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感染者のことは  作者: 獅子師詩史
外伝 感染者のロクドウ
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第八話

 出会いは突然訪れる。 それは人間も感染者も同じであり、たとえ数百年生きた者であろうと同様だ。 突如として現れ、そして突如として触れてくるもの。 それが、出会いというものだ。


「ふむ」


 だから今日この日、具体的に言えば施設から出て一ヶ月と一週間が経過したこの日、その出会いが起きたのは不自然ではなくごく自然なことである。


「お腹……空いた……」


 ロクドウが朝の散歩を終え、朝食を買い、自宅へと戻ってきたときのことであった。 丁度玄関扉の前に人が倒れていた。 薄汚れたシャツに、破れたジーンズ、浮浪者のような出で立ちの人物は、意外なことにも女であった。


 その光景を視界に入れたロクドウは、側頭部を人差し指でポリポリと掻き、一瞬だけ思考した。 そしてすぐさまその思考を放棄し、横たわるその者を踏み付け家の扉を開ける。


「ぐげぇ……」


「まるでカエルだな、君は。 それとも小石か何かか? 人の家の前で寝るな、邪魔だ」


「……何か、何か、食べ物……を」


 見たところ、若い女のようだ。 黒髪は少々汚れているが、元々の素質が良いのか洗えば綺麗なものにはなりそうだ。 そして顔はどこかおっとりとしているが、目鼻立ちは整っている。 タヌキ顔と言えば正しいか、などとロクドウは思いつつも、その女の体を踏み付けたままで言う。


「……いつまでも家の前で寝転がられても迷惑か。 まったく今の御時世はこんなにも傍迷惑な奴が居るとはな。 入り給え、残飯くらいは分けてやろう」


「本当ですかっ!?」


 そして、その一言で元気を取り戻した女を連れ、ロクドウは家の中へと入っていくのであった。




「美味しいです! とっても美味しいですよ!」


「それは良かった。 わたしの朝食であるパンと牛乳はそこまで美味しいかい?」


 パンを頬張り、牛乳を飲み込み、女は晴れ晴れとした笑顔でロクドウに感謝の気持ちを述べる。 対するロクドウは頬杖を付き、十歳ほどの見た目にしてはやけに大人びた態度でその相手をしていた。


「はい! ええと、あ、お名前は」


「ロクドウで良い」


「ロクドウさんですね! ロクドウさんの朝食だったパンと牛乳、とても美味しいですよ!」


「わざとやっているのだったら殺しているところだが、君の無邪気な笑顔を見る限りただの馬鹿だな。 それを食べたらとっとと出て行け、二度とわたしの家の前で寝てくれるな」


「そんな恐ろしいこと言わないでくださいよ! あ、私は小夜(さや)って言います! 小さいに夜でサヤです」


「至極どうでも良い情報をありがとうサヤ君。 わたしの朝食を奪い取った君に、わたしはいくつか質問する権利があるのは分かるかね?」


「ええっと、そうですね。 もしかして、私の年齢とか?」


「君……サヤ君はどうしてあそこで寝ていた? 見たところ、浮浪者のようだが」


 ロクドウは自分で淹れたミルクティーを飲みながら、小夜にそう尋ねる。 すると、小夜は笑顔を崩さぬままで口を開いた。


「実は三日ほど前に家から追い出されまして、ふらふらと彷徨っているうちにロクドウさんの家に着いたんです。 それで、軒先に並べられている絵を綺麗だなーって思って見ていたら、いつの間にか」


「間抜けか馬鹿の類だな、君は。 わたしの家に鍵はかかってなかっただろう? 勝手に入って食べ物を漁るなどすれば良かったというのに」


「そんな不法侵入なんて駄目ですよ! 逮捕されちゃいます!」


 それを聞き、馬鹿な女だなとロクドウは感じた。 自らが死にかけているというのに、形振り構わず後先考えない行動を取らない、そのまま死というものだけに一直線に向かう馬鹿な行動、思考だと。 自分のようにもう生きることに飽きたのならばともかく、目の前の女は特別そういう風には見えない。 だからこそ、馬鹿だと思った。


「……でも、ロクドウさんって凄いですよね。 私なんてダメダメ駄目人間なのに、小さいのにしっかりしてるし。 ここで一人暮らしなんですよね? それにあんな綺麗な絵を描いてて! 私ってちっぽけな人間だなぁとか、思っちゃいます」


 照れたように笑い、小夜は言う。 そしてロクドウは目を細め、つまらないものを見るように小夜のことを見ていた。


「そうか、君は人間か」


 当然のことながら、今更ロクドウはそれを思い出す。 目の前に居るのはただの人間で、自分は感染者なのだと。 ただの年齢の違いではないものが、そこには存在する。


 同時に、この家も捨てなければならないかもしれないと思った。 結構立派な家だというのに、こんな年端もない少女が一人暮らしなど不自然過ぎるし、怪しすぎる。 今までは外にバレていなかったから良かったものの、こうして今日晴れて知られてしまったのだ。


