第七話
「全くもう、次から次へと……一体何人いるんすか、面倒くさいなぁ」
「ぐぁあああ!?」
第五拠点で行われていたのは、地獄絵図とも言える惨殺であった。 もっとも本部に近いここには多くの人員が配備されており、その数は百にも上る。 だが、そこに訪れた一人の少女によって、既にその数は半数以下になっていた。 上半身がない死体、頭部だけがない死体、下半身のみの死体、それらは食い散らかされたかのように辺りへと散乱している。
「我原さんもどっか行っちゃうし、桐生院さんはワイン飲むとか言ってるし……マジで毎回自分だけじゃないっすか? こんな目に遭ってるのって」
「が、ぐっ」
「愚痴さえ誰も聞いてくれないとか悲しすぎません? 僕」
少女の名は、アオ。 対多数において絶大な力を誇る文字を持つ少女だ。 獅子女とおよそ同年代の彼女が持つ文字は『百鬼夜行』というもので、その文字は自身の影から無数の怪物を生み出す力だ。
アオがしていることは単純に、その場に立ち尽くし呆けているだけだ。 そして動くのはアオの影から伸びる黒いナニカであり、それこそが先ほどから死体の山を作り出している。 アオの意思は関係ない、ただただ周りに存在する生物を片っ端から食い散らかす。 それが例え仲間であろうと喰おうとする怪物たちは、アオの意思で操ることはできない。
「ォオオオオ」
「……僕の友達、怪物って自分でどうかと思うんすけど」
唸り声を上げ、眼はなく、口は大きく、牙が生えている黒い塊。 それが無数にアオの影から伸び、縦横無尽に人々を喰らっている。 闇そのものが生物となったかのように、銃を撃たれたとしても撃ち抜かれた箇所は黒い粒子が舞い、修復されることから全く効いている様子はない。
「全くその通りだな、感染者」
「んん」
そんなとき、目の前に男が現れた。 中々良い歳をした男のようで、自身の髭を触りながらこちらを見ている。 そして、その男の放つ雰囲気は他の部隊員とはまるで違う。
――――――――間違いない、文字刈りだ。
「神童礼。 それが俺の名だ、感染者」
「およ、自己紹介っすか。 んじゃ僕はアオ、神人の家の幹部っす。 文字刈りさんで良いんすよね?」
「まぁな。 テメェら、どうせ目的は俺たちだろ? かなり強力な文字だな、今まで見たことがねぇ。 V.A.L.Vも規格外だな」
「いやいや僕なんてまだまだっすよ。 うちのもっと強い人達は指一本で殺されちゃいますよ、僕とか。 って言っても、あんたに負ける気もしないんすけどねぇ」
「確かに面倒な文字だ。 だが、元を立てばどうってことはねぇ」
直後、アオは直感でその場に居ては駄目だと判断する。 判断からの行動は早く、次の瞬間には後ろへと飛んでいた。 そして、次に起きたのは先ほどまでアオが居た場所に向けての攻撃である。 避けた瞬間、自身がたった今居た場所へ複数のナイフが突き刺さった。
「すいません神童さん、外しました」
「良いって良いって、相手さんも中々やるよ、気を付けてな」
……新たに現れたのは女。 冷たい雰囲気を持つ女だ。 面倒なことになってきたとアオは感じる。
「ちょーっとズルくないっすか? 僕一人でそっち二人って。 こう見えてもか弱い乙女なんすけど」
「はっ! か弱い乙女はこんな死体の山なんて作らねえんだよ、クソガキ」
「いやぁ、だって作ったの僕じゃないし。 この子達が勝手にやったことなんで、僕無関係じゃないっすか」
言うアオの周りを黒い塊は蠢く。 抵抗できる相手との戦いは久し振りだ、大体の場合はものの数秒で食い散らかされてしまうから。
「どの口が言ってやがる、クズめ」
「この口っすよ、はは」
