第十三話
「ロクドウさん、大丈夫かな……」
小夜は言われた通りに街を去るべく、北側へと足を向けていた。 その手には少々の画材道具と、ロクドウが喜ぶと思って買ったシュークリームがある。 街中は不自然なほどに静まり返っており、そこに住む人々は自ずと危機を察知していた。
「……っ」
鼻先に水滴が辺り、小夜は空を見上げる。 どす黒い雲は遠くにあり、今真上を覆っているのは灰色の雲だった。 これから強くなりそうな、そんな雨が降り出した。
「大丈夫大丈夫、ロクドウさんなら……きっと大丈夫。 強いし、頭も良いし」
ロクドウと過ごしてからはかなりの時間が経過した。 今ではそれなりにロクドウのことは理解しているつもりで、ロクドウの言い方は依然としてキツイところがあるものの、どこか温もりも感じるようなときもある。
小夜はこの街が好きだった。 人間と感染者、それらは絶対的な違いがあり、そして分かり合えない存在たち。 しかしこの街ではその垣根は存在しないように、人間も感染者も暮らしている。 かく言う自分自身も、ロクドウという感染者と共に同じ屋根の下、暮らしているのだ。
だから小夜はそんな街が好きだった。 もっと言えばロクドウのような感染者も、好きであった。 ことロクドウに関して言えば、尊敬という面が大いにはあるが。
「……あ」
そこで、小夜は思い出す。 ロクドウは二時間後と言っていたはず。 言われた時間まではまだあり、多少の猶予は残されている。
「ロクドウさんの絵、せめて私にくれたやつだけでも……」
小夜は振り返る。 急げば間に合う、せめて誕生日プレゼントとして貰った絵だけでも、持っていきたい。 対策部隊による作戦となれば、当然家屋の中も調べられるはず。 もしもその際に絵が壊されようものなら、最悪だ。
その結論に至った小夜は、その足を街の外からロクドウの家に向けて変えるのであった。
「どういうつもりだい、わたしは何も頼んだつもりはないが」
「ボランティアだよ、ボランティア。 組織としての動きじゃない、俺個人の暇潰し」
坂の下、そこで対策部隊を待っていたロクドウの下へやって来た人物は、獅子女であった。 正体を隠しはしているのか、その顔には面が付けられており、ロクドウの隣へと座っている。 声色は落ち着いており、とても十三歳ほどの少年が出す声色には思えなかった。
「目的は?」
獅子女は気楽そうにそう尋ねる。 それを見たロクドウは、何を言ってもこの男は介入するつもりだろうと思い至った。 足を組み、両手を地面に付け、獅子女はあたかも暇を潰しているようだ。
「君が用意してくれた家を守る。 画材道具を傷つけられるのも面倒だしね」
「……絵を描いているのか?」
「まぁね。 それが?」
「いや、俺の知り合いにもそういう奴が居るからさ。 今度見せてくれよ」
「断る。 わたしの絵は他人に見せるような代物じゃあないんだ」
「他人ねぇ、寂しいこと言ってくれるな」
言うと、獅子女は立ち上がる。 それとほぼ同時、ロクドウもまた立ち上がった。 お互いすぐに理解していたのだ。 時間がやって来たと。
目の前に現れるは、武装をした数十の対策部隊員たち。 数人の文字刈りもおり、様々な武器を構えている。 対策部隊内にあるロクドウの情報から、捕獲に必要な麻酔銃は全隊員が装備をしていた。 ロクドウを捕らえる際、もっとも有効なのは身動きを封じることだ。 致命傷を与えたとしても、ロクドウの文字によりすぐさま修復が始まってしまう。 よって、ロクドウを捕らえるには致命傷を与え続けるか、麻酔銃や神経ガスによる捕獲がもっとも有効な手段となる。
「対象を確認」
「横の男は?」
「どちらにせよ、掃討地域内だ。 人間にしろ感染者にしろ排除しろ」
「了解」
男たちの会話は雨音で聞こえづらかったが、そんな会話をしていた。 それを聞いた獅子女は口を開く。
「ってことはお前らも掃除されるべきってことだよな? こんな風に」
言う獅子女の手には、対策部隊の内の一人の頭部が握られていた。 ロクドウですらそれは目で追えておらず、あまりにも素早いその動きはその場に居る誰もが反応すらできないものだ。
「なっ……総員構え、撃てッ!!」
その言葉と共に、無数の銃弾と麻酔銃が放たれる。 数にしておよそ五十、まずは前方にいる対策部隊員がそれを放つ。
「おい、わたしは自分の身くらい自分で守れる。 余計なことはするな」
「そりゃ失礼。 てっきり弱点かと思ったよ」
