第十六話
「んでどうすんのさー? 俺ちゃんそろそろ飽きてきたんだけど?」
「落ち着きたまえシズルくん、二兎を追う者一兎をも得ず、だ。 この場合は公平に一対一を二回、或いはダブルスというのが常識だよ」
神人の家幹部、二人の感染者は揉めていた。 つい先ほど目の前へ現れた対策部隊の二人はそんな光景を約一時間ほども眺めている。 一人は若い女、一人は若い男だ。 共に幹部部隊の隊長を務める腕の持ち主で、対策部隊内でも新人という枠でありながら確かな実力を持ち合わせた二人だ。
「ねえちょっとそろそろいい加減にして」
女の名は武蔵野緋狩、十七歳。 都内の高校に通いながらではあるものの、対策部隊の部隊長となった化け物である。 幹部部隊第八部隊、部隊長。 臨機応変、頭脳明晰、一度戦闘となればまるで別人のように猛威を振るうと称される人物だ。 第八部隊は寄せ集めとも称されるほど実力には恵まれていなかったが、武蔵野緋狩はただ一人でそれを覆した人物でもある。
「もうちょっと我慢してみない? ほら、ストレスって肌に悪いって言うしさ、緋狩ちゃん」
その緋狩とペアを組むことが多い男の名は、柚原名幸、二十歳。 幹部部隊第十部隊、部隊長。 どのような相手だろうと一切怖気づかず、怖いもの知らずというのが名幸が称される場合に口にされることだ。 そして実力者が多く集う第十部隊の中で隊長を勤めている若き天才。 だが、彼は底のない天然であり、たった今も目の前で揉める二人に攻撃を加えることなく待つという選択を取っている。
「あたしの肌を気にしないで気色悪い。 それより時間が惜しいから早くしてよ、ちょっと聞いてんのあんたたち!」
緋狩は名幸にジットリとした眼を向けた後、その矛先を桐生院及びシズルへと向ける。
「……よし、オーケイ待たせたね。 たった今こちらの話も纏まったよ」
それを受け、口を開いたのは桐生院だ。 大仰に手を広げながら、シズルとの間で纏まったという話をする。 この二人が揉めていた原因も「どっちがどっちと戦うか、その方法はどうするか」というもので、一人で二人と戦いたいシズルと、公平さを重視する桐生院とで揉めていたというわけだ。
「そうかいそうかいそれは良かった。 それで、どんな方法で戦うのかな?」
笑顔で言うのは名幸である。 敵対的な様子は微塵も見受けられない。 それも無理はない話で、名幸にとっては感染者を敵というよりも仕事相手としか認識していないのだ。 仕事上倒さなければいけないから倒す、名幸にあるのはただそれだけで、もしもそれが仕事でなければ、彼は感染者と食事を摂ることも厭わないほどである。
「昔ながらの方法で分けよう。 出すのはグーかパー、で同じ手を出した同士で戦う。 グー同士、パー同士で戦うということだよ」
「それは良い案だね! けど、例えば僕と君たちが同じ手で、緋狩ちゃんが一人だけになったらどうするんだい? 僕たちは三人でサバイバルしている間に緋狩ちゃんは自分を殴るということになりそうだけど……」
「殴って良い? もちろんあんたを」
名幸は真面目に言ったのだが、横では苛立ちを隠さず緋狩が名幸を睨みつけた。 その意味が分からず、名幸は困惑しつつ「ごめん」と謝る。
「それも面白そうではあるけど、その場合は再戦だよ。 さて、それじゃあ一斉にね……グッパージャスのジャスで手を出してね」
「分かったわ。 ……あたし何してんだろ」
と言いつつも、四人は集まり手を構える。 旗から見れば良い年をした大人たちが遊んでいるようにしか見えないその光景に疑問を抱いたのは、悲しいことに緋狩だけであった。
「よっし! そんじゃ俺ちゃん一番手ね。 これ勝ち抜きあり?」
「なしだと言ったはずだよシズルくん。 君が仮にお相手の女性を殺してしまったとしても、次は私の番でしかない」
