第二十話
それは、遠い場所でのこと。 獅子女や琴葉が活動拠点としているのは、関東地区の南部、港がある流通拠点地区だ。 そこよりもかなり離れた位置、言ってしまえば都市部を縄張りとする感染者の集団がある。
「南の方では面白いことになってるみたいだね」
それを纏める立場の少女は言う。 黒い髪にローブを纏い、手を組み足を組みそこへ居る。 王座に座るのは獅子女と同年齢の少女だ。 そして少なくとも、この場に置いてはその少女は絶対の存在でもあった。
「神人の家とチェイスギャングの抗争ですか。 もっとも、チェイスギャングは本腰ではないでしょうけど。 もしもチェイスギャングが本腰を入れていたのであれば、とっくに事のカタは付いているでしょう」
「それが見立てかい? 生で見たことがないからそう言えるんだろうね、お前は。 まぁでも実にオモシロイよ、わたしも混ざりたいくらいだけど……そっちはどう思う?」
少女は横に立つ男へ尋ねる。 すると、男はこう答えた。
「興味本位ですか、それとも何かしらの意図があってのことですか、いずれにせよフラフラとされるのは困ります」
「おいおい誰に言ってるんだよ月時雨、食うぞ? 頭からガブッと。 結構うまそうだし」
笑みを浮かべ、少女は言い放つ。 唇を舐め、ご馳走を前にした獣のように唾を飲み込む。 が、月時雨と呼ばれた男は一切動じずに口を開いた。
「誤魔化さないでください。 仮にも我々『集い』を纏めているお方であることをお忘れなきよう」
「かったいなぁまったく。 まぁいいよ、これはわたしが持つ独自のアレコレで仕入れたものなんだけど、どーやら対策部隊が一枚噛んで来そうだね、あの抗争。 獅子女くんも結構なピンチってわけだ。 チェイスギャングだけならまだしもねー」
「それはそれは、手を回したのはチェイスギャングでしょうか?」
「あそこのおっさんはそう簡単に腰は上げないよ、だから傘下の幹部、ロイスが手を回したんじゃないっかなぁ。 ってわけで月時雨、わたしたちは水を差すオロカモノを食っちゃおうか? 学校冬休みで暇だしさー、こう見えて人気者のわたしには息抜きというものが必要なのだ、あはは」
「わざわざ我々が行くことでもないでしょうに」
「ヒマツブシ、アハハハっ」
直後、少女の口が裂ける。 そして両腕、両足が誇大化し、骨や筋肉が剥き出しとなる。 少女の背中には翼が生え、最早原型などないほどに化け物のような見た目へと変貌していく。 右腕には人間の眼球がびっしりと張り付いており、左腕には無数の口が作られていく。 その体長は、悠に五メートルは超えるほどであった。 異形の怪物、最早それはヒトですらない。 そして奇しくも、その外見は対策部隊が裏で実験を繰り返していたV.A.L.Vの怪物に酷似していた。
「イクヨ、ツキシグレ。 オナカスイチャッタ」
剥き出しの牙から唾液を垂らし、男に背中に乗るよう促す少女。 それを見た月時雨はため息を吐きつつ、少女の言葉に従った。
「まったく……では、お供しましょう」
その少女の文字は、あらゆる意味で特殊なものであった。 そして、少女の存在もまた、特殊なものだ。 今現在、その少女のV.A.L.V含有率は100パーセント。 最早それは、人とすら呼べない存在だ。
―――――――数時間前、湾岸地区東部――――――――
「何故横を歩く、柴崎雀。 視界に入って鬱陶しいことこの上ない」
「口を開けば罵詈雑言、頭の程度が伺えますね」
「貴様よりは優秀だ。 上の指示しか聞かない能無しが」
「自己中心的思考よりはマシかと」
しばしの言い合い、我原は立ち止まり雀を正面から見据える。 それを受けた雀もまた、足を止め我原の正面に立った。
「獅子女さんには健闘の末死んだと伝えておくか。 良い案だろう?」
