第三十二話
「最悪だな、なんでお前が来てんだよ」
「酷いなぁ、久し振りだってのに。 そう家族を無碍にするものじゃないよ、結城。 頭領からの命令でね、俺が行った方が場は丸く収まるだろうって判断だよ」
その男は、獅子女が持つただ一人の肉親だ。 実の兄にして、チェイスギャングに所属する感染者の男……獅子女陽介。 獅子女がこの世でもっとも苦手とする相手と言っても違いない男である。 もちろんそれは戦闘上の話ではなく、性格上の話だ。
あまりにも美しい見た目、女性と見間違えるほど端正な顔立ちと、肩ほどの黒髪は優雅という言葉がぴったり合いそうな見た目であった。
「それに結城が頭領に依頼したんだろう? 今回の件、精査して判断してくれと。 その結果を俺は伝えに来たまでだよ」
そう、獅子女は数日前、アオと話をした後にチェイスギャングが本拠地を置く旧歓楽街へ訪れていた。 そこで会ったのは、チェイスギャング頭領の厳無道心という男である。 彼と話をし、獅子女は今回の件での精査を依頼した。 ロイスの部隊だけであればともかく、チェイスギャング全体との抗争になれば神人の家も当然タダでは済まない。 よって、獅子女は別方面からも手を打っておいたのだ。
「先の件、精査の結果、我々に落ち度があることを認める。 よって、今回の争いで生じた被害については我々の責であり、同時に贖罪とさせて頂く。 今このときを持ち、全構成員に対し神人の家に対する攻撃停止命令とし、今回の件は水に流して頂きたい。 尚、これ以降も争いが発生する場合は私を含む全構成員で赴くものとする――――――――以上が頭領から伝達を頼まれた内容だ」
「チッ……ふざけてんなぁあのジジイは。 要するにそれ、これ以上殺ったら潰すぞって脅しだろ? 全く気に食わないジジイだ」
「どう捉えるのも自由でしょ。 ま、こういう伝達が出た以上、俺やそいつに結城を攻撃する理由はないってわけだ。 お前と戦う意味もなくなったってこと」
「無視して殺したら?」
獅子女は言い、笑い、ロイスを拘束している腕に力を込める。 ロイスは短い悲鳴を上げながら、恐怖からか涙を零していた。
「そんときはそうだなぁ……俺もお前を斬らないといけなくなるかな」
「……ったく、まぁ良いよ。 幸い、俺の部下は被害ないしな」
獅子女は言い、ロイスを拘束していた手を離す。 すぐさまロイスは獅子女から離れ、陽介の横へと並び、笑った。
「くく、あっはっは! 覚えておきなさい、獅子女結城さん。 あなたは必ず、僕が殺す」
「ストーカーは募集してないんだけど」
「僕たちチェイスギャングを甘く見ないことです。 いつか必ず、あなたは痛い目に遭う」
ロイスは不敵に笑う。 自らの命が助かったことに対してか、それとも組織に命を救われたことに対してか。 いずれにせよ、それを見た獅子女が何も思わなかったのは言うまでもないことだ。 予想以上にくだらなかったと、そう感じるだけだ。
「……あのさ、何を勘違いしているのか知らないけど、ロイス。 今回の件であんたの処罰は地下牢行きだよ。 ろくな調査もせず、身勝手な行動に対策部隊に借りまで作りやがって……まったく無能が力を持つと面倒で仕方ない」
「な……地下牢!? ば、馬鹿な、この僕を、幹部を地下牢送りなんてことは!!」
「頭領の命令だから仕方ないよ、俺に言われてもね。 ああそうだ、それと」
――――――――桜花爛漫。
陽介は呟く。 直後、ロイスの右腕が宙を舞った。 あまりにも一瞬に起きたそれは、獅子女ですら目で捉えることが不可能な一閃だ。 絶速、まるで呼吸のような斬撃は空気すら動かさずに全てを断ち切る。
「俺の弟を随分可愛がってくれたな、これは俺個人の仕返しってことで。 結城の状態からして、腕一本でも優しい方だよ?」
「が、ぐ、ぁああああああああああああああッ!!」
陽介の手に握られるは細身の刀だ。 あまりにも美しい見た目の刀は、たった今腕を切り落としたと思えないほどに美麗な刀身を持っている。 血が一滴も付いていない、それほどの速度と切れ味でロイスの腕を切り飛ばしたのだ。
「それ怒られんじゃねえの」
「聞かれたら俺が着いたらこうなってたってことにすれば問題ないよ」
「……それ俺の所為になるじゃねえか」
「あはは、気にしない気にしない。 それじゃあまたね、結城。 雀ちゃんにもよろしく言っといてくれ」
陽介はロイスを抱え、歩き出す。 既にロイスは激痛とショックから意識を失っており、大柄なロイスの体を軽々と肩に乗せると、さっさとこの場を去るべく歩き出した。
「一応言っとくけどさ、結城。 間違えても頭領に喧嘩を売らないことだよ。 俺もお前を殺したくはない」
「ナメたことをされなきゃ手は出さねえよ。 俺はお前を殺したくて仕方ない」
「怖い怖い。 じゃあまた、いつか」
「ああ」
こうして、チェイスギャングとの抗争は幕を閉じたのであった。
「……」
「なぁ、こいつなんで不機嫌なの?」