そう笑って見せたものの、状況はあまり好ましくない。 ごく普通の隊員辺りであれば百いようが二百いようが関係ないとさえ思ってはいるものの、今相手にしているのはごく普通の隊員などではなく、自分たち感染者との戦いに慣れている文字刈りだ。 自分の文字の弱点も既に露見しており、不利な状況には違いない。
元を絶たれること、そして自分自身が攻撃を食らうこと。 それが、アオの持つ文字の弱点だ。 黒い怪物を出し続けるためにはその場に留まっておく必要があり、接近戦では不利な構図にしかならない。 もっとも怪物たちの攻撃を避け、自分へ近づくのも困難なものであるが……この二人であれば、それも可能かと思われる。 事実、女の方は一度自分に斬りかかっているのだ。 自らの意思で動く怪物を躱しての一撃、中々に戦いづらい相手だ。
「こういう言葉は知っているか、感染者。 油断大敵、上空に気を付けろ」
「いやぁ、これはちょっと参っちゃうっすね。 勘弁っすよ」
アオは女に言われた通り視線を上空へと向ける。 そこに広がるは夜の暗闇であったが、月の光に反射し、きらめく物がいくつか見えた。 銀の色を持ち、鋭利な形状をしており、無数に存在するのはナイフだ。 先ほどの攻撃、意識が一瞬だけ女の方に移った間であろう。 男……神童が上空へ放っていたのか。 避けられなくはない、だが百鬼夜行は一瞬ではあるものの解除される、その隙を突こうと言うわけだろうか? 考えている暇はない、回避だ。
「けど、僕身体能力に自信あるんすよ」
「知っているさ、感染者は血中に含むV.A.L.Vによって身体能力が向上する。 中学三年で習うことだ、学校には通っていないのか?」
神童は皮肉を込めて言い、巨大な鎌を取り出した。 そして、その鎌で地面を叩く。 すると、地面は波紋を打ち、瞬時にアオの足元へと到達した。 明らかな異変、文字刈りによる武器は文字刈りと戦う上でもっとも警戒しなくてはいけないこと、アオはそれを怠っていた。
「俺たちの技術を組み込めば、文字というものはより強力な武器となる。 お前ら欠陥品には一生辿り着けない地点だ」
「……明鏡止水。 ったくまた面倒っすね」
アオの足は地面へと吸い付くように固定される。 本来であれば対象の体の中心へ触れることにより、動きを固定する文字だ。 だが、政府はそれを地面へと連動させる方法を取り、神童の持つ武器へと進化させた。 文字通り、単純なる強化は感染者たちですら把握しきれていない。 それこそが文字刈りたち、人類の脅威というべきだろう。
「五秒の固定。 今のお前にとっては命取りの時間だな、感染者」
「うーん、僕の名前、アオって名乗ったはずなんすけど。 痴呆かなんかっすか」
「覚える価値のないだけだ、クズどもめ」
動くことは叶わない。 そして、防ぐ手立てはない。 自分の間合いは把握されたのか、怪物の攻撃範囲内に神童も女も居ない。 最後に、自分の文字は攻撃専門であって防御はからきしだ。 蠢く怪物はアオ自身を守ることはなく、ただ自らのテリトリーに入った生物を喰らうのみ。
……油断大敵。 なるほど、その通りかも知れない。 そんなことを思ったそのときだった。
「――――――――ならばこんな言葉は知っているか、人間ども。 無為無能、今の貴様らを表す言葉だ」
目前まで迫ったナイフが消え去る。 それはまるで、何もない空間に飲み込まれたように。 そして現れたのは見知った女だった。
「うっひょー、助かったっすよ。 やっぱ良い場面には雀さんアリって感じっすね」
「その例え、あまり良い気分ではないのですが……。 本部とやらを見つけたので立ち寄ったのですが、文字刈りが居なかったのでもっとも近いここへ来たんです。 間に合って良かった、アオさん」