「はっ、やれるものなら。 あまり嘗めてもらっちゃ困るわね、人間を」
「じゃあ僕は彼と観戦だね。 なんか飲み物でも買ってくるよ」
緊張感はなく、それでもこれから起こるのが殺し合いだということはその場にいる全員が理解していた。 だが、そういう場に身を置き続けて居る者にとっては代わり映えのしないことである。
「そんじゃまぁ――――――――やりますか」
シズルは変わることなくヘラヘラと笑っていたものの、緋狩と対峙したその瞬間に雰囲気が一変した。 殺意、殺気、溢れてくるのはただならぬほどの威圧感で、普段から接している桐生院が思わず生唾を飲み込むほどのものである。
「少しは楽しめそうね」
しかし、対峙する緋狩も負けてはいない。 これまでくぐり抜けてきた修羅場の数は数え切れず、幾度となく死線を超えてきた一人だ。 構える武器は自らの背丈の二倍ほどある棒で、それを見るシズルは文字刈りの武器だと認識する。
「最初から飛ばしてくよん。 今日の運は良し悪しどちらか、運試しだ。 そして俺はこの一擲に全てを乗せている」
シズルは言うと、懐からダイスを取り出す。 二十面からなるダイス、それには一から二十までの数字が刻まれており、シズルはそのダイスを宙へと放った。
「良い目が出ても恨むなよ――――――――乾坤一擲」
ダイスは地面へと当たり、数度跳ね返る。 そして出た目は八、直後シズルの手には武器が現れる。
「うーん……八か。 まぁまぁだけど悪くはなし、充分ってとこだね」
シズルの乾坤一擲は、文字通りその力を運へと任せた文字だ。 二十面のダイスを振り、出た目によって扱える武器が変化する。 最高で二十、最低で一、それによって武器が変化するという特殊な文字だ。
そして出た目は八、それにより出現したのはナイフである。 見た目状ではなんの変哲もないただのナイフであるが、その実それは超電導ナイフと呼ばれるものであった。 刃が標的に接触したその瞬間、刃は震え切り刻む。
「なるほど、確かに食らったら痛そうね。 けど、運任せって言葉があたしは嫌い。 飛耳長目」
その言動を受け、シズルは微かな違和感を覚える。 ナイフの見た目は決して代わり映えのしないものだ。 だというのに、緋狩はそれを見ただけで見抜いているようにも思える。 何かがあると、そう思った。
「それであたしは隠し事も嫌いなの。 あたしのコレは、飛耳長目っていう文字を持っているわ。 観察力、洞察力の底上げ。 たったそれだけよ」
「へぇ……姉ちゃん、可愛い見た目の割に案外スケベなんだね」
「……スケベ?」
「だってそうっしょ? 俺の考えをみたいからって文字を使うなんてさー、ああもう良いねぇ、俺ちゃんも愛してやんよ」
「あっそ、自意識過剰なのね、あなた」
「あれ、的外れ?」
シズルは言いつつ、手に持つナイフを緋狩に向け投げつけた。 一つしかない武器を投げるという暴挙、普通であれば当然防御は遅れるだろう。 予想し得ない攻撃は、多少なりとも隙を生む。
しかしそれは予想ができない場合のみだ。 緋狩は少なくとも、その攻撃をシズルが取り得る手段として予想していた。
「分かっているわ。 それと――――――――もう一本来ることもね」
まず飛んできたナイフを棒で弾き飛ばす。 刃部分には触れず、僅かしかない柄の部分を正確に棒で叩き、弾き飛ばした。 更にそのまま棒を回転させ、飛ばされた二本目のナイフを打ち上げる。
「言ったでしょ、あたしの文字は飛耳長目。 あなたの文字のこともあたしは理解できている。 あたしがこれを壊すと思った?」
「……うわぁ、もうめんどくさ」