だが、それらの弾は全てがロクドウと獅子女に触れた直後、静止し地へと落ちた。 まるで力を殺されたかのように。
「弱点? 馬鹿を言うなよ」
ロクドウは言い、落ちた麻酔針の一つを手に取る。 そして、その麻酔針を自身の右腕へと突き刺した。
「例えばこうして刺さったとしよう。 そうしたらわたしはこうする」
笑い、ロクドウは左手で右腕を掴むと、自身の腕を引き千切った。 辺りには血が噴出し、ロクドウはたった今千切った腕を対策部隊員へと投げつける。 あまりの出来事に、対策部隊員たちはその腕を避けるように隊列を乱した。
「わたしは死なない、死ぬことができない。 分かったらさっさと働くことだ」
「……話には聞いてたけど、さすがにすげえな」
ロクドウの腕は、元に戻っていた。 まるで傷一つなく、そこには白い腕が綺麗に存在する。 全ての傷は治癒され、そしてあらゆる致死的な攻撃もロクドウの前では無意味となる。 ありとあらゆる方法で殺すことができない、彼女の体は例え木っ端微塵になろうと、その場で再生し朽ちることがない。
万世不朽。 それが、ロクドウが持つ不死の文字だ。
「ま、それでも俺の方がまだ強いな」
「ならお手並み拝見だね」
獅子女は笑い、歩き出す。 その場で起きた殺戮は、数百年という長い間生きてきたロクドウですら、見たことがないものであった。
「雨が強いな。 酷い匂いだったが、この雨ならばすぐに流れるか」
「帰ったら風呂入らないとだな……明日も学校あんのに」
座り、話し込む二人。 その目の前にあるのは無数の死体だ。 おびただしいほどの血は、激しい雨によって混じり、流れていく。 辺り一帯を覆うような血の匂いもまた、浄化されるように薄まっていっていた。
「しかし対策部隊も中々に楽しい物を持っているね。 文字が込められた武器か」
ロクドウの手にあるのは、斧のような形状をした武器だ。 文字刈りと言われる者たちが扱う武器、それに込められた文字はロクドウの興味を多少はそそるものであった。
「俺たち感染者は弱い。 けど、たまーにV.A.L.V含有率がぶっ飛んだ奴が出て来る」
「わたしや君のように、か。 それでシシ君、君はそいつらを集めて対策部隊を潰すと。 果てしなく無謀な夢だな」
「だからこそだよ。 興味持ったか? ロクドウ」
獅子女は面を外し、素顔でロクドウに問いかける。 獅子女はそのとき笑っており、その顔は運動を終えたばかりのように爽やかなものだった。
「いいや、ないね。 わたしはそんな無益なことに時間を割くくらいであれば、家でひっそりと絵を描いていた方が性に合っている」
「そうか、そりゃ残念」
言いながら獅子女は立ち上がると、そのまま歩き出した。 用事が終われば別れを惜しむでもなく、獅子女は次なることに向け動き出す。 そういう男なのだとロクドウは思い、空を見上げる。 雨は街中を溺れさせるように振り続けており、止む気配は全くなかった。
「ん、もしもし」
と、そこで獅子女は懐から携帯を取り出すと、誰かと通話を始めた。
「……おいアオ、それマジの情報か? ああ、ああ……そうか、分かった」
会話の内容は短く、ロクドウは耳に入ったその声をそのまま流しながら口を開けた。 雨粒が口へと入り、泥水のような雨が体内へと入っていく。 例えそれでも、自分という者の何かを洗い流してくれるような、そんな気分だった。
「ロクドウ」
「……まだ何か?」
が、どうやら獅子女は自分へ再度話しかける内容ができたらしい。 視線を向けると、獅子女の顔はこちらへと向いていた。
「お前の家、荒らされているかもしれない。 この辺りには地下坑道があって、地下を通れば街中どこでも行けるんだとよ」
「そうか、それはあまり嬉しくない情報だね」
面倒なことになったと、ロクドウは思った。 もしも家が荒らされていようものなら、画材道具を買い直さなければならない。 それは果てしなく面倒なことだと思うと同時、店などを経営していた人物は生きているかとの考えにまで及んだ。 自分と獅子女が迎え撃っていたこの場所も、自身の行動も全く意味のなかったことだったとは。
「まぁ良い。 壊されたのならまた一から始めれば良いだけだ」
それだけの時間はある。 そう思い、ロクドウは立ち上がる。
「お前のサッパリした性格は結構好きだな」
「ナンパかい? 生憎間に合っているよ、シシ君。 それじゃあまた会うことはないと願って、わたしは帰るとしよう」
「ああ、またな」
言い、笑う獅子女を一度目をやり、ロクドウは家へと足を向けるのだった。