第二十六話
「こりゃ酷いな……」
「被害者も感染者、んで加害者も感染者らしいですよ。 死体処理だけなんで詳しいことは僕らの耳には届きませんけどね」
二人の死体処理班は遺棄室へ運ばれてきた一つの死体を見て、そんな会話をする。 長い間この仕事をやってきた二人にとっても、これほどまでに痛めつけられた死体というのは滅多にお目にかかれるものではない。 部位の欠損だけであれば多々あるものの、このように明らかに拷問をされたであろう外傷が多い死体は、珍しいのだ。
「被害者はレミー=パーソン。 感染者の集団、チェイスギャングに所属する感染者ですね。 加害者はロクドウ、通称『ゼロ番』です。 なんでも世界で発見された最古の感染者だとか。 不死の文字を持っているみたいですよ」
「へぇ、そりゃ羨ましいこった。 というかなんだお前、やけに詳しいな」
「そりゃそうですよ、だって僕もそれなりには触れてますからねぇ……」
言いながら、若い男はレミーの頬へ触れる。 泣いているような、そんな悲しい顔だった。 今までずっと同じ職場で、数年ほどは働いてきた仲であったが、この男のこのような顔を見たのは初めてだったかもしれない。
この男。
そういえば、名前はなんだったか。 何故か、思い出せない。
「触れている? って、何にだ?」
疑問を払拭するように、尋ねる。 ド忘れした内容が内容だけに、疲れているのかもしれない。
「あれ、言ってませんでしたっけ? ああそっか……小牧さん、目おかしいですよ」
「は? 目?」
小牧と呼ばれた男は言われ、自身の目に触れる。 異物感、何かが自身の目を覆っている――――――――鏡を見た。
「う、うわぁああああああ!?」
男の顔を覆っていたのは、虫だ。 無数の虫、見たことのない異形な見た目をした虫だった。 そんな虫が目の中から溢れ出ており、ぼたりぼたりと床へと落ち続けている。
「さてさて、いやぁそれにしても派手にやられてるなぁ……。 眼球破裂、裂傷、筋肉断裂、骨折に局部もうわぁグロい……痛かったんだろうなぁ。 けれど死んだ後も僕の役に立てるというのは光栄ですね、うん。 それは誇りに思ってくださいよ、レミーさん。 あなたの存在は僕の微力となり、時期に世界の役に立つんです。 それってとっても素晴らしいことだと思いませんか? ……あ、死んでいるんだった。 いけないいけない」
若い男が持つ文字は『強食自愛』というものだ。 その文字は文字通り喰らうことにより力を発揮する異端の文字。 食すことにより力を発揮する文字だ。
「いただきまーす」
喰い、蓄える。 生物の原理をそのまま表したかのような文字を持つ若い男は、口元を血で濡らしレミーの死体を貪った。 肉を咀嚼し、骨を噛み砕く。 苦く、甘く、柔らかいものを胃へと収める。 もう既に何十人も食してきた男にとって、それはなんでもない当たり前のことであった。
この男は、チェイスギャングの一員ではない。 そして当然、神人の家の一員でもない。 とある目的の下、視察という任務を熟すために遠路はるばる訪れていた。 遠い地からこの日本へ。
男の所属する組織、その名は――――――――西洋協会。 その幹部、アンドレイ・コロトロフだ。
「ご馳走様でした……っと。 さて、ラックスさんの場所もそろそろ決めないとお叱りを受けそうだね。 にしてもこの国は本当に面白い、感染者同士で殺し合い、感染者と人間でも殺し合っているなんて。 けれどこんな混沌としている状況だから、ラックスさんは選んだのかな。 まぁあの人の場合は楽しそうだからってのが大半を占めてそうだけど。 それで振り回される僕たちの身にもなって欲しいところだよ」
口元を床で転げ回る小牧の服で拭い、アンドレイは部屋を去って行く。 いくらか蓄えは出来た、後は目的となる場所を探す任務を終えるのみ。 その当ても最近では絞られてきている気がする。
強力な組織が拠点としており、国から危険視されており、絶対悪として存在する組織。 アンドレイの推測が正しければ、今もっとも適切な場所というのはここ、神人の家という組織が存在するこの地域だ。
「焦らず焦らずゆっくりと。 にしても、日本は寒さ同じくらいって聞いたけど、なんか随分寒いなぁ」
根は着実に張られていく。 そのことにまだ誰も気付かず、だからと言ってその進行が止まることはない。
「おにーさん」
「ん?」
ロイスにより指定された当日、指定時刻が差し迫る中、獅子女と琴葉は湾岸地区へ向け足を進めていた。 その道中、琴葉は横を歩く獅子女に声をかける。
