第六話
「それで、ロクドウさんはこの街に」
「そういうことさ。 それで紹介してもらったのが、この物件というわけでね」
ロクドウの昔話が終わり、丁度そこで目的地となる場所へと着いたようである。 レンガに覆われた家、坂の途中を路地に入り、その奥にひっそりと佇んでいる家は、秘密基地のように目立たない場所にあった。 そして、その家の先にはキャンバスがいくつも並べられていた。
「わぁ……本当に絵を描いてるんだね、ロクドウさん」
「そこで嘘を吐く必要が果たしてどこにあるんだい」
琴葉はワクワクしつつ、その絵の下へと駆けていく。 ロクドウは「やれやれ」と言いつつ、そんな琴葉の後を追うように歩いて行った。
琴葉はそこへ着くと、その内の一枚を覗き込む。 どこの誰かは分からないが、一人の女性が描かれていた。 左目からは血が、右目からは涙が流れている、不思議な絵だった。 しかし、絵はどれも丁寧に描かれており、細かい部分までしっかり描かれているそれは、素人のものとは思えないほどであった。
「わ、すごい……。 ロクドウさんって、こんなに絵描けたんだね」
「そりゃ数百年も生きていればこの程度にはなるさ。 とは言っても、趣味の範疇に他ならないけどね。 本当の絵描きが見たら失笑モノの出来さ」
「そんなことない! わたしは、ロクドウさんの絵、好きだよ」
ロクドウが言うと、琴葉は必死にそう言ってきた。 その様子が面白く、ロクドウは少し懐かしさを感じていた。
――――――――懐かしさ。 思い出、とでも言うべきだろうか。 そんな日々が少しだけ、思い出された。
「コトハ君、当初の約束を果たそう。 君の絵を描いてみようと思う」
「いいの!? やったぁ! ロクドウさん案外優しいところあるよねっ!」
「君は本当に厚顔無恥だなぁ。 今度ガハラ君にも言ってみ給えよ、殺されるだろうが」
言いながらロクドウは玄関扉を開いた。 薄暗い室内は殆ど使われていないのか、埃の匂いが酷かった。
「靴はそのままで良いよ。 どの道、絵を描く以外では使ってない家だ」
ロクドウの言う通り、家の中は物が殆ど存在しなかった。 長い廊下の脇にある部屋はいくつかあったが、その室内にも何一つ物は存在しない。 そして廊下を抜けるとリビングがあったが、そこにもまた、物は何一つなかった。
「掃討作戦があったと言っただろう? その後に火事場泥棒でも入ったのか、何もかも盗まれていってね。 どうやら画材道具や絵は無事だったが、他の物は全て盗まれてしまった。 ま、わたしにとっては絵さえ描くことができればどうだっていいがね」
言いつつ、ロクドウはリビングの窓ガラスへと近づいていく。 そして外からの光を遮っているカーテンを勢い良く開いた。
陽の光が舞い込んだ。 そこは中庭のようになっており、木板の床と大きな天窓がある場所だった。 その中央に、綺麗なキャンバスと椅子が二つ置かれている。
「なんか芸術家の家って感じ!」
「それまた面白い感想だ。 その昔、わたしはここに人を呼んだんだ。 多くの人を呼んで、絵を描いた。 どういう絵か分かるかい?」
「えーっと……芸術的な絵?」
「強ち間違いではないか。 ほら、こんな格好をさせて模写したんだよ」
ロクドウは言い、一枚の絵を琴葉へと見せた。 そこに映っているのは、中世風な男の絵だ。 男は笑っており、しかし目から花びらを零している。 そして、自らの手で頭を割っていて――――――――。
「……こ、殺してたってこと?」
「くふふ、冗談さ。 人と関わるなどわたしが嫌いなのは知っているだろう? それも有象無象と関わるほどわたしは暇じゃあないのだよ。 わたしが描くのは人物画、しかしその人物を見ながら描くことなど滅多にない」
「……滅多に」
琴葉は言いつつ、キャンバスの前にある椅子を見た。 ただの丸椅子で、白いその椅子は少しだけ傷んでいるようにも見える。 そして、琴葉は胸が少しだけ、締め付けられるような気分がした。
その疑問とも言うべき感情に答えを見出すべく、琴葉は丸椅子へ近づいていく。 一歩近づく度に、その感情の答えに辿り着いている気がした。
「気が早いね、コトハ君。 まぁ良い座り給え、時間だけはたっぷりとあるわたしたちだ、たまには見ながら描くというのも悪くはない。 気は乗らないがね」
「……」
琴葉からの返事がないことをロクドウは不思議に思い、準備を進める手を一度止めた。 そのまま琴葉へと顔を向ける。
琴葉は空を見ていた。 何も見えない、ただ天窓を挟んでの変わらない空が映っているだけだというのに、何が面白いのか、空を眺めていた。
そして、その姿は重なった。
「ロクドウさん、ここに座っていた人って……女の人?」
「……何故そう思うのかね。 根拠は?」
「この場所、とっても想いが残ってる。 ロクドウさんのことをいっつも見ていた、そんな暖かい想いがするんだ。 どう言えば良いのか、分からないけど……なんだろ」
「そうか、コトハ君の文字は、そういえばそういうものだったか」
琴葉の文字は、人の心を結びつける文字だ。 心の景色を映し出す、それは人の心というものに敏感で、負の感情を見ることもあれば正の感情を見ることもある。 特に見る者の心が純粋であればあるほど、受ける影響というのも多大なものになってくる。
それは時折、残された想いから読み取ることすらあるのだ。 所謂、残留思念。 時に色濃く残されたそれを琴葉は感じることができる。
「コトハ君、その意味を知りたいかい? 今わたしは、そのときのことを思い出している。 わたしを視れば、その答えを視ることができるだろう」
「それは……嫌、かな。 なんか、あたしが踏み込んだらいけない気がする」
「君は優しいな。 良いだろう、物の序でだ、コトハ君が踏み込むのではなく、たまにはわたしが踏み込んでみるのもまた一興。 一応言っておくが、他言無用、もしも話せば君の記憶回路はどうなっているのか、頭を割って見ることになるから覚えておき給え」
そう言い、ロクドウは絵を描き始める。 座った琴葉のことは見ず、まるで眠るように目を細めながら、ロクドウはゆっくりと語り出した。