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感染者のことは  作者: 獅子師詩史
第二章
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第九話

「これって本当に瘴気とかじゃないよな」


「違うって! ほら、香りは良いでしょ?」


 禍々しい物体から放たれる不可思議な色の煙を見て、獅子女は琴葉に尋ねる。 が、対する琴葉は必死に否定しながら獅子女の目の前でその煙を嗅いで見せた。 それを見ていた獅子女は目を瞑り、精神を落ち着かせた。


「にしても逆に凄いよな……材料的には普通なんだろ? これ」


「ええっと、玉ねぎとかひき肉とか、あとはトマトとか……この本に書いてあるまんま! だよ!」


 琴葉が差し出した本に書いてある材料には、確かになんら変哲のない名前が並んでいる。 本当にそれしか使っていないのかと言いたくなるものの、あまり疑ってはキリがないだろう。 その判断から、獅子女はようやくフォークを持った。


「あ、待って待っておにーさん。 その前にほら、琴葉ちゃんの手作り料理を見た感想教えて! 今改めて、おにーさんの本心からだよ? 嘘とか冗談とかじゃなくてね!」


 どこからそんな自信が沸いて出てくるのか聞きたくなったものの、獅子女は若干引きつつ答える。 この場合、今思っていることを実直に伝えるのが本当の優しさというものだろう。


「呪詛の塊」


「そんな危ないものじゃないよ!?」


 先ほどまで必死に隠そうとしていたのはなんだったのか、琴葉からは最早自信しか感じられない。 恐らくは前向きに解釈したのだろうと獅子女は説明付け、今度こそ食べようとフォークを握り直す。 が、再び琴葉がそれを制止した。


「まだだよ、少し待っててね」


 琴葉は言うと、立ち上がる。 そのまま獅子女の横までとことこと歩いてくると、座り込む。 何事かと獅子女は視線を向けるも、そこにはニコニコ笑う琴葉が居るだけである。


 今こそ、と琴葉は思う。 意を決し、ロクドウに言われたとあることを実行する時だと。 手を翳し、とびっきりの笑顔で、心からの言葉を込めて、琴葉は言う。


「よーし……それじゃあおにーさん、最後の最後にとっておきの隠し味! 琴葉ちゃんの愛情を注入!!」


「死ね」


「その暴言はあんまりだっ!!」


 それから獅子女は「いただきます」と告げると、パスタらしきものを口へと運ぶ。 琴葉も観念したのか、そそくさと自分の席へ戻り、意を決したように口へと運んでいった。


「……意外と食べられないってほどじゃないな」


「あたしが一番驚いてるよ……やっぱり外見より中身ってことだね!」


「お前それ本気で言ってるなら殴りたくなってくるから止めろよ」


 意外なことに、それ自体は決して不味くはなかった。 どちらかと言えば美味しい寄りですらあり、そのグロテスクな見た目からはとても考えられない味を誇ってしまっている。 逆にどうやって作ったんだと聞きたくなる獅子女であるが、琴葉は真面目に作ったとしか答えないだろう。


「……やっぱりあたし、料理の才能あるのかな」


 そんな不穏な言葉が聞こえてくるものの、獅子女は聞かなかったことにし、口を開く。 話題を変えなければ、琴葉が万が一にでも「将来の夢は料理人!」とでも言い出したら、恐らく一番被害を被るのは自分に他ならない。 なんとなくではあったが、そんな未来が見えた。


「そういえば、アオの方はちょっと厳しいらしい。 身を隠す方法ってのを心得てる連中で、今回動いてるのもロイスとその側近くらいらしいな」


「あ、アオさんのところに行ってたんだね。 むう、でもそうなるとやっぱり襲われるのを待つしか……って感じなのかな」


「アオのところと、後は野暮用を一件な。 向こうの出方としては、恐らく俺のとこにはロイスが来るはずだ。 で、狙いはお前になると思う」


「へ? あたし!?」


「俺と一緒に居たからな。 それをロイスは見ているわけだし、お前を人質に取ってって可能性が一番高い。 誘拐にしろ強盗にしろ殺人にしろ、被害を受けるのは弱者って決まりがある」


「た、確かに……。 ねね、おにーさん、一応聞くんだけど……」


 琴葉は食事を一旦止め、不安そうにも見える顔で獅子女へと尋ねる。 念のための確認、といった意味も含まれていた。


「あたしがもし攫われたら、助けてくれる?」


「あ? いや当たり前だろそんなの。 けどお前が攫われたとして、一番厄介なのは雀が暴走することだ。 考えなしに突っ込む可能性があるからな……もしそうなれば琴葉にとっても危険だから、最善策を探さないといけない……って聞いてんの?」


「え、あ、うん! えへへ……聞いてるよ!」


「なに笑ってんだよ……」


 獅子女からして見れば、至極当然のことを言っているだけであった。 仲間が危機であれば助けに行くという、極普通の答えだった。 だが、琴葉にとってはそれが嬉しく、ついつい笑ってしまう。


 そんな笑顔を見て、獅子女はふと気になったことを尋ねてみた。 琴葉にとってもそれは、大事なことだろう。 関係のない話ではあったものの、琴葉を助け出した日から気になっていたことだ。


