第二話
不覚としか言いようがなかった。 自身が持つ不死身の文字に頼りすぎていた面もあったかもしれない。 そして、対策部隊を甘く見すぎていたというのもまた、事実だ。
対策部隊はロクドウ捕獲のため、大多数の犠牲者を出しながらも神経麻痺剤を使っての捕獲を試みたのだ。 ロクドウの場所を特定し、部隊員を多数送りつけた。 麻酔銃での捕獲はロクドウの身体能力からして困難を極め、容易な方法ではない。 そこで対策部隊は予想を上回る手を使ってきた。
ロクドウが所在する場所一帯に、神経ガスをばら撒いたのだ。 当時、避難勧告は出ておらず、多数の一般人を巻き込んでの作戦であった。 そしてその結果、中毒となり死亡した民間人を含め、百を超える犠牲を出しながらもロクドウを捕獲したのだ。
「惨めなもんだな、ゼロ番」
人類史上、最初に発見された感染者。 それがロクドウがゼロ番と呼ばれる由縁である。 その最古の感染者たるロクドウに関する記録は膨大なものとなっており、もっとも古い記録ではおよそ二百年ほど前のものだ。 そして、ロクドウはそれよりも長い時間を生き続けている。 その記録される前の時間、一体どれほど長い間生き続けてきたのかは、ロクドウ本人しか知り得ないことだ。
「不死身の文字、万世不朽。 そして精神干渉を引き起こす六道輪廻ね。 両方ともに転用できねえとなれば、本来殺傷予定なんだが……お前を殺すことは、現在の技術力じゃ不可能ときたもんだ」
ロクドウの管理を任された人物は、研究員の中でも多大に貢献をしていた男であった。 名は澁谷窩洞、三十代半ばの男だ。 感染者の文字の武器転用技術は前々から存在していたが、それをより強力にとの方向で技術力を高めていった第一人者である。 そして、この感染者管理施設の所長でもある。
「着心地はどうだ?」
そして今、ロクドウは四方五メートルほどの部屋に居た。 顔すら覆う分厚い拘束衣を着せられており、手足の自由はほぼ効かない。 指先がほんの少しだけ動かせる程度であり、視界も覆われ、ロクドウが視えるのは闇だけだ。
「少々暑いくらいかな。 部屋着としては悪くはない」
「そう軽口叩けるのも今だけだ。 良かったなぁゼロ番、お前は実験材料として最高の物だよ。 いくら殺しても生き返る、どんなことをしても繰り返し試せる、とりあえず少しずつ試していくからな」
「そうかい。 食事は出るのかな? わたしはアレが食べたいよ、ラスク」
ロクドウがそう口にした瞬間、顔に衝撃が走った。 座っていた椅子から叩き落され、ロクドウは地面へと倒れ込む。 頬には痛み、そして口の中には血の味が広がった。
万世不朽は不死の文字だ。 だが、痛みをなくすという文字ではない。 言いようによっては、延々と死ねない痛みを味わい続けるとも言える文字なのだ。
「いつまでそうベラベラ喋れんのか、実に楽しみだよ」
「わたしとしては君がいつわたしに泣いて命乞いするのか、楽しみだ……ッ!!」
腹部に蹴りが放たれ、ロクドウは少量の血を吐き出す。 だが、その吐き出した血は拘束衣に染み込み、息を苦しくさせるだけだった。
「……ん、良いこと思い付いた。 最初の実験はこれにしよう。 窒息死」
再度、腹部が蹴り上げられる。 それは何度も何度も繰り返され、ロクドウは吐き出した血によって拘束衣を染め上げていく。 その度に息は苦しくなっていき、ロクドウは死に至る。
だが、ロクドウは文字によって息を吹き返す。 自らの血で窒息し、そして再度息を吹き返し、また死に至る。 その繰り返しは、一日中続いた。
「お疲れ様です、澁谷所長。 どうですか、ゼロ番は」
「化け物だな。 いくら殺しても生き返る、伊達に数百年生き続けてるってわけじゃないらしい」
その日の夜、実験室から去り、休憩室と呼ばれる場所に座り、新聞を読んでいた澁谷の下に若い男が現れた。 十代後半という比較的若い年齢でこの施設を訪れている男、研修中というネームプレートを下げていることから、対策部隊の方から送られてきた人物ということが窺える。
