第八話
「……何故殺させなかった、獅子女さん。 オレの力があればあのような奴らなど容易く殺せたはず。 退かなければならない理由が分からぬ」
「だから言ってるでしょ我原。 大事なのは殺すことじゃなくて植え付けること。 本気で殺すのはあいつらが本気を出してきたときだってさ」
神人の家のアジトというのは、基本的に時期を見て移り変わっている。 多くの場合は廃ビルなどが使われるものの、ホテルの一室やビルの屋上など、即興で整える場合も多々ある。 今現在は取り壊し予定のビルを丸々一棟使っており、年明けまではこのアジトを使うという話になっていた。
そして、そんなビルの一室。 獅子女と話をしていたのは我原鞍馬という男だ。 獅子女と同年代ほどの見た目をしており、モッズコートに革靴を履いている。 そして右目は前髪で覆われていたものの、その横顔は女と見間違えるほどにも整っているものであった。
「植え付けることであれば、オレの『死屍累々』で充分だ。 或いは獅子女さんは怖気づいているのか? オレには到底理解が及ばないな」
「だーかーらー、お前だと殺しちゃうだろ? それだと意味がねーって話をしてるわけで」
「関係ないだろう、それは。 歯向かうのであれば殺し、道を阻むのであれば殺す。 オレは人間を殺すためだけにここへ居る。 であれば、人間を生かし帰すなど我慢ならぬ。 それこそがオレの思う恐怖の在り方だ」
「今後のためだって。 別に俺も全員を生かしてるわけじゃないでしょ? 文字刈りたちに意識を植え付け、そうすれば次は沢山釣れてくれる。 だろ?」
「……そこまで言うのであれば構わん。 が、もしも言葉通りにならなければ、そのときは――――――――」
「ただいま戻りました、獅子女さん」
「ただいまーっす。 あら、我原さんじゃないっすかー! もーどこ行ってたんすか!? 僕一人で大変だったんすけど!」
獅子女は二人を見てタイミングが良い奴らだなと思った。 正直、我原のこれは今回に始まったことではなく、以前からであったのだ。 我原を連れて来たロクドウに何かを言っても、ロクドウは一切関わろうとはしないということもあり、頭を悩ませている案件である。 個性が強いというのは良いことであるものの、強すぎるというのは問題だ。 特に我原に関して言えば、獅子女が手に負えないほどに個が強く、それに実力が伴ってしまっている。
「チッ……獅子女さん、この話はまた次の機会に。 退け、邪魔だ」
「っとと……」
分かりやすく舌打ちをし、我原は部屋を出て行く。 それを黙って見ていた二人の内の一人、雀は我原が居なくなったのを見るとすぐに口を開いた。 そして最悪なことに、神人の家でも実力者の二人、我原と雀の仲は良好とは言えない。
「少し、度が過ぎているかと。 最後の部分は耳に入りましたが、続く言葉によっては今斬り捨てていました」
「仲間内でのいざこざは御免だぞ、雀。 あいつは人間を恨みすぎているだけだ、人の汚さを誰よりも知っているし、それは悪いことじゃないんだけど……考え方が少し、な」
危ういとも言える。 自身の持つ力に絶対的な信頼があるのは大いに結構だが、それが通用しなかった場合のことも考えなければならない。 それが獅子女の場合、こうして強力な仲間を集めることで補っている。
「でも、我原さんの言い分も分かるっすけどね。 目の前に居るなら殺しちゃえっていうやつっす。 まぁここに居る以上、獅子女さんの下で動く以上はそれに従うのが道理っすけど……感染者ってどーしてこうも変人が多いんすかねぇ……」
アオが言うと、雀はアオに顔を向けた。 同時、獅子女もアオへと視線を向ける。
「え、ちょいちょい、お二人さん? どーしてそこで僕を見るんすか? いやいや、僕はこう見えて歴とした超平凡で、変って言葉とはほど遠いんすよ……?」
