第十五話
「お話をしよう。 とってもタメになるお話だ、わたしはお話がだぁいすきなんだ。 君もそうだろう? レミー君」
「んーッ!! んーッッ!!」
ロクドウはレミーと呼ばれた女の腹部に座っていた。 レミーの両手は縛られ、両足もまた縛られ、口には布が詰め込まれ、身動きが取れてはいない。 服は全て剥がされており、抵抗する手段は既に存在しなかった。
軽井沢たちを追っていたのはこのレミーとクリスという女だった。 彼女たちの誤算は相手としてロクドウが現れたこと。 そして、ロクドウの文字を甘く見ていたことだ。
不死の体を形成する万世不朽。 これに当てる対策としてもっとも有効なのは、麻酔や身体を拘束することによる無力化だ。 死なないのであれば捕らえ、無力化し続けるしかロクドウを止める手段というものは存在しない。
しかし、もう片方の文字、六道輪廻は強い精神干渉を引き起こす文字だ。 対象の精神を捕らえ、その精神を蝕み崩壊させ滅ぼす文字。 それに対する手段はただただ心を強く保つしかない。 六の世界を渡り、平常心で居られればだが。
「あ、あはは……あ、アッ」
そして、クリスはその六道輪廻に捕らわれた。 ロクドウは敢えて精神干渉の速度を落としており、クリスは自我を失い壁にもたれかかり、開け放たれた口からは唾液が垂れ落ちている。
「アレはもう駄目だね。 まったくこれだから最近の若い子はなってないんだよ。 たった六つの世界を見れないなんて、情けないったらありゃしない。 言っておくけど、わたしが見込んだガハラ君は容易に切り抜けたよ? まぁわたしは個人的に彼があまり好きじゃないんだけどね、くふふ」
「んーーーーッ!!!!」
レミーの目先数センチには、ナイフが存在している。 元々このナイフは数メートルほどの高さから放たれたもので、レミーの文字である永永無窮により速度が落とされているのだ。 長い時間をかけ、ゆっくりゆっくりとナイフは落下していく。 そのナイフがレミーの顔に刺さったそのときがレミーの命が尽きる時だと言わんばかりに。 永遠無窮は速度こそ落とすものの、威力は減衰し得ない。 放たれたその威力が保たれたまま、ナイフはじりじりと目の前へ迫ってきている。
「ああごめんごめん、口を塞いでいたことをすっかり忘れていた。 うっかりというのがわたしの悪い部分でありチャームポイントだよ、レミー君」
ロクドウは言い、レミーの口を塞ぐ布を取り払う。 レミーは何度か咳き込んだ後、すぐさま言葉を放った。
「助けてくれッ!! せめて私だけでも……!」
「良いね、実に良い。 それこそが本能というもので、或るべき姿だ。 恥じることはないよ、他者よりも自身の命が優先なんてことは当たり前さ。 しかしあくまでもわたしは君の敵なのだよ、タダでというわけには生憎いかない」
「……何をすれば」
そんな会話の最中にも、ナイフは刻一刻とレミーの顔に向かい落ちてくる。 レミーは涙を零しながらも懇願するようにロクドウの顔を見た。
「幸いなことに今日のわたしは機嫌が良い、コトハ君と実に有益な話をしてきたからね。 というわけで、わたしから提示するのは三つの選択肢。 その内どれか一つでも聞き届けてくれるのならお家へ帰らせてあげよう」
「わ、分かった! 早くしてくれッ!」
形振り構わずレミーは言う。 それを見たロクドウは薄っすらと笑った。
「その壱、今この場で君の頭の中を見せる。 もちろん物理的にね、こうズバッとわたしが開いてあげるから」
「む、無理だ! そんなことをすれば私は死ぬッ!!」
「ああそうかい、ならその弐、ナイフが落ちてくるまでにあそこのお友達を咀嚼し胃の中に収める。 もちろん肉片一つでも残ったらアウトだよ?」
「うっ……そんなこと、できるわけがないだろ! 頼む、可能なことであれば何でもする! だから命だけは……!」
「ワガママだねぇ。 まぁ冗談だよ、ほら今の二つは普通にできないことなんてわたしでも分かるしね。 びっくり人間よりびっくりだよそんなの。 だから最後の一つは可能なこと、それも結構現実的だよ?」
