第六話
「人間との違い。 それは俺たち感染者が文字という能力を持つことだ」
「だったらどうした、化け物野郎め」
獅子女は人差し指を立てながら言う。 それはまるで、子供に教えをする人間のようであった。 廃工場には獅子女の声が響き渡っていた。
「殆どの場合はちょっとした手品が使えますくらいのもので、気にするほどのことでもない。 事実、感染者が一般人に捕まった例も多数あるくらいにはな。 政府にとっては有益な実験動物ってわけだ。 そしてもう一つ、感染者は僅かに身体能力が向上する。 これは血液に含まれるV.A.L.Vの影響で、含有量によって上下することが知られている。 通常は10から15パーセント程度だが、これが五十を超えると人間離れした動きも可能となってくる」
男たちは一応警戒はしているのか、獅子女の出方を伺っているようだ。 仮にも警棒で頭を殴られ平然としている様子からして、無闇矢鱈に攻撃を仕掛けるのは多少の危険を伴うと判断してのこと。 捕らえることは確定だとしても、怪我などは控えたいというのが人間として本能的に刷り込まれている。
「それを踏まえた上で教えておく、俺のV.A.L.V含有量は70パーセントだ。アンフェアは好きじゃない。 俺はフェアにやりたいんだよ、殺し合いってやつはな。 君らの力の程度は見れば分かるけど、俺のは分からないだろ? だからネタばらし、俺の持つ文字は――――――――生殺与奪。 俺は文字をバラしたからには殺すか殺されるしか考えていない」
獅子女は淡々と言い、更に続ける。
「生かし、殺し、与え、そして奪う。 俺の力はありとあらゆる現象の生殺を握るもの。 例えばさっきのあんたの攻撃、俺は痛みと衝撃を殺した。 もっともこれは俺に危害が加わると自動的にされるんだけど……良い演技だったろ?」
「ぐだぐだうるせぇな、クソガキッ!!」
言われた男、ヒデは獅子女の言葉を無視し、殴り掛かる。 握られている警棒が再度狙うのは獅子女の頭部、今度こそという想いが込められた一撃だ。
「だから、期待を煽るのもやめとこう。 殴られても平気だった、それで恐れをなして引いてくれることを俺は願っていたよ。 せめて友達の前では、人間で居たかったからさ。 けど、感染者ってのはどこまで行っても感染者だ、俺にはやっぱり人間を殺すことしかできないみたいだよ、人間」
ヒデの一撃は再び獅子女の頭を捉える。 が、次に起きたのは先ほどと違う現象だ。 殴られた獅子女は微動だにしない、それこそ本当に殴られたのかと聞きたくなるほど、衝撃を受けた様子がなかった。 警棒は獅子女の頭に当たった直後、音もなくその場で停止したのだから。 異常な事態、異常な光景であった。
「な……に?」
「だから言ったろ、そんなものじゃ俺は殺せない。 全ての生殺は俺の思うがままだ、つまり……今受けたコレを生かすこともできる。 一つ質問だ――――――――どうしてお前はまだ生きている?」
「あ、がッ!?」
次の瞬間、ヒデは顔から血を吹き出しその場に倒れる。 まるで、何かで顔を殴られたかのように。 周りから見たらそれはいきなり倒れたようにしか見えず、少なくとも獅子女が何かをしたようには見えなかった。
「あ、忘れてた。 さっきの一発分もまだあったな」
倒れたヒデの顔から更に血が吹き出す。 鼻は折れ、歯は何本か吹き飛び、既に意識は絶たれているように見えた。 何が起きたか、理解出来た者はいない。
「さて、次は誰が殺しに来る? 良いぜ別に来なくても。 俺から行ってやっても良い」
「……テメェ!!」
「また物騒なものを持ってるな。 遊び道具じゃねんだぞ、それは」
男の一人が銃を取り出した。 それを見ても獅子女は動じない。 それどころか、挑発するような言動を取る。
「死ねッ!!」
それが引き金か、男は銃を放つ。 鉛玉は迷うことなく獅子女の頭部へ迫っていき、撃ち抜かんとばかりに勢い良く近づき、そして……獅子女の顔に触れた途端、まるで勢いをなくし地面へと落下した。 その現象とほぼ同時、銃を撃った男の頭が吹き飛ぶ。
「例え銃だろうと爆弾だろうとミサイルだろうと核だろうと、それが現象である時点で俺には無力だよ、人間」
ありとあらゆる現象の生殺を握る力……それは、最早最強の文字だ。 決して傷付くことはなく、決して負けることはなく、決して滅びることもない。 全ての現象を生かすも殺すも獅子女次第であり、獅子女が今日に至るまで人間として生活が出来ていたのもこの生殺与奪のおかげだ。
