第十話
「ではわたしは画材屋へ行ってくる。 そうだな……十五分後にここで良いかい?」
「はいっ! ロクドウさんに似合いそうな服、頑張って作りますね!」
「だから着ないと言っているだろう。 鳥頭なのかい、サヤ君」
街の奥へと辿り着いた二人は、それぞれの目的である店へ別々に行くことにした。 小夜は最初こそ「ロクドウさんと一緒に買い物をしたい」と言っていたが、静かに一人で道具を見たいロクドウにとって、小夜の存在は邪魔である。 それを嘘偽りなく伝えたロクドウは、こうして別々に買い物をするということで決めたのだ。
小夜が目的とするのは、布屋である。 裁縫を得意とする彼女は、ロクドウに何か服を作ろうと思い至っていたのだが、当の本人であるロクドウには残念ながら、服を着る選択肢はない。
そんな二人が再集合の場所としたのは、丁度噴水がある地点だった。 そこまで広くはない広場に、大人しめに置かれている噴水で、周囲にも人は殆どいない。 元々過疎地区ということも影響しているのだろう。
「むうう……着てくれないなら、もうミルクティー淹れてあげません!」
「ならばわたしはサヤ君に給料を払うのを止めよう」
「そんな殺生な!?」
「当然だろう、君はわたしの奴隷だ」
「奴隷じゃありません! お友達です!」
いつの間に助手から友達になっていたのか、理解に苦しみ頭が痛くなってくる。 ロクドウは小さくため息を吐くと、小夜を後ろに手を上げ、歩き出した。
「君と話すのは実に時間の無駄だな。 さっき言った通り十五分後にここで待ち合わせだ、居なければ置いて帰る」
「……待ち合わせってやっぱり友達っぽいですよね?」
そう言う小夜を無視し、ロクドウは己の目的地へと向かうのであった。
「ふむ」
十五分後、画材道具を買い終え、両手に袋を下げながらロクドウは待ち合わせ場所である噴水前に居た。 小夜と話し、十五分後にと決めたのが丁度二時だ。 そして今は二時半、約束の時間に十分ほど遅れたのは自分であったが、どうやら小夜はまだ居ないようだ。
小夜と少しの間だが暮らし、分かっていることはひとつある。 彼女は妙に真面目で、朝は自分よりも早く起きれば、夜は自分よりも寝るのが遅い。 時間に関して言えば、しっかりとその時間を守るというのが彼女なのだ。
その彼女が、待ち合わせ場所に未だ居ない。 もしかしたら時間に自分が居ないことから、先に帰ったのだろうか?
「サヤ君の性格からしてそれはないか」
未だに理由は分からないものの、小夜は自分を妙に慕っている。 そんな彼女が自分を置いて先へ帰るということはあり得ないと言い切れる。 であれば、約束の時間に小夜がここへ居ない理由にも思い当たって来る。
ロクドウも、ここで暮らし始めて結構な時間が経っている。 だからこそ、この辺りの治安はあまり良くないということは知っている。 当初は自分も良く絡まれていたが、その都度お仕置きをしていたところ、金髪の幼女には気を付けろという噂が出回る始末だ。 最近ではそのおかげか、自分に絡んでくるような者は居なくなったものの、治安が悪いということには変わりない。
言ってしまえば、スラム街のような街だ。 感染者も居れば、行き場のなくした人間も多くここには住んでいる。 そう考えると小夜にも何かしらの事情がありそうだが……。
「思考の無駄かな、これは」
ロクドウは一人呟き、歩き出す。 目的地は当然、自分の家だ。 予め小夜には注意をしてある、居なければ帰ると。
ならば小夜を探す理由にはならない。 彼女に何があろうと、自分の知ったことではないのだ。 あくまでも暇潰しで、少し変わった性格をしている彼女の相手をしていたに過ぎないのだから。
「ええっと、ロクドウさんに会いそうな服ってやっぱりヒラヒラしたやつだよね」
待ち合わせの時間は意外にも早い。 ロクドウが時間を案外大切にするということは小夜も既に知っており、その所為だということは分かっていた。 よって、自分も早急に布を決めなければならない。
