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感染者のことは  作者: 獅子師詩史
外伝 感染者のロクドウ
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第九話

「サヤ君、わたしが今どう思っているか、率直に言い給え」


「それはもう、びっくり仰天! サプライズはやっぱり嬉しいなぁ! やったぁ! とかですよね?」


「馬鹿か君は。 ここまで愚か者が居るということにびっくり仰天しているんだよ」


 ロクドウが目覚め、リビングへと戻ったときに鳴らされたのは、小夜が手に持つクラッカーであった。 そして、その室内は飾りや豪勢な料理が所狭しに並べられており、壁にはでかでかとしたプレートが掲げられ『ロクドウさんの助手記念パーティ』と書かれている。


「一応聞いておこうか。 今朝、わたしが手渡した給料はいくら残っている?」


 ロクドウは頭に乗った紙吹雪を払いながら尋ねる。 小夜はその質問に対し、笑顔で答えた。


「ゼロ円です! やっぱり、ロクドウさんとの記念だからこうパーッとやりたくて! 私、ほんとーにロクドウさんのファンですから! 一目惚れですよ!」


 力一杯言う小夜は、何故かメイド服を着ている。 どうやら身なりを整えろという言葉は違う意味で捉えられたらしく、しかしその部分はあまり問題ではない。


 問題なのは、小夜が初日で給料を使い果たしたことだ。 そちらのほうがよほど大問題である。


「三十はあったはずなんだけれど」


「だって、折角のことなのに節約って嫌じゃないですか。 だからもういっそのこと有り金全部行ったれー! って勢いで。 えへへ、だからご飯こんなに豪華ですよ!」


「今、君が底抜けの馬鹿だということは理解できたよ。 犬の方が忠実な分まだマシだ、サヤ君、君は本当に小石だな」


「小石じゃないです! ほら、こんな可愛いメイド服の小石とかいないですよ!?」


「……確かに否定はしないが、それはわたしに対する当て付けか?」


「そ、そんなんじゃないですー! ロクドウさんは確かに胸ぺったんこですけど、そのやさぐれた感じがまた良くて!」


「もう良い。 君がその無駄にある胸を強調するような服を着ていることはどうだって良い。 明日から一ヶ月どう過ごすつもりだと聞いているんだ、わたしは」


「え? だってロクドウさんの助手って、食事でますよね?」


「出ない」


「そんなっ!?」


 テーブルの上に所狭しと並べられた料理を眺め、小夜はショックを受けたように床へと倒れ込んだ。 そんな小夜を踏み付け乗り越すと、ロクドウは椅子に腰掛ける。


「……君のような後先考えない馬鹿というのと関わったのは初めてだよ。 一体どんな親に育てられたのか、是非顔を見てみたいな、わたしは」


「あ、えと……えへへ」


 ロクドウの言葉に、小夜は困ったように笑う。 何か、含みがあるような笑い方であった。 そこに何かがあるということはロクドウも伊達に長年人を見てきたわけではない。 ひと目でそれは分かったものの、聞くようなことはせず、言った。


「サヤ君の家庭事情は至極どうでも良いけれど、それでわたしに迷惑を掛けるようなら頭を吹き飛ばす。 覚えておくように」


「は、はいっ!」


 その日、小夜の手に寄って行われたパーティは、静かなものとなるのであった。






 一週間が経過した。 小夜は結局、ロクドウからの提供により、三食問題なく食べることができている。 暮らす分には一切の不自由がない生活環境もあり、楽しい毎日であった。


 何より小夜が楽しかったのは、ロクドウの描く絵を毎日見れるということである。 間近で描く姿を見ることができ、その手伝いができるというのは幸せな日々だった。


「サヤ君、これ乾かしておいてくれ」


「はい!」


 ロクドウが絵を描く場所はいつも決まっていた。 リビングから繋がる中庭、天窓から差し込む日射しが気持ち良い場所で、ロクドウはそこを好んでいた。 そして小夜はそんなロクドウを少し後ろから眺めており、指示があればすぐに従うといった流れが日常化していた。


「やっぱりすごいなぁ……こんな絵、どうやって描くんだろう」


 いつも決まって、人物画だ。 どこの誰かは分からない、一度聞いたことがあるが、返ってきた答えは「どこかの誰か」というものだったことから、特定の誰かを描いているわけではないらしい。


 猟奇的であり、幻想的な絵でもあった。 どこか惹かれてしまう、そんな素敵な絵であった。 タッチが柔らかい絵で、色を付けるときもあればラフ画のように色を付けないときもあった。 しかしそのどれも小夜の好みで、ロクドウには一体どのように世界が見えているのか、見てみたいと思うことはしばしばだ。


「おーい、サヤ君何をしている。 ミルクティー」


「はーい!」


 ロクドウの描いた絵を家の軒先に並べ、小夜は家の中へと入っていく。 ロクドウの好みはミルクが多めのミルクティーということも既に教わっており、いつも通りにミルクティーを淹れ、ロクドウの下へと運んでいく。


