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感染者のことは  作者: 獅子師詩史
第三章
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第一話

 それは、遠い地での話。 時は少し遡り、十二月事件が起きて間もない頃だ。 獅子女と琴葉が出会う前の、遠い地での話。


 獅子女たちが暮らす地区よりもかなり北方面に住む一人の少年の話だ。 少年の名は桐沢(きりさわ)宗馬(しゅうま)、どこにでも居る高校生である。


「おい宗馬、そろそろ帰るぞ」


「んん……あぁ、もうそんな時間か」


「ったく、図書室に来るのは良いが、寝るとは何事だ。 お前はいっつもそうなのだから……」


 寝起きの桐沢に対し、頭ごなしに注意する少女の名は、櫻井(さくらい)吹雪(ふぶき)。 桐沢とは同年代であり、小学校からの幼馴染である。 幼い頃から二人は共に行動し、周囲からは付き合っているなどと噂されているものの、本人たちは気にも留めていなかった。 言われ慣れていることで、しかし真実は違うのだから気にしても仕方ないという考えだった。


「いやぁ、でも今日の妄想は凄かったぜ。 なんかさ、秘密結社があるって話は前にしたよな?」


「全然秘密じゃない秘密結社な。 ああ、そんな話もあったな……何個目の秘密結社だ?」


 桐沢は楽しそうに、自らの妄想を語る。 そして、そんな桐沢の妄想話を口では呆れながら、心の中では楽しみに櫻井は聞いていた。 図書室から昇降口へ、二人の会話は弾んでおり、実を言うと櫻井はこの時間こそ一番の楽しみでもあった。


 剣道部に所属する彼女は、その容姿と口調もあってか、実はタイムマシンに乗って過去からやって来たのではないか、と囁かれることもあるほどだ。 だが、当然の如く彼女は17歳であり、桐沢もまた17歳の高校生だ。 ごく普通の、変わりない日常こそ平和だと思えるのだ。


「んで、今回はそこのボスと戦ったんだ。 これまた強い奴で、危うく殺されるところだったな」


「それは凄いな。 勝てたのか?」


「もちろん。 だって俺の妄想だしな、そりゃ俺が最強じゃなきゃ困るだろ」


「それもそうか。 ふふ、お前の妄想は毎度、聞いていて飽きないよ。 宗馬」


 櫻井は笑い、下駄箱から靴を取り出す。 その不意の笑顔に一瞬視線を奪われるも、桐沢も同様に靴を取り出した。


「ま、現実は平和も平和、事件なんて起きようもないけどな」


「こっちの方は特にな。 だが、関東の方は大変らしいぞ? なんでも、感染者が犯人と思われる連続通り魔が起きていて、警察や対策部隊が駆り出されているらしい。 大きなテロ行為もあったみたいで、大変そうだよ」


「チッ……そういう馬鹿がいるから、いつまで経っても変わらないってなんで分かんないんだろうな。 感染者だって俺たちと同じ人間だろ? 対策部隊のやってることも、そいつらと戦ってる奴らのことも、どっちもおかしいとかし俺は思えねえよ」


 桐沢宗馬という人間は、絶対にどこかで分かり合えるものだと信じて疑わない。 人間も感染者も、お互いに歩み寄れば必ず分かり合えるものだと、信じている。


「そうだな……難しい話だが、私もそう思うよ。 無駄な血を流す必要も、争う必要も、ないはずだ」


 そして、櫻井もまた同様であった。 その考え方があったからこそ、二人は今日に至るまで同じ日々を歩み続けることができている。 お互いにすれ違うことなく、横へ並び歩けているのだ。


「教師や親が言ってることも、耳を塞ぎたくなるような言葉ばっかりだ。 感染者は人間じゃないとか、家畜だとか、同じ見た目で同じ言葉を喋るってのに……どうして世界はこんなんになっちまったんだろうな」


「……仕方のないことかもしれない。 だが、信じてればいつかは報われる、だろ? 宗馬」


 少々悲しそうな顔をしつつも、櫻井は笑って桐沢に言う。 それを受け、桐沢もまた笑った。


「当たり前だ、じゃなきゃおかしい」


 二人の少年少女は、冬の空の下、そんな会話を繰り広げる。 雪はいつにも増して降っており、例年の寒さを上回るほど厳しい冬であったが、不思議とそこまで寒さは感じなかった。