「奇遇ですね、私もたった今同じことを思っていました」
雀は刀を引き抜き、我原は懐から拳銃を取り出す。 数秒の睨み合い、まさに喧嘩の延長とも言える殺し合いが起きそうになっていたのは、今日で五度目、昨日からの換算であれば十八回目となる。 だが、お互いはそこまで行くもののやがて武器を収め、再び歩き出す。 今ここで殺し合いをするメリットとデメリットを天秤にかけ、武器を収めるほどには冷静だった二人だ。
バイト先での一件は、二人の距離を縮めるどころか余計に溝を深めている。 そうとしか言えない二人の関係性は、今日も今日とて揺るがない。
「このままではオレの心が腐る。 何か対策を出せ、柴崎雀」
「同意見ですが、生憎状況が状況故に良案はありません。 この問題が解決すれば……」
そこで、二人は立ち止まった。 共にほぼ同時、同じ答えへと行き着いたのだ。 頭脳であれば、この二人はほぼ同一とも言えるのだ。 だからこそ、その答えに辿り着くタイミングは同時であった。
「仕方なし、か。 さりとて手加減はできんぞ、貴様相手となれば尚更な」
「私とて同じです。 それに場所は丁度良い、ここであれば人目にも付きにくい」
湾岸地区の東部は、今現在では人が住んでいない。 工業地帯、それも一昔前のことで、廃工場などが立ち並ぶ言わばゴーストタウンのような状態だ。 ここでなら心置きなく、と二人は同時に思う。
「死ぬのであればそれまでの話。 光栄に思え、柴崎雀。 貴様の死は意義のあるものだ」
「私としても、ここで懸念事項を排除できるのであれば是非もない」
刀を引き抜き、拳銃を引き抜き、二人は再び対峙する。 そして、十九回目の立ち会いは止まることなく、始まった。
「――――――――一刀両断」
「全てを断ち切る刀、か。 貴様には持て余す文字だな」
「それはどうでしょうかね……!」
刀を一閃する。 直後、払われた軌道の空間が裂け、我原の下へと飛ばされる。 音速にも近い速度で放たれた斬撃は地を割り、空気を割り、そして空間を引き裂く。 不可視の斬撃は我原を斬り裂かんとばかりに飛ばされた。
「見えないのであれば感じるまで。 オレには到底届かぬ攻撃だ」
我原はそれを一歩だけ左へ体を動かすことにより、回避する。 靡いた我原の髪を数本落とすだけに留まった斬撃は、我原が完璧なまでに軌道を読み切ったことを意味していた。 類まれなるセンス、我原がこの周囲一帯で逆らってはいけない男、と囁かれる由縁でもある。 驚異的な身体能力――――――――最早それは、ある意味で文字よりも厄介なものだ。
「気を付けろよ、オレの攻撃は死の痛みだ」
「喰らわなければ、意味もない」
放たれた銃弾は雀の一振りで消え去る。 攻撃、防御面共に秀でている雀の文字は、刀でありながら遠距離での攻撃を可能とし、ありとあらゆる攻撃を空間を裂くことで防いでいる。 どれだけ一撃が重かろうと、空間ごと消されたそれは届かない。
「目だけは良いようだな」
「お褒め頂き光栄です。 そちらこそ、口だけは良いようで」
「貴様には及ばない」
「そっくりそのままお返しします」
一撃一撃が必殺、当たれば命など軽く吹き飛ぶ攻撃は繰り返し行われる。 だが、そんな最中でも二人の言い合いは終わる気配を見せてはいない。 お互いがお互いに一度始めてしまえば後には退けないということは理解している。 しかし、始めることでの結果も同時に予測しており、それは口に出さずとも互いに理解はしていた。
「拉致が明かんな。 無粋な物に頼るのは止めるとしよう」
「まるで今から本気を出す、というような口振りですが」
「―――――――ああ、その通りだ」
「ッ!?」