「いやその意味分からないって獅子女さんさすがに酷いっすよ」
一件落着……と思い、そのまま倉庫裏に居た仲間に声をかけ、アジトへ戻った獅子女であったものの、琴葉は頬を膨らませムスッとした顔で目すら合わせようとはしない。 何故なのか、思い当たることはなく、獅子女は困惑していた。 ちなみにロイスとの戦闘で負った怪我は、全て村雨により治癒された後である。 腕も眼も、かなりの重症ではあったものの元通りだ。
「てかてかさ、俺は獅子女さんにも文句言いたいんだけどー! あの日俺夜さ、女の子と遊ぶ予定あったんだよ!?」
「そうだね、私としてもだよ。 私も服が汚れて非常に美しくない想いをしたからね」
「馬鹿二人、ちょい黙ってて貰って良いっすかね」
シズルと桐生院を睨みつけて言い、アオはため息を吐く。 そんな様子を見て微笑むのは村雨で、口を開くは軽井沢だ。
「つーか、何が頭に来るって勝手に一人でやってることだろ? 琴葉が不貞腐れてる理由は分からねえけど、ロクドウが起こしてくれなきゃ今でも寝てたかもしんねーし」
「そうっすね、僕もそんな感じっす。 獅子女さんって冷静に見えていっつも内心ブチ切れてますし、無理矢理それをするから性質が悪いんすよねぇ。 獅子女さん唯一の欠点っすよ、それ」
我原と雀は別の部屋で寝ており、今居るメンバーはこれで全てだ。 ロクドウは案の定、行方知れずである。
「つうわけで一発殴らせろよ獅子女さん」
「あ、僕も良いっすか?」
「お前ら言いたい放題だな……。 分かったよ一発だけな、アオ言っておくけど文字は使うなよ」
「へ? あ、もちろんっすよ」
アオは言われ、自らの影から出始めていた怪物を戻していく。
「っしゃオラァ!!」
「いきなりだなおい!?」
桐生院は待ってましたと言わんばかりに獅子女目掛け走り、その顔を思いっきり殴り飛ばした。 もちろん文字は切られており、獅子女の体は容易く壁へと打ち付けられる。
「っしスッキリした。 俺は許す!!」
「うわなんか興奮してきた。 え、顔ってアリなんすか? マジで?」
「いってぇな……手加減少しはしろよ。 血出てるし」
「よーし、ていっ!!」
「は? おい待てアオ!」
目を見開いた獅子女の顔に、アオの回し蹴りが入る。 完全に予想外な一撃は綺麗としか言いようがないほど華麗に決まり、獅子女の体を横へと吹き飛ばした。
「ちょ、ちょ……お、おにーさん大丈夫……?」
そこで、さすがにマズくないかと座っていた椅子から腰を上げ、倒れる獅子女を覗き込むのは琴葉であった。 獅子女に触れようと手を伸ばし、しかし不用心に触って良いものかと悩みつつ、手は宙で忙しなく動いている。
「いってぇ……なんだよ琴葉、機嫌悪かったんじゃないのかよ」
「だ、だってなんか凄い音したし……でもあたし怒ってるもん!」
心配そうな顔色から一転、琴葉は再度膨れて顔を逸らす。 その仕草の意味が分からず、獅子女は苦笑いをしつつ起き上がった。
「良く分かんないけど、とりあえずごめんな、琴葉」
「……約束。 おにーさん、ロイスのところに行く前にあたしと約束したよね。 覚えてないって言ったら怒る」
「もう怒ってるだろ……。 覚えてるよ、俺の家に住みたいってアレだろ」
「覚えてるなら良いんだ。 ……よし! 許す!」
許される覚えもないと思いつつ、獅子女は琴葉の言動に振り回されていた。 やはり、琴葉は四条ほど分かりやすくはなく、何を考えているのか分からない部分もあれば、猪突猛進の如く後先考えずに動きもする。 そして、不思議なことにその行動は大体が正しいものなのだ。
「ところでさ、村雨。 なんか鼻折れたっぽいんだけど治せる?」
言う獅子女の顔からは、尋常ではない量の血が流れ落ちている。 明らかに軽傷ではなく、軽井沢の殴りが効いたのか、それともアオの回し蹴りが効いたのか、放置しておけば良くないことになることは明白だ。
「……俺の所為じゃねえぞ。 手加減したからな」
「はぁ!? 何それ僕に責任押し付けるんすか!? 僕だって超手加減しましたよ!?」
「俺だって超超手加減したっつの! 豆腐だって崩れない程度にしか殴ってねーからな!」
「何を言う! 僕なんかゼリーに跳ね返される程度っすからね!!」
「なんか俺がすげえ軟弱な奴に聞こえるから、その会話やめてくんない……? つか、ちょっとフラフラするんだけど」
「大変! ボス、それならちょっと別室でゆっくり診ないといけないわ。 部屋もきっと暗くして、服も脱がないと駄目ね……」
「……どうでも良いから早く治してくれ」
ぎゃあぎゃあと喧嘩をするアオと軽井沢。 そしてこれを好機とばかりに良からぬことを企む村雨。 一気に騒がしくなった場を収めるため、あたふたと動く琴葉。
とても一件落着と言える光景ではないものの、これにて騒動の一端は幕を閉じる。 年末年始をゆっくり過ごすという願いは届いたようで、獅子女は安心して意識を失うのであった。