね、きっと」
東雲は柔らかく笑うと、二人の顔を見た。 その表情はとても暖かいもので、桐沢は一瞬だが見惚れてしまう。 こんな顔もできるのかと、そう思ったのだ。
「さて、そうこうしている内に付きましたよ。 ここを上がれば、すぐにアジトの中です」
「直接通じているのか?」
「はい。 ですので出た瞬間に赤の他人に見られる、ということはないのでご安心を」
東雲の表情は、既にいつもの無表情へと戻っていた。 そして、上に繋がる梯子に手をかけた東雲は、思い出したかのように言う。
「わたしたち人権維持機構のアジトへようこそ、ヒーローさん」
「……ッ」
クスクスと笑う櫻井と、意地悪く言う東雲に挟まれ、なんとも肩身が狭いと感じる桐沢であった。