「ゴキブリのように湧いて出てきやがるなお前らは。 それよりもお前……本部へ立ち寄った、だと? あそこには俺の部下が居たはずだが」
神童が言うと、雀は視線をそちらへと向ける。 そして、冷たくも落ち着いた声で言い放った。
「安心しろ、文字刈り。 貴様らとてすぐさま送ってやる」
「……身内と敵に見せる顔がここまで違うとこえーっすね、マジで」
小さくアオが呟いた言葉は誰にも聞こえずに消えていく。 もっとも雀の耳に入っていれば後に叱責を受けるのは間違いないであろうが。
「んー……四条くん、二人はマズイな」
「問題ありません。 たかが感染者、私が二人相手しても構いません」
栞の武器は短いナイフだ。 そして、神童の武器は中距離にて強力な鎌となっている。 組み合わせとしては悪くはないが、神童は既に一度文字を使ってしまっている。 再度の使用には数分という時間が必要であり、その間耐え切らなければならない。 更に、相手は得体の知れない文字を持っている。 不利な状況には違いない。 同程度の実力であればまだ分からなくもないが……。
「……と」
だが、そのとき雀は思いがけない行動を取る。 何かに気付いたのか、ポケットに手を入れたのだ。
「アオさん、電話です。 あれの相手は私がしておくので……ボスからです、無視はできません」
「っと……。 あいあい了解っす、もしもーし、なんすか?」
その行動を見て、確かな殺気を漏らしたのは栞だった。 あまりにもナメた行動、態度はプライドの高い栞の逆鱗に触れたと言っても良い。 栞はナイフを構え、今にも飛び出さんと足に力を込める、が。
「動くな、人間」
神童も四条も、今まで本当に死を覚悟した瞬間はなかった。 たった今、眼前に立つ一人の感染者と相対するまでは。 動くなと言われ、足が全く動かなくなった。 指先一つですら満足に動かすことが叶わなくなった。 圧倒的な威圧感は、二人を完全に飲み込んでいた。 同程度の実力……冗談ではない。 銀髪の少女はともかくとして、この黒髪の女はまるで別次元だ。
「私たちが住んでいるのは地獄だ。 貴様らのような人間如きが、ぬくぬくと生を貪っている種族が、私たちを狩るなど無謀にもほどがある。 立場を弁えろよ、人間」
構えられた刀は、まるで死そのものであった。 あれが動けば死ぬという確信すらあり、二人は口を開くことすら叶わない。
「……うぃっす、それじゃあまた。 雀さん、撤退らしいっす」
「撤退……? どうしてまた」
やがて、通話を終えたアオは雀に向けて言い放つ。 しかし状況的に完全にこちら側が押している今、その指示の意図が読み取れなかった。
「僕も詳しくは分かんないっすけど。 ただ、ボスの指示は絶対っすよ。 それも雀さんにとっては」
「それは分かっていますが……この者たちを殺してからでも構いませんよね」
「……と言うだろうと、ボスは言ってたっすね。 それを踏まえての撤退だとも」
「……分かりました。 理由があるということですね」
雀はアオから携帯を受け取ると、ポケットへと仕舞う。 その瞬間、雀が放っていた威圧感の全てが解けた。 それを真正面から受け止めることとなっていた二人は既に立つことが精一杯なほどに疲労しており、間違いなく死んでもおかしくはない状態だ。
「行きましょう、アオさん。 もう少し手応えがあると期待していましたが、期待外れでしたね」
「いやぁ、そう言われると追い詰められた自分が辛いんすけど……」
「……まぁ、そういうときもあります」
二人の感染者は興味をなくしたかのように、二人の人間の前を去っていく。 二人が真っ先に感じたのは安堵というもので、しかし思考はすぐさま移り変わった。
――――――――このままでは人類は滅びる。
それは徐々に、現実味を帯びていくのだった。