 が、そこでロクドウに一つの考えが浮かぶ。 誰も知らなかったことにすれば良い、そういう考えだ。


「サヤ君、一つ質問だ」


「はい? なんでしょう?」


「わたしは人間と感染者、どちらに見える?」


 ロクドウは尋ねた。 人の心というものは、面白いほどに顔に出る。 恐れ、怒り、悲しみ、歓喜、そんな表情は人の感情が動いたとき、顕著に現れるのだ。


 だから、ロクドウは思わず笑ってしまった。


「えっと、感染者……ですよね?」


 その目の前の女が、さぞ当たり前のことのように、そう言ったからだ。


「面白いな、君は。 そう言う君は人間だろう? どうしてわたしが感染者だと思った?」


「だって、玄関に倒れてる人を平気で踏み付けるなんて、ロクドウさんみたいな幼い子ができるわけないじゃないですか!」


「……まぁ、もっともだな」


 ロクドウはまた笑い、席を立つ。 そして、玄関を指差して続けた。


「分かったら出て行け。 わたしはこれでも、対策部隊の中では有名人だ。 わたしと一緒にいるのがバレれば君も死ぬぞ? まぁ、出て行かないのであればわたしが君を殺すが」


「どのみち死ぬじゃないですか!!」


「そう焦るな。 何もわたしだって鬼じゃあない、その先ほどから食べているわたしの朝食を食べ終わってからで構わない」


「……ロクドウさん、怒ってますよね?」


「生憎、わたしは小石に怒るほど感情豊かではないのだよ」


「やっぱ怒ってる!?」


 そして、数時間が経過した。




「いい加減にしろサヤ君、どれだけ粘るつもりだ君は」


「へへん、いくらロクドウさんが頭良さそうだからって、私の考えまでは見抜けなかったということですね!」


 自信に溢れた顔で小夜は腰に手を当てて言う。 テーブルの上には、サイコロほどの大きさのパンが未だに置かれている。 そう、小夜は考えに考えた結果、ロクドウの言葉の揚げ足を取るように、食べ終わらなければ出て行かなくて良いという結論に辿り着いたのだ。


「既に三時間だ。 君はそこで一生そうしてパンと睨み合いを続けるのか? 給食を食べきれなかった小学生か何かかね、君は」


「だ、だって出ていっても行くところなんてなくて……いっそ、ロクドウさんに殺された方がまだマシかなぁ……とか、思っちゃってます」


「……ふう。 行くところがない、と言ったな。 ならばこうしよう」


 それは、単なる気まぐれに過ぎなかった。 いざというときはどうにでもなる、そして万が一対策部隊に捕まったとしても、自分は容易に抜け出せることが先月分かった。 だから、ただの気まぐれに過ぎなかった。


「わたしの助手になり給え。 つまり、わたしが雇ってやるということだ。 もっとも、常に死ぬ可能性があるということは頭に入れておいて貰うけれど」


「助手! ロクドウさんのってことですか!? わわわ、それとっても光栄です!!」


 そのリアクションは、ロクドウにとっては意外なものとしか言いようがなかった。 感染者と知って、その感染者に雇われると知って、喜ぶ人間など、ロクドウは初めて見た。 ロクドウが知る人間が感染者を見る目など、家畜を見るも同じだとしか知らなかったからだ。


「ロクドウさんの絵を描くお手伝いってことですよね! 私、ロクドウさんの絵に一目惚れしたんですよぉ! とっても綺麗で、丁寧だなって思って……」


「うるさい、少し黙ってくれ。 とりあえず、喋る前にそのパンを食べることだね。 でなければわたしの朝食を奪った罪で死刑だ」


 依然として頬杖を突いた姿勢で、ロクドウは残されている一口サイズのパンを指差す。 それでようやく観念したのか、小夜は口の中にパンを入れると「少しパサパサしてます」と言った。 ロクドウは自業自得だと思いつつ、ため息を一つ吐く。


「君に要求するのはただの召使い兼奴隷だ。 お金には困っているのだろう? この家の空き部屋を適当に使っても良い、ただしわたしが気が向いたら君を殺す。 わたしにとって君は小石のように儚い存在ということを頭に入れて置くことだ」


 自身の頭を人差し指で突き、ロクドウは言う。 ゆらりとしたワイシャツと纏められてすらいない金色の髪は、どこか幽霊のようにも見えた。


「ま、そうなる前に頃合いを見て去ることだね。 とりあえずは一ヶ月分の給料、先払いで置いておく。 わたしは奥で寝てくるから、その間にまずはその身なりをどうにかしておくように」


「りょ、了解です! ロクドウさんの助手って夢みたいだなぁ……」


「召使い兼奴隷だと言っただろう」


「助手みたいなものじゃないですか! えへへ……」


 最早何を言っても無駄だと思い、ロクドウはポリポリと頭を掻き、奥の部屋へと消えるのであった。

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