布屋に入った彼女は、色や素材が様々なそれらを眺める。 ロクドウの体型や身長、顔立ちや振る舞いから最適なものは……。
「落ち着いた感じよりも、可愛らしさ?」
口に手を当て、小夜は思考する。 ロクドウは見た目だけで言えば西洋人形のような見た目をしている。 その性格は若干黒い部分が多すぎる気もするが、自分はかなりイジられているが、ちょっとイジメられているかもしれないが……それでも、見た目で言えば人形だ。
「よし、これに決定!」
小夜は頭の中で人形が着るようなフリルの付いた服を思い浮かべ、布とレースを手に取っていく。 決めてからの行動は早く、最適な素材を最短で手に取っていった。
「問題はロクドウさんが着てくれるかどうか……だけど、まぁ大丈夫でしょう」
さすがに服を作ってしまえば、ロクドウでも多分着てくれるはず。 そんな希望を胸に、小夜は会計を済ませ店の外へと出た。 少し悩んでいたこともあり、時間はあまりない。 近道である路地へと入り、小夜は歩く。
小夜から見て、普段のロクドウは可愛らしい人形のような相手だ。 喋りさえしなければ最高に可愛いと、随分失礼なことも同時に考えている彼女であったが、彼女がロクドウと共に居ることを望んだのには他の理由がある。
ロクドウの描く、絵だ。 その絵に彼女は魅入られ、そしてロクドウの絵を描く姿にもまた魅入られた。 小夜にとってそれらは今までに感じたことのないもので、ロクドウが感染者であろうと関係のないことですらあった。
ロクドウからは、人間を沢山殺したという話は聞いていた。 触れれば即座に精神を壊すことができる文字もあると聞いていた。 しかしそれでも、小夜はロクドウの傍に居たいとそう思ったのだ。
何故か。 理由は分からない。 もしかしたら、自分と少し似ているからかもしれないと、小夜はそう思っていた。
「なぁお嬢ちゃん、暇?」
「へ? あ、あと……どちら様でしょうか?」
そんな思考をしながら待ち合わせ場所である噴水前まで歩いていたところ、突然目の前から声がかかった。 顔を上げると、そこには見ず知らずの男が立っている。 その後ろにも数人、男が立っていた。
「どちら様でしょーか。 遊ぼうぜ、暇でしょ? 俺たちも暇してんだよね」
「ごめんなさい、私用事があるので……人と待ち合わせをしてるんです」
「んだよ男?」
「女の人、ですけど」
小夜は愛想笑いを浮かべながら言う。 見た目的には、あまり良い人だとは思えない。 それにこうして時間を潰されている間にも、ロクドウとの待ち合わせ時間は迫っている。 こんなことなら路地に入るのではなかったか、と小夜は思うも、男たちにそれを気にする素振りはない。
「じゃその人も呼んでよ! 一緒に遊ぼうぜ!」
「あ、ああっと……その……こ、子供ですから」
「女の子? 良いよ良いよ、あいつロリコンだし大丈夫」
男は言いながら、仲間と思われる男の一人を指差す。 それに対し少々不満気な顔を指差された男は返すも、声を掛けてきた男は意に返さない。
「だ、駄目なんです! あの、私急いでいるのでこれで……いっ!」
話をしても仕方ないと思い、小夜は足早に去ろうとした。 が、それを逃さないと言わんばかりに男に腕を掴まれた。 力強く、とても振り払えそうにはない。
「逃げないでって。 いいじゃん別に」
「やめてください!! 離してください!」
小夜は言い、強引に手を振り払う。 その際、勢い余り振り払ったその手が男の顔へと当たってしまった。
「あ、ご、ごめんなさい」
「……いってー。 おいこの女抑えろ」
「へ? きゃ!!」
男の言葉を皮切りに、後ろに居た二人の男は小夜の腕を強引に掴む。 先ほどよりも強い力で、振り払うことは今度こそ叶いそうにない。
「お前調子乗ってんだろ? 少し可愛いからって居るよなぁこういうヤツ。 メス犬が」
「え? え? いたっ!?」
躊躇いなどなかった。 男は懐から小型のナイフを取り出すと、小夜の頬を軽く切った。 一瞬の出来事で、小夜はただ顔に感じた鋭い痛みと、血が垂れるのを肌で感じ、恐怖する。