「そういや琴葉、お前姉貴に会いたいとかって思わないのか?」


「え、あ……うん、まぁ。 正直ね、分からない」


 突然言われた言葉に、琴葉は愛想笑いのように笑って返す。 それは紛れもない本心で、長年会っていなかった姉に会うというのは、腰が重くなるのも仕方ないことかもしれない。 以前は同じ人間同士であったとしても、今は人間と感染者だ。 気が引けてしまっていた。


「……怖いっていうのは、あるかなやっぱり。 何を話せば良いのか分からないし、何よりおねーちゃんが感染者のあたしを見て、なんて言うのか分からないし。 あたし、おねーちゃんに酷いことしちゃってるから」


「酷いこと?」


「おねーちゃん、雪が降る日は良いことがあるって言ってたんだ。 それで、あたしが連れて行かれた日も……雪が降ってて。 それで、あたし結構酷いことを言ったと思う。 おねーちゃん、悲しそうな顔をしてたんだ」


「……へぇ、ガキだったんだし仕方ないだろ、それは。 別に悪いことじゃない」


「悪いとか、悪くないとか、そういうんじゃないんだよ。 あたしが覚えてて、おねーちゃんもきっと覚えてる。 それだけだよ」


 だからこそ、琴葉はいつか言わないといけないことだと思い続ける。 忘れ去られる前に、伝えなければいけないと思い続ける。 それはきっと、姉に言葉を伝えるまで続く回廊だ。 無限にも等しいそれは、いつか必ず伝えなければいけないことだ。


「そうか」


 獅子女はそれを聞き、琴葉の作ったパスタを口へと運ぶ。 少し甘みがあり、少し酸味があり、意外と食が進んでいた。 それを口の中で味わい、飲み込むと、獅子女は琴葉に向けて告げる。


「全く関係ないことだけど、来月俺の高校で新春祭ってのがある。 文化祭みたいなもんだけど、もし興味があるなら来ると良い。 俺の従姉妹ってことで文字を使えばどうにでもなるしな」


 琴葉にはその意味が分かった。 だから少々驚いたような顔をして、だから獅子女が向けてくれる優しさを感じて、だから心が少し、暖まった。 嬉しいような恥ずかしいような、そんな感情で心が満たされていくのを感じつつ、琴葉はその照れを隠すように口を開く。


「なになに、おにーさんそんなにあたしとデートしたいの? えぇーどうしよっかなー」


「悪いか? お前とデートしたいと思って」


「ッ!? げほげほっ!! いきなりなに!?」


「冗談だよ。 とりあえずそういうことだから考えとけ、まぁ」


 獅子女はパスタを食べ終わり、食器を台所へと運んでいく。 そのまま琴葉に背中を向けたまま、告げた。


「全部は今回の件に片がついてから、だけどな」


 その約束とも言えることを口にしたのには、理由があった。 もちろん、良い機会だと思ったのは言うまでもないことである。 しかしその一方で、獅子女は自身にその約束を課すことで、生きていなければならないという課題を叩きつけたのだ。


 ロイスが告げた、獅子女の死。 先見之明を持つロイスの視る未来は、絶対のもの。 獅子女は自分に訪れる死を払拭すべく、琴葉との約束を交わした。 ただ紛らわしただけかもしれない、気持ち程度のものかもしれない。 だが、少なくとも獅子女は約束を簡単に反故にするような人物ではない。


「ん」


 そこで、獅子女はポケットの中の震動に気付く。 携帯だとはすぐに分かり、取り出し、たった今届いたメッセージを確認した。


 差出人は雀、どうやら獅子女だけではなく、神人の家全員に送られているようだ。


「交戦……開始?」


 口を開いたのは琴葉だ。 雀から送られた短いメッセージを読み上げ、目を見開き、獅子女へと顔を向ける。


「やっぱり先手を打たれるか。 この分だと他の奴らもやり合ってるかもな」


「……だいじょぶかな、みんな」


「心配ない。 それよりも琴葉、まずはこっちの問題を片付けようか」


 日常の終わりは、唐突にして突然だ。 先ほどまで室内に流れていた空気は、一瞬にして変わる。 それは琴葉ですら分かるほど、異様にして異常な空気だ。


「……なに、あれ」


 琴葉はその空気がどこから来るものか、直感的に窓の外を見る。 遠くはあったものの、建物の上に人が居た。 図体がでかく、ガスマスクのようなものを付けた男であった。 その男は、真っ直ぐこちらを見つめている。


「出るぞ琴葉、ここに篭って暴れられても最悪だ。 向こうもそれをやったって対策部隊を呼ぶだけってのが分かってるだろうしな」


「……」


 獅子女が言うと、琴葉は心配そうな面持ちとなる。 そんな琴葉の様子を見た獅子女は、琴葉の頭に手を置くと、言った。


「俺の後ろに立ってれば良い。 そうすればお前には指一本触れさせない、約束してやる」


「……うん」


 こうして、日常は幕を閉じる。 訪れるのは闇、感染者たちが本来居るべき、その場所だ。

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