第十七話
「さて始めようか、桐生院さん。 ルールは何か希望ある?」
「特にはないよ。 ルールという縛りはあまり美しいとは思わない性質でね」
「オーケーだ、それなら始めよう」
名幸と桐生院は向かい合う。 桐生院は何も持たず、対する名幸の手には大太刀だ。 桐生院はその文字の特性上、一対一ではかなりの有利が取れる文字である。 相手の攻撃を完全に躱し、更には必中の攻撃を毎回放つことができる。 回避不可とも言える余程の連打か、超高速での攻撃を繰り出せない限り、桐生院を倒すことは叶わない。
「僕の武器は少々特殊でね、あまり強くはないんだ」
太刀を構え、名幸は文字を紡ぐ。 感染者とは違い、文字刈りが文字を使う際にはその文字を言葉にしなければ武器は呼応することはない。 それもまた一つの弱点であるものの、一般的に文字刈りの使用する文字は感染者の時よりも強力なものとなる。 神童が所持する『明鏡止水』が正しくそうだ。 そして、名幸の持つ文字もまた、その例から漏れてはいない。
「――――――――勇往邁進」
その文字を使用した瞬間、名幸の雰囲気は変わった。 桐生院もそれを感じ取り、その場から動かずに名幸の出方を伺う。
「行くよ」
地を蹴り、名幸は一定の距離まで詰めた。 そして大太刀を上から桐生院目掛け振るう。 かなりの大振りな一撃で、それを見た桐生院は違和感を感じつつも横へ動き回避する。
「美しくない攻撃だ。 それでは私が文字を使う必要もないほどだぞ、名幸くん」
「いやぁ、やっぱり違うね、他の感染者とは。 今の一撃を避けられるのは半々くらいだったけど、桐生院さんは避けれる方の半分か」
「どちらかと言えば、君に勝てる方の半分だ。 その分であれば君に勝ったのも半分ほどは居るんだろう?」
「いいや、居ないね。 向こうも当然殺そうとしてくるし、負けはつまり死だよ。 僕が今ここに立っているということは、負けたことがないってことさ」
言いながら、名幸は再度地を蹴り飛ばす。 桐生院から見れば先ほどとなんら代わり映えのない攻撃で、再び上から振り下ろす一撃だ。 全く同じパターンでの攻撃に少々残念な思いをしつつも、桐生院は同様に回避すべく体を横へとずらす。
「……ん」
だが、その結果は先ほどとは違っていた。 掠りもしなかった攻撃であったが、今回の攻撃は桐生院の髪、その毛先へと確かに触れたのだ。 本来であれば気付くことすらないほどの違和でしかなく、物事を常に美しいかどうかで捉えている彼だからこそ気付けたことだろう。
「当たったね」
口角を吊り上げ、名幸は言う。 その言葉を受け、桐生院はたった今の攻撃が偶然ではないことを知る。 確実に狙い澄まされた一撃だったというわけだ。
「ふむ、体が慣れてきたというわけかな。 まぁそうだとしても、だ。 その攻撃が私に届くことはないのだよ、名幸くん。 言っておくが私はまだ文字を使ってすらいない。 私の花鳥風月はおいそれと見せびらかすものでもないからね。 使う価値があるときにこそ使う、それが美しいというものだ」
「良いね、必要最低限で相手に打ち勝つというのは戦闘の理想だ。 僕もそれを目指しているんだけど、残念ながらいっつも力を出し過ぎちゃうんだよ。 こんな風に、ね」
三度、同様の動きをした。 地面を蹴り、桐生院へと接近し、振り上げた太刀を振り下ろす。 既に見慣れた動作で、例え素人であったとしても感覚で避けることが可能にもなるほどに単調な攻撃だ。
しかし、桐生院はその初動を見て反射的に文字を使用した。 明らかに違う、動き自体は同一であったものの、その速度は最初の一撃よりも着実に上がっている。
「――――――――いい動きだ」
それでも桐生院には届かない。 文字を使った際の桐生院は、体が付いていく限りどのような攻撃であれ回避する。 銃撃を受けたとしても、桐生院の文字はその尽くを回避するポテンシャルを秘めているのだ。 言ってしまえば飛び抜けた戦闘センス、それを最大限まで引き上げる力とも言える。
「凄いな、驚いた。 三回目を避けたのは君が初めてだよ、桐生院さん」
「勇往邁進、なるほど言葉通りの文字というわけだ。 ただひたすらに突き進む、名幸くんのように純粋な者であるからこその文字というわけだね。 実に美しい」
名幸の持つ武器に秘められた文字、勇往邁進。 幾度となく重ねられる攻撃は常に正しく、直向きである。 目標に向かい例え何度挫けようと繰り返されるその攻撃は、やがて必殺の一撃を生み出す。
「お褒め頂き光栄だ。 だから手を抜かずに行くよ……! 四、回、目ッ!!」
「……ッ!」
既に最初の一撃から数倍の速度になっている攻撃を桐生院は寸でのところで躱す。 速度だけではなく、威力もまた増している一撃は地面に大きな穴を開けるほどにもなっていた。
「繰り返すほどに強くなる、速度も威力も桁違いに上がっていくというわけか」
そうであるなら、繰り返し、手に負えないほどになる前に叩くのみ。 桐生院は名幸が動く前に距離を詰め、その頭部を狙い腕を振るう。 最短、かつ無駄が省かれた攻撃は必中だ。
