第十九話
「もー、雀ちゃんあんなカッコいい彼氏居たなんて聞いてないよ?」
「いえ、そういうわけでは……」
「またまた! まぁでもお似合いだよねぇ、超クールって感じだし、二人とも」
それから店内へと入った二人は、まず雀は仕事のため事務所に。 我原は隅にあるテーブル席へと腰をかけた。 店内は落ち着いた雰囲気で、メイド喫茶とは言ったものの客層も落ち着いている。 大人向けな店、という表現が適切だろうか。 騒がしい場所はなく、我原は本を読み暇潰しをしている様子だった。
そしてそれを見ていた店員に話しかけられ、瞬く間に「雀の彼氏が来た」という噂は従業員の間に流れ、現在店裏で絡まれている雀である。
雀にとっての敵はあくまでも対策部隊。 そして人間全てを嫌っているわけではなく、こうして人間としての仲間というものも存在した。 もっとも、彼女たちが雀が感染者だと知ったとき、仲間で居るかどうかは別の話だ。
我原に関してもそれは同様。 彼が敵と認識し殺すのは対策部隊が主であり、ごく一般の人間を殺すことはあまりない。 その死に意味があれば彼は躊躇しないが、原則として意味なき死を好まない彼は殺戮の限りを尽くす、という男でもないのだ。
「だから、彼氏ではありません。 なんと言えば良いのか……ただの知り合いで、今日は偶然ですよ、鈴村さん」
「ほんとー? ふっふっふ、なら美海ちゃんちょっと注文取ってきまーす!」
雀に向け敬礼をし、鈴村美海は笑顔で店内へと駆け出した。 咄嗟に止めようと手を伸ばした雀であったが、時既に遅し。 鈴村はあっという間に我原の席へ付いていた。
「お帰りなさいませご主人様っ! メイドのみうみうでーす、お兄さん超イケメンだねっ! 何か食べたいもの、飲みたいものってあるかなぁ?」
「……くだらん場所だと聞いてはいたが、これは予想以上にくだらんな。 まぁ良い、ブラックを一つ」
「は、はいっ! え、ええと……その……め、メイドのミルクはお付けしますか!?」
「オレはつい先ほどブラックでと告げたはずだぞ。 二度も同じことを言わせるな、次似たようなことをすればその首が繋がっていると思うなよ、餓鬼」
「は、はいいっ!!」
そんな光景を眺め、頭を抑える雀である。 涙目かつ早足で裏へと戻ってきた鈴村は、雀を上目遣いで見ながら訴える。
「あ、あの人怖すぎ……。 間近で見ると更にカッコよかったけど、なんかこう……近寄り難い雰囲気あるよね」
「そういう性格の持ち主ですからね。 それで注文は?」
「あ! え、えーっと……コーヒー?」
「……砂糖とミルクは?」
「確か、ミルクはなしだったかな……砂糖、砂糖は……あり?」
「どうして私に聞くんですか……」
「あり! 砂糖はあり!」
「分かりました。 一応私の連れですので、私が付きます」
原則的に、このメイド喫茶では当番というものが決まっている。 注文を取る者から話す者、それらが統一されており、余程のことがなければ途中で変わるということはない。
店に入った以上はあくまでも客、そう思い雀は意を決し鈴村へ言うと、鈴村は一瞬躊躇ったものの受け入れた。
「ミルクはなしの……砂糖はあり」
雀は復唱し、コーヒーを淹れる。 とは言ってもインスタントであり、本格的なものではない。 あくまでもメイド喫茶、メイドがメインであり食事や飲み物がメインというわけではない。 我原からすればさぞ迷惑な話であったものの、特性上仕方のないものであった。
「転んでコーヒーをかける」
思わず呟いてみる雀。 だが、数秒後には顔を振って否定する。 我原に対する憎しみのあまり、良くないことを想像している気がした。
「……さすがにそこまですることはありませんよね。 なんだかんだ言いつつ、共に行動はしているわけですし」
そうだ。 文句、というか喧嘩をしつつではあるものの、我原は一応行動を共にしてくれている。 当初はどうなることかと思ったが、上手く行っているとは言えないものの、今のところ大きな問題が発生しているわけでもない。 であるならば、わざわざ自身がその亀裂を作る必要もないだろう。
「お待たせしました」
雀は我原の席まで行くと、カップを雑に置く。 それを受け、我原は読んでいた本から視線を逸らし、雀へと向けた。
「貴様毎回そのような態度なのか? 店の信頼を失うぞ」
「あなたにだけですよ、我原さん」
「そうか」
我原は言うと、コーヒーに口を付ける。 が、顔を一瞬顰め、カップを再びテーブルへと置いた。
「何故まだ居る。 目障りだ」
「お店のルールです。 ご案内したお客様にはお話をして盛り上げろという」
「……何故、店に入ってまで貴様と話をしなければならない。 不愉快極まりないシステムだな」
「あなたが従業員を脅すからこうなっているんです。 私でなければ対処できないと、そういう旨を伝えられました」