「少しミルクが少ないな。 まぁ良い」


「難しいんですよロクドウさんの好み! そんなに違います?」


「全然違う。 それよりサヤ君、画材道具を買い出しに行くんだけれど、来るかい? どうせ暇だろう」


「あ、そういえばスケッチブックも残り少なかったですよね? あと、水彩紙も」


「そうか。 ならついでにそれも買いに行こう」


 ロクドウは描いていた手を止めると、立ち上がった。 そしてそのままの姿で外へ向かい歩き始める。 そんな姿を見て、慌ててタオルを取りに行ったのは小夜だった。


「ロクドウさん、待って待って! っと」


 小走りでロクドウの下へ戻ると、小夜は手に持っていたタオルをロクドウの頬へと当てる。


「顔に絵の具付いてますよ。 取らないと」


「……別に気にすることじゃない。 どうせ帰ったらまた描いて汚れる、意味がないだろ?」


「ダーメです、女の子なんだからちゃんとしないと」


「君は一体わたしが何歳だと思っているんだ。 君の十倍以上は生きているんだぞ」


「知ってます。 でも、だからって身だしなみはちゃんとしないと、ですよ」


「それなら服もどうにかするべきだろうがな」


 ロクドウは言うと、袖をパタパタと動かす。 いくつか買ったかなり大きめのワイシャツは、ロクドウの小さな体ではワンピースのようなサイズになっていた。


「あ! だったら服も買いましょうよ! 私、こう見えて裁縫得意なので、作っちゃったりできますよ!」


「要らない。 わたしはこれが過ごしやすくて気に入っている、それ以外は却下だ」


「むむ、いつか絶対私の作った服を着せてあげますから!」


「天地がひっくり返ってもないだろうけどね。 そろそろ行くぞ、サヤ君。 わたしには時間が無限に存在するが、今日という日は今しかないのだよ」


 そして、ロクドウと小夜は街中へと繰り出していく。




「ロクドウさんって、どのくらい生きているんですか? 数百年、というのは聞いてましたけど」


「正確に言えば二百八十六年、わたしが感染者となったのは十歳だ。 今のこの見た目はそのときと変わってはいない。 もっとも、十歳のわたしはもっと純粋な少女だったけれど」


「えー、今も純粋ですよ、純粋! だって、そうじゃないとあんな綺麗な絵は描けないですって!」


 目的地である画材屋は、街の外れにある。 そこへ向かい並んで歩く二人は、そんな会話を繰り広げていた。 右を歩くはロクドウ、その横を付き従うように歩くのは小夜だ。


「絵を描く際には頭の中を空っぽにはするさ。 だからそういう意味では純粋と言えるかもしれないけどね」


「なるほど……それであんな素敵な絵が描けるんですね」


「サヤ君、さっきから素敵素敵と害虫のようにうるさいが、わたしの絵の一体どこが素敵なのか理解に苦しむね。 趣味が悪いとも言える」


「自分で言っちゃうんですか!? うーん、でも私は素敵だって思います! ロクドウさんの絵は、なんていうか……辛さとか悲しさとかが一緒にあって、ただ綺麗な絵とは違うんです。 たぶん、ロクドウさんがロクドウさんだから描ける絵なんだなって思います」


 小夜が言うと、ロクドウはしばし小夜の顔を見つめたあと、前を向いた。 小夜の言葉が意味すること、それはロクドウが感染者だからこそ描けた絵だという意味でもあったのだ。


 感染者として、ロクドウは長い間暮らしてきた。 その上で、感染者だからこそ受ける仕打ちというのも充分に受けてきた。 拷問、疎外、そして殺害。 飢えに苦しむことも、何度も殺されるということも、そして親しい者が死んでいくということをロクドウは経験している。 それらの一連を知っている彼女だからこそ描ける絵だと、小夜はそう言いたかった。


「サヤ君、ひとつ君に質問だ。 サヤ君は、地獄というのはどういうものだと思う?」


 言われた小夜は、しばしの間考え込む。 地獄というのはどういうものか。 単純な質問ではあったものの、それらの答えは無限にも思えた。


「人それぞれ、だと思います」


「それもまた正解だ。 では、サヤ君にとっての地獄とは?」


「私にとっての、ですか。 それは……」


 少々間を置き、小夜は口を開いた。


「愛されるべき人に愛されないこと。 私にとっての地獄は、そういうことです」


「ふむ……中々面白い答えだね。 だがサヤ君、この問題の確たる正解はひとつだけなんだよ」


 ロクドウは言うと、人差し指を立てる。 それを言うロクドウの横顔は、少なくとも小夜から見て儚いようにも見えた。


「この世界に地獄など存在しない。 それが、答えだ。 この世の地獄? 地獄絵図? 馬鹿は言うのさ、悲惨な光景を見て地獄だとね。 けれどそれは違う、だってそれは地獄ではなく現実なのだから」


 どんな出来事も、それは等しく現実である。 故にこの世に地獄などは存在しない、その全ては現実であり、地獄とは絶対的に異なるのだ。


「……少し悲しい考えだと、思います」


 それを聞いたロクドウは、薄っすらと笑って答える。


「だってそう考えないと、しんどいじゃないか」


 その言葉が全てであり、そしてその言葉に全てが詰まっていると、小夜はそう感じたのだった。

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