レミーの両頬を包むように持ち、ロクドウは顔を近づける。 金色の髪はレミーの顔へと垂れ、碧色の瞳は吸い込まれるように美しい。 そんな顔が息がかかるほどに近づいており、しかしレミーが感じるのは恐怖のみだ。 それを見たロクドウは笑う、常に無表情な彼女は、確かに笑っていた。
「君がこの世で一番嫌いな男は誰だい?」
「い、一番嫌いな……男?」
「うんそう。 嘘を言ったらブスリだ、さぁさぁほらほら早く早く」
「……ッ! む、昔、感染者になる前、学校に通っていた。 ……中学校だ」
本当に思い出したくはない過去の話。 レミーはそのことがあり、強くなるという目的のため、感染者になってすぐチェイスギャングへと加わった。 今では立派な戦闘員になることができ、自らの文字に自信も持っている。 しかし、いくら今の自分が強くなったとしても、過去は変わらない。
「ほほう、それで?」
「……私をイジメていた連中が居た。 男が五人、毎日だ」
靴を隠され、教科書を捨てられ、殴られ蹴られ、その出来事はレミーが決して忘れることのできない過去だった。 今尚、時折夢に見るほどに心に傷を付けている出来事だ。
「私が最も憎いのは、その男たちだ」
「なるほどね、それはそれは辛い過去だったんだろうね……可哀想に。 多数で個を攻撃するなんて、人のしていいことじゃない。 それも男が女の子になんて、言語道断も甚だしいね」
「……良いだろ、これで。 私を助けてくれるのか?」
思い出させたくない過去を思い出させる、それがロクドウの提示した選択だったとレミーは思った。 ただでさえ六道輪廻という精神に結び付く文字を扱うロクドウであれば、他人の心に強い興味を持っていたとしても不思議ではないという考えからだ。
「そうしたいのは山々なんだけど、残念なことに君もわたしを二対一でイジメたじゃないか、くふふ。 というわけでわたしの選択はコレだよ、よーく聞き給えよ?」
ロクドウは更に顔を近づける。 薄っすらと笑い、舌舐めずりをするその表情は、とても外見が十歳ほどの少女がする顔には見えなかった。 妖艶であり、淫靡であり、この世全ての悦というものが詰まったような、そんな顔だ。
「一人を上げれば良かったのに、君はよっぽど欲しがりだねぇ。 今からその男たちと子作りしてきてよ、ちゃんと作ってちゃんと産むんだよ? そうすれば助けてあげよう、どうだい?」
「――――――――は?」
「だって面白そうじゃないか。 その男たちが君のことをどう思っているかはともかく、同性の私から見ても君は魅力的な女性であることは明白だしね。 となれば、もっとも嫌っている男と作った子供がどれだけ歪みどれだけ歪でどんなモノになるのか、わたしはそれにとても興味があるんだ。 ああ、想像するだけでコウフンしてくるよ。 わたしは君のようにカワイイ子が苦悩と苦痛に満ちる顔を見るのも好きだしね? ちなみにシシ君やガハラ君、それとコトハ君もいつかはイジメてみたいけど……返り討ちに遭う可能性が高いんだよなぁ。 あ、ごめんごめんヨダレが垂れていた、与太話を挟んでしまったよ」
「……ふ、ふざけるなッ!! そんな真似できるわけがッ!!」
「んー、だったら残念だ。 けれど悲しむことはないよ、死というのは休息であり無期限の休暇だ。 ゆっくり休み給えレミー君。 ゆっくりゆーっくり、ゆっくりわたしとお遊びしよう」
「あっ――――――――ァアアアアアアアアアアアッ!!」
レミーの右太腿部にナイフが突き立てられる。 宙から迫るナイフではなく、ロクドウが懐から取り出したナイフによってだ。 そして飛び散った血を舐め、ロクドウはいつもの無表情へと戻る。
「おやおや、文字を使えなくなっちゃったか。 落ち着かないと駄目だよ、それにそんな叫び声を上げないでおくれよ、わたしは別に耳が悪いわけじゃあないんだよ?」
次いで、ロクドウは左大腿部にもナイフを突き立てた。 先ほどよりも更に大きな悲鳴を上げ、レミーは苦痛によって涙と唾液を溢れさせ、顔を歪めた。