「性格はウゼーけど体付きは良いねぇ。 お前らちょっと見張っとけ、後で回してやるから」
男が顎で指示を出すと、小夜を取り押さえていた男たちがその腕を離す。 小夜はそれで自由を取り戻したが、体が不思議と動かなかった。
原因は、すぐに分かった。 足に力が入らない、手にも力が入らない。 先ほどナイフで頬を切られたことによる恐怖だ。 そのために切ったならば、どれだけ用意周到だったのか、どれだけ手慣れているのか。 小夜は抵抗しようとするも、声も出ず体も動かない。
服が破かれた。 乱暴に破られたそれは、ロクドウから貰った給料で買ったメイド服だった。 小夜は咄嗟に体を隠す。 しかし、無理やりそれは開かれた。
「あ? んだよお前傷持ちかよ」
「や、やめて……やめて、ください」
小夜の体にあったのは、無数の傷だ。 刃物で斬られた跡から、火傷痕、タバコの火を押し当てられたかのような水ぶくれや、鞭で叩かれたような傷も多く残されている。 それを見た男は、すぐさま小夜が傷持ちだと理解した。
この辺りでは、珍しいことではない。 虐待される子供は多く存在し、中には慰み者とされる者ですら居る。 小夜もそんな過去を抱えている者だったというだけだ。
だが、その傷を見て気分が萎えるほどこの男に常識が備わっているとは思えない。 ここまで来ればもう、男が手を引くことはない。
耐えよう。 小夜はそう思い目を強く瞑った。 いつものことだ、いつものように耐えていればいずれは終わる。 そして全て終わったらまた笑えば良い。 笑って、何事もなかったかのように忘れて、そしてロクドウには場所を忘れてしまったとでも言い訳をすれば、心が広い彼女は文句を言いながらでも許しはしてくれるだろう。
今ここで大声で助けを求めれば、もしかしたら彼女に聞こえるかもしれない。 だが、助けは求めない。 ロクドウのことは尊敬しており、友人だと思っている。 きっと彼女なら一瞬でこの男たちを倒してしまうだろうけど、それでも迷惑はこれ以上かけることはできない。
「俺ってやっぱ見る目あるよなぁ。 傷持ちだったのは仕方ねえけど、体付きはやっぱ良いじゃん」
男の手が自身の肌の上を這った。 小夜はただ、抵抗せずに現状を受け入れた。
「――――――――全くだな、わたしの助手の癖につくづく生意気な石ころだ」
聞き慣れた声は、誰かすぐに分かった。 自分が尊敬し、自分が友人だと思うただ一人の人物だった。
「ロクドウさんッ!!」
「あ? なんだテメェ、あいつらどうした」
「さてね。 良いから続け給えよ、何、わたしのことは見るのが趣味のヘンタイとでも思っておけばいいさ」
ロクドウは何かをする気でここへ来たわけではない。 ただ単に気まぐれを起こしただけだ。 小夜を助けるために彼女がここへ戻ってくる理由など、ないのだ。
「……まぁいいや。 こいつの次はテメェな」
男は言い、再び小夜の体に触れる。 ザラザラとし、気色の悪い感触だ。 しかしそれよりも、小夜にはロクドウの行動の意味が分からなかった。 自分を見るため? 自分が犯される姿を見るために? 何故、どうして、今日の朝は楽しく会話をしていたのに、そこまで割り切れるものなのか、感染者とはそうなのか、自分がただ、憧れの近くに置いてもらい浮かれていただけなのか。
ロクドウの顔を見るのは怖かった。 どんな表情をしているか、それを見るのが果てしなく怖かった。 だから一瞬だけ、ほんのコンマ数秒だけ見るつもりで視線を向けた。
しかし果たして、その視線が外れることはない。 一度見たら外せなくなってしまった。 そしてロクドウの表情は、興味のないモノを見る眼をしてはいなかったのだ。 それよりも、もっと違う感情がそこにはある。
――――――――怒り。
ロクドウは、怒っていた。 まだロクドウのことが全部分かるわけでもなく、ロクドウという人物がどのような人物かも知らない。 しかし、ロクドウを尊敬し近くで見てきた小夜には、すぐに分かった。