「くっ……中々良い動きだ、さすがは神人の家と言ったところかな」
が、致命的な一撃には程遠い。 桐生院本来の戦い方は最小限の動きで敵の体力を奪い、そして優雅に勝つということに絞られている。 地味な戦い方であるものの、桐生院はもっとも美しい戦い方だと思っている方法だ。
しかし相手が悪い。 桐生院が回避に専念すればするほど、名幸の動きは良くなり、威力もまた増して行く。 早期決着というのが勇往邁進の弱点であるものの、桐生院にそれをできる手立てはない。
「五回目行くよ……うおらッ!!」
殆ど姿を捉えることができない。 五度目の頭上からの攻撃は瞬間的に行われたと言っても良いほど圧倒的な早さを持っていた。 桐生院が反応したのは名幸の初動であり、それはつまり反応速度の限界が近いことを示している。
爆音と共に地が割れた。 人間の頭ほどのアスファルト片は飛び散り、その中で名幸はハッキリと笑う。 嫌味っぽさはなく、この戦闘を楽しんでいるような爽やかな笑顔だ。
「美しい戦い方だ、見飽きることはないだろう」
桐生院は言い、小さく笑う。 彼もまたこの戦いを楽しんでおり、自分が未だに名幸の攻撃を躱せているということに喜びを感じつつあった。
だが、それも限界だ。 次の攻撃を回避できる反応速度を桐生院は持ち合わせておらず、それはお互いに理解していることだ。 次に名幸が動いたそのとき、桐生院の回避は間に合わない。
「僕はさ、長い話とか思い出話とか、蛇足だと思うんだ。 だからとっとと決着をつけよう、桐生院さん」
「ああ、構わない。 私としても無駄というものは極めて嫌いだ、君との戦いはそう思わせないほどに美しいものだったよ、名幸くん。 君の文字は美しい、素晴らしい文字だ」
「だったら行こう――――――――六発目ッ!!」
名幸が、動く。 風は周囲に散りばめられ、名幸げ蹴った地面は鈍器で削ったかのように抉れた。 桐生院の頭上に太刀は振りかざされたのが見えた。
回避動作というものは、二つの手順がある。 その場からの退避には足に力を入れ、地面を蹴るという二つの動作だ。 コンマ一秒の刹那が生死を決める上で、その二つの動作は致命的とも言えよう。 桐生院の文字はそのことに関しての無駄を限界まで省き、ほぼ他者の一動作に匹敵するほどの短縮を可能としている。
それでも回避しきれない攻撃。 他の者であればとっくに喰らっているであろう一撃だ。 そしてその早さを見た桐生院は、確実に回避は間に合わないことを悟る。
「だけど、私が崇拝するボスには遠く及ばない」
その行動は、完全に予想外であった。 もっとも桐生院のことを知るシズルにとっては想定の範囲内の出来事であったものの、名幸と緋狩の想定を超えた行動である。
回避に必要なのは二つの動作。 しかし、それが防御に必要な動作となれば、一動作。 そこに桐生院の文字が加われば、名幸の現在の早さを持ってしても反応できるのだ。
桐生院がしたことは、単純に頭上から落ちてくる太刀を片手で止めたということだ。 右手を上げ、その刀身を指で挟み停止させた。 衝撃が体を通して地を割ったものの、桐生院の体は無傷だ。
「考えてみれば単純な話さ。 避けられないのなら止めれば良い、それにこれがなければ君は文字が使えない」
指に力を込める。 それだけで太刀の刀身にはヒビが入り、甲高い音と共に砕け散る。
「……はは、あはは! はっはっはっはっはっは!! いやぁ、これマジかい? 六回目を避けるどころか止めて、更に武器壊されるなんてさ」
タガが外れたかのように名幸は笑うと、刀身が折れた太刀を鞘へと収める。 そして両手を広げ、緋狩の方へと顔を向けた。
「ごめん緋狩ちゃん、負けちゃった。 負けるってこんな感じなんだね、結構あっさりしてるというかなんというか。 けどまぁ……悔しいなぁ」
困ったように笑いながら、名幸はそう告げる。 緋狩は名幸のそんな表情は見たことがなく、そして名幸が負けるというのは想像すらしていなかったことだ。
……文字自体では、決して負けていなかった。 順当に行けば桐生院には打ち勝てたはずだ。 しかし、文字刈りたち最大の弱点が露見した形の決着だ。 武器がなくなってしまえば、文字刈りたちが文字を扱うことはできない。 その弱点は、人間である自分たちにとっては決して拭うことはできない。
「ってわけで、降参。 敗者に言葉はないけれど、殺すってのは勘弁して欲しいかな」
「ふむ。 一応、理由を聞いても?」
名幸の言葉に、桐生院は問いを投げかける。 その返答によっては今この場で殺しても良いとさえ思いながらだ。
「だって、死んだら桐生院さんにリベンジできないじゃん。 それにほら、痛そうだし」
「ふふ、ふはは! ああ、良いよ。 私も次の再戦が今から楽しみで仕方ない。 この桐生院美崎はいつ何時でも受けて立とう!」
「ああ、僕も次こそ絶対に勝つよ! 今以上に強くなって、必ずね!!」
言い、二人は固い握手を結ぶ。 照り返す日射しは眩しいほどで、緋狩は思わず顔を顰め、呟いた。
「……あたし、何してんだろ」
その疑問に答える人物は、残念ながらこの場には居ないのであった。