雀は瞬きをし、目を開いた。 先ほどまで数メートルは離れていた我原が、目の前に迫っている。 コンマ数秒、その時間でまるで瞬間移動かのような速度を出してきた。 これは雀の予想を遥かに上回っており、伊達にV.A.L.V含有率90パーセントというわけではないということだ。 我原の身体能力は、最早化け物の域に達していると言っても良い。
「ほお……反応するか」
「遅すぎて驚いただけですよ」
そうは言ったものの、紙一重だった。 我原の伸ばしてきた手に向け、体勢を崩すことでなんとか刀を振るうことができた。 しかし、その所為で左足のバランスが著しく悪い、このまま追撃を受ければ、次に防ぐ手立ては……。
「釣れた」
我原は唐突に呟く。 それとほぼ同時、雀もそれを理解した。
「昼間からやけに騒がしい街ですね。 もっとも、あなた方が打ち合いをしているとなれば、近づくような輩は居ると思えませんが」
チェイスギャング、幹部。 ロイス=ミネルトだ。 丁寧な口調で喋る男は、雀たちを見下ろすようにアンテナ塔へと立っていた。 そして二人が顔を向けると同時、ロイスは地面へと降り立つ。
「続きはしないのですか? お二人とも」
「貴様が来たのであれば続ける意味もなし。 ここぞとばかりに出てくるハイエナ如きが図に乗るなよ」
「ふむ、つまり僕は嵌められた、と。 なるほど、中々愉快なことを考える方たちだ。 ですが、申し訳ないのですがそれは予見済みですよ」
帽子を少し傾け、ロイスは告げる。 雀と我原、二人は敢えて打ち合うことによって、敵を誘き寄せることをしていたのだ。 だが、そこにあるのは協力という二文字ではない。 チェイスギャングとの一件が片付けばこのペア行動もなくなる、であれば早急に終わらせることを望んだ結果であった。
しかし、それはロイスも承知してのことだ。 先見之明、未来を見通す文字は我原の行動を読み切っていた。
「獅子女さんから聞いている。 あなたの文字は先見之明、未来を予測する力だと。 しかしあくまでも予測するのみ、分かっていても避けられないのであれば意味はない、違いますか?」
「お見事、さすがは聡明かつ秀才な柴崎さんだ。 僕の部下にしたいほど君たちは優秀ですよ」
「悪いがオレはオレより弱者に付く気はない。 今現在、唯一可能性があるのは獅子女さんのみ」
「珍しく同意見です。 あなたを殺せば全てが終わる、手合わせ願いましょうか」
雀は刀を構え直し、我原はコートに両手を突っ込んだままで告げる。 それを見て、表情を一切崩すことなくロイスはただただ笑っていた。
「神人の家、実に素晴らしく有能な人材に溢れている。 あなた方のような幹部を努めている者であれば、我々チェイスギャングに来たとしても幹部待遇は間違いありません。 規模も大きく、感染者でありながら人間としての生活を送れる……いや、それ以上かも知れません。 おふた方、ここで我々チェイスギャングに加わる気はありませんか?」
「寝言は寝て言え、雑魚が。 先ほども言ったはずだ、オレはオレより弱者に付く気はないと」
「では仕方ない、あなた方には餌となってもらいましょうか」
ロイスは言うと、帽子を深くかぶり直す。 その行動に一瞬だけ気を取られ、直後、我原は直感で読み取った。 何かが来る、と。
「ッ!!」
我原は咄嗟に雀の体を押す。 想像以上の力で、雀の体はたったそれだけで数メートルは移動した。
「何を……っ!?」
雀は文句の一つでも言ってやろうと思い、我原を見る。 が、そこにあったのは想像を遥かに上回る光景だ。 地面からの花、そう表現するのがもっとも正しく、適切だろう。 まるで食虫植物のような花が地面から生え、我原を包み込んだのだ。
「話が長いねぇ、待ち侘びるワタシの身にもなって欲しいものだよ、ロイスクン」
「お前は……ッ!!」
対策部隊、駆逐隊――――――――益村幸次。 その男が、そこには立っていた。