「直接関係はないけど、そういえばキミたちチェイスギャングは対策部隊と仲良しこよしをしているらしいね。 思い出すなぁ、対策部隊がわたしにしたこと、わたしは残念ながらずーーーーーーっと覚えているんだ。 痛かったなぁ、苦しかったなぁ、針が何本刺さるかで遊ばれたこともあったし、頭を潰し続けたらどうなるかで遊ばれたこともあったし、爪を剥がし続けて痛みにどれほど耐えられるかってのもされたし、何度破瓜するかって輪姦されたこともあったねぇ。 まー今となってはイイ思い出だよ、おかげさまで対策部隊に対して何も思わなくなったからね? だってほら、今こうしてナイフを軽く突き立てるだけで、とってもわたしはタノシイからさ。 自分より弱い立場の者を痛めつけるというのは、どうしてこうも征服欲を満たしてくれるんだろう? あいつらも同じ気持ちだったのかなぁ、今度聞いてみようかなぁ……ああ、そういえば殺しちゃったんだっけ、それにもう何十年も前の話だったよ、まったく。 人間ってのは脆くか弱い生き物だよ、わたしがされたことを試しにしてみたら、一時間と持たずに死んでしまったしね」
ゆっくり、ゆっくりとロクドウは刺したナイフで足を切り開く。 異物感と恐怖からレミーは体をびくりと反らしつつも、止めてくれと懇願し続ける。
「……あゴメン、同情を誘うためにウソを吐いてしまったよ、今まで一度も嘘を吐いたことがないっていうのがわたしの長所だったんだけど、輪姦されたというのは残念ながらウソなんだ。 だって、感染者と性行為をしたいと思う人間なんて居るわけがないだろう? まぁでも、わたしは思うけど。 特に強い子は特に、ね。 シシ君然りガハラ君然りスズメ君然りコトハ君然り、いつかお遊びしたいものだ」
「あ、が、ぐぁガぁあああああああああああああッ!?」
「おいおい困るな、そんな悲鳴を上げたらまるでわたしがイジメてるみたいじゃないか。 折角気持ちイイことをしてバランス取ってあげてるんだから、もっと淫靡な姿で喘ぎなさいよ。 わたしの愛情だろう? キミは愛情を受け取らないほどに捻じ曲がって捻くれてしまったのかい? そんな子に育てた覚えはナイんだけどなぁ」
下半身の異物感は、痛みであった。 見ずとも分かる、ロクドウがナイフの柄を無理矢理に突き刺したのだと。 痛みは最早恐怖であった、とにかく死にたくないと願い続けるだけであった。
「……なさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
うわ言のようにレミーは呟く。 最早、ここから解放されるのであれば全てがどうでも良かった。 逃げ出したい、助けて欲しい、そのためならば何でもしようと、そう思った。
「アッハハハハハハハハハハハハアハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! ああ、思いっきり笑えたらどれだけタノシイことなんだろう。 楽してく笑うということなんて、もうかなり昔に忘れてしまったよ。 さてさてそれじゃあ続きをしよう、時間はたっぷりある、そろそろこんな痛そうな光景は見たくないだろう? だったら――――――――その眼、いらないね」
「や、やめッ――――――――」
「これも、わたしの愛情だよ」
地獄というのは、地獄を知る者しか見せることはできない。 そして地獄を知る者というのは、その地獄から蘇った者だけだ。
「……んーでもやっぱりシシ君をイジメたい欲求は満たしたいなぁ。 と言って裏切るわけにはいかないし。 まぁわたしの人生まだまだ長いしいつかでいっか。 いざとなったら夜這いでもしよう」
人だったモノは、既にただの肉塊へと変わり果てている。 そんな肉塊を見下ろし、ロクドウは呟く。
「そういえば、わたしは別に拷問されたことで対策部隊を恨んでいるわけじゃないんだ。 誰も聞いていないだろうし、これは意味のない呟きだけれどね。 わたしが人を殺すのは、ただの暇潰しさ」
ロクドウは既に息絶えたレミーと、いつの間にか風化し崩れ去ったクリスに対する興味は消え失せており、考え事をしながらその場から去るのだった。