「本当に、大丈夫なんだよね。 おにーさん」
「俺を誰だと思ってるんだよ。 お前が居れば大丈夫だ、ちゃんと約束を守ってくれさえすればな」
「……うん」
獅子女の言った約束というのは単純なものだ。 獅子女の後ろに立ち、そして決してそこから動くなというだけのもの。 何があっても、例え死ぬと思わされたとしても、決して動くなというただそれだけであった。
だが、それこそがロイスを倒す手段となる。 現状、我原と雀が人質となっている以上は優位に立つのはロイスで間違いない。 であればどうにか裏を掻く必要というのが出てくるのだ。 琴葉にとっては獅子女がその方法を知っている、そう信じる他ない。
「最優先は我原と雀だ。 場所は見えるか? 二人の」
「うん。 二人共無事だけど、真っ暗で場所までは……」
琴葉の文字はロイスらも知るところだろう。 つまり、それについての対策も打ってあると考えるのが妥当だ。 だが、琴葉が心象風景を使い、景色が見える限り二人の無事はひとまず確認できる。 まだ、助けられるということだ。
「充分だ。 恐らくロイスの奴も分かってて生かしてるんだろうな」
今回の件で、直接的な原因となったのは我原がチェイスギャングの一員に手を出したということだ。 だが、その張本人である我原を捕らえて尚、生かされている。
「段々奴らの目的も分かってきた。 俺を消したいんだろう、ロイスは」
神人の家設立の際、一度ロイスとは揉めている。 そのこともあり、更にチェイスギャングにとっても強力な感染者の存在というのは面白くないはずだ。 たった一人で全てを覆す可能性がある感染者、存在するだけで邪魔だとも言える。 自分たちの強さをより明確にするためにも、他に所属する強力な感染者は消してしまうのがもっとも効率的だろう。 だからこそロイスの目的は獅子女を殺すこと、それを達成さえできればロイス個人の恨みは晴れ、更に組織としても多大な恩恵を受けることができるのだ。
それだけ、感染者たちにとって獅子女結城という存在は大きい。 未だ彼と戦い、勝った者は存在しない。 獅子女をもしも仲間に引き入れることができれば、その場合でも恩恵というのは計り知れないだろう。
が、獅子女にチェイスギャングに加わる気は一切ない。 その時点で、ロイスが取る選択というのは一つになった。 つまりは獅子女結城の抹殺である。
「おにーさん」
それから少し歩いたところで、琴葉はまたしても獅子女に向け声をかける。 獅子女よりも少し後ろを歩いていた琴葉は同時に足も止めており、獅子女はそれを感じ取り、振り返った。
「なんだ?」
「あたし、おにーさんとの約束守る。 だから、おにーさんもあたしとの約束を守って欲しいなって」
「約束?」
「もしも全部終わったら、そのときは――――――――」
琴葉の約束というのは、約束というよりもただの願いであった。 その願いを聞いた獅子女は一瞬顔を顰めるも、数秒の思考の後、答える。
「ま、良いか。 お前が良いんなら」
「約束だからね!」
人差し指を突き出し、琴葉は言う。 小さく笑う姿はやはり琴葉らしく、こんなときであっても琴葉は琴葉であるというのを認識させてくれていた。
「ああ、約束だ」
そして、二人は指定の時間、指定の倉庫へと到着するのであった。
「さて、どうしたものかね」
神人の家のアジト、そのビルの屋上にロクドウは居た。 日が暮れ暗闇が包む街を見下ろし、冷たい風を体で受け止めながら一人呟く。
「若いというのは相変わらず馬鹿で愚かな思考をするものだ。 物事というのは見方次第でいくらでも変わるというのに」
その昔、そんな友人が居たものだとロクドウは思った。 だが今はどうでも良い話、過去の話だ。
「シシ君の命令は確か「みんなのことを頼む」だったか。 なるほど悪くはない命令だね、チェイスギャングの刺客がまだ来ないとも言えない現状、わたしに任せるというのは」
言葉に答える者は居ない。 冬の夜空へロクドウの息と共に消えていき、街に響き渡る音に飲み込まれ失われていく。
「しかしシシ君、知っているか。 人の感情というのは不可思議なもので、とある馬鹿はくだらない物のために命を落としたりするのだよ。 シシ君が守ろうとしているものがそうだとは言わないけれど、軽率な行動というのは言うまでもないことだね。 よって、わたしは曲解しよう」
ロクドウは屋上から去って行く。 ビルの中へ戻ると、暖かい空気に体が包まれていくのを感じた。