「華麗に参上! おやおや、これはこれはアオくん、今日もまた一段とお美しい。 今夜、ご一緒にバーでも如何かな?」
高らかな声とともに、また新たな人物が室内へと入ってくる。 タキシードを着込み、整えられた髪とパリッとした服装は清潔感に溢れている。 二十代半ばほどの男だ。
「桐生院さんっすか……今丁度、桐生院さんの話をしていたんすよ」
手を掴まれたアオが苦笑いをしながらそう返すと、桐生院は嬉しそうに口を開く。
「まさか、柴崎くんが!? ふふふ、だとすれば今日はなんて美しい日なのだろう。 やはり、これほどまでに美しい一日は美しい女性と過ごすに限る……そうでしょう? 柴崎くん」
「獅子女さんの前です、謹んでください。 それと、私はそういうことに興味はありません。 他を当たってください」
冷たく言い放つ雀からは、やれやれといった感情が溢れ出ている。 もう何度誘われたことか、数え切れないほどのものなのだ。 桐生院という人物は妙に慣れ慣れしく、美しいものが大好きなのである。 身内で変人を一人上げるとすれば、他を押しのけて出てくる人物筆頭だ。
「獅子女くん? おお、おお獅子女くんじゃあないか! いやはや、今回の件はその聡明かつ合理的な頭脳で実に美しい戦いだったよ。 というわけで獅子女くん、今夜一緒にディナーでも如何かな? 美しい景色が視えるレストランがあるのだよ」
「悪いけど俺はコンビニ弁当のが好きな貧乏舌だからな。 それより、桐生院。 下には何人居た?」
下、というのは四階からなるビルの下の階という意味だ。 獅子女たちが居るのは三階で、このビル全体をアジトとしている今、恐らくどこかしらに全員は居るはず。 そうは考えたものの、念のため獅子女は桐生院へと尋ねる。
「ロクドウくん、我原くん、シズルくん以外なら居たよ。 我原くんなら出かけていくところを見たんだけど、後の二人はどこだろうね。 ロクドウくんに関しては皆目検討も付かないよ」
言いながら大仰に手を広げる仕草は実に桐生院らしいと言えよう。 演技じみたその仕草も、桐生院が使うとどうにも様になっている。
「シズルはどっかで遊んでるんだろうな。 ロクドウは放っておいても問題はない、か。 取り急ぎ今居るメンバーにだけ話す。 聞き終わったら下にいる奴らにも伝えといてくれ」
獅子女は言うと、続ける。 そしてその話は、次なる目的でもあった。
「まず、今回の襲撃はひとまず成功だ。 奴らは俺たちの存在を認識し、次に争いが起きるときは今よりも戦力を増してくるだろう。 けど、最低でも五回は有利に戦える。 相手さんも俺らの総戦力を把握しているわけじゃないしな」
「ああそだ、そういや文字刈りに会いましたよ僕と雀さん。 連絡しよーかと思ったんすけど、中々面倒な相手だったんで……獅子女さんから電話もらってやっと報告できたって感じっす」
「良いよ、さっき言ってた奴らだな。 どんな奴らだった?」
「一人は初老の男で、鎌を持った男っす。 明鏡止水使ってきましたね。 もう一人は女、まだ戦闘にはそれほど慣れていない感じでしたけど、僕の百鬼夜行を抜けました」
「鎌持ちと女か。 アオ、さっき電話で押されてたって言ってたけど、次会ったらどうする?」
獅子女は椅子に座ったまま、その場に立つアオに向けて尋ねる。 獅子女からは言い表し難い圧迫感が溢れており、一般人であれば逃げ出したい衝動にも駆られていただろう。 が、アオはその問いにひょうひょうと答えた。
「んー、そうっすね。 まぁ取り敢えずは馬鹿正直に姿出さずに暗殺系っすかね。 バレたら場所変えてって感じで」
「なら次にそいつらと会ったらそのやり方で殺しとけ。 お前の策は大体合ってるからな」
「了解っす」