だから小夜は口にする。 今ここで、ロクドウにどうして欲しいかを。 何をし、小夜は何を望むかを。 それは小さな声だった。 儚く消える想いであった。
言葉を紡がなければ伝わらない、そして伝わらなければロクドウは決して動かない。 それくらい、その程度のこと、助手として分かっていて当然だ。
「助けて、ください」
ロクドウはその言葉を聞くと、目を瞑り一息吐き出す。 何か想いが込められたのかのように見えたそれは、全くの別物であった。 ロクドウの想いがもしも込められているとすれば、それはロクドウが次に発した言葉だったからだ。
「――――――――最初からそう言えこの大馬鹿がッ!!!!」
まるで聞いたことのない大声は、小夜の心に打ち付けられた。 初めて見るロクドウの感情だ、初めて見るロクドウの顔だ、そして初めて見るロクドウの怒りだ。
その怒りはきっと、男に向けられたものではない。 ただ黙りただ受け入れただ事の終わりを待ち続け、何も望まなかった自分に対しての、怒りだ。
「なぁ非行に走る人間クン、ここで君に一つ問題を提示しよう」
「ッ……なんだテメェは!」
「このわたしの助手が、目の前で男に犯されようとしている。 そして助手はわたしに助けてくださいと、助けを求めた。 この後わたしが取る行動はどれでしょう? その壱、君と一緒にサヤ君をイジメる。 その弐、一緒に犯されてあげる。 その参、助けようとしたけどわたしでは無理だった。 その肆、わたしが身代わりとなってサヤ君を助けた。 その伍、仲良く話し合いで仲直りをした。 その陸、実は映画の撮影だった。 その漆」
ロクドウは笑う。 ハッキリと、その顔には狂気とも言える笑みが浮かんでいた。 ロクドウの全てがそこには詰まっているようにも見えた。 少なくとも、その笑顔を見た男は恐怖により体が硬直するというのを改めて思い知ることになる。
「――――――――わたしの助手に手を出す愚か者には、死を持って償ってもらうことにした」
「い……ぁ!?」
「君如きにわたしの文字を使うまでもあるまい。 この通り、わたし程度の力でもまるで玩具のように扱えるしね」
言うロクドウの手には、男の左腕が収まっていた。 男は自身の左腕がなくなっていることを見て、ロクドウの持つ腕が自分自身のものだとようやく認識する。
「まぁサヤ君はグロ耐性がなさそうだし、手短に済ませよう。 安心し給え、死というのは無期限の休息だ。 それを迎えられる幸福に打ちひしがれると良い」
男の意識は、そこで唐突に途切れるのであった。
「ろ、ロクドウさぁん!!」
「子供か君は。 まったく本当にくだらない、わたしの気が向いたことに感謝し給えよ、サヤ君」
「は、はいぃ!!」
ロクドウはそう言ったものの、小夜は知らない。 ロクドウが気まぐれを起こすことこそ珍しいということを。 それも誰かを助けるための気まぐれだった場合、それはロクドウが多少なり認めているという証にもなり得る。
「とりあえずその布でその破廉恥な体を隠せ。 わたしに喧嘩を売っているのかね」
「で、でもこれはロクドウさんの服を作るために……買ったもので」
小夜は言いながら、袋を握り締める。 破かれた服よりもそちらを優先する意味がロクドウには理解できず、小さなため息と共に言葉を放った。
「そうだな、それはわたしの物だ。 そうなればそれをどう扱おうとわたしの自由だろう? もう一度言うぞ、サヤ君。 その布で体を隠せ」
「……う、うわぁあああああああん!!」
小夜にとって、そのロクドウの言葉はどこか温もりを感じるものだった。 そしてそこで糸が切れてしまったのか、小夜は大粒の涙をボロボロと零しながら、ロクドウに抱き着く。 そんな小夜にロクドウは顔を顰め、ため息を吐き、嫌々ながら口を開く。
「帰るぞ小石。 久し振りに体を動かしてわたしは疲れたよ、帰ったらミルクティーだ」
「よろこんでぇええええええ!!」
泣き笑い。 そんな言葉がぴったり当てはまるかのような、小夜の顔であった。