対策部隊は基本的に戦闘を主としているが、このような研究施設に送られるのは優秀な人材だ。 一年の研修をした後、部隊へ配属されるというのが通例であるものの、十代後半での配属となればその中でも優秀な部類だ。
そんな若い男の名前は、高谷茂徳。 後に幹部部隊の部隊長となる男である。
「今まで何人か感染者は見てきたが、あいつは狂ってる。 高谷と言ったか? お前、自分が死ぬってなったらどうする?」
「死ぬ……そりゃ、怖いですかね。 あまり考えたことはないですけど」
「普通はそうだな。 死ってのは人類誰しもが抱える悩みだ。 それは感染者の野郎どもも一緒で、死ぬ前には殆どが命乞いをしてくる。 まぁ関係なく殺して武器転用ってのが常だが、中には開き直る奴も居るもんだ」
「殺すなら殺せ、みたいなということですか?」
「そうだ」
澁谷は言いながら、置かれた缶コーヒーを一口含む。 苦い風味が広がり、仕事終わりの疲れを多少は取り払ってくれた気がした。
「……今日、ゼロ番は恐らく五十回以上死んでいる。 正確に数えたわけじゃないけどな、おおよそそんくらいっつう勘だ」
「五十回……。 それ、精神的に持つんですか? いくら実験だと言っても、精神が死んでしまえば体にも影響が出るのでは」
「V.A.L.V含有率は変化する可能性があることが分かってる。 だが、あいつは一切変化しなかった。 それどころか、死にまくった後の顔を拝めた俺にあいつなんて言ったと思う?」
「恨み言、とか」
「明日も楽しみにしているよ。 そう言って笑ったんだよ、奴は。 並大抵の精神じゃない、奴はとっくにぶっ飛んでる」
渋谷は頭を指差し、言う。 それを聞いた高谷は、恐怖を感じるように顔を歪ませる。 見た目こそ幼い少女そのもののロクドウであるが、その内面は数百年を生き続けた化け物だ。 そして今尚生き続ける、その精神は計り知れず、だからこそロクドウは二文字持ちと呼ばれる希少な存在であるのかもしれないと思わせた。
「時間はたっぷりある。 あいつの文字に対する対策も完璧だ。 精々どれほど耐えられるのか、試してみることにする」
「文字の対策……ああ、六道輪廻の方ですか」
「そうだ。 今までの資料から見るに、あいつの文字は対象に触れることを切っ掛けとしている。 試しに受刑者をあいつに触らせたが、直接触れ合った奴は全員灰になって死んだ。 だが、間接的、または衣服を通して接触した者は異常ナシだ。 つまり、あいつの文字は直接肌で触れなければ使うことができないと推測できる」
だからこそ、手足や顔を覆う拘束衣だ。 その取り扱いさえ間違わなければ、ロクドウの文字は決して脅威ではない。
「さすがは感染者研究に置ける第一人者ですね。 ですがお気をつけてください、奴らは時折、我々の想像すら上回る」
「馬鹿言うな、奴らの想像力なんてそこら辺に居るガキと変わんねえよ。 いくら足掻こうとこの施設からは出られねえ。 明日からの実験は『木槌』だ」
澁谷の言葉に、高谷は冷や汗を掻く。 木槌と呼ばれる実験は、とても人道的なものではないからだ。
道具として用意されるのは、丁度人の頭部ほどの槌だ。 機械を通し、威力を調整できるようにされており、まず被験者を台座に固定し寝かせる。 そして被験者の頭部に当たるように木槌は設置され、打ち下ろされる。 恐怖心からのV.A.L.V含有率の変化を記録するために設計されたもので、顔に触れる直前に停止させるのが主な使い方だ。
だが、恐怖心を増させるために鼻が潰れるほどに打つ降ろす場合もある。 次いで、顔全体が若干潰れる程度、骨に痛みが入る程度、そして完全に押し潰す程度の調整もまた可能なのだ。
一定時間ごとに打ち下ろされる木槌は、それが止まるまでどの程度迫るかは分からない。 止まるのか、それとも潰されるのか、その恐怖が被験者の心を締め上げる実験道具だ。
「夜が明けたら即開始だ。 高谷、もし興味があったら来ると良い」
「はぁ……」
あまり良い趣味だとは言えない、そう高谷は思ったものの、口にすることはできなかった。