神人の家に所属する以上、人間相手に敗北することは許されない。 もしも負ければその者が持つ文字を利用されるからだ。 故に、神人の家という組織を作り、個としてではなく集団として行動していると言っても良い。 長期的に見れば人数、及び技術力で勝る人間側が有利なのは間違いない。 故に人間側と比べて少数である神人の家は群としての強さを高めるのがもっとも良いのだ。
「まぁ、前置きはその辺にして本題だ。 施設に居るとある感染者を助け出す。 名前は四条琴葉、文字は不明だ」
獅子女がそう切り出すと、その場に居た三人の雰囲気が少々変わった。 主に人殺しこそがその行動の殆どである者たちにとって、誰かを助け出す仕事というのは極めて異例だった。
「んー、どういうことっすか? それ。 てか捕まって生きてるんすか? その感染者」
その話に口を開いたのはアオだ。 アオが感じた疑問ももっともで、使える文字を持っているならばともかく、どんな文字か分からない感染者を助けるメリットというものがない。 それも既に捕まっている感染者だ。 生きているかさえ、定かではない。
「俺の私情だよ。 友人から頼まれた、無碍にすることはできない。 これは強制じゃなくて頼みだ」
なんらメリットのない行い、それにいくら部下と言えど巻き込むことはできない故の頼み。 その考えから、獅子女は言う。
「生きていることについては恐らくだな。 あいつが言うには随分特殊な力だったらしくて、殺さずに生きたまま利用されているらしい。 詳しいことは不明だけど」
「なるほど、文字的には村雨さんに近い感じですか」
「そういうこと」
村雨ユキという名の感染者は、神人の家の一員であるものの一度も戦闘をしたことはない。 彼女の文字は『原点回帰』というもので、その力は怪我の治療だ。 故に戦場に彼女が出ることはないものの、サポート面では必須の文字を持っている。 そして、そういう珍しい類の文字は武器に転用もできない。 よって、生きたまま利用されるのだ。
「うん、実に美しい。 獅子女くんの友情、温情、そして友との約束を果たすという行為は等しく美しい! この世に薄汚れた友情なんて存在しない……よって私は手を貸すことにしたよ、獅子女くん。 そして、もしもそれが果たせたならばそのときは私と……ぐえっ」
「はいはいうっさいっすよ桐生院さん。 つーことはなんすか、その獅子女さんの友達との約束を果たすために、僕らに命賭けろってことっすか?」
何かで包むこともせず、歯に衣着せぬ言い方でアオは獅子女へと言う。 思ったことはそのまま口にし、躊躇いなく言うのがアオの性格だ。
「ああ、そうだ」
それに対し、獅子女も隠すことなく言う。 本来であれば一人でやるべきことだが、その場所が政府の擁する施設となれば容易にはいかない。 そのため、自分の部下を利用するという話なのだ、これは。
「オッケーっす、自分も。 僕、獅子女さんのそーいうとこ好きっすよ」
「んだよそれ、告白か?」
「そう捉えて頂いてもケッコーですよ」
獅子女の冗談に、アオは笑う。 今回の件に関して言えば、アオの協力を得られたのは非常に大きな意味となる。 神人の家でも情報網がずば抜けているのがアオで、その正確さも併せ持っているとなれば彼女だけだ。 見知らぬ場所への潜入に彼女の力はほぼ必須と言えよう。
「……私も当然、お供致します。 ですが、一つ条件が」
「珍しいな、雀」
「恐れ多くも。 今回のそのお話、この場で止めて頂くことはできますか? 私感なのですが、我原さんの耳に入れば良い方向に転ばないような気がするのです」
「勘か?」
「勘です」
それを聞いた獅子女は笑うと、その場に居る全員に聞こえるように「分かった」と言った。
こうして、四条香織の妹である四条琴葉を救出するため、神人の家は動き出すのであった。