シズルは正直なところ、この八番のナイフで勝てるとは思っていない。 当たりとは言えない番号で、ただ切れ味の良いナイフを無制限に出せるというだけだ。 だからこそナイフを敢えて投げ、続けざまに新しいナイフを出現させ投げたのだ。
乾坤一擲は、武器を呼び出すという文字ではない。 正確に言うとそれは『特定の武器を出現させる能力を得る能力』というものだ。 つまりシズルの現在の文字は『超電導ナイフを出現させる能力』であり、そのナイフ自体は無制限に生み出すことができる。
更にもう一つ、シズルが新たに能力を得るためにはダイスを振り直さなければならない。 しかしそれには能力を得てから一時間が経過するか、もしくは敵によってその武器を破壊される必要がある。 自ら壊すことではリセットはできず、あくまでもこの場合は緋狩に破壊してもらう必要があるのだ。
もしもシズルが十二以上の数値を引けていたら勝負は即座に決着するだろう。 だからこそシズルが狙うは振り直しであり、対する緋狩は観察力からそれを見抜いており、決して乾坤一擲のリセットはさせようとしない。 訪れるのは硬直状態だ。
「……はいはい分かった分かったよ、降参」
「……へ?」
「いやだから降参だって。 一時間も睨み合いなんてしたくないし、あんただって攻撃し続けて俺ちゃん倒せないっしょ?」
そのことは緋狩自身も良く分かっていた。 かなりの長期戦になるだろうとの予想だ。 身体能力では自分の方が上回っているものの、恐らく場数というのはシズルの方が上だろう。 となれば、不利な場合の逃げ回り方というのも熟知しているはずであり、仮に一時間逃げ切られ、再度ダイスを振られ、万が一にでも高い数字が出た場合は負けが見えてくる。 そんな流れを危惧していたのだが、シズルから出てきた言葉は「降参」という二文字だ。
「ってことはなに、大人しく捕まってくれるわけ?」
「は? なんでさヤダよ。 俺ちゃんが言ってんのはあくまでも勝負での勝ち負けっしょ? これであんたに白星一つで、次に会ったとき「今度こそ俺が勝つ!!」って言えるじゃん。 だから今回はあんた……緋狩ちゃんだっけ? 緋狩ちゃんの勝ちでいーよ」
「……は? はぁ!? なんなのよそれはッ!! あんたそれであたしが「やった!」とかなると思ったわけ!? ふざけんじゃないわよ!」
「そう言われてもね……おーい連れの人、どうすりゃいいのさこれ」
シズルは困ったように髪を掻くと、名幸へ顔を向ける。 名幸は桐生院の隣に腰掛け、二人で優雅にもカフェで購入したドリンクを飲んでいた。
「そうだね、まぁシズルさんは降参って言っているわけだし、緋狩ちゃんの勝ちで良いんじゃないかな?」
「あんたねぇ……!!」
「そう怒らずに、ストレスは肌にも髪にも悪いからね。 というわけで次は僕と桐生院さんで良いのかな?」
怒りを隠さず地団駄を踏む緋狩。 対する名幸は全く気にした様子はなく、宥めるように言うと立ち上がった。
「ああその通りだよ。 緋狩くんと言ったかね? 君のような美しい女性はお淑やかであるべきだ、あまり癇癪を起こすのは君のように美しい女性には似合わない」
「は、え? 今なんて?」
「美しいものは美しくあるべきだと、そう言ったのだよ」
緋狩にとって、他者に褒められるというのは少ないことではない。 自分が文字刈りとして優秀だというのは自覚もしていたし、理解もしていたことだ。 感染者を倒すべく存在として、唯一無二とも言える文字刈りたちがその実力を褒められるというのは、限りなく栄誉であるとも言えよう。
だが、緋狩はその功績だけが目立っていた。 強く、他者を寄せ付けない文字の利用と戦闘センス。 そこのみが評価されており、単純に容姿を褒められたことはただの一度もなかった。
簡潔明瞭に述べよう。
「……はい」
その日、武蔵野緋狩は桐生院美崎に惚れた。