「それもそうとして、この前のテストはどうだった? 先週返却されただろう?」


 ふと思い出し、櫻井は桐沢へ問う。 ちなみに櫻井は全教科で高得点を維持し、学年全体で二位という成績優秀者である。 容姿端麗、才色兼備という言葉がこれほど似合う人物は居ないと、桐沢ですら思うような少女だ。 残念なのはその男勝りな性格くらいであり、それ以外は特に欠点という欠点は存在しない。


「あー、いや……このタイミングでその話題にする?」


「悪かったんだな。 赤点は」


「一個」


「嘘を言うな」


「……五個」


 顔を反らし、桐沢は言った。


「……まだ嘘だな。 本当は?」


 顔を覗き込み、櫻井は言った。


「七教科ですごめんなさい」


「お前……冬休みを補習で過ごしたいのか。 ったく……いいか? これから再テストに受かるまで毎週勉強会だ。 まずは明日と明後日、私の家に来るように」


「……えーっと、ああ、明日と明後日実は用事があって」


「言え。 その用事」


「悪党を倒さないといけないっていう用事がですね」


「妄想と現実を織り交ぜるな。 いいか、来なかったら二度と勉強を見てやることはないと思え」


「……了解っす」


 こうして、桐沢はこれから毎週末、正確に言うとテストに受かるまでの間、櫻井の自宅で勉強会を開くことになったのであった。


「安心しろ。 私が教えるからには全科目七割は取らせてやる」


「やけに自信満々だな。 じゃあさ、もし八割取ったらなんか言うこと聞いてくれよ」


「何故私がデメリットを背負わなければならないんだ……。 が、まぁ良いだろう。 八割取れたらだがな」


 恐らく、櫻井は「宗馬ではとう足掻いても取れようがない」と思っているのだろう。 そして、桐沢はこういう賭け事の際にはとことんやる気を出すタイプである。


「巫女服を着て一日メイド。 これだ!」


「……巫女服。 いや待て、確かにあるが、何故巫女服でメイドだ」


 櫻井の言う通り、櫻井吹雪は巫女服を持っている。 というのも、櫻井の実家がまさに神社であるからだ。 元旦の忙しさは櫻井がいつも桐沢へ愚痴るほどで、それを和らげるために桐沢は毎年、その時期になると櫻井の手伝いに駆り出されている。


「可愛ければなんでもいーんだよ。 ってわけで、良いだろ?」


「……別に、可愛くはない、だろ。 ま、まぁ良い。 だが、八割取れたらの話だぞ。 それ以下ならば、私の命令を一つ聞いて貰おう」


「そう来るか! あー、やべどうしよっかな……一気に自信なくなってきた」


「もう交渉は成立だ。 それじゃあ、また明日な」


 口元を抑えて笑うと、櫻井は分かれ道の右側へと歩いて行く。 既に辺りは薄暗く、街灯のみが照らす暗い道だ。 だが、櫻井が進む先にあるのは櫻井の神社のみで、道としては安全な限りである。


「おう、また明日。 気を付けてなー」


「私は子供か。 じゃあな」


 一度笑うと、櫻井は背中越しに手を上げ、歩いていった。 それを見た桐沢も笑い、自宅の方へと向けて歩き出す。


 今では慣れた道だが、小さい頃は随分と怖かったものだ。 特に櫻井の家の方は、神社の裏に巨大な山があり、それがまた不気味さを醸し出していたのを思い出す。 短い歩行者用のトンネルを抜け、階段を上った先にあるのが櫻井の神社、普段は人気はあまりないが、元旦は屋台なども出され大変賑わう。 その昔、そんな光景を見た櫻井がふと「賑やかで楽しいな」と言ったのは、ずっと記憶に残る言葉だ。


 櫻井は、人が好きなのだ。 人……人間と、感染者。 その両方が好きで、だからこそ平和な光景が好きなのだ。 心優しい人物、そう表現するのがもっとも適切かもしれない。


 だが、平和というのは混沌があってこそ成り立つものでしかない。 光があれば闇があるように、生があれば死があるように、人間が居れば、感染者はそこへ居る。


「――――――――ッ!!」


 悲鳴が、聞こえた。 そしてその悲鳴は、桐沢が良く知る親友の声だった。


「櫻井……? 櫻井ッ!!」


 頭の奥では、警鐘が鳴り響いていた。

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