「……あの店員か。 良い機会だ、伝えておけ。 男に色目を使う前に話に耳を傾けろ、と」
「自意識過剰とはこのことですか?」
「そうであれば良いんだがな。 オレはブラックをと伝えたはずだが?」
我原は言うと、コーヒーカップを置く。 それを見た雀はハッとした顔をし、咄嗟に鈴村の方へと顔を向ける。
「……伝えておけ」
「……い、いや。 鈴村さんは確かにブラックと仰っていたのですが、私の独断で砂糖を入れたんです。 事実、このコーヒーを淹れたのは私ですし」
それは無理のある答えであり、我原であれば雀の動揺からそれが嘘だということは分かりきっていた。 だが、我原はそのことについて深くは聞こうとしない。
「ということはなんだ? オレへの嫌がらせという意味か?」
「もちろんそうです」
ここまで来たらと言わんばかりに、雀は間髪入れずに我原へと向けて言う。 先ほどまでの動揺は既になくなっており、雀の切り替えの早さ、判断の早さはずば抜けていた。
「……庇うほどの人間か、あれが。 まぁ良い、そういうことにしておいてやる、代わりに詫びとしてオレの質問に答えろ、柴崎雀」
「質問、ですか?」
我原は再度コーヒーを口につける。 やはり不機嫌そうな顔をしてカップを置くと、ゆっくりとこう尋ねた。
「貴様にとって大事なのは、人間かオレたち感染者か。 どちらだ」
「……それは」
人間と感染者。 それはどこまで行っても同じにはなれない別種であり、明確な境界は存在する。 感染者という者たちは隅に渡るまで化け物であり、人間にはなれない。 そして同じく人間もまた、化け物にはなることができはしない。
数十年前、とある事件が起きた。 我原や雀たちが生まれるよりも余程前のことであり、今でもそのことを覚え、そして経験したのはロクドウだけだ。 その事件は人類史から抹消され、存在しなかったこととなっている。
人権維持機構、人間と感染者の間を取り持つ存在と言われ、彼らが目指すのは人間と感染者の共存だ。 そんな彼らは時間と労力、他にも様々なものを割き、人間側と感染者側の会合を実現させたことがある。 感染者側数十人、当時では群を抜いて力を持っていた感染者たちだ。 対する人間側も同じく数十人、その会合は都内で行われ、同日に終結した。
――――――――感染者側の全員死亡という結果を持ち、終結したのだ。
人間側は感染者を殲滅することしか考えていない。 それを身を以て知った事件は、感染者たちであれば常識だ。 人間たちには平和に物事を終わらせるという考えはない、だがそれでも人権維持機構は今現在でも尚、共存という果てしない夢を見続けている。
だからこそ、我原は尋ねた。 質問こそ単純なものであったが、我原の尋ねたいことをもっと単純明確にすればこういうことになる。
お前は機構寄りの考えなのか、と。
「いいえ、悩む必要もない質問でしたね。 私にとって大事なのは、感染者で間違いありません。 必要とあらば、人間は全員斬り捨てる」
「そうか、ならば選べ。 オレは今酷く不愉快な思いをしている、つまり今ここでこの場に居る人間共を殺しても構わん。 感染者が大事であるならば邪魔はするなよ?」
直後、我原からは殺気が放たれた。 長年我原を見てきた雀ですら感じたことのないもので、辺り一帯の気温が一気に下がったかのような錯覚を受ける。 雀は慌てて立ち上がり、我原の視界を覆うように、店内の人間を庇うかのように立ち塞がった。
「オレは貴様の中途半端さが気に食わん。 人間に対する中途半端な想い、それが仮に回り回ってオレの首を締めようものなら、まずは貴様から殺してやる。 オレは外へ行く、店の中から見える位置で待つのであれば問題ないだろう」
我原は言うと、半分ほど残っていたコーヒーを飲み干した。 そして雀に千円札を渡し、店内から立ち去ろうと歩き出す。
我原自身はこのとき、理解していたことだ。 その言葉は正に自分へ向けてのものだということは、嫌というほどに分かっていた。 自身が雀を嫌う理由、それは自身と雀が似ているからということも、我原には分かっていた。
人間の醜さの底を理解している彼だからこそ、それと同程度には人間のことを理解している。 そして、彼が対策部隊を敵視する最大の理由――――――――それもまた、人間のためであった。
もっとも、彼がその理由を語ることはない。 仮にその話を彼が自らの口からするということは、その話し相手が相当に気に入られた場合のみであろう。
「我原さん」
「……なんだ」
扉へ手をかけた我原へ、雀は声をかける。 まだ何かあるのかと、相変わらず不機嫌な顔付きを雀へと向けた。
「お代足りません。 千三百円です」
「……ぼったくり商売が」
どんな状況、どんな場合でも真面目な雀であった。