街の至る所に配置されている監視カメラ、もとい感染者識別機ですら欺く力。 感染者であるという現象すら殺す力だ。 際限など存在せず、概念であろうと生かし、殺すのが生殺与奪という文字だ。 全てを握ることができるその文字は、他に類を見ない強力な力である。
「な、なぁ、お前が強いってのは分かった。 俺も別に感染者に興味があるわけじゃない……から、ここは一つ穏便に済ませねえか? もちろん誰にもお前が感染者だってことは黙ってるから……な? 良いだろ?」
徹は半笑いをしながら、後退りながら、言う。 それを見た獅子女は笑った。 そして、言い放った。
「問題はそこじゃない、俺が感染者としてここに居て、お前が目の前で息をしているということだ。 全てを生かし、返そう。 じゃあな、人間」
言葉の直後、男たちの額に風穴が空く。 不可視かつ回避のできない攻撃を防ぐ術は、なかった。
「立てるか?」
それから、獅子女は床へ座り込む四条へと声を掛ける。 四条はそれを聞き、小さな声で「うん」と言った。
「……ありがと。 助けてくれて」
「ただの気まぐれだよ。 俺は感染者で、お前が思うような奴じゃない」
事実、獅子女は迷ったのだ。 四条を助けに行くべきか、否か。 本当に友達であったのなら、その悩むことこそおかしな話であり、獅子女自身がそう思っていないからこそ迷ったのだ。 少なくとも獅子女はそう思っていた。
「それに人も平気で殺す。 俺たち感染者はそんな化け物だ」
既に息をしていない数人の男たちを見て、呟いた。
「そんなこと、ない。 結城が感染者だとしても、私は友達だよ」
獅子女はそれを聞き、笑う。 微笑みかけると言っても良いほど、優しそうな笑顔であった。 それを見た四条は全てを察した。 いくら友達だと言っても、獅子女が見ている世界と自分が見ている世界は違うのだということを。 きっと、同じ感染者にしか分からない世界があるのだと。
「正体を隠して助けても良かった。 でも、それでお前が感染者を誤解したら嫌だったんだ」
「……誤解?」
「俺たちはどうしようもないほど、人間どもを恨んでいるからな。 お前なら言うだろ? 優しい感染者も居たって。 そうやって誤解して欲しくなかった」
だからこそ、獅子女にはやるべきことがある。 こんな面倒なことは普段の彼ならばしないことであり、それは相手が四条で、四条の考えが多少なりとも分かっているからだ。
「ま、お前の反応を見たかったってのもあるけど」
そしてやはり、四条の考えと言動は獅子女の予想通りだったと言えよう。 だから、これからすることも変わらない。
「四条、今からお前の記憶を殺す。 俺が感染者であるという記憶をだ」
「……うん」
「うんって。 分かってんのか?」
獅子女が言うと、四条は笑った。 そして、言う。
「少し悲しいけど、良いよ。 結城がそうしたいなら、私はそれを尊重したいし。 それに私が嫌だって言ったら、結城がどこかへ行っちゃう気がしたんだもん」
「……そうか」
まるで心を見透かされているような気分になった。 もしも四条が嫌だと言ったら、獅子女は今の四条の言葉通りにしようと思っていたのだ。 だが、そうなれば当然今の生活は送れない。 一人でも自分が感染者だと知っている存在が居る以上、それは無理な話なのだ。
「……ねぇ、結城。 結城って、強いの?」
「ん? なんだよその質問。 さぁな、俺じゃあなんとも言えない」
「その、さ」
今しかない。 そして、たった一度の希望だ。 四条香織は、そう思った。 我侭で、自己中心的なことだというのは分かっている。 でも、この機会を逃したら、きっと二度と訪れることはない。
「……例えば、例えばの話だけどさ。 政府が感染者を研究している施設に入って、その中に居る感染者を助け出せたり……する、のかな」
それは、あまりにも具体的すぎていた。 だからこそ獅子女は違和感に気づく、何かを伝えようとしているのだと察する。 四条の声はひどく落ち込んでおり、何か異常な事態が起きているのを告げていた。
「どうした? なんかあったのか、四条」
「……頼る人、他にいないの。 結城が感染者だってこと忘れたら、もう誰も居なくなっちゃうから。 けど、人に任せることでもなくて、私、あの子を助けたくて。 なんとかしなくちゃって、ずっと思ってて、それで……!」
「落ち着け四条。 とりあえず話してみろ」
四条の頭へ手を置き、獅子女は言う。 すると、四条は目に溜まった涙を拭い、笑い、言った。
「――――――――私の妹、琴葉を助けて欲しい」
「……妹?」
それが、四条香織の願いであった。